神尾文彦の追跡(10)

 警察の取り調べに対し、名和春夫は工事費用の水増し請求によって累計で二千万円近い公金を横領していたことを認めた上で、そのことを材料に何者かから半年間にわたって強請られていたと証言した。


 一方で名和は堂部の殺害について頑なに否認を続けているという。堂部との面識はなく、名刺交換した記憶も無い。確かに強請り屋のことは殺したいと思うほど憎んでいたが、逮捕されるまで何者なのかまったく突き止められていなかったというのが名和の主張だった。


「あなたのことを強請り屋なのだと勘違いしていたそうですよ」


「俺が名和で、堂部を殺した犯人でもそう主張するさ。たわごとを真に受けるなよ」


 そう言い捨てて、神尾は警察署からの電話を切った。


 森村の口ぶりから、捜査本部が名和のことを頭から犯人と決めてかかっていることが察せられた。


 神尾には警察の判断が正しいのかどうかはわからない。


 神尾にわかっているのは名和が逮捕されて以降、身の回りで警察関係者らしき人影を見なくなったということだった。


 事務所のドアに『本日休業』の看板をひっかけて外の駐車場に向かう道すがら、神尾は昔のことを思い出す。


 ――こんなことを頼めるのは君だけしかない。


 四年前、堂部は神尾をオフィスに呼び出して、ある計画を持ちかけた。それは、露見していない犯罪行為に的を絞った強請りの計画だった。


 ――君が調査をし、僕が選別する。君が証拠を固め、僕が交渉をする。金の回収はそうだな、二人で協力してやろう。


 驚きのまなざしを向ける神尾にコーヒーを勧めながら、堂部は計画のポイントについて説明を始めた。


 ひとつ、強請りのターゲットへの連絡は手紙を使う。もちろん指紋を残さないように細心の注意を払わなければならない。


 ひとつ、ターゲットからの連絡が必要なときは、インターネットの大手掲示板に指定のハンドルネームで書き込みをするよう指示する。連絡の内容は「イエス」「ノー」「到着した」など単純なものに限るが、どうしても複雑な話をしなければならない場合は隠語を用いる。


 第三者が見ても掲示板内の書き込みに対する返信か、別の掲示板向けの書き込みを誤入力してしまったようにしか読めないようにする工夫だ。


 ひとつ、金の受け渡しにはコインロッカーを使う。ただし、暗証番号が書かれた利用証明書を発行するタイプの電子ロッカーでなければならない。事前のやりとりでターゲットにロッカーの場所と時間を指定しておき、入金が住んだらロックの解除番号を連絡するよう指示しておくのだ。ターゲットがロッカールームを離れたことを確認できたら、速やかに金の回収を行う。


 ――。我々の目指すところはそこだよ。もっとも警察の捜査をかいくぐれるほど性能の良い迷彩ではないから、ターゲットは充分に絞り込む必要があるけどね。


 ――金に困っているのか?


 ――そうじゃない。ただ、人にはその能力にふさわしい生き方があるってだけの話さ。


 堂部にそう言われた時、神尾の脳裏で東都での日々が思い起こされた。部下を罵倒する言葉しかしらないブタのような男の元で働き続けた六年間――。


 気づけば堂部が無言で右手を差し出していた。


 ――君となら対等のパートナーになれるんじゃないかって、昔から思っていたよ。


 神尾の答えは決まっていた。元上司の顔は脳裏からすっかり消え去っていた。


 露見していない犯罪を専門とした強請り屋――二人はそうした特殊なビジネスを遂行するということにかけて、一種天稟のようなものを持っていたようだ。この四年間で、犯人たちから少なくない金をむしり取ったのだから。


 名和春夫もまたターゲットの一人だった。


 神尾には名和が堂部を殺した犯人なのかどうかはわからない。自分たちが細心の注意を払ってきた自負はあるが、絶対確実ということはない。特に堂部は尾行に関しては素人なのだ。何かのきっかけで名和に見つかり、正体を特定されてしまった可能性がないとは言い切れないだろう。


 神尾にわかっているのは、堂部が『メグレ罠を張る』を抱えていたのは、先日森村に語ったのとはまったく別の理由によるということだった。


 ADバンに乗り込んでフロントミラーを確認する。やはり尾行者は存在しない。神尾は笑みがこみ上げてくるのを自覚しながら、エンジンを始動させる。目指すのは市の北部に広がる山間地――。


 市道をしばらく走り続けるうちに車外の風景が田舎めいてきた。収穫の時期を過ぎた田畑に人気はなく、広々とした道路を行きかう車も少なかった。秋の色に染まる山々も、拡大し続ける竹林や耕作放棄地のせいでどこか汚らしくみえる。神尾は片手でハンドルを支えながら、ズボンのポケットをまさぐって、名刺ほどの大きさのカードを取りだした。


「二階堂蘭子、御手洗潔、加賀美警視、メグレ警視」


 神尾は四冊の本に登場する名探偵の名前をそらんじる。


 それこそがである自分に向けて旧友が残した最後のメッセージなのだと、神尾は確信していた。


「二階堂、御手洗、加賀美、メグレ――


 堂部の死体を発見したあの日――利根を建物から追い出した後で、神尾は二階のトイレへと向かった。手洗い場の鏡を外して裏をみると、このカードが張り付けられていた。カード型の電子キーだった。


 ――森村、お前じゃ俺には追いつけない。


 神尾は笑みがこぼれるのを自覚しながらアクセルをぐっと踏み込んだ。

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