死者の祈り、あるいは呪い(15)

 中学生の一時期、ぼくはいじめを受けていた。


 いじめ。そうじゃない。


 彼とその取り巻きがぼくにしたことは、暴行であり侮辱であり恐喝であった。


 いつからだろう。サイコロを振って出た目の分だけ腹を殴られるようになったのは。


 いつからだろう。ダーツの的に見立てられた体に精液をかけられるようになったのは。


 いつからだろう。陸橋下の自動販売機で買ったコーラを溶接工場横の彼の自宅まで届けるようになったのは。


 いつからだろう。一本余分に買ったコーラを非常階段の鉄柵に注ぎ始めたは。


 ――死ね、死ね、死ね、死ね。


 呟きながら、黒い炭酸飲料をとくとくと鉄柵に注ぐ。


 その酸が、いつか鉄柵をボロボロに劣化させ、死の罠となる日を夢見て。


 何もかもが嫌いだった。


 とりわけ彼の自宅から家に帰る際、非常階段から見えるこの街の風景が大嫌いだった。


 だからぼくはこの街にささやかな復讐をしようと思った。誰でもない、どこかの誰か。偶然非常階段を通りかかった誰かが、偶然階段の手すりに触れて、偶然地面へと落下する。そんな暴力を、この街に潜ませようとしたのだ。


 その行為にどれほどの実効性があったのかはともかく、一つ確実に言えることがある。


 結局ぼくも姉殺しに加担していたということだ。


 ぼくが馬鹿げた復讐を止めることができたのは、他ならぬ姉のおかげだと言うのに。


 丁度今ぐらいの季節だったか。ほぼ毎日の貢物と、秘かな復讐のためにお年玉貯金すらも使い果たしたぼくは、ついに父の書斎から金を盗もうと思い立ち、間際で姉に見つかったのだった。


 問い詰められたぼくが何もかもを話すと、姉は「わかった」とだけ言った。


 数日後、姉は同級生を家に連れてきた。


 それが義兄だった。


 その日、父は不在だった。姉はぼくに「二時間だけ、どこかに行っていて」と告げた。ぼくはその通りにした。


 家に戻ると、義兄が「俺に任せて」と言って深くうなずいた。


 ワイシャツのボタンが一個ずつずれている人に何を任せれば良いのだろうと、その時は思ったけれど、義兄は一度こうと決めたら最後までやりぬく人だった。


 義兄がどんな風に立ち回ったのかはわからない。わからないが、まもなく、彼とその取り巻きによる暴行と侮辱と恐喝がぴたりと止んだ。続いて、彼とその取り巻きの間がぎくしゃくし始めた。一か月を待たずに、彼は孤立し始め、学校も休みがちになった。


 その後、ぼくとは別の高校に進学した彼は、今度は自分がいじめを受ける立場になったらしいと、風の便りに聞いた。前後して彼の親が経営する溶接工場の経営も傾き始めたと言うが、それも義兄が立ち回った結果なのか、どうか。


 いや、きっとそうだろう。義兄はそういう点では徹底している。だからこそ――。


 静寂を、鋭いブレーキ音が切り裂いた。電車ではない。


 県道を全力で走っていた大型トラックのブレーキ音だった。


 駅へと向かうぼくの背後で、どん、どんと鈍い衝突音が連鎖していく。善意も悪意も関係なく、正義も不正義も関係なく、暴力は新たな歪みをもたらし、次の暴力へと連鎖していく。その連鎖を断ち切れる者はいない。少なくとも生者の中では、誰も。


 一際大きな爆発音が響き渡った。


 ぼくは振り向かずに、吹き上がる火柱を幻視したりもする。

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