九月十一日(金)
オーバーライト(9)~木馬の騎士
「和馬、良い?」
まだ熱気の残る放課後の教室で、そんな風に話しかけてきたのは糸川志紀だった。
「何?」
九月も中旬に入ると、学校内の雰囲気もどこか秋めいてくる。
まだ暑い日々は続いているが、夏休み明けの浮ついた空気が薄らいできているからだろう。
しかし志紀は秋どころか真冬を先取りしたように寒々しい顔をしている。
「ちょっと相談したいことがあってさ」
言いながら志紀はちらちらと周囲をみる。人がいないところで話をしたいらしい。
「電工部に行こうか?」
語尾にガタンという音が重なった。後ずさりした志紀のお尻が机とぶつかったのだ。
「ごめん……できれば別のところがいい」
「なら、図書室は?」
再度の問いに志紀はこくりとうなずいた。
五十海東校の図書室は、第二校舎の北側に位置する小校舎の中にある。
蔵書と勉強用のスペースが貧弱なことから、読書家からも受験生からも不評で、年中空いているのだ。
第一校舎の一階に下り、渡り廊下を抜けて第二校舎に入ってからも、ぼくと志紀は黙りこくったままだった。
第二校舎を抜けて、小校舎へと続く渡り廊下――こちらは第一校舎と第二校舎の間にわる渡り廊下と違って、簀の子とトタン屋根があるだけの粗末なものだ――を歩いている間もそうだった。
「あたしたちが最後だったね」
小校舎に入ると、志紀がぽつりと言った。
ぼくは無言でこくりとうなずく。
小校舎の二階にはこの三月まで一部屋だけ教室があった。
しかし、少子化の影響で生徒数が減った結果、四月からは空き教室になっていた。
だからぼくと志紀は小校舎に通った最後の世代ということになる。
旧一年八組教室へと続く階段の前を素通りして、図書室に入る。
かび臭い図書室は今日も閑散としていて、受付では図書委員が居眠りをしていた。
「それで、話というのは?」
閲覧コーナーで向かい合わせに座ると、ぼくはそう言って話を切り出した。
志紀はすぐには口を開こうとせず、黙ってぼくの目を見つめた。
ぼくは黙って志紀を見つめ返した。
彼女自身がかつてぼくにアドバイスしてくれたことが活きたのかもしれない。
「やー、実はさ」
七秒間の沈黙を経て、志紀はぼくを信じることにしたようだった。
「自意識過剰って言われたら言葉もないんだけどね。どうも九月に入ってからずっと誰かにつけ回されている気がしてさ」
ぼくは志紀を見つめたまま、瞳を大きく見開く。
その後はお定まりの月並みな慰めとアドバイス。
それでも志紀にとっては救いになったのかも知れない。
小一時間ほど話し込んだ後で立ち上がったとき、彼女の表情は教室で話しかけてきたときよりもずっと和らいでいた。
図書室を出て行く志紀を見送りながら、ぼくは密かに頭を下げる。
かつて友達であった彼女に、友達のままでいられなかったことを――。
「そろそろかな」
相変わらず船をこぎ続けている図書委員を起こさないように小さい声で呟いてから、ぼくは外に向かう。
急がなければ。
今はまだ、志紀の背中を見失うわけにはいかない。
ぼくはここのところずっとそうしているように、志紀の後をつけ始めた。
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