第2話 オトウト

 家から一度も休むことなく走り、二人は公園まで辿り着いた。

 といっても、家から一番近い公園だが。

 ベンチに腰かけ、ぼうっとしていた二人だったが


「すげー恐かった。おばさんおっかねえな」


 正人がため息と共に吐き出した。


「僕も恐かった。あんなお母さん初めて見たよ」


 地面の小石を足でつつきながら、壮太も返す。

 正人は、その様子を再びぼんやり見つめていたのだが


「そろそろ行くか」


 言って、立ち上がった。

 壮太もつつくのをやめて立ち上がり


「うん。送って行くよ」


「ばっか。お前ん家に行くんだよ。弟をまだ見てねえだろ」


 腰に手を当て、少し怒った風に正人が言った。


「あんなに怒られたのにまだ見に行くの?もうやめとこうよ」


「だからこそ気になるんじゃねえか。弟見に行くってだけでなんであそこまで怒られなきゃいけねえんだよ。やましいことでもあんじゃねえの」


「そんなのないけどなあ」


「じゃあ見に行ってもいいだろ」


 そう言って、正人は歩き出す。


「ちょっと待ってよ!」


 壮太も慌てて後を追った。



●  ●  ●



 壮太の家の塀から顔だけ出して、二人は家の様子をうかがう。

 見たところ人の気配はない。


「お母さん、もう出かけたみたい」


「じゃあ入ろうぜ」


 周囲を確認しつつ、忍び足で玄関に近づく二人。

 壮太はドアの前でしゃがみ、玄関マットの下に隠してある合鍵を拾ってドアを開けた。

 少しだけドアを開けて顔を差し込み、家の中を覗く。


「うん、大丈夫そう。お母さんの靴がなくなってる」


 ドアを開けて、二人は中に体を滑り込ませた。


「もう一回おじゃましまーす」


「お母さんが帰ってくる前に早く行こう」


 二人は駆け足で弟の部屋まで行く。


「まだ鍵がかかってるかな」


 壮太の心配をよそに、正人が握ったドアノブは簡単に捻ることができた。

 何の障害もなくドアが開く。


「俺が帰ったから開けたみたいだな」


 二人して部屋に入る。

 壁にはサッカーのポスターが貼ってある、いたって普通のサッカー少年の部屋。

 けれど部屋の主の姿は無く。


「おばさんと一緒に出かけたか?」


「ううん。家にいると思う。もしかしてリビングかな」


 弟のいない部屋に用はない。

 二人は部屋を後にし、階段を下りてリビングへ続く扉を開けた。

 大きなテレビの前にローテーブル、それに向かって置かれている横長のソファ。

 テレビでは何かのドラマが流れている。



 そのソファに、弟が座っていた。


 こちらに背を向けているので顔は見えない。


「やっと見つけた!」


 嬉しそうに正人が弟に駆け寄った。


「よう。俺、正人っていうんだ。何見てんだよ?」


 声をかけつつソファの前に回り込んで


「うわあっ」


 のけ反り尻もちをついた。

 壮太は慌てて正人の元に走り


「どうしたの?滑った?」


 しばらく呆然としていた正人だったが、落ち着きを取り戻すにつれ怒りもわいてきたようで


「お前びっくりさせんなよ!なんでこんなの置いてんだ!」


「なに、弟がどうかしたの?」


 突然怒りだした正人に、きょとんとする壮太。

 正人は頭を掻きながら



「どう見たって人形じゃん。そんなに弟を見せたくないのか?」



 そう言って、弟を指さした。


 長袖の上着と半ズボン、黒タイツにハイソックス。

 手袋とネックウォーマー。

 冬場のサッカー少年のような服装だ。

 唯一見える顔は紙粘土で出来ているため凹凸が目立っていた。



 見慣れた弟の姿に、壮太は首を傾げる。


「そこにいるじゃん。何言ってるの?」


「だから、これは人形だろ!」


「でも弟だよ」


 心の底から訳が分からないといった様子の壮太に、いよいよ正人は語気を荒げる。


「おい、いい加減にしろよ。そんな冗談面白くねえって」


「冗談なんて言ってないってば。正人君こそ僕の弟を馬鹿にしないでよ!」


「なに言ってんだよ!これは人形だぞ!生きてねえんだよ!こんな物が弟なわけないだろ!」


 壮太を乱暴に引っ張って弟の前に突き出す。

 至近距離でとらえた弟の顔には、マジックで書かれた目と鼻と口。


「でも、みんな弟だって言ってるし。これまでずっと一緒にいたよ。ご飯もお風呂もずっと一緒だし……」


 困惑しきりの壮太に、正人はしばらく沈黙した後


「……悪ぃ、俺もう帰るわ」


「正人君!」


 壮太の呼びかけもむなしく、正人は振り返らずにそのまま帰ってしまった。

 残された壮太は弟と二人きり。



「弟なわけ、ないの……?」



 壮太の独り言に、もちろん返事はなかった。



●  ●  ●



 母と妹は帰りが遅くなるらしく、壮太と父は先に晩ご飯を食べた。

 食後、壮太はオトウトと並んでテレビを見ていた。

 けれどテレビの内容なんてこれっぽっちも頭の中に入ってこない。

 頭を支配するのは正人の言葉。



――これは人形だぞ!生きてねえんだよ!こんな物が弟なわけないだろ!



 確かにいま隣に座っているのは人形だ。

 けれど、これは弟で。

 そのことに疑問なんて抱いたこともなかった。


「そろそろ風呂に入るか。お父さんは後から行くから先に入ってなさい」


「うん」


 食器を洗い終わった父が、壮太に呼びかける。

 壮太は頷いて脱衣所へ向かった。

 ノロノロと服を脱ぎ、椅子の横にあるランドリーボックスへ投げ入れる。

 浴室へと続くすりガラスの扉を開けて、浴槽に張った湯へと体を沈めた。

 湯温は、壮太にとって少々高い。


「あっつ」


 と同時に脱衣所のドアの開く音がし、ガラス扉に影が映った。

 父とオトウトが入ってきたようだ。

 服を脱いだ父が、オトウトを連れて浴室へと入って来る。

 父はオトウトを風呂椅子に座らせ、壮太と入れ替わりで風呂に浸かる。

 風呂を上がった壮太は桶に湯を溜め、壁に掛けてあるスポンジをその中に浸して固く絞った。

 そして、そのスポンジで弟の体を優しく拭いた。

 全裸になったオトウトの体は、顔以上に不出来だ。

 指の太さだってまばらだし、絵具で塗られた肌は色ムラがある。

 全身が変にテカっているのはニスでコーティングしているせいだ。

 だが、それもこうやって毎日拭いているせいで取れてきている。


「終わったよ」


「ご苦労さん」


 壮太の言葉に、父は風呂から出て弟を抱き上げる。

 そのまま脱衣所へと出てタオルでオトウトの体を拭き、椅子に座らせてタオルで体を包んでやった。


「ねえ」


「なんだ。お前まで出てこなくていいんだぞ」


 共に脱衣所へ出てきて壮太に、驚いた表情の父。

 けれど壮太は構うことなく




「どうして人形を弟って呼ぶの?」



 すとん、と父の表情が抜け落ちる。

 底冷えするような、昼に見た母の表情とはまた違う。

 能面のような顔。


「急にどうした。弟は弟だろう」


 抑揚のない返答に、壮太は少しひるむも言葉を続ける。


「だっておかしいよ。これ、紙粘土で出来たただの人形だよ。それなのに毎日毎日ご飯一緒に食べたり、お風呂入ったり」


 見れば見るほど人形だ。

 どうしてこんな物を弟として扱っていたのだろう。

 吹き出す疑問に押されるように、言葉が止まらなかった。


「正人君の弟はちゃんと学校に通ってた。ちゃんと喋ってた。これはそんなことできないでしょ?だって人形だもん!こんなの……こんなの弟なんかじゃない!」


 気持ちが昂り、思わずオトウトを突き飛ばしてしまった。

 椅子から倒れ落ちる、オトウト。

 それを見た父は、カっと目を見開き手を振り上げる。


(叩かれる!)


 思わず身をすくませた壮太だが



「おとーと!おとーと!」



 脱衣所の扉を開くと同時に、妹の声が飛び込んできた。

 見ると、いつの間に返ってきたのか、息を切らせて満面の笑みを浮かべる妹が立っている。

 妹の言葉が理解できずに固まる父と壮太。

 けれど、後からやってきた母の言葉で全てを理解する。




「弟ができたわよ」



 優しく微笑んで、母は自分の腹をさすった。



●  ●  ●



 母の病室からは川が見える。

 その川に反射した太陽がキラキラと輝き、病室を光で満たしていた。

 ベッドで横になっている母と、生まれたばかりの弟を抱く父。


「ちっちゃいねえ」


 父の腕の中を覗き込む妹は、時折弟の頬や鼻をつつく。

 壮太は椅子に座って、そんな光景をぼんやりと見つめていた。


「壮太も触ってみなさい」


 同じく椅子に座っていた父が、壮太の方に体を向けて言った。


「うん……」


 言われるままに近づいて、妹と同じように覗き込む。

 しわくちゃの顔に、サルみたいな鼻と口。

 こんなに小さいくせに一丁前に髪の毛なんか生えている。

 どこを触ればいいのだろうか。

 とりあえず、ひらかれた掌を人差し指でつついてみた。

 きゅっと握られる。


「わっ。案外力あるんだね」


 ガラス玉のような大きな目には、驚いた壮太の顔が映っていた。


「これは将来が楽しみだな」


「もう、気が早いわよ」


 破顔して喜ぶ父に、窘めつつも同じく笑顔の母。

 妹も、もう理解しているのだろうか、一緒になって喜んでいる。

 壮太だって弟が生まれたのは本当に嬉しい。


 けれど。

 ニスで光ったオトウトの顔が、壮太の頭から離れなかった。



●  ●  ●


 母の見舞が済み、自宅に到着した。

 帰りの車中で妹は寝てしまったようだ。

 後部座席で寝息を立てる妹を、父は優しく抱っこして


「ソファにで寝かせるか。あんまり寝かせると夜に寝ないからな」


 手のふさがっている父の代わりに、壮太はリビングまでの道を開ける。

 と、いつも通り、ソファにはオトウトが座ってテレビを見ていた。

 どうしたものかと壮太が佇んでいると



 父が無言でオトウトを蹴り落とした。



 そのまま何事もなかったかのように、空いたソファに妹を寝かせる。

 地面に崩れ落ちたオトウト。

 壮太は彼を起こして床に座らせ、着崩れていた服を元に戻した。

 何も言わずにそれを見ていた父だが、何の前触れもなくオトウトを肩に担いだ。


 あんなに丁寧に扱っていたのに、荷物みたいに。



「新聞紙を持って来なさい」


 それだけ言って、父は窓を開けて庭に出てしまった。

 テーブルの上に置いてあった新聞紙を持って、壮太もついて行く。

 庭の真ん中に出た父は、乱暴にオトウトを放り捨てた。

 そして倉庫へと向かう。

 壮太はどうしていいかわからず、オトウトの横に立ってその姿に目をやった。

 

 落とされた衝撃で頬が削れ、白い紙粘土そのものの色が見えていた。

 そこから延びるヒビは目にまで届いている。


 と、戻ってきた父は片手に着火剤のチューブを持っていた。

 父はオトウトの傍にしゃがみ、チューブを絞る。

 糊のような、透明な中身がうねうねと絞り出されてオトウトの全身に満遍なくかかる。


「ん」


 かけ終わった父は、壮太に手を差し出した。

 その手に新聞紙を渡す。

 父は受け取った新聞紙を1枚ずつ剥がし、緩く捻じって棒のようにしていく。

 そして、棒をオトウトの体の上や下に差し込みはじめた。

 最後の一本は手に持ち、ポケットから取り出したライターでそれに火をつける。

 点いた徐々に大きくなりながら、新聞紙を舐めるように燃やしていく。


 ポイっと。


 父は火のついた新聞紙をオトウトの上に放り投げた。

 穏やかな火は着火剤に触れた瞬間、大きな炎となり。

 瞬く間に燃え広がってオトウトを包み込む。

 熱によって溶けたニスは、重力に従って凹んだ部分を伝い地面へと落下していく。

 マジックで書かれた目が溶けてヒビを伝い落ちるその様は、なんだかオトウトが泣いているようにも見えた。


「火が消えるまで見ていなさい。火事になったら困るからな」


 そう言って、父は家に戻ってしまった。


 燃え続けるオトウト。


 消し炭になるまで、壮太はずっと彼を見ていた。



 人形の彼は、けれど確かに弟だったから。


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オトウト 寧々(ねね) @kabura_taitan

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