第119話  業に散る花、魔転の花――ジ・エンド・オブ・ダークナイト その4




「今まさに、


「力って……えっ!? まさかっ!?」


 ブリトラがカルナに手を向けた直後、シャーロットは絶句した。ブリトラの言う『力』が何を意味しているのか、どう見ても明らかだったからだ。そして同時にブリトラの意図を察したカルナも、目をつり上げてブリトラをにらみつけた。


「ブリトラァッ! おまえっ! このわらわを裏切るつもりっ!?」


 カルナはブリトラに向かって声を張り上げた。しかしブリトラは澄ました顔で淡々と答える。


「いいえ? 私はカルナ様にを誓っております。その私がカルナ様を裏切るはずがございません」


「はあ!? だったらこの状況はいったいなんなのよ! どう見たっておまえのやっていることは完全な裏切りじゃない!」


「お言葉を返すようで申し訳ございませんが、それはカルナ様の考え違いでございます。わかりやすく申し上げますと、――というところでしょうか」


「はあ? ものの見方? それはいったいどういう意味よ」


「これは簡単な話でございます――」


 ブリトラは優雅な動きで丁寧にお辞儀をした。


僭越せんえつながらご説明申し上げますと、私がカルナ様に絶対の忠誠を誓うことができるのは、私という存在があるからでございます。そして私という存在がある以上、私には私の目標があります。つまり私の絶対の忠誠というのは、私の目標の下に存在するということになります」


「はっ! 何を言うかと思えばなんのことはないっ! つまりおまえはあるじであるわらわよりも! 自分の方が大事だと言っているだけじゃないっ!」


「えー、まあ、そう言われてしまいますと身もふたもございませんが、たしかにひと言で言い表しますと、そういうことでございます」


 ブリトラは肩をすくめ、手のひらを上に向けた。


「ですが、もう一言だけ付け加えさせていただきますと、私の目標を達成するためには、カルナ様よりもシャーロット様にお仕えした方がだと判断いたしました」


「なにをバカなことをっ!」


 ブリトラの言葉を聞いたとたん、カルナは唾を飛ばさんばかりの勢いで怒りを吐いた。


「冗談はいい加減にしなさいっ! おまえが上級悪魔ハーモンになれたのはわらわの成長があってのことでしょうがっ! そして今のわらわは魔女の最上位である三ツ星レベルの実力を持っているっ! そこの無能な小娘よりもっ! 知識も経験もわらわの方が圧倒的に上じゃないっ!」


「ですが、こころざしで負けております」


 その瞬間、ブリトラは冷たい声でカルナに言った。


「はあ? こころざし?」


「はい。カルナ様の目標はクランブリン王国への復讐です。そして、この場でシャーロット様になりすますことができれば、カルナ様の復讐は間違いなく達成されます。――ですが、カルナ様には


「展望? それはつまり、復讐を終えたあとのことを言っているの?」


「そのとおりでございます。魔女というのはそもそも、強い恨みを晴らすために生きている存在です。ですので、当初の目的どおりクランブリン王国の人間をすべて殺し尽くしたら、カルナ様の中身は空っぽになります。生きる目標を達成したらそうなって当然です。しかし、カルナ様の情熱が燃え尽きてしまいますと、私の成長もそこで終わりになります。――ですが、シャーロット様は違います」


 ブリトラはシャーロットの方にうやうやしく手を向けた。


「先ほどお答えいただいたとおり、シャーロット様の目標はネイン・スラートを助けること――つまり、人助けでございます。そして仮にネイン・スラートが命を落としたとしても、シャーロット様は他の多くの人間を救う道に進むはずです。――さて、カルナ様。それがどういう意味を持っているか、おわかりになりますか?」


 ブリトラはカルナを見つめて質問した。しかしカルナは怒りに顔を歪めたまま、一言も返さない。その美しい魔女の醜い姿を見下ろしながら、ブリトラはニヤリと笑って言葉を続ける。


「答えは簡単です。カルナ様は恨みを晴らすという小さな目標で満足してしまう小さな人間です。ですがシャーロット様は、人間を守るという永遠の目標を選択した大きな人間です。ならば、はるかなる未来を目指して歩き続けるシャーロット様のおそばにいれば、私の力もそれだけ長く成長し続けることができるということです」


「なにをバカなことを言ってるのよっ!」


 それまで黙って話を聞いていたカルナは、目をいからせて再び吠えた。


「おまえは悪魔でしょ! 悪魔が人間を助ける手伝いをしてどうするのよっ! それにわらわはおまえの目標を知っているっ! それを達成するために必要なことだってじゅうぶんに考えているっ! だから今すぐ態度を改めてわらわの命令に従いなさいっ!」


「たしかに、カルナ様が私のことを気にかけていただいていることは、私も重々承知しております」


 ブリトラはカルナの声に耳を傾けた。しかし、必死の形相で訴えた魔女の言葉は、悪魔の胸には響かなかった。


「ですが、私はこの185年間、ずっとカルナ様のおそばにおりました。そしてカルナ様の言葉を聞き、その行動のすべてを見てまいりました。その私が、この場でシャーロット様を選ぶということは、それはすなわち、カルナ様の人生が導き出した結果ということでございます」


「わらわの人生の結果? それはつまり、おまえを裏切りに走らせたのは、わらわのせいだと言いたいわけ?」


「まさにそのとおりでございます」


 ブリトラは青いロケットを指先でつまみ、カルナに向けた。


「カルナ様は今回の復讐計画を14年前に立てました。そして同時に、私も。この封才魔石シーラントを報告しなかったのはその計画の一環です」


「きさまぁ。絶対の忠誠を誓うなどと言っておきながら、そんな前からわらわを裏切るつもりだったのね」


「はい。カルナ様もよくおっしゃっているではありませんか。『』だと」


 そう言って、ブリトラは優雅に微笑んだ。その悪魔の微笑みを、魔女は憎々しげににらみながら疑問をぶつけた。


「だがなぜだ! その小娘は才能の欠片もない無能な子どもよ! 実力ではわらわの方が圧倒的に上のはず! なんでそんな小娘を選ぶのよっ!」


「それも簡単な話でございます。シャーロット様の潜在能力は、カルナ様をはるかに凌駕りょうがしているからです」


「はあ!? そんなバカなことがあるはずないでしょうがっ!」


「いいえ。馬鹿な話ではございません。そのあかしがこちら――タインテトルの封才魔石シーラントでございます」


 ブリトラは指でつまんだ青いロケットを軽く振ってさらに言う。


「ここまで強力な封才魔石シーラントをシャーロット様に持たせたということは、ほぼ間違いなく、サイラス・クランブリンは気づいていたのでしょう。ということに。その証拠に、封才魔石シーラントから解放された


「なっ……!?」


 その瞬間、カルナは愕然として言葉を失った。


 悪魔というのは基本的に利己りこ主義で実力主義だ。自分の欲望を満たすためならどこまでも貪欲どんよくになれる存在だ。だから現在のあるじよりも有望な人間を見つけたら、乗り換えようとするのはむしろ当然。それを防ぐために、魔女は契約を交わして悪魔を自分の手元に縛り付けている。


 しかし今のブリトラは、封才魔石シーラントを使ってカルナの能力を封印して、魔女契約を一時的に無効化した。そしてカルナを裏切り、シャーロットに乗り換えようとしている。そのブリトラの行動は、魔女の中では最強クラスのカルナよりも、シャーロットの方が圧倒的に有望であるという証拠だった――。


 カルナはそのことを瞬時に悟った。そしてあまりの衝撃で、声も出ないほどの茫然自失ぼうぜんじしつおちいった。


 そんなカルナからブリトラは目を逸らし、シャーロットを振り返る。すると、2人の会話を聞いていたシャーロットは、困惑顔でブリトラに声をかけた。


「あ、あのぉ……。つまりあなたは、わたしに味方してくれるということでいいんですか……?」


「はい。そのとおりでございます。ただし、1つだけ条件がございます。シャーロット様は、この私と契約を交わすお覚悟はおありですか?」


「覚悟って……それはつまり、悪魔と契約する覚悟ということですか……?」


 シャーロットはおそるおそるブリトラに訊いた。するとブリトラは無言で首を縦に振る。それでシャーロットは、さらに顔を曇らせながら言葉を続けた。


「えっとぉ、すいません。正直に言って、悪魔と契約するのはすごく怖いです。だから、少しだけ考える時間をもらってもいいですか……?」


「はい。それはもちろんかまいません。これはとても重大な決断になりますので、じゅうぶんにお考えください。ただし――」


 ブリトラは穏やかな声で返事をした。そして低い声で付け加える。


ので、その点だけはご留意りゅういください」


「え? 時間がないってどういうことですか?」


「簡単な話でございます。カルナ様の魔法遮断陣マギアブレーカーが発動した今、このソフィア寮の時間を止めているタイム・アウト・マギアサークルは、私の魔力だけで維持しております。ですので、考えにあまり時間がかかりますと私の魔力が尽きてしまいます」


「そうですか。わかりました。それじゃあ、すぐに返事を決めます」


 そう言って、シャーロットは夜の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。そして夜空に浮かぶ丸い月を見上げながら全身全霊で考えた。


(そうだ。きっとネインくんもこんな感じだったんだ。一生を左右する大事な決断に直面した時、ネインくんは思い切って自分の運命に飛び込んだ。――だったらわたしも! 


 シャーロットはこぶしを握りしめて覚悟を決めた。そしてブリトラをまっすぐ見つめて決意を伝える。


「――わたしは今日まで何もできない子どもとして生きてきました。だからこの決断が正しいのかどうか、今のわたしにはわかりません。でも、ここで覚悟を決めなかったら、わたしはあの魔女に殺されます。そしてこの国に住む人たちの命も奪われます。


 ――そんなのっ! そんな未来はぜったいにイヤっ!


 だったらっ! そんな悲しい運命を変えることがわたしにしかできないのならっ! わたしはどんなに辛い道でも選びますっ! だからわたしはっ! だからわたしはぁーっ! ブリトラさんっ! あなたと契約を交わしますっ!」


「――かしこまりました。ご決断いただき、まことにありがとうございます」


 シャーロットが力強い声で運命を選択した瞬間、ブリトラはうやうやしく頭を下げた。そして再び、呆然としているカルナを手でさして言葉を続ける。


「それではシャーロット様。まずは。手首の腕輪をカルナ様に向けてください」


「……こうですか?」


 シャーロットは左手首を胸の前にかざし、腕輪にはめられたオレンジ色の特殊魔法核エクスコアをカルナに向けた。


「はい。そしてそのまま唱えてください。『生体情報複写バイオーン・フ転送機構・対象ルスキャン・レジ情報完全走査ストレーション』」


「わかりました――」


 シャーロットは生気が抜けたカルナの顔をまっすぐ見つめながら、魔道具を発動させた。


「バイオーン・フルスキャン・レジストレーション」


 その瞬間、腕輪から放たれたオレンジ色の光線が無数に走り、カルナの全身を照らしてすぐに消えた。


「これでカルナ様の生体情報はすべてバイオーンに記録されました。――それでは、最後の確認をさせていただきます。シャーロット様は、力を手に入れる覚悟はおありでしょうか?」


「わかりません」


 淡々とした声で訊いてきたブリトラに、シャーロットは一瞬の迷いもなくそう答えた。


「力を手に入れるとどうなるのか、わたしにはまったくわかりません。だから覚悟が必要なのかどうかもわかりません。でも――


 シャーロットは瞳の中に怒りと悲しみを込めて、自分の白い手を見下ろした。


「なにもできないこんなわたしを、ネインくんは命がけで助けてくれた。だからわたしは力がほしい。そして今度はわたしがネインくんを守りたい。力のない人たちを守りたい――。それが、メナちゃんを助けることができなかった、わたしの進むべき道です」


「……そのお覚悟、お見事でございます」


 ブリトラは優雅な動きで頭を下げた。


「それではシャーロット様。私に続いて唱えてください。『生体情報複バイオーン・ト写転送機構ランスフォーム・通常起動・ブートアップ』」


「はいっ!」


 シャーロットはあふれんばかりの気合いを込めて返事をした。そして青い瞳の中に澄んだ光をきらめかせながら、ついに闇の力を手に入れた――。



「――バイオーンッ! トランスフォームッ! ブートアップッッ!」



 その瞬間、シャーロットの全身に黒い光がほとばしった。そして瞬時にその姿が変化した。肩まで伸びた金色の髪は長い赤毛に変わり、ソフィア・ミンス王立女学院の制服は真紅のドレスに形を変えた。


「おめでとうございます、シャーロット様」


 執事服の悪魔は、新たに誕生した魔女に頭を下げた。


「シャーロット様はたった今、最上級レベルの魔女の力を手に入れました」


「これが、魔女の力……」


 雨の魔女、ナキンカルナ・オルトリンの姿に変身したシャーロットは、白く美しい自分の手を見つめて呆然と呟いた。


「すごい、なにこれ……。体の奥から魔力があふれ出してくる……」


「それはシャーロット様が本来持っている魔力でございます」


 カルナの声で呟いたシャーロットに、ブリトラは嬉しそうに目を細めて声をかけた。


封才魔石シーラントによって能力を封印されていたシャーロット様は、今宵こよい、この時、この瞬間に、――魔姫マギシスとして覚醒されました」


「わたしが魔の姫、マギシス……」


「さようでございます」


 ブリトラは再び上品に微笑みながら、本物のカルナの方に手を向けた。


「さあ、シャーロット様。そのお力を、目の前の敵に向けてお使いください」


「――ブリトラぁーっ! きさまぁーっ! このわらわを敵と呼ぶかぁーっ!」


 その瞬間、カルナはハッとわれを取り戻し、執事服の悪魔をにらみ上げた。


「当然でございます――」


 全身から怒りの殺気を放ち始めたカルナに、ブリトラは冷たい笑みを浮かべながら言葉を返す。


「今の私は、シャーロット様にを誓うしもべでございます。そのシャーロット様に敵意をむき出しにしている魔女を、敵と呼ばずして何と呼びましょう」


「なぁにが絶対の忠誠よっ! この恩知らずの外道がぁっ!」


「それもまた当然でございます。何しろ


 憎しみの声を放ったカルナに、ブリトラは邪悪な顔で淡々と言い捨てた。


「さあ、シャーロット様。メナ・スミンズ氏を拷問して殺害したのはジャコン・イグバでございますが、彼をこの国に呼び寄せたのはそこの邪悪な魔女でございます。ですので、手に入れた力を使って、どうぞなぶり殺しにしてください」


「……うん。わかった」


 ブリトラの残酷な提案に、シャーロットは素直に首を縦に振った。そしてカルナに右手を向けて、闇の魔法を発動した。


「闇・第4階梯固有魔法ユニマギア――魔影十字縛シャドウ・クロス


 その瞬間、夜の闇が大きくうねった。


 シャーロットの周囲で発生した影のうねりは、すぐさま無数の黒い腕と化してカルナ目がけて襲いかかる。そして瞬時にカルナを縛り上げ、影でできた人間大の十字架に拘束した。


「すごい……。これが魔法の力……」


 強力な魔法を生まれて初めて使用したシャーロットは、身動きができなくなったカルナを見つめて、ただひたすら呆然とした。手に入れた魔女の力があまりにも強すぎたからだ。


 治癒ヒールすらまともに使えなかった子どもが、大賢者レベルの力を一瞬で手に入れてしまった――。


 その強烈な変化にシャーロットは激しく戸惑った。だから肩から力を抜いて、小さな息を吐き出した。それからブリトラに声をかけた。


「えっと、すいません、ブリトラさん。元の姿に戻るにはどうすればいいんですか?」


「それも簡単です。腕輪に意識を集中して、『生体情報複バイオーン・ト写転送機構ランスフォーム・通常停止・シャットダウン』と唱えてください」


「わかりました。――バイオーン・トランスフォーム・シャットダウン」


 シャーロットはすぐに魔道具の発動を停止した。すると再びシャーロットの全身に黒い光がきらめいて、一瞬で元の姿に戻った。それからシャーロットは金色の髪を後ろに払い、ブリトラに顔を向けて言葉を続ける。


「すいません、ブリトラさん。その魔女のことは、ブリトラさんにお任せしてもいいですか?」


「はい。それはもちろんかまいませんが、どうかされましたか? もしかして、命を奪うことが怖くなりましたか?」


「はい。すごく怖いです」


 ブリトラの問いかけに、シャーロットは素直に答えた。


「その人はサイラス陛下と、多くの王族を暗殺したと言いました。だから、わたしにとっては本当のお父さんのかたきです。本当の兄弟たちのかたきです。


 ……だけど、その人もクランブリンの人間に家族を無残に殺された被害者です。だからわたし、すごく怖いんです。クランブリンの人間であるわたしが、クランブリンのせいで人生が狂った人の命を奪うということが、本当にすごく怖いんです」


「なるほど……。クランブリン王国を恨む魔女が、クランブリン王国の人間に殺されたら、その魂は永遠に救われることはない――。シャーロット様はそれを案じているのですね」


「はい……」


 シャーロットは悲しそうに眉を寄せて、力なくうなずいた。


「今日は本当にいろいろなことがありました。メナちゃん、カリーナさん、アンナさん、シスタールイズ、そして、王都でも多くの人たちが傷ついて命を落としたと思います……。だから今は、ほんの少しでも救いがある道を選びたいんです」


「かしこまりました。そういうことでございましたら、あとは私にお任せください」


「ありがとうございます……」


 シャーロットはブリトラに頭を下げた。そしてブリトラの後ろに下がり、十字架に縛られたカルナの姿をまっすぐ見つめる。自分で手は下さなくても、せめてその最後だけは見届けなくてはならない――。シャーロットはそう思った。


「――さて。カルナ様。最後に何か、言い残したいことはございますか?」


 ブリトラは1歩前に進み出て、カルナに向かって声をかけた。するとカルナは青白い顔でブリトラをにらみながら言い返す。


「……考え直しなさい、ブリトラ。今ならまだ間に合うわよ。もしもわらわの待遇に不満があるというのなら、今この場で言いなさい。そのすべてを改善することを約束するわ」


「お心遣こころづかい、まことにありがとうございます。ですが、カルナ様の待遇に不満は1つもございませんでした」


「ではなぜなの。わらわとおまえは、180年以上もともに歩んできた仲じゃない。それなのに、なぜ今になってわらわよりもそんな小娘を選ぶのよ」


「その理由は先ほど申し上げましたとおりでございます。――ですが、本音を申しますと、もう1つ非常に重要な理由がございます」


 ブリトラは淡々と答えながら、指を1本立ててみせた。


「なんなのよ。その重要な理由って」


「これは極めて根源的な要素ファクターでございます」


 カルナはすがるような目をしてブリトラに訊いた。するとブリトラはゆっくりとカルナに近づき、耳元でささやいた。


「その理由は、カルナ様よりシャーロット様の方が、


「んなっ……!?」


 その瞬間、カルナは長い人生の中で最大級の衝撃を受けて目を剥いた。その赤毛の魔女の度肝を抜かれた顔を見つめながらブリトラはニヤリと笑い、元の位置まで戻っていく。


「さあ、カルナ様。初めてお目にかかってから今日まで実に185年間、大変お世話になりました。どうぞ迷うことなくソルラインへと旅立ってください」


「ブゥリィトォラァァーッ! きさまふざけるなぁーっ! このわらわがぁーっ!  そんな貧弱な小娘より劣っていると言うのかぁぁーっっ!」


「はい、当然でございます。


 憤怒ふんぬ形相ぎょうそうで吠えまくったカルナに、ブリトラはさげすみのまなざしを向けてこき下ろした。そして右手を前に突き出して、魔法を唱えた。


「では、まいります。我が右手に煉獄れんごくの炎。第6階梯悪魔あくま魔法――煉獄魔炎ヘルファイア


 その瞬間、ブリトラの右腕が暗黒の炎に包まれた。


「続きまして、我が左手に辺獄へんごくの吹雪。第7階梯悪魔あくま魔法――絶凍魔寒波ヘルブリザード


 ブリトラはさらに左手も前に突き出して魔法を唱え、暗黒の吹雪を左腕にまとった。


「まっ! 待て待て待て待てっ! ちょっと待ってぇーっ!」


 ブリトラが暗黒の炎と吹雪を準備したとたん、カルナは目玉が飛び出さんばかりに両目を見開いて声を張り上げた。


「ブリトラぁーっ! きっさまぁーっ! 今の弱り切っているこのわらわにっ! 本気でを使うつもりなのっっ!?」


「もちろんでございます。カルナ様は最強の悪魔使いと恐れられた御方おかた。ならば、その名に相応しい最強魔法でお送りするのが礼儀と存じます。……それに、ここで手を抜いてしまいますと、魔鏡ミラーワールドに逃げ込まれてしまう可能性がございますので」


「キエェェーッッ! ふっざけんなぁぁーっっ!」


 その瞬間、カルナは超音波のような甲高い叫び声を張り上げた。


「きっさまぁーっ! きさまっ! きさまっ! きっさまぁーっ! そこまでするかぁーっ! そこまでしてっっ! このわらわを完全に殺すつもりかぁぁーっっ!」


「ご安心くださいカルナ様。どんなに強い魔女であろうと、いつかは必ず滅びます。ならば、私の最強魔法で美しく滅ぶことができるのは、むしろ喜ばしいことではありませんか」


「いぃやぁぁーっっ! いやぁーっ! いやぁーっ! そんなのぜったいっ! わらわはいやぁーっ! いやいやいやいやっ! ぜったいいやぁーっ! 死にたくないっ! 死にたくないっ! わらわはまだまだ死にたくないっっ! この恨み晴らすまでぇーっ! ぜったいに死んでたまるかぁぁぁーっっっ!」


 カルナは叫んだ。


 叫んで叫んで、叫びまくった。血の混じった唾を吐き散らしながら、魂に刻まれた恨みをまき散らした。


 その針のような鋭い絶叫は、暗い夜空と屋上庭園に響き渡った。しかし、闇にちた魔女の叫びは、その場にたたず魔姫まきと悪魔の2人にしか届かなかった。


「それではカルナ様。名残は尽きませんが、そろそろ幕を下ろしましょう。悪魔・第7階梯合成魔法シンセマギア――滅却崩壊ヘルズコラプス暗黒波動・ダークウェイブ


 美しい顔を醜く歪めて叫び続けるカルナを見つめながら、ブリトラは両手を合わせて魔法を唱えた。


 その瞬間、暗黒の炎と吹雪が激しい火花を散らしながら融合した。そして闇よりくらい暗黒のエネルギーがブリトラの前で渦を巻く。その破壊の闇はすぐさま猛烈な濁流に姿を変えて、十字架に縛られたカルナ目がけて襲いかかる。



「――ルッ! ルシィィラァァーッッ!」



 真紅のドレスに身を包んだ美しい魔女は、漆黒の雷雲と化した暗黒波にのみ込まれた。そしてもっとも大切な人の名前を最後に叫びながら、カルナの体は瞬時に分解されて消滅した――。


「おさらばです。雨の魔女、ナキンカルナ・オルトリン様――」


 上級悪魔の最強魔法を受けたカルナは、黒いちりと化して夜風に巻かれ、消え去った。その散りゆくかすかなきらめきを、ブリトラは感情のない顔で静かに見送る。


 すると後ろで見ていたシャーロットがブリトラの横に並び、同じように星空に目を向けた。


「……ナキンカルナ・オルトリン。復讐のためだけに長い時を歩いてきた哀れな人。せめてあなたの魂がソルラインに導かれ、愛しい家族と再会できることを祈ります――」


 シャーロットはきらめく星を見上げながら、胸の前で両手を組んだ。そして、王都に血の雨を降らせた魔女のために、心を込めて祈りを捧げた――。





***





「――はっ!」


 丸い月が昇った夜空の下――。


 静寂せいじゃくに包まれた大地の上で1人の女が目を覚ました。それは、ソフィア・ミンス王立女学院の制服に身を包んだ、長い金髪の若い女だった。


「ここは……?」


 冷たい地面に倒れていた女は慌てて立ち上がり、周囲の闇に目を凝らした。


 すると、びた鉄の門の前に広がる大地は、見るも無残に荒れ果てていた。そこかしこに生えていた野生の草花は見る影もなく千切れ飛び、近くの木々はすべて根元から倒れている。さらに空き地の中央部分は、直径数十メートルにわたって陥没していた。


「これは……戦闘の痕跡か……?」


 明らかに何らかの大魔法で打ち砕かれた大地を眺めながら、女は呆然と呟いた。しかし次の瞬間、女は鋭く息をのんだ。


「――ハッ! シャーロット様っ!」


 唐突に目の色を変えた女は、もう1度素早く周囲を見た。


 しかし、どれだけ目を凝らしても人影1つ見当たらない。すると女は地面に落ちていた青い剣を拾い上げ、反射的に駆け出した。


「シャーロットさまぁーっ! シャーロットさまぁーっっ!」


 女は懸命に走りながら、あらん限りの声を張り上げた。


 しかし、女の声にこたえる者は1人もいない。夜の静寂しじまに響くのは、力のこもった女の声だけ。それと、はるか彼方の森に漂うフクロウの鳴き声だけ――。


「シャアァロットさまぁぁーっっ! ッシャアァァロットさまぁぁーっっ!」


 女はさらに声を振り絞りながら、びた鉄の門を駆け抜ける。


 そしてそのままどこまでも、陽が昇るまで走り続けた――。




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