第30章  夜明けの少年――ライトリバース・ミドラーシュ

第120話  果てしない光の道と、蒼穹の探索者――ザ・ロード・オブ・ブルーシーカー その1



 目の前には仲間の死体。


 手の中には復活の魔道具。


 使うべきか、使わぬべきか――悩むことは何もない。仲間であれば当然使う。死んだ仲間を生き返らせて、今までどおりに笑い合い、今までどおり、共に生きる。


 苦しい時は支え合い、楽しい時間を分かち合う。困った時は助け合い、肩を並べて歩いていく。一緒にいたいと思える仲間と、ずっと一緒に生きていく――。


 そうしたいと思っている。


 そうしたいと、心の底から願っている。


「そうしたいと……そうしたいと……本当に、ほんとうに思っているのに……」


 少年は震える声で呟いた。冷たくなった仲間のそばで夜明けを迎えた少年は、苦悩と苦悶くもんに顔を歪め、枯れても流れる涙をのみながら、白銀のコインをひたすら握りしめている――。



***



 地平線からが昇り、暗い世界が輝き始めた。


 星々が浮かぶ黒い夜空は赤く色づき、次第に青く澄んでいく。山の裾野すそのの深い森では、無数の木漏れ日が静かに躍り、長い川の水面みなもでは、光の粒が微笑むようにきらめき出す。


 天地に満ちた明るい光は、日々繰り返される一日の始まりと、新しい未来への一歩をいろどる。そして、夜明けを迎えた石造りの王都もゆっくりと目を覚まし、命の息吹に包まれていく。


 冷たい空気。


 薄い朝もや。


 巨大な王都の各所にある広場には、大地から芽吹く草花くさばなのように露店や屋台が続々と並び立つ。人々はみつを求めるはちのごとく屋台に集まり、温かなスープや香ばしいパンを頬張り始める。


 白い湯気。


 白い息。


 石の都に人々の足音が増えていき、人々の声が満ちていく。街のいたるところで生命いのちの炎が揺らめき立ち、人々の鼓動がうねりとなって広がっていく。


 時を刻む鐘の音が空に響き、無数の鳥たちが翼を広げて飛び立っていく。その鳥たちの影は風に巻かれる花吹雪はなふぶきのように、石畳の上を軽やかに踊り抜ける。


 すると不意に、どこからか力強い音が沸き起こった。


 街の心臓が動き出したかのようなその響きは、巨大な黒い蛇によって破壊された建物を、王都で暮らす男たちが力を合わせて立て直す工事の音だ。


 男たちは老いも若きも関係なく、近所の崩れた家に寄り集まり、山のような瓦礫がれきを協力し合って撤去てっきょしていく。水道橋すいどうきょうの破断した箇所には建築職人たちが駆けつけて、すぐさま復旧作業に取り掛かる。


 そうやって、同じ土地に生きる男たちは声を張り上げ、汗を流し、自分たちの街を直していく。裏通りには瓦礫がれきを運ぶ台車がひっきりなしに往復し、大通りでは資材を運ぶ馬車が音を立てて次から次へと駆けていく。その喧噪けんそうと活気は目に見えない血潮ちしおと化して、石の都に力強く流れ始める。


 だがしかし――。


 その光景は、広い世界のほんのわずかな一面にすぎなかった。なぜならば、住宅街にある一軒の家は、深い静寂に包まれているからだ。



 そこは、小さな前庭がある石造りの家だった。



 その煙突のある二階建ての家にいるのは、長い赤毛の人物と、茶色い髪を二つのお下げに結った少女の二人だけ――。どちらもソフィア・ミンス王立女学院の制服に身を包み、そしてどちらも、口を閉じたまま動かない。


 赤毛の人物は椅子に座ったまま、膝の上で両手を固く握っている。茶色い髪の少女の方は、小さな手を胸の前で組んだまま、居間に置かれたひつぎの中で永遠の眠りについている。



「可能性はある……」



 不意に赤毛の人物が、手の中のコインを見つめながら呟いた。


「……これはたしかに難しい。おそらく、流れゆく川の中で、一粒の涙を探すよりも難しい。しかしそれでも可能性があるのなら、試してみる価値はあるはずだ……」


「――やめておけ」


 その瞬間、赤毛の人物はハッと鋭く息をのんだ。


 背後からいきなり誰かの声が漂ってきたからだ。赤毛の人物はとっさに椅子の上で体をねじり、振り返る。するといつの間にか二人の人物が家の中に入ってきていた。一人は木製の車椅子に座る黒いドレス姿の少女で、もう一人は黒いメイド服を着た若い女性だ。


「アムさん、ネンナさん……」


「ネイン。やはり起きていたか」


 車椅子の少女は赤毛の人物を見つめながら、小さな息を一つ漏らした。


「おまえが何を考えて、何をするつもりかは知らんが、とにかく今はやめておけ。そんなボロボロの体で何ができる」


「……オレなら大丈夫です」


「強がるな」


 ネインが力のない声で答えると、アムは目に少しだけ力をこめた。


「今のわれの体は完全に疲れ切っている。ケーキを食べるためにフォークを握り、お茶を飲むためにティーカップを持つだけで精一杯という情けない有り様だ」


「お嬢様。それはいつもどおりの情けない有り様でございます」


「ネンナは黙っていろ」


「かしこまりました、お嬢様」


 金色の髪を短く切ったアムにじっとりとした目つきでにらまれたネンナは、わずかに頭を下げてから、車椅子をゆっくりと押し始める。アムはそのまま、ひつぎで眠る少女に近づきながらネインに言う。


「とにかくネインよ。われの目をごまかすことはできない。今のおまえはわれ以上にせいこんも尽きている。その理由をあえて聞こうとは思わぬが、そんな疲れ果てた状態で何かをしても失敗するのは目に見えているし、下手をすれば死ぬかもしれん。そんなことをメナが望むと思うのか?」


「…………」


 アムの言葉にネインは何も言えなかった。そして、もはや二度と目覚めることのないメナの頭を優しくなでるアムの姿から、ネインはそっと目を逸らした。


 正直なところ、アムの指摘は当たっていた。


 ジャコン・イグバとの戦闘で『神聖契約スキルDCS神聖絶対神降臨天光アクベリス』を使用したネインの肉体は疲れ果てていたからだ。しかも歩くだけで体中に激痛が走り、気を抜くと意識を失いかねないほど心もすり減っているという限界状態だ。しかしそれでも、ネインは眠ることができなかった。なぜならば――。


「……でも、メナさんが殺されたのは、オレのせいなんです」


「それがどうした」


 ネインはこぶしを握りしめ、胸の中で渦巻く後悔と罪悪感を口にした。すると突然、アムが感情のない顔で淡々と言い捨てたので、ネインは思わず目を見開いた。


「それがどうしたって……メナさんが死んだのはオレのせいなんですよ? そんなの、何もせずにはいられません」


「だから、それがどうしたと言っている」


 アムはネインをまっすぐ見返し、穏やかな口調で言い放つ。


「よいか、ネインよ。人間は生きている。そして生きているからいずれ死ぬし、誰であろうと必ず死ぬのだ。それはつまり、突き詰めて考えれば、誰かが死んだことに対して責任のある人間なんか一人もいないということだ」


「誰にも責任がない……? そんなバカな……」


「べつにバカな話ではない。今のおまえの考えは、木を見て森を見ていないことと同じだ。いいか? 今回の件も極端に言えば、メナを殺したジャコン・イグバにさえ、メナの死に対する責任はない。なぜならば、もしもメナが死んだことについて責任のある者がいるとすれば、それはこの世でたった一人――。唯一絶対の存在として、人間を生み出した創造主の責任だからだ」


「創造主の責任……? すいませんアムさん。今のオレには、とてもそんなふうに考えることはできません」


「これは考える必要のない話だ」


 ネインは思わず首を小さく横に振った。するとアムは車椅子の背もたれに寄りかかり、目を閉じてさらに言う。


「もう一度言うが、ヒトは死んだらそれで終わりなのだ。おまえがメナの死を認めたくないと言うのならそれでもいいし、割り切りたくないと言うのならそれでもいい。だがな、どちらにしてもメナはもう死んだのだ。


……よいか、ネインよ。われもおまえも生きている。生きているからいずれ死ぬ。だから我らは、命の火が消える最後の瞬間まで、ひたすら歩き続けるしかないのだ」


「歩き続ける……」


 静かに語ったアムの言葉を聞いて、ネインは眉を寄せて呟いた。


 アムの言っていることは理解できるし、言いたいことも理解できる。『ネインに責任はない。だから、メナの分まで必死に生きろ――』。黒いドレスの少女はそう言っているのだ。メナという友を失って嘆き悲しむ車椅子の少女は、自分も心の中で涙を流しながら、ネインを慰めようとしているのだ。


 ネインにはそれがわかった。痛いほどよくわかった。だけど、それでも、メナの死を受け入れるのは、今のネインには難しかった。


 そんなネインの心情を、アムもまた理解していた。だからだろう。椅子に座ってうな垂れているネインに、アムは再び穏やかな声で話しかけた。


「さて、ネインよ。夜が明けたから、メナを実家まで送り届ける馬車を連れてきた。メナとの別れはもう済んだな?」


「…………」


 アムの言葉は優しさだった。いつまでもメナとの別れに区切りをつけられないネインに対する配慮だった。その気持ちはネインにもじゅうぶんに伝わった。しかしネインは無言のまま、首を小さく横に振った。


 なぜならば、ネインにはまだ考えがあったからだ。


 メナを殺したジャコン・イグバを倒し、転生者たちにさらわれたシャーロットをソフィア寮に送り届けたネインは、今の今まで一晩中、ひつぎで眠るメナのそばでひたすら悩み続けていた。


 ジャコンから手に入れたゲートコインを使えば、――。


 ネインはそう思いついたからだ。もちろんゲートコインをそのまま使うわけではなく、絶対神の神聖スキルとゲートコインを組み合わせて、メナの魂をソルラインから引き戻そうというのがネインのアイデアだった。


 しかし、そんなことが本当に可能かどうかネイン自身にもわからなかった。


 メナの魂はすでに肉体を離れ、ソルラインへと旅立っている。そしてソルラインは、神々の世界である安息神域あんそくしんいきセスタリアの空を流れている。そんな場所にどうやって近づき、そして膨大な数の魂の中からどうやってメナの魂を探し当てればいいのか見当もつかない。下手をするとメナ以外の魂を連れてくることになるかもしれないし、最悪の場合は転生者の魂がメナの体に入ってしまうかもしれない。


 そして何より最大の問題は、本当にメナを生き返らせていいのかどうか、ネイン自身にも判断がつかないことだ。


 一度死んだ人間を生き返らせる――。そんなことをして本当にいいのだろうか……。そんなわがままが許されるのだろうか……。


 昨晩、メナの死化粧しにげしょうを手伝ってくれたアムとネンナが去ったあと、ネインはそのことを必死に考えた。深夜を過ぎて、夜が明けるまで、ひたすら悩み続けてきた。しかしそれでも答えは出ないし、今になっても歩くべき道が見えてこない。


 だからネインは苦悩に顔を歪めながら、思い切ってアムに尋ねた。


「……アムさん。メナさんを……死んだ人を生き返らせることはダメなんでしょうか」


「ダメだ」


 その瞬間、アムは即座に首を横に振り、短い金色の髪をわずかに揺らした。


「どうして……?」


 ネインはすがるような目つきでアムを見ながらさらに問う。


「メナさんが死んだのはオレのせいなんです。メナさんは何も悪くないんです。それなのに、罪もないのに殺されたメナさんを生き返らせて、いったい何がいけないんですか?」


「ならば訊くが、罪のない人間を生き返らせていいと言うのであれば、罪のある人間は死んで当然ということなのか?」


「えっ? いや、そういうわけでは……」


「ならばいったいどういうワケだ」


 アムの問いかけにネインは思わず答えにきゅうした。するとアムは瞳を鋭く研ぎ澄まし、ネインを見つめて言い放つ。


「ネインよ、心して答えよ。おまえは今、罪のないメナを生き返らせたいと言ったが、罪がなければ永遠に生きていいのか? 逆に、罪を犯した者はその瞬間に死ねというのか? さらに、もしも仮に死んだ人間を生き返らせることができたとしても、その生き返らせる基準はいったいなんだ? 誰がどうやってその基準を決めるのだ? まさかおまえの気に入った人間だけを生き返らせるという話なのか? そしておまえの気に入らない人間は死なせたままにするということか?」


「いや……だから今はメナさんのことを……」


「だぁぁまれぇーっ! このこわっぱがぁーっ!」


 ネインが再びしどろもどろに答えたとたん、アムはいきなり目尻をつり上げて怒鳴りつけた。


「メナの死に責任を感じているのはおまえだけだとでも思っているのかっ! メナが死んで悲しいと思っているのはおまえだけだとでも思っているのかっ! メナの親も! 友人たちも! そしてわれも! 誰もがおまえと同じことを思っているわっ! そんなことっ! 人間ならば当然だぁっ! ――ネンナっ! その愚かな小僧を窓から外に放り出せっ!」


「はい。かしこまりました、お嬢様」


 アムが命令したとたん、ネンナは即座にネインの体を軽々と抱き上げた。そしてそのまま窓に近づき、小さな前庭にネインを放り投げた。


 いきなり土の上に投げ出されたネインは、全身に走る痛みに耐えながらゆっくりと体を起こす。するとアムとネンナも玄関から外に出てきて、ネインのそばで足を止めた。


「……ネインよ。頭を冷やして見るがいい」


 先ほどまでの怒鳴り声とは一転して、アムは穏やかな声でネインに言った。その車椅子に座った少女の目は、静かな空気が漂う住宅街の中をゆっくりと見渡している。


 ネインはアムの視線に促され、表の通りに目を向ける。すると石畳の道には、あちらこちらに馬車がひっそりと止まっていた。メナの家の前にも、その斜め向かいの家の前にも、その二軒隣の家の前にも馬車が止まり、黒い腕章をつけた御者ぎょしゃが口を閉ざして佇んでいる。それは――。


「死者を運ぶ馬車……?」


「そうだ」


 ネインの呟きに、アムはゆっくりとうなずいた。


「今のわれにこのようなことを言う資格はないが、あえて言おう。昨日は多くの死者が出た。なぜならば、王都の各地で真夜ダークナイト黒蛇・サーペントが暴れたせいだ」


真夜ダークナイト黒蛇・サーペント……。あの大蛇のことか……」


 教会の影の中から突如として現れた巨大な蛇のことを思い出しながら、ネインはアムの言葉に耳を傾けた。


「昨日の蛇どもは人間を襲わなかったが、あの巨体では移動するだけで建物を破壊する。それで建物の屋根や壁が激しく崩れ、瓦礫がれきにのまれて死んだ人間は数多い。


 それは理不尽な死であり、理不尽な運命だ。


 だから当然、おまえがメナの死で涙を流したのと同じように、家族や友を失った多くの人間がやり場のない怒りの炎に身を焦がし、深い絶望に耐えながら、今もひたすら泣き続けている。


 だがな、それがこの世界のり方なのだ。


 この世では、誰かが誰かに守ってもらえることがあり、誰かが誰かの暴力で死ぬことがある。守ってもらえることが当然と言うのであれば、殺されることもまた当然だ。身を守る力がなければ死んで当然であり、力があっても死ぬことは当然ある。それらの死はすべて誰かの責任であり、誰の責任でもない。なぜならば、人はいつか必ず死ぬ――。それが人間の運命さだめだからだ」


 アムは力のない声で語り、少しだけ口を閉じた。そして青い空の彼方を眺めながら、小さな口を再び動かす。


「ネインよ、覚えているか。警備軍の本部で、われと初めて出会った日のことを」


「……はい。たしか、クルースさんの部屋でした」


「そうだ。おまえはあの日、われとネンナとクルースを見てこう言った。『ここはもしかして、立場と強さが逆なんですか?』――と。そしてその立場というのは、普通に考えれば、クルース、われ、ネンナの順だ。そうだな?」


「はい……」


「それが逆ということはつまり、おまえの見立てではということになる。まあ、我らの中でクルースがぶっちぎりで弱いのは当然だから、そこはべつに驚くことではない。だが、われよりもネンナの方が強いと言い切ったのは、このクランブリンの土地ではおまえが三人目だ。だからわれはあの瞬間に、おまえが持つ本当の強さに気づいていた」


「……いえ。オレはべつに強くなんかありません……」


「そうか。ならば、そういうことにしておこう」


 ネインは悲しみに顔を歪め、力なくうな垂れた。


 ネインは実力を隠していたが、アムはそれを見抜いていた。しかし、大切な仲間であるメナを守れなかった今のネインは、自分の無力さを痛感するばかりだった。だからネインは肩を落とし、その気持ちを察したアムはネインから目を逸らした。


「……だがなネインよ。おまえはおそらく、。そしてその中でもメナの死は、おまえにとって悲しすぎることなのだろう。


 その気持ちはよくわかる。痛いほどよくわかる。


 はるか遠い昔に涙が枯れ果てたこのわれでさえ、メナの死は悲しくて悲しくて仕方がない。人間は必ず死ぬということを、この世の誰よりもよくわかっているこのわれでさえ、今は胸の奥が痛くて痛くて仕方がないのだ。われはメナともっと話をしたかったし、もっともっと一緒にケーキを食べたかった。そしてこの先ずっとずっと、あのかわいらしい笑顔を見ていたかった」


「オレもです……」


 わずかに震えたアムの声を聞いて、ネインは瞳を潤ませながら奥歯を噛みしめた。


「しかしな、メナはもうってしまったのだ。我らよりも先に長い旅に出てしまったのだ。それはすべての人間が通る道であり、逆らうことのできない流れだ。そしてその流れに逆らった存在は、もはや人間とは呼べなくなってしまう。だから、おまえがメナを生き返らせたいという気持ちはよくわかるが、それは許されないことなのだ。なぜならば、輪廻りんねからはずれた存在は、哀れな外道に成り果ててしまうからだ」


「ですが、オレにはそこがわかりません」


 ネインはずっと昔からいだき続けてきた疑問をアムにぶつけた。


「人は必ず死ぬというのはわかります。でも、メナさんのような早すぎる死は納得できないし、可能なら生き返らせてもいいはずだ。それでたとえ生と死の循環から一時的に外れたとしても、それの何が問題なのか、オレにはどうしてもわからないんです」


「そうか。理屈がわからなければ納得できない――。それはたしかにそのとおりだ。ならばよかろう。おまえにを教えてやろう」


「秘密……?」


「そうだ」


 思わず呆然と訊き返したネインに、アムはわずかにあごを引いた。


「よいか。生と死の流れを川だとすると、すべての魂は川を流れる滑らかな石だ。しかし、川の流れに逆らった石は歪んだ形に変化する。つまり、死んだ人間の魂が生き返ると、魂の形が変わってしまうのだ」


「魂の形が変わる……?」


「まあ、形というのはイメージで、実際は魂の性質が変化するということだ。そして、性質が大きく変化した魂はソルラインの流れに入ることができなくなる。そういういびつな魂たちは、淀んだ黒い流れと化して暗黒領域ヘルバースに流れ込み、闇の炎で焼き尽くされて、この世界から消滅するのだ」


「消滅って……。それはつまり、死からよみがえった人間の魂は、新たに生まれ変わることができなくなるということですか……?」


「うむ。それこそが、カルマが深まるということだ。まあ、一度の復活で魂の性質がどれほど変化するのかわれにもわからんが、人間というのは生まれて死んで、新たに生まれ変わる存在だ。その輪廻りんねから外れることは何よりも悲しいことだとわれは思う。ゆえに、死んだ人間を生き返らせることは許されないのだ」


「でも、今の話だと、一度の復活では魂の性質が大きく変わらないかもしれないんですよね? だったらオレは、メナさんに生き返ってほしいんですが……」


「ネインよ。もう一度よく考えてみろ」


 どうしてもメナの復活を諦めきれないネインは、すがるような目でアムを見た。するとアムは幼子おさなごさとすような声で語り出す。


「もしも仮に生き返らせることができたとしても、メナはいつか必ず死ぬのだ。その時おまえはいったいどうするのだ。


 悲しいからといって、メナをもう一度生き返らせるのか?


 そうやって何度も何度も、メナが死ぬたびに生き返らせるのか?


 それとも次は自分の責任ではないからといって見殺しにするのか?


 一度生き返らせたからもうじゅうぶんだと、おまえは割り切ることができるのか?


 なあ、ネインよ。おまえはいったい何回メナを生き返らせれば気が済むのだ。そしていったい何回目に、おまえはメナを見捨てるのだ」


「…………」


 そのアムの問いかけに、ネインはひと言も答えることができなかった。


 ネインが何も言えないのは当然だった。なぜならば、死んだ人間は生き返らない。それがこの世のことわりであり、人間としてのあるべき姿であり、そして、のことを、ネイン自身もだと理解していたからだ。



 だからネインは、メナの家から運び出されていくひつぎをただ黙って見送ることしかできなかった。そうして馬車に乗せられて、無言で遠ざかっていくメナのことを、ネインはただ、黙って見送ることしかできなかった――。



「――さて。ネインよ。これを受け取るがいい」


「え?」


 黒い腕章をはめた御者ぎょしゃと馬車がゆっくりと走り去る――。その姿を見送ったアムが、不意に何かをネインの方に差し出した。受け取ってみると、それは手のひらサイズの金属片プレートだった。金属の色は白銀プラチナで、表面には何かの文字が刻印されている。


「これはまさか……個人認識票タグプレート?」


 その瞬間、ネインは思わず呆気に取られた。アムに手渡されたものは間違いなく、冒険職アルチザン協会が発行しているタグプレートだったからだ。しかも刻印されている名前は――。


「ネイン・スラート……オレの名前?」


「そうだ。突貫作業で作らせたが、正真正銘、本物のタグプレートだ」


「でもこれ、ランク7のプラチナですよね……?」


「何も驚くことはあるまい」


 ランク2の赤銅カッパーであるネインにとって、ランク7の白銀プラチナは雲の上のような階級だ。だから当然、ネインは果てしなく呆然とした。そんなネインを、アムは澄ました顔で見つめながら言葉を続ける。


「おまえもすでに知っていると思うが、7名の王位継承権者を暗殺した泉人族エルフの男と、2名の王位継承権を暗殺した2人組の魔法使いが、昨晩、何者かに始末されたそうだ。その激しい戦闘をが目撃して、わざわざ警備軍までしらせてくれたらしい。しかもその目撃者の話によると、精霊使いの泉人族エルフを倒したのは、ソフィア・ミンス王立女学院の制服を着た、長い赤毛の娘だったそうだ」


「……そうですか。そんなことがあったとは、まったく知りませんでした」


 ソフィア・ミンス王立女学院の制服姿のまま、ネインは真顔ですっとぼけた。


「うむ。そんなことがあったのだ」


 長い赤毛のウィッグをかぶったネインをまっすぐ見つめながら、アムも真顔で言い切った。


「ま、表向きの報告書には、女学院の制服とか長い赤毛とか、女装男子とかそいつの本名とか、そういうネタは一切記載されないから安心するがいい」


「そうですか。ですがそう言われても、オレにはまったく関係のないことですから」


「はいはい。そういうことにしておいてやろう」


 再びしれっとすっとぼけたネインの顔を見上げながら、アムは軽く鼻で笑った。


「とにかくだ。王族暗殺を計画した首謀者は不明だが、実行犯の8名はすべて死んだ。そしてその内の6名を倒した功労者に何の褒美もなしというワケにはいかん。そこでクルースの実家であるマクロン家の権力をフルに使って冒険職アルチザン協会の担当者を叩き起こし、おまえをランク7に登録しておいた。昇任理由はクランブリン王国への貢献とだけ記録してある。それならおまえも文句はあるまい」


「それはまた、ずいぶんと強引な報酬ですね……」


 なぜか得意げな顔で話したアムを見て、ネインは思わず小さな息を吐き出した。


「まあ、おまえの功績を考えればランク7でも低いぐらいだが、それ以上だとさすがに目立ちすぎると思ってな。われがわざわざ気を利かせておいてやったのだ。それにおまえはかねや宝石には興味がなさそうだから、こっちの方がよかっただろ。だからほら。素直に大喜びするがいい」


「それはまあ、たしかにかねよりはこっちの方がいいですけど……。でも、今のオレはランク2の赤銅カッパーですよ? それがいきなりランク7っていうのは、さすがにちょっと上がりすぎというか、あり得ない話だと思うんですが……」


「何をケチくさいことを言っておる。べつによいではないか。冒険者アルチザンのランクは高いに越したことはないし、ランクが高いと情報を集めるのもいろいろと便利だぞ」


「たしかにそういう利点はありますけど……」


 なぜか嬉々ききとして語るアムを見て、ネインは渋い顔で呟いた。


 ネインが冒険者アルチザンになったのは、ほんの4か月前だ。そんな新人がいきなりランク7なんかに昇格したら、どうしても目立ってしまうに決まっている。そして人目を引くということはつまり、それだけ動きにくくなるというデメリットが発生する。


 おそらくアムとしてはいろいろ考えたうえでのことなのだろうが、ネインとしてはハッキリ言って、ありがた迷惑な褒美だとしか思えない。だからネインはおそるおそる、白銀プラチナのタグプレートをアムの方に差し出した。


「えっと、すいませんアムさん。やっぱりコレ、お返ししてもいいですか?」


「ダメだ」


 ネインは申し訳なさそうな表情を作って頭を下げた。するとアムは一瞬で頬をふくらませ、あからさまにそっぽを向いた。もはや完全に駄々っ子ちゃんだ。しかしネインの方にも引く気はない。ネインはアムの小さな手にタグプレートを押しつけて、真剣な顔で頼み込む。


「でも、こんなにすごいモノをいただけるほどのことはしていませんから」

「ダメだ。受け取れ」


「でも、こんなモノをいただくほどのことはしていないので」

「ダメだ。受け取れ」


「でも、こんな迷惑なモノを押しつけられると困るので」

「ダメだ。受け取れ」


「でも、これホント邪魔だからいらないんですけど」

「だったらランク10の白桜魔金メルホーリーで登録するぞコラ」



「このランク7をありがたく頂戴させていただきます――」



 その瞬間、ネインは即座に頭を下げた。この上から目線のわがまま少女なら、ランク10のタグプレートを本当に持ってくるかもしれないと思ったからだ。するとアムはネインの頭に白い指をグリグリと押しつけながら不機嫌な顔で言い放つ。


「まったく。最初からそうやって素直に受け取っておけばいいものを、いつまでもネチネチグチグチ言いおって、この恩知らずがー。このわれ厚意こういを辞退するなぞ罰当たりにもほどがあるぞー。ほどがあるんだからなー。プンプン」


(いや、罰当たりって……この人いったい何者なんだよ……)


 ネインは頭を下げたまま、思わずじっとりとした目つきでアムを見た。


 アム・ターラと名乗る少女はただ者ではない――。それは初めて出会った時から思っていた。しかし、ランク7のタグプレートをたったの一晩で調達できる人間なんてそうそういるはずがない。だからネインはわずかに首をかしげながら、思い切って質問してみた。


「あのぉ、すいませんアムさん」


「ん? なんだ? われのふか~い思いやりにイチャモンをつけた詫びならば、オレンジケーキで許してやるぞ?」


「いえ、そうではなくて、アムさんって、いったい何者なんですか?」


「ふ。そんなことは決まっている――」


 ネインの疑問を聞いたとたん、アムはわずかにあごを上げた。さらにそのまま両腕を広げて大きく回し、頭の横でダブルピースを決めて言い放つ。


「通りすがりのスーパー美少女だ」


「……えっと、真面目に答えてもらえませんか?」


「なーにーをー言ーうー。われはいつでもマジメだぴょん」


 ネインが思わず困惑顔で口を開いたとたん、アムはダブルピースを頭につけた。そしてウサギの耳を作りながら、これ以上ないほどのわざとらしい美少女スマイルをネインに向かって見せつけている。


(どうしよう……。この人ちょっと、本気でめんどくさいかも……)


 ネインはのどまで出かかったその言葉をギリギリでのみ込んだ。するとアムは肩をすくめ、ネインの胸に指を向けながら、穏やかな声で話しかける。


「ふ。そう渋い顔をするでない。今日はもうじゅうぶんにしゃべりすぎたからな。われの話を聞きたければ、また後日、マクロンの屋敷に顔を出せ。気が向いたら、メナの思い出話のついでに話してやらんこともない」


「わかりました」


 アムは話を切り上げようとしている。それに体が疲れているとも言っていたので、あまり長話をさせるわけにはいかないか――。そう判断したネインは、素直に首を縦に振った。


「では、ネインよ。ジャコン・イグバの件は、クランブリン王国を代表して礼を言う。よくぞメナのかたきを討ってくれた」


「はい」


 その瞬間、ネインは胸にこぶしを当てた。なぜならば、アムの言葉が重かったからだ。青空のように涼やかなアムの声には、若くして命を散らした友に対する万感の思いが込められていた。それがネインの胸に深く響いた。だからネインも胸の中の想いを込めて、丁寧に頭を下げた。


「行くぞ、ネンナ」


「かしこまりました、お嬢様」


 アムはネインから目を逸らし、前を見つめながらネンナに言った。ネンナはすぐに赤い傘を静かに広げ、車椅子に固定する。


「それではネイン様。これにて失礼致します」


「はい。いろいろとお世話になりました」


 黒いメイド服のネンナはネインに向かって丁寧に頭を下げた。それから車椅子をゆっくり押して、石畳の道を進んでいく。


「……すまぬな、メナよ」


 車椅子に座る黒いドレスの少女は、頭上の赤い傘を見上げながら想いをこぼした。


われの傘は、おまえを守れるほど大きくはなかったな……」


 強大な力を持つ小さな少女は、悲しみを宿した瞳をゆっくり閉じた。その遠ざかっていく少女の横顔を、ネインは無言で見つめ続ける。そしてそのまま、二人の姿が見えなくなるまで見送った。




 暖かな風がそっと吹き抜け、歩道に並ぶ木々の青葉がわずかに揺れた。




「これで、終わったのか……」


 ネインは青く輝く空を見上げ、悲しそうに眉を寄せた。アムはダメだと言ったけれど、メナを生き返らせたいという思いが胸の奥でまだくすぶっている。


「死んだ人を生き返らせると、魂の形が変わってしまう……。だけどそれは、本当に許されないことなのだろうか……」



「べつに、いいんじゃないですか?」



「――っ!?」


 その瞬間、ネインは鋭く振り返った。


 メナの家には誰もいない。それはひつぎを運び出した時に確認済みだ。それなのに、背後からいきなり誰かの声が漂ってきた。だからネインはメナの家を素早く見た。そして次の瞬間、思わず息をのみこんだ。いつの間にか屋根の上に誰かが立っていたからだ。


「……誰だ」


 それは、をかぶった人物だった。サイドのつばが反り上がった革の帽子を目深まぶかにかぶり、革のロングコートに革のブーツという独特の格好をした人物だ。


「もう一度訊く。誰だ」


 ネインは屋根に立つ人物を見上げながら、腰の後ろにあるホノマイト・ナイフに手を伸ばす。すると謎の人物は革の帽子をゆっくりと脱ぎ、微笑みながら口を開いた。


「そんなに警戒しないでください、ネイン・スラートさん。私はただの、です」


 春風のような明るい声でそう言ったのは、真紅の髪の若い女性だった。


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