死者の祈り、あるいは呪い(5)

 カチっと壁時計の長針が動く音がした。いつの間にか三時半を回っている。回顧の森に長居しすぎたようだ。


 もたもたしていては先に帰ってきた意味が無くなってしまう。ぼくはよっこらしょと声に出して言いながら立ち上がると、自室を出て台所へと向かった。


 一旦シンクの前を素通りして、勝手口に降り、くたびれたサンダルに足を通す。隅っこの定位置に置かれた猫用の黄色い食器を手に取り、シンクにとって返して水洗いする。朝に義兄が与えたとおぼしきウェットフードはほとんど舐め取られていたが、ところどころに乾いたそれが固着していた。


「たび助ー、ごはんだぞー」


 水洗いが済んだ食器に、猫科動物まっしぐらなウェットフードを入れたぼくは、居間の方に呼びかけたが、案の定やってくる気配はなかった。餌がなくなっている以上、屋内にいることはいるのだろうが。まぁ、いつものことだ。


 たび助は姉夫婦―とりわけ姉には随分なついているのだが、時々しかこの家に来ないぼくのことは異分子とみなしているらしく、ぼくがひとりでいるときは決して近寄ってこない。


 以前姉に「順平があげた餌、かなり長いことくんくんしてからやっと食べたんだよ」と笑われたことがある。ぼくという不審人物の残り香を警戒してのことだったようだ。


 白と黒とのコントラストが鮮やかなあのぶち猫は、数年前の冬からこの家に住むようになった。大寒の朝、『家の都合で飼えなくなりました。もらってください』という手紙とともに段ボール箱に入れられ、この家の門前に捨てられていたのを姉夫婦が引き取ったのだ。


 手紙には幼猫の名前について何も書かれていなかったので、姉の発案で『たび助』と名付けられた。頭と背中に加えて四肢の先端も墨で塗ったような毛で覆われていて、それが黒足袋のように見えるからというのが命名の理由だそうだ。


 姉夫婦はたび助をほんとうの家族のようにかわいがった。


 まるであの猫が二人の子供の生まれ変わりであるかのように。


 結婚から一年ほど後に義兄の子を胎内に宿した姉だったが、妊娠四ヶ月というところで流産してしまった。この事実は誰よりも落ち込んだのは姉自身だったろう。しかし藤井家の親族は、追い打ちをかけるように有形無形のやり方で姉を責めたのだ。


 もちろん義兄は姉を守ろうとした。本家の干渉を避けるために、仕事を辞めてこの田舎町を出ることまで考えたと言う。


 それについては姉本人に「私なら大丈夫だから」と断られたと言うが、その頃の義兄が姉に対してできうる限りの気遣いをしていたということは間違いないと思う。


 流産からほどなくして姉が精神に変調をきたしたことについて、ぼくはだから義兄を責めようとは思わない。仕事が忙しいことを理由にしてほとんどこの家に戻って来なかったぼくには責める資格がない。


 心に病を得てからの姉は、一日中床から出られずしくしくと泣くだけの日々だったという。かと思うと、突如興奮して壁やふすまを叩いて暴れ、時に義兄に対してさえ手が出ることもあった。幻聴と不安。ぼく自身も真夜中の電話で何時間も「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」とうわごとのように言われ続けたことがあった。


 義兄はそんな姉を献身的に支えた。哀れみの目を向ける人たちをやり過ごし、離婚を勧める人たちには穏やかに首を横に振って、時に屍のようでもあり時に暴君のようでもあった姉の、忠実なる騎士であり続けた。


 たび助がこの家に来たのはそんな折りのことだった。


 腹がへれば姉が寝ていてもにゃあにゃあ鳴いて食事を要求し、暇を感じれば姉が呆けていても猫じゃらしを持って足下をぐるぐる回り出す勝手気ままな猫だったが、かえってその気ままさに付き合わされたことが、姉にとっては良かったのかも知れない。たび助が来てからと言うもの、姉の病状は少しずつではあるが確実に緩和していったのだから。


 ――この間、貴子と一緒にトレッキングシューズを買ったんだよ。


 今年の春、珍しく義兄がぼくのところに直接電話をかけてきたことがあった。

 聞けば、姉とひとつの約束を交わしたのだという。秋になったら紅葉の名所として知られる深草山みぐさやまのハイキングコースを歩くという約束だった。


 まだ元気だった頃、姉は写真撮影を趣味にしていた。特に好きこのんで撮影したのは自然の風景で、成人のお祝いに父から買ってもらった愛用のデジタル一眼レフを抱えて山や海に出かけたものだった。結婚してからも、しばしば義兄の運転する車で県内外の景勝に出かけていたのだと聞いている。


「でも大丈夫なんですか?」


 家に閉じこもりきりの姉は、体力的にもかなり衰えていたはずだった。


「ここ一年ほどは少しずつ外に出る機会が増えているんだ。これもたび助のおかげかな」


 義兄の話によれば、あの猫はしばしば勝手口の扉をかじって自分を外に連れ出すよう要求するのだと言う。もっとも根が臆病なたび助は、屋敷の外に出てもすぐに姉の腕の中に収まってしまったようだが。


「数キロの重りを持って歩くのは中々重労働だからね。少しずつスタミナがついてきている感じはあるよ。桜ヶ池公園のウォーキングコースで段々に体を慣らしていけば、きっと秋には間に合うと思う」


 義兄の口調に少しの屈託もなかったかと言えば嘘になる。だからぼくは殊更軽い調子で「なるほど。そこまで言うなら、姉さんについては大丈夫そうですね」と応じたのだった。


「貴子については?」


「ええ。問題はにいさんの方ですよ。深草山なんて行って大丈夫なんですか? にいさん、筋金入りの高所恐怖症じゃないですか」


「こいつめ」


 きっと義兄は心底楽しみにしていたのだろう。姉と山歩きをする日が来ることを。大量の画像データを写真屋に持って行く日が来ることを。そして、昔ながらの百科事典ほどの厚さのアルバムに、印刷した写真をひとつひとつ丁寧に貼りつけていく姉の姿を、少し離れたところから静かに眺める日が来ることを――。


 それなのに姉は約束を果たすことなくこの世を去ってしまった。


 四日前の朝―いつも通り五時半に目を覚ました義兄は、隣で寝ていたはずの姉がいないことに気がついたという。もっともその時点では不思議に思わず、先に起きただけだろうと思ったそうだが。しばらくして屋内はおろか庭にもいないことがわかり、携帯電話に連絡してみたが繋がらない。近所を探し回っても見つからない。義兄の中で不安が募り始めた矢先に、運命の電話が鳴った。


 警察からの電話だった。


 姉の遺体はJR東海道線の線路をまたぐ陸橋の側で発見された。陸橋付きの非常階段から転落したのだ。即死だったという。


 姉がどうしてそんなところにいたのかはわからない。


 わからないが、一つだけわかっていることがあるとするならば、警察の捜査の後、この家に運び込まれた姉がとても安らかな表情をしていたことだ。


 最初ぼくは納棺師の努力の成果だと思ったが、違った。仰向けの姿勢で落下したため、後頭部にこそ深い傷を負ったものの、顔はほぼ無傷だったらしい。姉はそして、綺麗なままの顔に駆け付けた警官がはっとするほど穏やかな笑みを浮かべていたと言う。


 ぼくは勝手口にたび助の食器を置くと、仏間に向かった。


 普段なら隅の方に仏壇が置いてあるだけの閑散とした部屋に、祭壇が鎮座している。


「なんだって、こんなことに」


 畳の上の、半日前まで棺が置いてあったスペースを見下ろしながら、ぼくはぼんやりと呟いた。

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