野良犬の喰うところ(5)

 橋の側まで来たところで、ガァと鴉の鳴き声が聞こえた。


 見上げると、電柱から飛び立っていく黒い翼が目に映った。


 なんとなく薄気味悪さを感じながら視線を前方に戻すと、橋の上に背の高い男が立っていることに気がついた。ガイコツのように痩せていてひどく陰気そうな男だった。


「お兄あの人」


「しっ、目を合わせるんじゃない」


 明日香に小声で言い含めると、俺は心持ち早足で男の横を通り過ぎようとした。


「――筈木明日香さんのお兄さんですね?」


 妹の名前を出され、思わず足を止めてしまった。それが失策だった。


「……あなたは?」


「失礼しました。五十海市警刑事一課の森村もりむらと言います」


「刑事さん? どこかで会いましたっけ」


「いえ。あなたと直接お目にかかるのは初めてですね」


 先ほどの『筈木明日香さんのお兄さん』という言い回しも含めて、どこか引っかかる。


「それで、五十海市警の刑事さんとやらが一体俺に何の用です?」


「古里井酒造の現社長のことで少しお話を伺いたいのですが――」


 そう言って、森村と名乗った刑事はちらりと古里井酒造の方を見やった。


「……店から出てくる所を見ていたんですか。随分暇なんですね」


「今日は非番なんです」


 皮肉を言ったのにまるで通じていない。風貌も変わっているが、中身も相当のものだ。


「古里井酒造にはどういったご用件で行かれたんですか?」


「酒を買いに行っただけですよ。他に酒屋に行く理由なんてないでしょう」


「と言うことは、筈木さんは現社長のお知り合いというわけではないんですね?」


「まったく知らない仲ってわけじゃないです。祭や町内会の寄り合いの時なんかに顔を合わせる機会はありますから。この花束も二奈さんからの頂き物です」


 なんとなくカチンとくる森村の言いぐさに、つい反駁してしまった。中学生の時分に短大生の二奈さん――県内の商科系短大に通っていた――を地元の花火大会に誘って「一良くんがもう少し大きくなったらね」と躱されてしまった件はさすがに話さなかったが。


「と言うことは、現社長と会ったんですね? 彼女とどのようなお話を?」


「ちょっと世間話をしただけですよ」


 それで打ち切ろうとしたのだが、森村は世間話の内容を詳しく知りたがった。


 結局俺は先ほどの二奈さんとのやり取りを一から十まですべて話す羽目になった。


「なるほど。そう言えば今日は前社長の古里井氏の月命日でしたね」


 森村はひとりごとのように言ったが、二奈さんのことを繰り返し現社長と言うのと同じように、そこに何らかの意図があることは明らかだった。


 少し考えて、俺は回答に気がついた。


「待ってください。何で刑事さんが宏人さんの月命日まで知っているんですか」


「彼が殺されたのは都内でしたが、住民票はこちらに残っていましたからね。形だけのこととは言え合同捜査本部が設置されたんですよ。五十海市警からも自分を含めて何人かが本部に入っています」


「事件に背後関係はなく、宏人さんは少年グループによるホームレス狩りの犠牲となったということで話は終わったと思っていたんですが」


「仰る通りです」


「……あなたの見解は違うんですか?」


「違いませんね。古里井氏を殺害したのは間違いなく少年グループです。そこに誰かの意思が関与する余地はありません。しかし――気がかりな点がないではない」


「と言うと?」


「例えばそうですね。現社長は古里井氏が失踪する一年ほど前に、様々な資格を取得しています。簿記にITパスポート、酒造りに最低限必要とされる危険物取扱者にボイラー技士の資格、それから中小企業診断士の資格なども」


「別におかしくはないでしょう」


「それまでまったくと言って良いほど古里井酒造の経営に関わっていなかったのに?」


 咄嗟に反論が思いつかず、黙り込んでしまうと、刑事は唇の端を僅かに歪めた。


「急な心変わりは何故だったのか。ひょっとして宏人さんが失踪することをあらかじめ知っていたからではないか。それに――彼女の周囲で人がいなくなるのは古里井氏が初めてではありませんよね?」


 ――沢郷から駿河市に抜ける山道沿いの斜面だ! すぐにみんなに連絡してくれ!


 ――そこら中喰われていて、ひどい有様だぞ。家族には誰が伝える?


 小学生時代のおぼろげな記憶がフラッシュバックする。


 古里井家の長女――唯華さんの失踪と、その不幸な結末。


「一度は偶然、二度目なら必然ってやつですか。考えすぎですよ。そちらで出した結論に変わりがないんなら、もう終わりにしてくれませんか? 俺も暇じゃないんで」


「それは失礼しました」


 森村は存外あっさり引き下がると、俺に道を譲った。


 そうして、俺の手元の花束をじっと見つめた後で、ふっとあさっての方に視線を向けて「妹さんによろしくお伝えください」と言ったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る