野良犬の喰うところ(12)

「かずちゃんが東都来るのって今日だっけ? オーケーオーケー。ほいじゃ、東の噴水池前に一時ってことでセッティングしてあるんで、時間厳守でお願いね」


「社長は来られるんですか?」


「行かないよぉ。ボク、忙しいもん。照屋てりやさんによろしく言っといて」


「わかりました。あ、そうだ。謝礼は本当に一升瓶で良いんですか?」


「そっちはそれで問題ないよ」


「そっちは、ですか」


「ロハで原稿一本書くって、かずちゃん自分で言ったんじゃん。大丈夫。近々面倒な仕事が降ってきそうだから、利子が付く間はなさそうだよ」


 むしろ利子をつける気だったのかよ、とは思っても口に出さず「ありがとうございます」と言って、俺は電話を切った。


 新幹線は間もなく終点の東都に入るところだった。俺はだからデッキに立ったまま、ドアが開くのを待つことにする。


 森村と会った日の夜、俺は狸塚社長に電話を掛けた。雑誌の記事を読んで、社長がU公園のホームレスにも取材をしていたことを知り、ひょっとして社長なら宏人さんのことを知っている人物とコンタクトが取れるのではないかと思ったのだ。


 初めは面倒くさそうに俺の話を聞いていた社長だったが、無償で一本仕事を受けるという提案には惹かれるものがあったらしく「一応聞くだけ聞いてみるよ」と約してくれた。こうなると社長は動きが早い。翌日にはU公園に趣き、以前取材したホームレスを介して宏人さんと懇意にしていた人物と接触したという。


 三日後――俺は五十海を離れ、久しぶりに東都へと向かっていた。


 明日香はいない。妹は五十海を離れることができないのだ。


「終点、東都。終点、東都。皆様、お忘れ物がございませんよう、ご注意ください」


 アナウンスと共に開いたドアを通り抜けると、東都の冷気が首元まで押し寄せてきた。


 ――また贈り物ですか?


 ――ええ、まぁ。


 俺は環状線のホームへと向かいながら、古里井酒造で今日の土産を買った時のことを思い出す。


 ――今度、東都のU公園に行こうと思っているんです。


 別に聞かれたわけではないのだが、自分が失踪していた時期の宏人さんを知る人と会いに行くということを二奈さんに黙っているのはフェアではないと思ったのだ。


 案の定二奈さんはいい顔をしなかった。


 ――夫が何故失踪したのか、それを知りたいと思わない日はありません。でも、それを無関係な人にあれこれ嗅ぎ回られるのは、遺族にとっては苦痛なだけです。あの刑事さんも、一良さんも、こんな簡単なことをどうしてわかってくれないんですか?


 ――すいません。


 俺には謝ることだけしかできなかった。何故なら、失踪当時の宏人さんを知るホームレスと会うことをやめるつもりはさらさらなかったからだ。


 U公園には十二時半に着いた。


 指定された噴水池の前に立つと、すぐに禿頭の老人が寄ってきて声を掛けてきた。


「あんたが筈木さんかい? 早いじゃないか」


「そういうあなたは照屋さんですね。よろしくお願いします」


 俺が千早春香ちはやはるかの一升瓶を手渡すと、老人はほとんど歯が残っていない口を見せてにやりと笑った。


「向こうに行こう。ここは人目につく」


 照屋さんの言うとおり、綺麗に舗装された公園道は、家族連れや散歩の老人、カップルなどでごった返していた。そんな中で、スカジャンにジーンズというラフな格好の若者と、いかにもホームレス風の男の二人組というのは目立ちすぎている。俺たちは早足で公園の奥の林へと移動し、近くに誰もいないことを確認してベンチに腰を落ち着けることにした。


「とりあえず、飲もうか」


 そう言って、老人はワンカップの空き瓶を二つ並べて、土産の酒を注いだ。どうやら俺も一杯付き合って良いということらしい。


「うわ、こりゃあ良い酒だなぁ」


「宏人さんの家で作っている酒ですよ」


「へぇ、ヒロちゃんの家で酒をね。そいつは意外だ」


「本人から聞いたことはありませんでしたか?」


「聞かない聞かない。互いの過去には触れないってのが、わたしらのルールだからね」


 そう言って、老人はワンカップに二杯目を注ぎにかかった。余程古里井酒造の酒を気に入ったのか、あるいは単にアルコール中毒なのだろう。


「それじゃあ、どうして宏人さんが家を出たのかも?」


「――聞いてはいないね」


 何故だろう。今度は答えるのに少し間があった。


「まぁ、あんたも飲みなよ」


 さっきから俺が千早春香に全く口をつけていないことに気づいた老人は、ずいと顔を近づけて言った。仕方が無い。俺は覚悟を決めて、お世辞にも綺麗とは言いがたいワンカップを口元に運んだ。


「ほれ、もう一杯」


「照屋さんも」


 しばらくの酒盛りの後、老人はだらしなくベンチの背中にもたれかかりながら「筈木さん、アンタはどうしてヒロちゃんのことを調べようと思ったんだ?」と尋ねてきた。


「やっぱりヒロちゃんのことを雑誌の記事にするつもりなのかい?」


「いえ。そんなつもりはありません」


「なら、ヒロちゃんの家族に頼まれでもしたのか?」


「それも違います。むしろ家族からは迷惑がられていますよ」


「それじゃあ、一体どうして?」


 俺は千早春香を飲みながら、考える。


 明日香に本当に調べるつもりなのかと問いかけられたときも、森村に古里井家のことを調べようと思ったのは何故かと問いかけたときも、二奈さんにあれこれ嗅ぎ回られるのは苦痛だと言われたときも、ずっと探し求めていた答えを。


 酒を飲み干した時、脳裏で野犬の群れが少女の遺体を喰い漁る光景が再生された。


 それで俺はようやくのこと、答えを知った。


「性分ですよ。ただ、知りたいと思うから、調べる。たったそれだけのことなんです」


「狸塚センセーとおんなじようなことを言うね。まぁいいや。どっちにしたって、一升瓶の恩には報いなきゃだからさ。これ、持ってきなよ」


 照屋さんはだらしない姿勢のままズボンのポケットから何枚かの紙を取り出して、俺に手渡した。


 ――お前の罪を知っている。


 ――時を欺きし者に、しかし、時効はない。


 ――五十海を出よ。さもなければ安息はない。


 日に焼けて、すっかりボロボロになったわら半紙には、新聞紙の切り抜きで作った脅迫文が貼り付けられていた。


「ヒロちゃんが亡くなった後、みんなで彼のねぐらを解体している時に見つけたんだ。面倒ごとは嫌だからね。警察には渡してないよ」

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