第121話  果てしない光の道と、蒼穹の探索者――ザ・ロード・オブ・ブルーシーカー その2




「そんなに警戒しないでください、ネイン・スラートさん。私はただの、通りすがりの救世主です」


 春風のような明るい声でそう言ったのは、真紅の髪の若い女性だった。


「救世主……? ふざけているのか?」


「いえいえ、私はいたって本気ですよ?」


 ネインはわずかに腰を落とし、臨戦態勢で警戒しながら訊き返す。すると女は片手をひらひらと横に振り、軽い調子で話を続ける。


「それよりネインさん。あのメナさんという女の子を生き返らせなくていいんですか?」


「……なんなんだ、おまえは。どうしてメナさんとオレのことを知っている」


「それはもちろん、ネインさんのことは昨日の夜からず~っと見ていましたからねぇ~。ジャコン・イグバという転生者との会話もすべて聞かせていただいたので、おおよその事情はわかっています」


「なにっ!? 昨日の夜からずっとだと!?」


 その瞬間、ネインの全身に緊張が走った。


 屋根の上に立つ謎の女はシャーロットよりも少し年上といった感じの少女で、顔には嫌味のないにこやかな笑みを浮かべている。革の帽子に革のロングコートという服装はかなり奇抜だが、声の調子と言葉づかいは穏やかで、敵意はまったく感じられない。


 しかし、その少女の言葉が真実だとすれば、探索者シーカーであるネインに気配を悟られることなく一晩中屋根の上にいたことになる。たしかにネインの体は疲れ切っているが、すぐそばにいる人間の気配を見落とすことはありえない。だが、声をかけられるまで少女の存在に気づけなかったこともまた事実――。


 それはつまり、突如として現れた謎の少女は、やろうと思えばネインを殺せたということになる。だからネインは、自分が生死の境界線に立っていることを強く認識しながら、短い赤毛の少女を鋭くにらんだ。


「……もう一度訊く。おまえはいったい何者だ。どうしてオレに目をつけた」


「それはもちろん、ネインさんがとってもいい人だからで~す」


 革のロングコートに身を包んだ女は、年相応の少女らしい笑みを浮かべてネインをまっすぐ見つめている。


「私もいろんな土地を旅してきましたが、他人のために命をかけて戦える人なんてほとんど見たことがありません。たぶんネインさんは知らないと思いますけど、誰かのために必死に努力する正義のキャラクターというのは、ラノベやアニメでは大人気なんですよ。


 だけどおかしなことに、ラノベやアニメを見て育った人たちの中に、正義のキャラクターと同じ行動ができる人間はほとんどいないんです。ほんと、不思議ですよねぇ~。強きをくじいて弱きを助ける勧善懲悪かんぜんちょうあくのストーリーはみんな大好きなくせに、実際に命をかけて人助けをする人間は滅多にいないんですよ」


「ラノベやアニメ……?」


 少女の話を聞きながら、ネインは思わず困惑顔で首をひねった。


「おまえが何を言っているのか、オレにはよくわからない。しかし、人助けができない人間がいても、それは誰かに責められるようなことではないはずだ。誰にだって得意なことや不得意なことがあり、できることとできないことが必ずある。だから人間は、。たとえ率先して人助けができなくても、それだけでじゅうぶんのはずだ」


「それはまあ、たしかにそうなんですけどね~。でも、世の中には残念ながら、他人の善意にあぐらをかいている人がとっても多いんです。――ほら、ネインさん。見てください、この世界を」


 短い赤毛の少女は、青く輝く澄んだ空に片手を向けた。


「朝日にきらめく美しい青空――。この景色を見れば、きっと誰もがきれいだと感じるはずです。ですが、この世に生きるほぼすべての人間は、このきれいな空を守ろうとは思わない。なぜならば、守る必要があるかどうか考えていないからです。そして、この空が明らかによごれきったとしても、この世に生きるほぼすべての人間は、残念ながら何もしません。なぜならば、自分の力で世界をきれいにするのは不可能だと、彼らは最初から諦めてしまうからです」


「それは……」


 ネインは思わず口を開いたが、すぐに閉じた。屋根の上に立つ少女が何を言いたいのか、何となく察しがついたからだ。そんなネインを見下ろしながら、少女は変わった形の帽子を頭にのせて、ゆっくりと語りだす。


「ネインさんはさっき、『誰だって自分にできることをして生きている』と言いましたよね? それはまあ、たしかにそのとおりなのですが、残念ながら、その考え方は間違っています」


「間違っている……?」


「はい、そうです。なぜなら人間というのは、『やろうと思えば何だってできる』からです。そして人間には誰にでも、どこまでも無限に成長できる可能性があるんです。


 ですが、多くの人間は全力で努力していません。


 ほとんどの人間は『今の自分にできることをしている』だけであって、はるかなる高みを目指そうという向上心を持っていません。一般的な人間というのは、自分より優れた人を見ると、『あいつは特別だから、天才だから、自分とは根本的に違うから』――などという言葉を口にして、自分の周りに見えない境界線を張り巡らし、その中に閉じこもり、努力することを放棄します。


 そしてそういう人たちは、自分には何もできないと頭から決めつけて、『自分は凡人だから、素質がないから、才能がないから』――などという言葉を口にして、自分で自分の心を傷つけて、今のままでじゅうぶんだと無理やり自分に思い込ませ、努力することを放棄します」


「ちょっと待て。おまえはいったい何を言っている。そんなことは当たり前だ――」


 謎の少女の言葉を聞いたとたん、ネインは反射的に言い返した。


「さっきも言ったが、この世にはいろいろな人間がいる。足が速い人、力が強い人、手先が器用な人、魔法が得意な人――一そういうふうに、人間は一人ひとりで資質が異なる。だから、自分にできないことをできる人間がいるのは当然だし、自分より優れた人間をうらやむのは人間として当然だ。


 だけど、自分に向いていないことを無理に努力する必要はないはずだ。人の能力には個人差があり、得意・不得意が必ずある。だから人は、一人ひとりが自分にできることをして、お互いに助け合い、支え合って生きていくんだ」


「そうですね。たしかに人間は一人ひとりで資質が異なります。ですが、すべての人間が、もあります。それは、です」


 屋根の上に立つ少女は瞳の中に力を込めて、ネインをまっすぐ見下ろした。


「たしかにネインさんの言うとおり、自分に向いていないことを無理に努力する必要はありません。ですが、その判断はいったい誰がくだすんですか? 自分に向いていることと向いていないことは、いったい誰が決めるんですか?」


「それはもちろん自分自身だ。自分が進むべき道は、一人ひとりが自分自身で決めるんだ」


「では伺いますが、ネインさん。この世に生きる人たちは、すべて、一人残らず、ネインさんと同じように考えていると思いますか? すべての人間が自分自身を守るために、そして大切な仲間を助けるために、自分にできることとできないことの境界線を限界ギリギリまで必死に考えて、自分の命を削るほどの全力を振り絞って努力していると、ネインさんは本当に思うんですか?」


「そ……それは……」


 その瞬間、ネインは思わず口ごもった。


 謎の少女の口調は穏やかだが、言わんとしていることは限りなく辛辣しんらつだった。しかし、少女の言葉の奥には紛れもない真実がある――。そのことに気づいたネインには、もはや返す言葉が見つからなかった。


「ネインさんはさっき、『誰だって自分にできることをして生きている』と言いました。その『誰だって』という言葉は、『すべての人間』という意味で使ったのだと思います。


 ですがそれは、ネインさんだけの考えです。それはネインさんだけのものの見方であって、ネインさんだけの人生観です。


 たしかに人間は一人ひとりで資質が異なりますし、一人ひとりで考え方が違います。そしてネインさんの言うとおり、人は自分にできることをして生きています。


 ですが、その『できること』の内容は、人によって大きく異なります。努力している人と努力していない人とでは、まさに天と地ほどのひらきがあるのです。


 そして、この世に生きる人間は、すべて、一人残らず、努力する能力を持って生まれたにもかかわらず、多くの人間は努力することを放棄しています。つまり、人間というのは見た目がそっくりであっても、んです」


「中身が違う……?」


「そうです。だからネインさんの考え方は間違っているんです。一生懸命に努力する人間と、努力することを諦めた人間を、ひとまとめにして語るのは間違っています。


 働き者と怠け者は同じ人間でありながら、同じ人間ではないんです。


 傷ついた人を助ける人間と、人を傷つける人間は同じ人間でありながら、同じ人間ではないんです。


 そして、惑星ヴァルスで生まれ育った人間と、地球から転生してきた転生者は『』でありながら、『』なんです」


「おまえはいったい、何が言いたいんだ……?」


 ネインは眉間にしわを寄せて少女を見つめた。


 少女が口にした言葉の意味はわかるし、その主張も理解できる。しかし、目的がまるでわからない。謎の少女の言動は、まさに謎そのものだ。


 だからネインは再び腰の後ろのナイフに手を伸ばした。すると少女は帽子のつばを指で押し上げ、にっこりと微笑んだ。


「落ち着いてください、ネインさん。私は敵ではありません。そして私がここにいる理由はただ一つ。私はネインさんに、少しばかりアドバイスをしたいんです」


「アドバイス?」


「ほら、最初に言ったじゃないですか。誰かのために必死になって努力する正義のキャラクターは大人気だって。私もそういう人が大好きなんです。しかも私が歩いている道とネインさんが目指している道は、おそらく同じ方向を向いています。だから、強大な敵に立ち向かう似た者同士として、ちょっとした『道しるべ』をプレゼントしたくなっちゃったというわけなんです」


「道しるべ……? 何のことだ?」


「それは、これです――」


「――なっ!?」


 その瞬間、ネインの全身がビクリと震えた。


 精神を集中して警戒していたネインは、赤毛の少女から一瞬たりとも目を離していない。それなのに、いつの間にか少女の右手が何やら武器らしきモノを握りしめていたからだ。


 それは、細長い筒が突き出した鋼鉄の塊だった。


 その奇妙な形の武器をネインの目がとらえた瞬間――筒の先から小さな炎が噴き出して、乾いた音が住宅街に響き渡り、ネインの背後で鋭い破壊音が瞬時に弾けた。


 それはまさに一瞬の出来事だった。


 少女の動きに反応することすらできなかったネインは、ゆっくりと振り返る。すると、メナの家の前に立つ木の幹に、小さな穴が深々といていた。


「あれは……まさか……」


 ネインは度肝を抜かれた表情のまま、再び屋根の上に顔を向けた。すると赤毛の少女は手の中の武器をネインに向けて口を開く。


「これは『MP‐ULS LBR ver・セブン DKC』――。シングルアクションのロングバレルリボルバー。名前はダークキャリバー。金属製の弾丸を撃ち出して敵を倒す、銃と呼ばれる武器です」


「銃……? それが銃なのか?」


「ええ、そうですよ」


 銃という単語を聞いたとたん愕然と目を剥いたネインを見て、少女はにこりと微笑んだ。


「さっきも言いましたが、ジャコン・イグバとネインさんのお話はすべて聞かせてもらいました。その時にネインさんはご両親を銃で殺されたと話していましたが、それはこういう銃でしたか?」


「……いや、違う。オレが見たのはもっと大きくて、長細い形をしていた」


 ネインは突然の質問に呆然としながら答えた。まさか本物の銃を目にする機会がいきなり訪れるとは思ってもいなかったからだ。すると赤毛の少女は思案顔でさらに訊く。


「そうですか。このリボルバーよりも大きくて長細いとなると、ほぼ間違いなくスナイパーライフルですね。それではネインさん。その襲撃犯は何人だったんですか?」


「3人だ」


「たしか、その内の一人は強力な雷撃魔法の使い手だったんですよね? その人はどんな魔法を使ったんですか?」


「雷撃魔法? ああ、それは――」


 ネインはとっさに記憶を掘り起こし、聞かれるがままに口を開いた。


「一撃で崖を崩すほどの強力な落雷だ。それと、そいつは自分の体に雷を落として電気をまとい、目にも止まらぬスピードで走り去っていった」


「なるほど……。だとしたら、


「なっ!? なんだとっ!?」


 少女の言葉を耳にしたとたん、ネインは唾をのみこんだ。


 その言葉は、まさに耳を疑うような内容だったからだ。だからネインの手は驚きのあまり小刻みに震え出した。そんなネインを見つめながら、少女は腰のホルスターにリボルバー銃をゆっくり戻し、続きを話す。


「私の分析はこうです。まず、この惑星ヴァルスで高性能のスナイパーライフルを製造できる人間は限られています。そしてそれを手に入れて、狙撃の腕を磨ける人間もほとんどいません。さらに、自分の体に雷を落として移動速度を上げる魔法というと一つしかありません。それは、第9階梯雷撃らいげき魔法――雷速無双サンダーチャージ閃光踏破・フラッシュムーヴです」


「やはりその魔法か……」


 少女の説明を聞きながら、ネインは一つうなずいた。ネインも雷撃魔法については独自に調べ、すでに同じ結論に至っていたからだ。


「それでですね、今の惑星ヴァルスでスナイパーライフルを持つのは、銃使い――すなわち、ガンスリンガーの職業を選択した転生者のみです。そして、転生者以外で第9階梯の魔法を使える人間も滅多にいません。なので、犯人は転生者のグループと推察されます。


 ですが、たった一人の子どもを拉致するために、そんな強力な転生者たちが力を合わせるというのはどう考えても合理的ではありません。それと転生者には守るべきルールがあって、第9階梯の魔法を使うことは基本的に禁止されています。


 以上のことから推測すると、その3人の転生者は地球の女神から特殊な任務を命じられて、ネインさんのご両親を殺害し、妹さんをさらったものと考えるのが妥当です」


「特殊な任務だと? ヤツらはいったい何のためにそんなことをしたんだ」


「彼らの理由と目的はわかりません。ですが、ガンスリンガーとスナイパーライフル、第9階梯の雷撃魔法、犯人は3人組、女神からの特殊任務、地理的状況など、ネインさんと私が持つ情報、そして予測される可能性を組み合わせると――


「――だっ! だれだっ! そいつらはいったい誰なんだっっ!」


 その瞬間、ネインは吠えた。


 父のかたきと、母のかたきと、妹をさらった憎い敵――。


 そいつらの名前がわかるかもしれないと思ったとたん、ネインの中で感情が爆発した。ネインは爪が食い込む勢いでこぶしを握り、赤毛の少女をにらみ上げる。そして、身を焦がすような焦燥感に駆られながら、一瞬一瞬を永遠の長さのように感じながら、今すぐ謎の少女に飛びかかり、口に手を突っ込んで答えを引きずり出したいという衝動に耐えながら、少女の言葉をひたすら待った。


 そんなネインをまっすぐ見つめて、赤毛の少女は静かな息を一つ吐き出す。それからゆっくりと口を開いた。


「落ち着いて聞いてください。ネインさんのご両親を殺害し、妹さんをさらった犯人たちの名前は――」


 屋根の上に立つ少女は、3人の名前を口にした。



 再び暖かな風が吹き抜けて、並木の青葉をわずかに揺らした。



「それが……犯人たちの名前……」


 3人の名前を聞いたとたん、ネインは呆然と呟いた。


「まあ、今の段階では何の証拠もありませんので、あくまでも私の推測にすぎません。ですので、その3人を犯人だと決めつけて行動すると裏目に出る可能性があります。それと、彼らはですので、情報を集める時はじゅうぶんに気をつけてください。こういうことは急がば回れ、ですからね」


「あ……ああ、そうだな。それはたしかにそのとおりだ……」


 ネインは思わず気の抜けた声で返事をした。


 謎の少女が口にした情報が正しいかどうかはまだわからない。しかしこの7年間、どんなに小さな手がかりでもいいから手に入れたいとネインはずっと思っていた。それがまさに青天せいてん霹靂へきれきのごとくいきなり飛び込んできたので、衝撃のあまり体中から力が抜けてしまった。


 そんなネインの頭の上に、赤毛の少女は明るい声を投げかける。


「それじゃあネインさん。話は変わりますが、ジャコン・イグバから手に入れたゲートコインと転生武具ハービンアームズを、ちょっとだけ見せてもらえませんか?」


「……は? ゲートコインと転生武具ハービンアームズ?」


 その唐突な申し出に、ネインは怪訝けげんそうに顔をしかめた。


「そんなものを見てどうするつもりだ」


「それも道しるべになるんですよぉ~」


 革の帽子に革のロングコートをまとった少女は、無邪気にニコリと微笑んだ。その笑顔を見て、ネインは判断に苦しんだ。突然現れた少女の目的は、ネインが手に入れたゲートコインと転生武具ハービンアームズを奪うことかもしれないと思ったからだ。


 だがしかし、屋根の上に立つ謎の少女に邪悪な気配はみじんもない。ネインの家族を襲った犯人たちについての情報も嘘をついているようには見えなかった。だからネインはすぐに腹をくくり、自分の目と直感に従った。


「わかった」


 ネインは上着のポケットから白銀のコインを2枚と、2つの青い指輪を取り出して、手のひらにのせて少女に向ける。


「これでいいのか?」


「は~い、ありがとうございま~す。それではネインさん。少しの間そのままでいてくださいね。けっこうあっさり終わりますから」


 そう言って、赤毛の少女は右手を青い空にまっすぐ伸ばす。そして口の中で何かを小声で呟いた瞬間、少女の右手が赤い光を放ち始めた。


「――こっ!? これはっ!?」


 それは美しい真紅しんくきらめきだった。まるで燃え盛る星の輝きを凝縮したような赤い光が発生したとたん、ネインは思わず身構えた。


 しかし、謎の少女はピクリとも動かない。


 赤毛の少女は空に向かって右手を伸ばしたまま、天の一か所をひたすらじっと見つめている。だからネインは警戒したまま、少女の様子を見守った。すると不意に、少女の右手がひと際強い輝きを周囲に放った。その直後――真紅の閃光はまるで嘘のようにかき消えた。


「はーい、お待たせしました、ネインさん。これでもう、そのゲートコインと転生武具ハービンアームズは安全ですよ」


「安全……? それはいったいどういう――ハッ!」


 少女の言葉を聞いたとたん、ネインは手の中に目を落とした。その瞬間、思わず両目を見開いた。なぜならば、白銀だったはずのゲートコインが、なぜか深い青色に変化していたからだ。


「実はですね、ネインさん。この惑星ヴァルスには、地球の女神たちが作った魔力回廊が存在するんです」


「魔力回廊?」


「はい。ひと言で言えば、転生者たちへの魔力供給システムですね。転生者が持つ転生武具ハービンアームズには、その魔力回廊に自動接続する機能があるんですが、接続するとが地球の女神たちに流れちゃうんです。ですので、その回線接続機能とDNAロックを私の能力で解除しておきました」


転生武具ハービンアームズのロックを解除した? それはつまり――」


「はい。その転生武具ハービンアームズは、もうネインさんのものです」


「この指輪がオレのもの……? おまえには、そんなことが本当にできるのか?」


「はーい、もっちろんでーす。まあ、転生武具ハービンアームズの所有者変更ができる人はそこそこいますので、それほど難しいことではないんですけどね」


 驚きの表情を隠せないネインを見つめて、赤毛の少女はクスリと笑った。それからネインの手の中にある青いコインを指さしてさらに言う。


「それとですね、たぶんネインさんもご存じだとは思いますが、ゲートコインで生き返ることができるのは転生者だけなんです。なので、惑星ヴァルスの人にも効果が出るように性質を変化させておきました。色が青に変わったのはそのせいです。つまりそれは、『復活のブルーコイン』ということです」


「なっ!? 復活だとっ!?」


 その瞬間、ネインは手の中にある2枚のコインを凝視した。


「それはつまり、このコインを使えば、メナさんは……」


「はい、そのとおりです。メナさんの遺体にそのコインをのせれば、数分で生き返ります」


「なっ……なんと……」


 少女の言葉を聞いたとたん、ネインは思わず絶句した。さらにブルーコインを持つ手とあごが震え出す。


(な……なんなんだ……。いったいなんなんだ、この女は……)


 ネインはふらりと一歩下がった。


 転生武具ハービンアームズの所有者変更といい、ゲートコインの性質変化といい、短い赤毛の少女の能力はとても人間業にんげんわざとは思えない。ほとんど奇跡のようなおこないだ。そんなことが可能な存在といえば――。


「お……おまえはまさか……神なのか……?」


「いえいえ。それは最初に言ったじゃないですかぁ~」


 驚きと衝撃のあまり、ネインは額から冷たい汗を垂らして唾をのみ込んだ。すると屋根の上に立つ少女は奇妙な形の帽子を再び脱いで、優しげに微笑んだ。


「――私はただの、通りすがりの救世主でぇ~す」


「救世主……? 救世主とは、いったいなんなんだ……?」


「そうですねぇ~。まあ、タネを明かしてしまいますと、私自身には大した力はないんです。なんといってもは、ですからねぇ~」


 赤毛の少女は小さな舌をペロリと出して、言葉を続ける。


「まあ、私のことはこれぐらいにして、メナさんの話に戻りましょうか」


「メナさん……? メナさんのことというのは、もしや……」


 ネインは思わず手の中の青いコインを握りしめた。謎の少女が何を言おうとしているのか、ほぼ間違いなく予想がついたからだ。


「ほら。ネインさんはさっき、一度死んだ人間を生き返らせていいのかどうかでずいぶん悩んでいたじゃないですか。だけどそれって、べつに悩むようなことじゃないと思うんです。だって、復活なんてそんなに深刻な話ではありませんから」


「復活が、深刻な話ではないだと?」


「はい。ちょっと考えてみてください。放っておけば死んでしまうような病気やケガを、治癒師ヒーラーは治癒魔法を使って治すじゃないですか。復活だってそれとおんなじです。治せる病気やケガは治す。それと同じで、復活できるなら生き返らせる――。それでいいと思いませんか?


 それにですね、さっきのアムさんという人は、死んだ人を生き返らせると輪廻りんねから外れるから絶対にダメだって言ってましたけど、それっておかしいと思いませんか? だって、メナさんの魂が新たに生まれ変わったとしても、から。


 私が死んだら、私という人格は消えてしまい、同じ人格で新たに生まれ変わることはできません。それはネインさんでもメナさんでも、誰であろうと同じです。だったら、言い方は少し悪いですが、死んだあとに魂がどうなろうと関係ないと思うんです。


 ですので、ネインさん。よ~く考えてみてください。大事なのは今この時を、ネインさんはメナさんと一緒に過ごしたい――。それがすべてでいいんじゃないでしょうか?」


「いや、それは……」


 少女に水を向けられたとたん、ネインは思わず言葉に詰まった。その少女の主張には強い説得力があったからだ。しかし――。


「たしかにオレはメナさんを生き返らせたい。しかし、病気やケガと人の生死を、同じように考えるのはおかしいだろ」


「いえいえ、何もおかしな話ではありません。だって、救うことができるなら、手を差し伸べるのが人間として当然じゃないですか。それに、治癒魔法の第9階梯には死んだ人を生き返らせる復活ヒール・オブ・治癒リザレクションがあります。


 昨日の夜、ネインさんも言っていましたが、魔法というのは物理現象です。つまり、復活の魔法があるということは、死んだ人を生き返らせることは物理的に可能ということです。だったら、悩むことは何もないじゃないですか」


「それはたしかに、そのとおりだが……」


「これは繰り返しになりますが、ネインさんはさっき、『誰だって自分にできることをして生きている』と言いました。そして今のネインさんの手の中には、メナさんを生き返らせることができるブルーコインがあります。だったらもう、考えることは何もありません。今のネインさんが選ぶ道はたった一つしかないはずです」


「オレの、選ぶ道……」


 謎の少女の言葉に押されるように、ネインは呆然と振り返った。そして、メナの遺体が運ばれていった道の果てに目を向ける。


 赤毛の少女が口にした言葉の意味はこれ以上ないほど明快だった。『メナを乗せた馬車を追いかけて、メナを生き返らせろ』――。屋根の上に立つ少女はそう言っているのだ。そしてそれはネインが求めていた言葉であり、ネインが心から強く求めた道だった――。




 目の前には仲間の死体。


 手の中には復活の魔道具。


 使うべきか、使わぬべきか――悩むことは何もない。仲間であれば当然使う。死んだ仲間を生き返らせて、今までどおりに笑い合い、今までどおり、共に生きる。


 苦しい時は支え合い、楽しい時間を分かち合う。困った時は助け合い、肩を並べて歩いていく。一緒にいたいと思える仲間と、ずっと一緒に生きていく――。


 そうしたいと思っている。


 そうしたいと、心の底から願っている。




「そうだ……。オレはメナさんを生き返らせたいと、心の底から思っている……」


 ネインは青いコインを握りしめた。そして、メナの遺体のそばで一晩中、涙を流しながら悩み続けてきた言葉をこぼした。


「そうだ……。オレはメナさんを生き返らせたい。生き返らせなくちゃいけないんだ……」


 そう呟いて、ネインはふらりと歩き出した。




 もはや見えなくなった馬車の姿を、ネインは瞳の中に映しながら駆け出した。そのまま全力で足を動かし、息が切れても走り続け、馬車に追いつき、大切な仲間を生き返らせる。


 そして以前に約束したとおり、ほがらかに笑うメナと一緒にお茶を飲む。メナの大好きなケーキをテーブルいっぱいに用意して、おしゃべりしながら一緒に食べる。


 朝から晩まで一日中、本や実験道具が散らかったメナの家で、シャーロットやアムたちと一緒にメナを囲み、みんなで温かな笑い声を漂わせ、温かな時をゆっくり過ごす――。


「そうだ……。それがオレの選ぶ道だ……。オレの選ぶ道なんだ……」




 しかし――ネインは走っていなかった。


 ふらりと歩き出したネインは、わずか数歩で足を止めていた。



「そうしたいと……そうしたいと……本当に、ほんとうに思っているのに……」



 ネインは震える声で呟いた。


 冷たくなった仲間のそばで夜明けを迎えた少年は、苦悩と苦悶くもんに顔を歪め、枯れても流れる涙をのみながら、青いコインを握りしめた。



「……どうしたんですか、ネインさん。どうしてメナさんを生き返らせに行かないんですか?」


 屋根の上に立つ赤毛の少女は、動きを止めたネインを見て首をかしげた。


「オレは昔、本物の神に会ったことがある……」


 ネインは瞳の中に悲しみを宿らせながら、少女の方に体を向けた。


「あの時、子どもだったオレは、死んだ両親を生き返らせてほしいと神に頼んだ。オレは自分の命と引き換えにしてでも、父さんと母さんを生き返らせてほしいと思った。だからオレは、黄金色のローブをまとった神にすがりつき、涙を流しながら必死に頼んだ。


 お願いだから、何でもするからと、オレは頼んだ。


……しかし神は、オレの望みを叶えてはくれなかった」


「それはどうしてですか?」


「人間はこの世に生まれ、そして死ぬ。その魂はセスタリアの空を流れるソルラインへと導かれ、魂に刻まれた罪を浄化して、再びこの世に生を受ける。それが魂の在り方だ。そしてその流れから外れた魂は、カルマが深まる――。


 神はオレにそう語った。しかし、子どもだったオレには神の言葉の意味がわからなかった。……いや、あれから7年が過ぎた今でも理解できない。おまえがさっき言ったとおり、大切な人を生き返らせることができるのなら、生き返らせていいはずだ。昔のオレはそう思ったし、今のオレもそう思っている」


「だったら、悩むことは何もないですよね?」


「そうだ。おまえの言うとおり、悩むことは何もなかったんだ――」


 ネインは目に力を込めて、赤毛の少女をまっすぐ見上げた。


「神はオレに光を与えてくれた。何の力も持たないオレに、自分の足で歩かなければならない道を教えてくれた。


 それは生きるということだ。


 そして生きるということは、自分の力で道を切り開いていくことだ。


 その道しるべを授けてくれた神が、死んだ人間を生き返らせないと言うのなら――その判断を、オレは信じる」


「どうしてですか?」


 謎の少女はネインを見返しながら、不思議そうにまばたいた。


「たしかに、神さまには神さまの考えがあると思います。でも、よく考えてみてください。この惑星ヴァルスにいる転生者たちはゲートコインで何度も生き返っています。それこそ毎日まいにち、何十人、何百人、何千人、何万人もの転生者が、世界中のありとあらゆる場所で復活しています。


 それに私もそのブルーコインを使って、惑星ヴァルスの人たちを数え切れないほど生き返らせてきました。だったら、今さらメナさん一人が生き返ったところで大した違いはないはずです。そうは思いませんか?」


「そうだな……。それはたしかにそうかもしれない。しかし、だからこそ、オレはメナさんを生き返らせるわけにはいかないんだ」


「それはなぜですか?」


「そんなことは決まっている――」


 ネインは青いコインを持つ手でこぶしを握り、怒りの炎を言葉に込めて言い放つ。


「オレは転生者を一人残らず殲滅する。そのからだ」


「なるほど……。コイン1枚で気軽に復活する転生者と同じ道は歩まない――。そういうことですか」


「そうだ。人は死んだらそこで終わりだ。だからこそ、命がけで生きている」


 ネインはこぶしを胸に当ててさらに言う。


「メナさんが死んだのはオレの責任だ。だからオレは、この胸にメナさんの命を刻んで生きていく。それが……それこそが……オレの選ぶべき道なんだ……」


「そうですか……」


 ネインは肩を震わせながら固い決意を口にした。その姿を見て、赤毛の少女は悲しそうに微笑んだ。


「ネインさんの考えはよくわかりました。ですが、その2枚のブルーコインは持っていてください。転生者と戦う道を進むのであれば、そのコインがいつか必要になるはずです」


「……いや。オレはこのコインを使うつもりはない」


「ええ。それはもちろん、ネインさんの自由ですから」


 硬い表情で首を横に振ったネインを見ながら、赤毛の少女はうなずいた。そしてすぐに、明るい調子で言葉を続ける。


「さてと。それではネインさん。私の話は終わりましたので、そろそろ戻りますね。南の村に連れの女の子を残してきちゃいましたから」


「――待て」


 少女が別れを告げたとたん、ネインはとっさに呼び止めた。


「おまえの目的はいったいなんだ。どうしてオレに声をかけた」


「それはもちろん決まっています。私は通りすがりの救世主ですからね。人助けが趣味なんです」


「趣味だと……?」


「はぁ~い、そうなんでぇ~す。ですが、相手は誰でもいいというわけではありません。私が助けたいと思うのは、一生懸命に生きている人だけです。悪い人や怠け者を見かけたら、ボッコボコのフルボッコにしちゃいますから」


 少女は左右のこぶしを突き出してくうを切り裂き、茶目っ気たっぷりに微笑んだ。


「それでは、今度こそお別れです。縁がありましたら、またどこかでお会いしましょう」


「最後に一つ教えてくれ。名前は……おまえの名前は何と言う」


「――ヒナです」


 赤毛の少女はサイドのつばが反り上がった帽子を目深まぶかにかぶり、右手を青い空にまっすぐ伸ばす。すると再び右手の甲が真紅の輝きを放ち始める。


「私は通りすがりの救世主――佐藤火那さとうひなと申しまぁ~す」


 少女は目元を和らげながらネインに名乗った。その直後、少女の体は真紅の光に包まれて、一瞬で消え去った。



「サトウヒナ……」



 赤毛の少女が消えた屋根の上を見上げながら、ネインは口の中で呟いた。


 佐藤火那と名乗った少女は、最初から最後まで、まさに謎の存在だった。何の前触れもなく現れて、風のように消え去った。しかも何の見返りも求めることなく、ネインがもっとも望んでいた情報と、復活のブルーコインまで置いていった。


「いったいなんなんだ、あの女は……」


 ネインは青い空を見上げたまま、少しのあいだ立ち尽くした。それから肩の力を抜いて息を吐き出し、首を小さく横に振る。


「だが、そうだな。わからないことをいくら考えても推測の域を出ることはない。だったらオレは、オレの道を行くだけだ」


 ネインは2枚の青いコインを上着のポケットにそっと入れた。それから青い指輪を左右の中指にはめて、目を落とす。


蒼穹霊輪そうきゅうれいりんミドラーシュ――。今日からは、オレと一緒に新たな道を探しに行くぞ」


 ネインは穏やかな声でささやいた。その想いにこたえるように、二つの指輪はわずかに青く輝いた。


 それからネインは、メナの遺体を乗せた馬車が去った方に体を向ける。そして、心を込めて謝った。



「すいません、メナさん……。あなたを生き返らせない愚かなオレを、恨んでくれてかまいません――」



 それはかつて、黄金色のローブをまとった神がネインにかけた言葉だった。


 その言葉を口にした瞬間、何の力も持たない子どもだった少年は、7年という長く辛い時の果てに、ようやく本当の強さを手に入れた。



 そして、青く輝く空の下――。



 蒼穹の探索者は、仲間が去っていった道に背を向けて、ゆっくりと歩き出した。




***




 翌日の早朝――。


 石造りの王都にある宿屋の一室で、一人の少女が目を覚ました。


「う~、朝だにゃ~!」


 寝起きだというのにいきなり元気な声を張り上げた短い金髪の少女は、しなやかな動きでベッドから素早く跳び起きる。そして下着姿のまま隣のベッドに駆け寄って、眠っている少女の肩を揺さぶり始めた。


「ヒ~ナ~にゃ~ん! 朝ですよぉ~! 起きて起きてぇ~!」


「……う……ううう……ムリぽ……」


 ベッドで寝ていた短い赤毛の少女は、一瞬だけ目を開けた。しかしすぐに眠りに落ちた。すると元気ハツラツの金髪娘は、両手の爪で赤毛の少女をシーツの上からひっかき始める。


「コラァ~っ! さっさと起きろ~っ! このダメダメ救世主~っ!」


「う……うう……ごめん、ララちゃん……。あと50分……寝かせてちょうらい……」


「ダメだにゃ~! 今日は何があってもゼッタイに起こせってヒナにゃんが言ってたにゃ~! だぁ~かぁ~らぁ~、ィヨイショーっっ!」


 短い金髪の元気娘は、赤毛の少女をいきなりお姫様抱っこで持ち上げた。さらにそのまま床の上にそっと落とし、ゴロンゴロンと転がし始める。


「ほらほらほらぁ~! 早く起きないとこのまま外まで転がすにゃ~!」


「うう……わかった、わかったからぁ~。うぇっ……。も~転がさないでぇ~、ゲロが出るぅ~」


 火那ひなは枯れた声をなんとか漏らし、ふらふらと体を起こす。しかしすぐにバタリと倒れ、半分白目を剥いて動きを止めた。


「うぇぇ……。朝っぱらからフローリングでローリングされるとは……。やばい……クランブリン王国、おそるべし……」


「まったくもぉ~。ヒナにゃんは世話がやけるにゃ~」


 ララはクスクスと笑いながら服を着て、出かける準備をさっさと済ませる。それから、釣り上げた魚のように転がっている火那ひなに近づき、着せ替え人形のように服を着せる。


「あ~、やっと目ぇ覚めた~。ララちゃん、ありがとね~」


 服を着せてもらった火那はゆっくりと立ち上がり、ガンベルトを装着する。それから革のロングコートを羽織り、ララと一緒に宿を出た。



 外に出ると、が昇ったばかりの石の都はすでに活気に満ちていた。



 火那とララが泊まった宿屋の前の通りには、多くの人と馬車が行き来して、幅の広い道の先にある広場からは賑やかな雑踏が漂ってくる。顔を上げると、壊れた水道橋すいどうきょうの上には職人たちの姿がある。その奥に広がる青い空には、白い鳥の群れが元気に羽ばたいて飛んでいる。


「う~ん。今日もいい天気だねぇ~。あ~、カニ食べた~い」


 火那は大きく伸びをして、朝の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。


「さ~てと。それじゃあララちゃん。クランブリンに到着したばかりで悪いけど、今日は私の用事から済ませちゃうね」


「はぁ~い、もっちろんにゃ~。パパにゃんには早く会いたいけど、貴族のお屋敷も楽しみにゃ~。きっとすんごいご馳走が食べられるにゃ~」


「そうだねぇ~。どうせ今日はことになるから、朝ごはんはそこら辺でかるく済ませて、お昼は貴族の屋敷でガッツリご馳走してもらおうか。それで状況次第では、魔天武具アルキースをこっそり探すのもアリかもねぇ~」


 そう言って、火那は革の帽子を目深まぶかにかぶる。そしてララと並んで歩き出し、広場の方へと向かっていった。



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