死者の祈り、あるいは呪い(2)

 精進落としの席がざわついてくると、義兄がぼくを手招きした。


「大体落ち着いたから、先に家に戻って良いよ。家の鍵は持ってきてるね?」


 収骨室にいたときよりも幾分血色が良い。少し酒を飲んだのかも知れない。


「最後までいますよ」


「無理するなって。苦手なんだろ?」


 酒席のことを言っているのか、それとも藤井ふじい家の人間のことを言っているのか。いずれにしてもその通りなのだが、だからこそ義兄の提案を受け入れるのには抵抗があった。


「最後までいさせてください。名字が代わっても、姉さんはぼくの家族です」


「だからこそだよ。貴子のためにも、先に戻ってたびすけに餌をやっておいて欲しいんだ」


 そう言われて、姉が可愛がっていたあの猫のこと今まで忘れていたことに気づかされた。


「いつも四時ぐらいまで我慢させているんだけどね。今日ぐらいは欲しいときに食べさせてやりたいんだ。わたしたちの代わりと思って、頼むよ」


 義兄は頭を下げた。ぼくは「わかりました」とだけ言って、彼に背を向けた。


 玄関ホールでは大きな額縁の中で、姉がはにかんだ笑みを浮かべていた。結婚したての頃に撮られたものだろう。たれ目がちな瞳も、小ぶりだが形の良い鼻も、ほんのり赤みを帯びた頬も、美しさの盛りの中にあった。


 目を閉じると、写真の姉に二つのイメージが重なった。


 痩せきって絹のような黒髪にも白いものが混じり始めた姉と、たとえようもないほどに穏やかな表情で棺の中に眠る姉と――。


『●●●●●』


 背後から声が聞こえてきたような気がして振り返ったが、誰もいない。


 気のせいだったのだろうか。もしかしたら、神経が過敏になっているのかも知れない。


 ぼくはもう一度だけ姉の笑顔に視線を向けてから、『故藤井貴子儀式場』と書かれた無闇に大きな看板の横をすり抜けて、斎場を後にした。

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