野良犬の喰うところ(4)
「あーあ、男ってホントバカだよねー。美人を前にするとすぐおたおたして、そのくせカッコつけようとしちゃってさー。なーにが『二奈さんのお勧めをお願いします』よ」
古里井酒造からの帰り道、俺はずっと妹からの言われなき非難に耐えながら歩くことになった。
「まーお兄みたいなダメオが儚い系の美人に惚れるのは自然の摂理みたいなものだからね。妹のことなんかどうでもよくなっても仕方ないよね。二十代半ばにもなって童貞だしね」
「ちょっと待て。最後のだけは訂正を求めたい」
「じゃあ、素人童貞?」
「むしろ玄人童貞だ」
と言うか中学生がそんな言葉覚えるでない。
「大体あの娘……じゃなかった、二奈さんも二奈さんだよ。あの潤んだ目で『一良さんみたいに心配してくれるうる人もいますし』なんて言われりゃ、お兄なんてそりゃあイチコロだよ。美人はわかっててそういうことをやるからタチが悪いんだ」
「……俺をバカバカ言うのはいいけど、二奈さんを悪くいうのはよせい。あの人も大変だったんだから」
「ほら、そうやってあの人をかばう」
ぷうっと頬を膨らませる明日香だが、それ以上の口撃は控えることにしたようだった。
二奈さんの亡夫――
星家は五十海市の外れにあるこの辺り一帯でもかなり北の方にある
宏人さんと二奈さんは同じ小中学校出身だが、十以上も年齢が離れており、知り合ったのは宏人さんが大学二年生で、二奈さんが中学三年生になったばかりの頃だったという。当時、家庭教師派遣会社にアルバイト登録していた宏人さんの派遣先が古里井家だったのだ。
もっとも、宏人さんの教えを受けていたのは二奈さんではなく姉の
宏人さんと二奈さんはそれから五年ほどが経過した後、見合いの席で再会することになった。二奈さんの両親は、唯華さんが亡くなって以来ずっと二奈さんの婿――つまりは古里井酒造の跡取り――となる人物を捜していた。二奈さん自身は見合い結婚に積極的ではなかったようだが、唯一の例外となったのが宏人さんだったというわけだ。
縁談は速やかにまとまった。宏人さんは務めていた金融機関を退職し、古里井酒造の次期経営者として再出発することになった。
大学で経営学を学んだことや、銀行マン時代の経験が活きたのだろう。宏人さんはまたたくまに販売の方面で頭角を現し、三十代で古里井酒造の役員になった。学生時代から乗り回していたハイエースに古里井酒造のステッカーを貼り、誉春香の販路を拡大するため全国津々浦々を駆け回る彼の仕事ぶりは目覚ましく、新聞やテレビで取りあげられたのも一度や二度ではなかったという。
やがて二奈さんの両親が相次いでこの世を去ると、宏人さんは社長となり、名実共に古里井酒造の経営者となった。
その宏人さんが突如失踪したのは今から三年前のことだった。
自筆の書き置きが残っていたため、事件性はなく、失踪が本人の意思によるものだということは間違いないようだったが、古里井酒造の経営も順調で、家庭人としても幸せの絶頂にあった彼――子どもこそいないものの、宏人さんと二奈さんは近所でも知らないものがいないほどのおしどり夫婦だった―が何故古里井家を出たのか。そして、古里井家を出た彼は一体どこに行ってしまったのか。
疑問に答える者は現れぬまま、半年の月日が経ったある日、全国紙に東都で発生した殺人事件のニュースが掲載された。
【路上生活者殺害容疑で少年四人逮捕】
台東区のU公園で二十日、住所不定無職の男性が死亡しているのが見つかった事件で、警視庁は区内に住む少年四人を傷害致死などの疑いで逮捕、補導した。調べに対し、少年らは容疑を認め、「何もしないでただ生きているだけの人間なら殴って良いと思った。ストレス解消のためだった」などと話しているという。
古里井酒造が警視庁からの連絡を受けたのはそれから三日後のことだったという。公園内の植え込みに棄てられていた財布から宏人さんの健康保険証が見つかったためだった。
二奈さんはひとりで東都へと向かい、そして死亡した男性が夫であることを自分の目で確かめたのだった……。全ては後になって聞いた話だ。その頃俺も東都にいたにはいたけれど、伝手で始めたライターのバイトに忙しく、古里井家の悲劇のことなど全く知らなかった。
知っていれば自分にも何かできることがあったとは思わない。しかし、俺はどうしても二奈さんの愁いを帯びた目に見つめられると、罪悪感にも似た思いに囚われてしまうのだった。
「ホント男ってバカだよねー」
ええい、やかましい。
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