野良犬の喰うところ(10)

「筈木さん」


 ふいに誰かに呼ばれたような気がして顔を上げると、扉の前に意外な人物が立っていることに気がついた。


「……森村さんじゃないですか」


「珍しいところでお会いしますね。今日はどういったご用件でこちらに?」


 それは俺の台詞だと言い返すよりも先に、森村はデスクの上で開きっぱなしになっていた俺のノートを見やった。


「なるほど。こういうことでしたか」


「閉じておかなかった俺の落ち度と言われればそれまでですが、のぞき見はいかがなものかと思いますよ」


「申し訳ありません。しかし、よく調べてある。さすがは元ライターさんだ」


「……俺のことも調べたんですね。まったく、暇な刑事さんだ」


「幸いこのところ事件らしい事件も起きていないもので。ありがたいことです」


 皮肉を解する能力に欠けた刑事は、そう言って唇の端を上げた。


「どうです? 暇な者同士、十六年前の事件についてディスカッションしてみませんか?」


「それって事情聴取ですか?」


「いえ。ただの暇つぶしですよ」


 俺はちらりと明日香の方をみやる。


「このままお兄ひとりで調べるよりはずっとマシなんじゃない?」


 こちらを振り向きもせずに言った明日香だったが、制止する気がないあたり、さっきよりもずっと機嫌が良いようだ。なら、俺としても森村の提案を受け入れることに躊躇いはない。


「構いませんよ。俺も刑事さんに聞きたいことがありますしね」


「ありがとうございます。それでは少しお時間をいただきますよ」


 そう言って森村は、俺の背後に向かって意味ありげに微笑んで見せた。まるで妹のことが見えているような仕草だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る