死者の祈り、あるいは呪い(4)

 ――姉さんね。道隆さんと結婚することに決めたから。


 七年前。ぼくが大学に入って最初の夏休みに、姉は柔らかな笑みを浮かべてそう言った。吉祥寺のアパートでのことだ。盆が過ぎ、九月になっても一向に帰省しようとしない不詳の弟に業を煮やしたのか、姉はメールで『明日、上京します』と宣言するやいなや、単身ぼくの住まいを訪ねてきたのだ。


「ふうん」


 結婚のことを告げられて、最初の反応がそれだった。


「気のない返事。反対なの?」


「ぼくが道隆さんとの結婚に反対するわけないでしょう。姉さんにはもったいないくらいの人だよ」


 姉は片手をあげてひっぱたくふりをした。もちろん笑顔のままでだ。それでぼくは彼女が幸福のただなかにいるのだと確信した。


「おめでとうございます」


「よろしい」


「どこかでお祝いする?」


「別に良い。それより、順平の手打ちパスタが食べたい」


「はいはい、作りますよ、はいはい」


 その結婚話はぼくにとって驚くべきことではなかった。何しろ二人の交際は高校時代から続くものだったから。


 親しくなったきっかけは学園祭の準備で重い荷物を持ってもらったとか、そんな他愛もないエピソードだったと思う。その後、二人が高校三年生の時にがあって、交際が始まったのだった。


 姉と義兄の付き合いは、当時としても珍しいくらい清いものだったようだ。生前の父などはもどかしくさえ思っていたらしく『貴子は彼氏とはどうなんだ。その、接吻ぐらいはしたのか』と聞いてはぼくを閉口させたものだ。


 高校で知り合ってから七年半。交際の始まりから数えても五年以上の歳月が流れていた。大学を卒業した後、市役所で働き始めた義兄の生活が安定するまで待ったということなのだろうが、ぼくからすればようやくか、という思いの方が強かった。


 しかし、吉祥寺のアパートでの姉の宣言から結婚式に至るまでの道のりは、決して平坦では無かった。


 義兄の親族から横やりが入ったのだ。


 元々地方の名族だという意識が強い彼らの中には、階野家とでは家格の釣り合いがとれないなどと時代錯誤なことを考える者が少なくなかったのだけれど、おせっかいな誰かが階野家の身上調査をして、ぼくらの母親が不倫の末に家を出て行ったことを突き止めたことで、一層風当たりが強くなったのだ。


 二十一世紀にもなって何とも時代錯誤なことこの上ないが、それを一笑に付すことができるほどには藤井の名は軽いものではなかった。少なくともこの田舎町では、そうだった。


 それでは義兄はどうだったかと言えば、やはり結婚に反対する親族たちを時代錯誤と一笑に付すことはしなかったが、唯々諾々と受け入れることもしなかった。彼が採ったのは説得というばかがつくほど真っ正直な選択肢だった。


 地道な、そしてどこまでも切れることのない粘り強い説得行脚は一年近くに及び、ついに彼は、両親を始め主要な親族に姉との結婚を認めさせた。前後してぼくらの父親が病に倒れたため、さらに一年を喪に服すことに費やすことになったが、ともあれ二人は海の見える教会で式を挙げた。


 ヴァージンロードを歩く姉をエスコートしたのはぼくだった。


 義兄の元に送り出しながら「お幸せに」と囁くと、花嫁は小さくうなずいて「ずっと好きだったの」と答えたのだった。

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