オトウト
寧々(ねね)
第1話 弟をみにいこう
朝のホームルームが始まるまであと十分。
壮太は、一年生のころからずっと同じクラスの正人の席まで行って、昨日のテレビ番組について熱く語り合っていた。
「正人いるー?」
教室の扉から声がした。
立っていたのは正人によく似た少年。
正人よりも少し背が低く、目が丸いように見える。
それに気づいた正人は片手をあげて
「ここだ。どうした」
「俺のランドセルん中に正人の筆箱入ってた」
言って、持っていた筆箱を正人に渡す。
青い缶の筆箱で、将来プロ野球選手になった時用に考えた正人の直筆サイン入り。
間違いなく正人の物だ。
正人は受け取り
「まじか。間違えて入れたのかな」
「まったく。気を付けろよ」
「おう、ありがと」
「じゃーな」
それだけ言って、少年は教室を後にする。
その後ろ姿を見送りながら、壮太が
「あれが正人の弟?初めて見た」
「ああ。最近ナマイキになってきたんだよなー」
ため息をつく正人に、壮太はポツリと言った。
「弟なのに喋るんだね」
「はあ?喋るだろ」
訳が分からないといった様子の正人。
だが壮太は肩をすくめて
「僕の弟は全然喋んない」
「へー。すげえ無口なんだな。というか、お前も弟いたんだ。まだ幼稚園か?」
「ううん。どこにも行ってない」
「そうなのか。ま、クラスにも幼稚園とか行ってなかったやついるもんな。弟は何歳なんだよ」
壮太は一瞬言葉に詰まり
「わかんない」
「お前それはひでえよ!なんでそんな意地悪言うんだ。ケンカでもしたのか?」
「そんなのしてないよ。ほんとにわからないんだ」
「えぇー。じゃあ弟の誕生日はどうしてんだよ?」
「もちろんパーティーするよ。部屋を飾り付けしてケーキ食べて、プレゼント渡してる」
「それでなんで歳がわかんねえんだよ。弟だろ?お前より年下なんだからわかるだろ」
「年下じゃないよ。僕より前から家にいるもん」
当たり前だといった様子の壮太に、正人は首を傾げて
「お前何言ってんだ?そんなの弟じゃねえよ。弟って自分より年下なんだぜ」
「でもお父さんもお母さんも弟って呼んでるし……」
「ほんとかよ」
「ほんとだって!」
ほんとか、ほんとじゃないかをしばらく言い争っていた二人だが
「じゃあ明日、お前ん家行って弟見せろよ!ここでグダグダ言ってても何もなんねえし。いいだろ?」
「うん、いいよ。ちゃんと弟だって見せてあげる」
正人の言葉に、壮太は二つ返事で頷いた。
● ● ●
「壮太、ご飯並べてー」
キッチンから母の声がする。
晩ご飯はハンバーグだろう。
リビングまでいい匂いが漂っている。
「はーい」
だが、ソファに座ったままの壮太。
返事はするが目はテレビに釘付けだ。
「壮太!」
「わかったってば」
怒気をはらんだ母の声に、テレビから目を引っぺがしてキッチンへ向かう。
壮太は手伝わないと怒られるというのに、弟はソファに座ったままでも怒られない。
「お兄ちゃんって損だよな」
軽く毒づき、キッチンへと向かう。
「落とすなよ」
盛り付け終わった皿を一つ手に取り、父が壮太に手渡した。
「目玉焼きがのってる!僕の好きなやつだ!」
デミグラスソースのかかった大きなハンバーグに、ふるふるとした真ん丸い黄身の目玉焼きが一つ。
まるで王冠のように堂々と鎮座している。
壮太はそれを、ひっくり返さないよう慎重にダイニングテーブルまで持って行く。
「おちゃいれるー!」
幼稚園の妹は、今まさにお手伝いしたい盛り。
誰に言われるでもなく、既にテーブルに並んでいた空のコップにお茶を注いでいく。
あまり家事を手伝わない壮太は、妹と比べられて怒られるので最近ちょっぴり迷惑していたりする。
一皿ずつ丁寧に料理を運び、ようやっと全ての料理がテーブルに並んだ。
壮太は椅子に飛び乗って
「早く早く!」
手を合わせて「いただきます」の準備完了だ。
母と妹も席に着いたが
「待ちなさい。全員そろってからだ」
父はソファに座っていた弟を抱きかかえてこちらの椅子に座らせ、その隣に座る。
これでやっと全員がそろった。
「いただきます!」
言うや否や、壮太はフォークを掴んでハンバーグを切り、口いっぱいに頬張った。
「おいしい!」
「よく噛んで食べなさい」
壮太の口からはみ出したソースを拭って、父が言う。
妹は、母にハンバーグを小さく切ってもらいながら
「あついねえ」
ふうふうと息を吹きかけて冷まして食べていた。
四分の三ほどハンバーグを食べてお腹も少し落ち着いたころ、今朝の話を思い出した壮太が口を開く。
「明日、正人君来るって」
「そういえば明日は学校お休みだったわね」
母が妹に水を飲ませながら言った。
「うん。創立記念日」
「お母さん、明日はお昼から出かけるから、その時間になったら帰ってもらうわよ」
「わかった」
壮太は頷いて、残ったハンバーグを口に放り込む。
なんだか物足りない。
ちらりと弟の方を見ると、料理が手つかずのまま残っていた。
「ねえ、食べないなら僕が……」
弟の皿に手を伸ばす壮太。
だが、父がその手をぴしゃりと叩く。
「こら!人の分まで取るんじゃない!」
「わかったよ。ごちそうさま」
赤くなった手をさすり、壮太は口を尖らせる。
結局残るんだから食べてもいいじゃない、とは心の中で言うだけにして。
● ● ●
翌日。
壮太がリビングのソファで漫画を読んでいると、チャイムが鳴った。
「正人君じゃない?壮太出て」
玄関の様子が映るモニターを見て、母が言った。
こんな時に妹がいれば一目散にかけていくのだが、彼女は幼稚園に行っているため不在だ。
壮太は漫画を片手に立ち上がり、廊下を通って玄関のドアを開ける。
「おっす。来たぜ」
そこには正人が立っていた。
リビングから顔だけ出した母が
「いらっしゃい。壮太の部屋に行ってて。お菓子持って行くわ」
「やったあ!おじゃましまーす」
ルンルンで靴を脱ぐ、正人。
壮太は正人を引き連れ、廊下の階段を上って二階にある自分の部屋に行く。
ベッド、勉強机、本棚に小さな丸テーブル。
今朝、正人が来るからと母が片付けたため、部屋は小ざっぱりしていた。
「ここがお前の部屋かー。意外と片付いてんな。もっと散らかってるかと思ってた」
「てきとーに座って」
床に座った正人は本棚を覗き込んで
「お前これ集めてんの?俺買おうか迷ってたんだよなあ」
一冊の漫画を手に取った。
「結構面白いよ。絵もきれいだしオススメ」
「ふーん」
ペラペラとページをめくる、正人。
壮太も持ったままだった漫画の続きを開く。
しばらく二人で漫画を読んでいると、ドアを叩く音がした。
次いで、母が入ってきて
「どうぞ。口に合うといいんだけど」
お盆に乗せていた二人分の菓子とジュースを丸テーブルに置く。
「やったー!俺、喉乾いてたんだよな」
正人は漫画を置いて、ジュースを手にした。
あっという間に半分まで飲んで
「くぅー!生き返る!」
そんな正人の様子に、母は笑って
「ゆっくりしていってね。壮太、あんまりはしゃいじゃダメよ」
それだけ言って部屋から出て行った。
壮太も漫画を置いて、菓子に手を伸ばす。
お客様用の美味しいクッキーだ。
宝石のような赤いグミのついたクッキー。
一枚丸ごと口の中に入れて、噛みしめる。
「おいしい……!」
「おい、忘れてないよな」
夢中でクッキーを頬張る壮太に、正人が言った。
「弟のことでしょ?忘れてないよ」
壮太の言葉に、頷く正人。
「ならいいんだけどよ。どこにいるんだ」
「いつもはリビングにいるけど、今日は正人君がいるから自分の部屋にいるんじゃないかな」
「どこだよ、それ。案内しろよ」
「え?今から?」
「当たり前だろ。何のために来たと思ってんだよ」
「でもまだ食べてる途中だよ」
「後でいいだろ。それは置けよな。まだ口の中に入ってんだろ」
「……うん」
壮太は両手に持っていたクッキーのうち、片方だけを渋々皿に戻した。
もう片方も……戻す前に、ちらりと正人の顔をうかがう。
厳しい目つきで首を横に振る正人。
それでも戻すのをためらっていると、正人にクッキーを奪われてしまった。
「ああっ」
止める間もなくそれを自身の口に放り込み
「よひ、行ふぞ」
正人は立ち上がった。
サクサクと小気味よい音をさせながらドアまで歩いたのだが
「……もうちょっとだけ食うか」
振り返って、照れくさそうにそう言った。
● ● ●
あれから十分足らず。
全てのクッキーとジュースを腹に収めた二人は、二階突き当りの部屋の前に来ていた。
「ここが弟の部屋だよ」
壮太の言葉に、正人はドアノブを回す。が、
「あれ?開かねえぞ」
押したり引いたり、ガタガタとドアを揺さぶる。
「そんなに乱暴にしたら壊れちゃうよ。ちょっとかわって」
ドアノブに手をかける壮太だが、相変わらずドアは開かない。
「おかしいなあ。鍵がかかってる。いつもはかかってないのに」
「でも、鍵がかかってるってことは中にいるんだろ?」
そう言った正人はドアをノックして
「おーい、いるんだろ?開けてくれよ。俺、正人っていうんだ。壮太の友達。一緒に遊ぼうぜ」
その声に反応はない。
壮太は不思議そうに
「何してるの?」
「何って、呼んでるんだよ。出てくるかもしれないだろ」
「出てくるわけないよ」
「そんなのわかんねえだろ」
「わかるよ。弟は自分で動けないんだもん」
壮太の言葉に、ドアを叩いていた手を下ろす正人。
「そうなのか?病気かなんか?」
「どうだろう。生まれつきじゃないかなあ」
と、不意に二人の上に影がさした。
「何してるの」
冷たい声。
振り返ると母が無表情で立っていた。
「あ、その、壮太に弟がいるって聞いたから、見てみたくて……」
先ほどからは想像できない母の態度に、正人はいつになく怯えている。
けれど、母は表情を変えることなく正人の肩に手を置いて
「帰りなさい」
「え?いや、だって、俺、今来たとこ……」
置かれた手には徐々に力が籠められ、肩の肉に食い込んでいく。
「今から出かけるの。もう帰りなさい」
「わかった!そうするよ。家まで送っていくね」
わざとらしく明るい声で言い、壮太は正人の手を掴んで逃げるように家を出た。
冷え切った母の目が恐くて、振り返ることはできなかった。
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