第117話  業に散る花、魔転の花――ジ・エンド・オブ・ダークナイト その2




「そう。その最後の鍵とは、クランブリン王国の正統なる王位継承権者――。シャーロット・クランブリン。おまえのことよ」


 雨の魔女、ナキンカルナ・オルトリンが涼やかな声で言い放った瞬間、シャーロットは愕然として目を剥いた。すると、その恐怖で引きつったシャーロットの顔を眺めながら、カルナは優雅に微笑んだ。


「さて。シャーロット・クランブリン。愚かな小娘といえど、おのれの命を奪うカルマぐらいは知りたいでしょう。だから日付が変わるまでの暇つぶしに、少しばかり昔話をしてあげましょう」


「けっ……けっこうですっ!」


 その瞬間、シャーロットは赤毛の魔女に背を向けて走り出した。そして脇目も振らずに西棟へと一直線に駆けていく。


(あの魔女! あの魔女っ! ぜったいに頭おかしいっ!)


 シャーロットは心の中で悲鳴を上げながら全速力で走り続けた。


 シャーロットは最初、カルナのことを敵ではないと認識していた。なぜなら、シャーロットを拉致した妖刀使いの女の1人を、カルナが倒したらしいとネインに聞いていたからだ。さらにその際、ネインはカルナと魔女契約を交わしたとも言っていた。


 ネインがそこまで信用している魔女なら、悪い人ではないのだろう――。


 シャーロットはそう考えていた。しかし、その考えは甘すぎた。実際に顔を合わせて話をしてみると、カルナの言動はあまりにも異常だった。唐突な高笑いも、口にする物騒な言葉も、とにかくすべてが恐ろしかった。だからシャーロットはカルナの前から脱兎だっとのごとく逃げ出した。


 しかし、狂気の魔女からのがれることはできなかった。


「……あらあら。さすがは薄汚いクランブリンの王族ね。何もできない無能な小娘のくせに、にはずいぶんと鼻がくじゃない」


 必死に足を動かして遠ざかっていくシャーロットの背中を眺めながら、カルナはクスクスと笑い出した。


「でも、ざぁんねぇん。悪あがきはみっともないわよぉん。闇・第4階梯固有魔法ユニマギア――魔影十字縛シャドウ・クロス


 カルナはシャーロットの背中に片手を向けて、淡々と魔法を唱えた。


 そのとたん、屋上庭園を覆う夜の闇がわずかにうねった。その小さなうねりはさざ波となって床の上を素早く走り、シャーロットの足下あしもとまで伸びていく。そして次の瞬間、漆黒の波は無数の細い腕に姿を変えて、シャーロットの両足に絡みついた。


「きゃっ! なっ!? なにこれっ!?」


 うごめく影によって強制的に足を止められたシャーロットは悲鳴を上げた。さらに、いきなり空中高く伸び上がった影の腕に逆さ吊りにされたシャーロットは絶叫した。その甲高い叫びは、暗い屋上庭園の隅々まで響き渡る。するとカルナは爽やかな笑みを浮かべながら、夜の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。


「あぁん。いい声で鳴いてくれるじゃない」


 カルナは甘い声で夜の闇にささやいた。それからおもむろに右手を掲げ、指を鋭く打ち鳴らす。


 すると影の腕は釣り上げた魚のようにシャーロットをぶら下げたまま、カルナの前に連れ戻した。さらに影はすぐさま人間大の十字架に形を変えて、床に足をつけたシャーロットの両手両足を影の紐で縛り上げた。


「ふふ。おまえは本当に愚かな小娘ね」


 漆黒の十字架に拘束されたシャーロットを見て、カルナは薄く微笑んだ。


「わらわはすでに魔鏡ミラーワールドおさめた最上級の魔女よ。そのわらわが、狙った獲物をのがすはずがないでしょう」


「なっ! なんなのよっ! あなたいったいなんなのよっ! どうしてわたしなんかを捕まえるのよっ!」


 シャーロットは怒鳴りながら体をよじった。しかし、手足を縛っている影の紐はほんの少しも緩まない。そんな無駄なあがきをしているシャーロットを見て、カルナは軽く鼻で笑った。そして胸の前で腕を組み、淡々と言い放つ。


「おまえのような小娘をどうして捕まえるのか――。そんなことは決まっているでしょう。それこそが、わざわざこんな危険な結界の中まで、わらわが足を運んだ目的だからよ」


「はあ!? なにそれっ! 意味わかんないっ! こんなすごい魔法が使えるんなら! わたしを捕まえるなんていつだってできたはずでしょ! わざわざネインくんを使ってまで魔法陣を設置する必要なんかどこにもないじゃない! あなたほんと! ちょっと頭おかしいんじゃない!?」


「あらあら。自分の狭い知識と経験だけで物事を判断するとは、愚かな小娘と話をするのは面倒ね」


 おびえる心を無理やり奮い立たせているシャーロットを見て、カルナは上品に微笑んだ。それからシャーロットのブラウスをスカートから引っ張り出し、ボタンを1つずつ丁寧に外し始める。


「ちょっ!? いきなりなにすんのよっ!」


「そんなこと見ればわかるでしょ? 服を脱がしているだけよ」


「いやっ! やめてっ!」


「こんな貧弱な体で何を恥ずかしがる必要があるのよ。バカじゃないの」


 嫌がって体をくねらせているシャーロットを見て、カルナは呆れた表情を浮かべながらブラウスのボタンをすべて外した。そしてあらわになったキャミソールの上から、シャーロットの薄い胸をそっとなでる。すると、シャーロットが首から下げていたペンダントのロケットがわずかに揺れた。その青いロケットを見つめながら、カルナはニヤリと笑って口を開く。


「かつて、このクランブリン王国の東には、オーブル共和国の前身ぜんしんであるオーブル王国があった。そして、そのオーブルとクランブリンに挟まれた土地に、美しい森の王国があった。それがわらわの生まれ故郷――オルトリン王国」


「はあ? いきなりなんの話? そんなのどうでもいいから服を元に戻してよ」


 ブラウスの前が完全にはだけたシャーロットは不愉快そうに唇をとがらせた。しかしカルナは軽く無視して3歩下がり、シャーロットの薄い胸を眺めながら話を続ける。


「オルトリンは人口の少ない小国だったけれど、豊かな土地に恵まれた美しい国だったわ。しかし今から195年前、その小さな国に、卑劣なクランブリンの軍隊が攻め込んできたの」


 そう言って、カルナは少しだけ目を閉じた。そして過去の悲劇を思い出しながら、ゆっくりと言葉をつづる。


「その当時、クランブリンは西の強国ドルガリアと血で血を洗う戦争を繰り広げていた。そして、一進一退の攻防にごうを煮やしたドルガリアは、『オルトリン王国がドルガリアに味方する』という偽の情報をクランブリンに流した」


「偽の情報……?」


 その瞬間、シャーロットは思わず怪訝けげんそうに眉をひそめた。


 クランブリン王国の歴史は王立女学院の授業で習っていたので、クランブリンがドルガリア君主国くんしゅこくと戦争をしていたことは知っていた。しかし、オルトリンという王国については名前すら聞いたことがない。だからシャーロットは、オルトリンという王国が、クランブリンとドルガリアの戦争にどういう関係があるのか疑問に思った。


 そんなシャーロットの呟きにカルナは1つうなずき、言葉を続ける。


「ほんと、まったくバカげた話よ。オルトリンみたいな小さな国が、圧倒的な軍事力を持つクランブリンにかなうはずがないでしょ。だからオルトリンは長い年月ねんげつをかけてクランブリンと友好関係を築き、数百年にわたる平和を維持してきた。それなのに、クランブリンの軍隊はある日突然オルトリンに攻め込んできた。――それがなぜだかわかる?」


「それは……ドルガリアが流した偽の情報を信じたからじゃないの?」


「いいえ。違うわ」


 首をひねりながら答えたシャーロットに、カルナは首を横に振った。


「クランブリンの人間だってバカばかりではない。ドルガリアが流した情報が嘘だということぐらい最初からわかっていた。しかし、長引く戦争でクランブリンの食料は不足していたの。だからクランブリンは、ドルガリアが流した情報に騙されたふりをしてオルトリンに攻め込んだ。そして食料を奪ったの」


「……えっ? うそ。なにそれ。食料不足を解消するために、友好国に攻め込んだっていうの? うそでしょ? うちの国がそんなひどいことをほんとにしたの?」


 シャーロットは仰天しながらカルナに訊いた。まさか自分が生まれたクランブリン王国が、そんな残酷なことをしていたとは夢にも思っていなかったからだ。


「そうね……。この話が嘘だったら、わらわも少しは納得できたのかもしれないわね――」


 驚きの声を漏らしたシャーロットから、カルナはそっと目を逸らした。そして悲しそうに肩をすくめて言葉を続ける。


「だけど、今の話はすべて真実よ。このクランブリンという国はね、そういう非道なことを平気でおこなう邪悪な国なの。しかもクランブリンの軍隊は、『オルトリン王国はクランブリンを裏切った』――と、あたかも自分たちの方が被害者であるかのように言いふらし、オルトリンの王族を捕まえた。そして、国王と王妃と3人の王子たちの首をはねて処刑した」


「処刑ってそんな……。一方的に攻め込んで王族を全員殺しちゃうなんて、そんなのひどいよ……」


「全員ではないわ。当時9歳だった幼い姫だけは1人の騎士に守られて、隣のオーブル王国に逃げ延びたの」


「え? 幼い姫?」


 その瞬間、シャーロットはハッとして目を見開いた。


「そういえば、あなたさっき、自分のことを『オルトリンの血を受け継ぐ最後の1人』って言ってたけど、それってまさか……」


「……そうよ。その姫の名はナキンカルナ――。つまりこのわらわこそが、オルトリンの血を受け継ぐ最後の姫よ」


 カルナはおもむろに顔を上げて暗い夜空をまっすぐ見上げた。そしてはるか彼方でまたたく星を見つめながら、悲しそうに目を細めた。


「父のエイブリム、母のテルミナル、兄のエルバイラ、エイドロス、エグワイト――。わらわを愛してくれた心優しい家族たちは、わらわを命がけで逃がしてくれた。だからわらわは歯を食いしばり、護衛の騎士ルシーラと一緒に暗い森を必死に駆け抜けた。そして執拗しつように追ってくるクランブリンの軍隊から逃げ続け、涙を流しながら山を越えて、なんとかオーブル王国に逃げ込んだ。


 しかし――オーブルも安住あんじゅうの地とはなりえなかった。オーブルの上級貴族がわらわをクランブリンに売り渡そうとしたの。だからわらわはルシーラとともに再び逃げた。そして長い年月としつきをかけて南のシンプリア連邦にたどり着き、身を隠した」


 カルナはいったん言葉を区切った。そして疲れた顔で長い息を吐き出した。


「……シンプリアにたどり着いた時、わらわは15歳になっていた。そして、あの時のわらわは本当にみじめだった。クランブリンが放った暗殺者の影に毎日おびえて震えていた。身分を隠すためにみすぼらしい服を着て、冷たいパンをかじり、雨水をすすって生きていた。まともな屋根の下で眠れないわらわの体は泥で汚れ、ゴミのようなにおいがした。


 そして、わらわを守るために暗殺者と戦い続けてきたルシーラは全身に傷を負い、その体は見るからにやせ細っていた。それでもルシーラは泣き言の1つも漏らさず、恨みごとを言うことなく、ずっとわらわのそばにいてくれた。優しい微笑みでわらわを毎日元気づけてくれた。しかしある日、いきなり押し寄せてきた暗殺者たちの手によって、ルシーラは命を落とした……」


 カルナは低い声で語り、潤んだ瞳で自分の白い手を見下ろした。


「その時のわらわは何もできない子どもだった。暗殺者どもに囲まれたまま、ルシーラの死体を抱きしめて、震えて泣くことしかできない子どもだった。それが本当に悔しかった……。本当にみじめだった……。何の力も持たない弱い自分が、本当に悲しかった……」


「それは……」


 カルナの話に聞き入っていたシャーロットは、顔を曇らせてうつむいた。なぜならば、シャーロットもカルナと同じだったからだ。


 拉致されたシャーロットを助けるために、ネインは命をかけてジャコン・イグバと戦った。そのネインの姿を、シャーロットはただ見ていることしかできなかった。戦いで傷つき、血を流し、それでも必死に立ち上がって敵に立ち向かうネインを、シャーロットは助けることができなかった。


 大事な人を殺されても、かたきを討つこともできない。


 自分を助けるために、必死に戦っている大事な仲間を支えることすらできない。


 それが昔のカルナの姿だった。そしてそれは、今のシャーロットの姿でもあった。


「だが、わらわの命運は尽きなかった――」


 黙り込んだシャーロットの目の前で、カルナは白い手をこぶしに握った。そして淡々と言葉を続ける。


「暗殺者どもに囲まれたわらわの命はまさに風前ふうぜん灯火ともしびだった。しかし、そんなわらわを救ってくれたのが、どろの魔女――ヘンリエッタ・ミリオンだった」


「泥の魔女……?」


「そう。その薄汚い異名いみょうとは裏腹に、ヘンリエッタは美しい魔女だった。そして、圧倒的に強かった――」


 カルナは遠い過去を懐かしむように、ほんのわずかに微笑んだ。


「ヘンリエッタは、自分の縄張りを荒らした暗殺者どもを文字どおり瞬殺した。そのおかげで危機を脱したわらわはヘンリエッタに頼み込み、見習い魔女として弟子入りした。そしてわずか2年で悪魔召喚に成功したわらわは正式な魔女となり、長い修行の旅に出た。


 ――それがわらわの、新しい人生の始まりだった。何もできずに逃げ回っていたか弱い子どもが、ルシーラが命をかけて守ってくれた小さな命が、その時ようやく花を咲かせたの……」


 カルナは深い悲しみを込めた声で静かに語った。そして胸に手を押し当てて涙をのんだ。


「それからわらわは魔女の力を磨くために世界中を旅して回った。そして160年という長い年月をかけて二つ星の魔女となったわらわは、生まれ故郷であるオルトリンの森に戻ってきた。……そうしてようやく


「……えっ? 計画って、まさか……」


 その瞬間、シャーロットは鋭く息をのみ込んだ。


 カルナの悲しい物語が、いきなりような気がしたからだ。そして、その予感は当たっていた。なぜならば、カルナがいきなり邪悪な笑みを浮かべたからだ。


「ええ、そうよ。いくら愚かな小娘でも、ここまで話せばさすがにもうわかるでしょう。わらわの計画というのはもちろん、よ」


「そんな……」


 カルナの言葉を耳にしたとたん、シャーロットは愕然と目を見開いた。前国王サイラス・クランブリンが亡くなってから発生したいくつもの暗殺事件が、まさに今この瞬間、ような気がしたからだ。


「復讐計画って、それじゃあまさか、王族を暗殺したのって……」


「ふふふ。そんなの当然、このわらわに決まっているじゃない」


 シャーロットが呆然と声を漏らしたとたん、カルナは涼やかな笑みを浮かべてあごを上げた。


「オルトリンの森に戻ったわらわは、クランブリンの王族についてありとあらゆる情報を集めた。そして今からおよそ、ついにわらわが。そしてその運命の日から、わらわの復讐計画は動き出した」


「14年前って……」


 シャーロットは思わず口を開いたが、途中で言葉をのみ込んだ。


 カルナはなぜ、14年前に行動を開始したのか――。


 その理由にシャーロットは心当たりがあった。だからカルナに質問して、その答えを確認するのが恐ろしかった。しかしカルナはシャーロットの戸惑いを気にすることなく言葉を続ける。


「だけど、今日までの道のりは本当に長かったわ。10年の時をかけてて、。そして必要な魔道具を開発し、必要な人材を手配して、必要な場所に配置する――。そうやってわらわはこつこつと準備を積み重ね、必要な条件を1つずつクリアしてきた。そしてついに、去年の暮れにすべての準備を整えて、


「えっ!?」


 カルナの言葉を聞いたとたん、シャーロットは一瞬混乱した。


「ちょ、ちょっと待って。サイラス陛下の暗殺ってどういうこと? それって、ネインくんが陛下に頼まれたんじゃないの?」


「あら。やっぱりそうだったのね」


 シャーロットが疑問を口にした瞬間、カルナは納得顔でうなずいた。


「いくら噂のブルーハンドでも、警備が厳重な王城に潜入して国王を暗殺するなんてほぼ不可能――。だからもしかしてとは思っていたけど、やはり第三者からの暗殺依頼ではなく、サイラス・クランブリン本人の依頼を受けて、ネインが殺してあげたのね」


「え? あなた、知らなかったの?」


「ええ。ネインから詳しい話を聞く時間はなかったからね。でも、暗殺を依頼した者が誰であろうと、わ」


 カルナは手のひらを上に向けてニヤリと笑い、さらに言う。


「とにかく、ネインはただ、サイラス・クランブリンの自殺に付き合わされただけよ。わらわの計算だと、あの老人の寿命はからね。だけど想定よりかなり早く死んじゃったから、手配していた暗殺者たちを早めに呼び寄せて行動させたの」


「ちょ、ちょっと待って。暗殺者たちってことは、それじゃあほんとに、今までに起きた暗殺事件の黒幕は――」


「もちろん、わらわよ」


 カルナはシャーロットに向かって堂々と胸を張り、自慢げな顔で微笑んだ。


「わざわざ別の大陸からジャコン・イグバを呼び寄せて、王位継承権第1位から第7位の王族を暗殺させたのはこのわらわ。そして、南のシンプリアから暗殺ギルドの七天抜刀隊しちてんばっとうたいを呼び寄せて、王位継承権第8位から第14位を暗殺させようとしたのもこのわらわ。……まあ、七天抜刀隊の方はたったの3人しか殺せなかったけどね。でも、ジャコンが上位の7名を始末してくれたから、


「最低条件……?」


「ええ。最低条件よ」


 シャーロットが疑問の声を漏らしたとたん、カルナはシャーロットに近づいた。そして片手を伸ばし、薄いキャミソールの上からシャーロットの左の乳房をわしづかみにした。


「いたっ!」


 シャーロットは痛みに顔を歪めたが、カルナは気にすることなくさらに力を込めてニヤリと笑う。


「そう。これがわらわの求めていた――。よ」


「えっ!? なにそれっ!? どういうことっ!?」


 シャーロットは再び混乱した。クランブリン王国に復讐をたくらむ魔女が、どうしてそこまでしてシャーロットを王位継承権第1位にしたのか、その理由がまったくわからなかったからだ。


「ふふふ。本当はおまえも気づいているんでしょ?」


 黒い十字架に縛られたまま困惑の表情を浮かべているシャーロットに、カルナは邪悪な笑みを浮かべてみせた。そしてシャーロットの乳房に爪を立てて、言葉を続ける。


「――国王が死亡して、跡継ぎの王子たちも暗殺された。、サイラス・クランブリンの隠し子についてコバルタス家に情報が舞い込んだ。すると、青蓮騎士団を王室騎士団にしたいコバルタス家は、これ幸いとばかりにその隠し子を王座へと担ぎ上げるためにありとあらゆる努力をする。そして、女王の座まであと1歩のところまでのぼり詰めたその隠し子は、


「なっ!?」


 その瞬間、シャーロットは両目を限界まで見開いた。


「それじゃあまさかっ! クレアさんにわたしのことを教えたのはあなたなのっ!?」


「ええ、そうよ」


「つまりっ! それじゃあっ! 


 シャーロットは目の前に立つ美しい魔女を凝視した。そして心臓を激しく鼓動させながら声を張り上げた。


「まさかあなたっ! 


「ええ、そのとおりよ」


 カルナはシャーロットを見つめながら、優雅に微笑んだ。


「今から14年前、サイラス・クランブリンに娘が生まれたと知った瞬間、わらわはある計画を思いついた。それは――


「の……乗っ取りって……」


「当然でしょ?」


 カルナはシャーロットの乳房を力いっぱい握りしめてから手を離し、シャーロットの頬を平手ではたいた。


「薄汚いクランブリンの王族はわらわの国を滅ぼした。だから、オルトリン最後の姫であるこのわらわが、クランブリンの姫になりすまして女王になる。そしてクランブリンという国を内側から破滅させる――。それこそがわらわの復讐であり、クランブリンという愚かな国が招いた血のカルマよ」


「な……なにが血のカルマよ……」


 叩かれて頬が赤くなったシャーロットは、鋭い目つきでカルナをにらんだ。


「あなたの話が本当なら、悪いのはたしかにクランブリン王国よ。だけどそれは200年も前の話でしょ? だったら、あなたの故郷に攻め込んだ人たちはもうみんな死んでいるじゃない。それなのに今さら恨みを晴らすなんて、どう考えてもおかしいわよ。今のクランブリン王国に生きている人たちは、あなたに対して何も悪いことはしていないじゃない。それなのに、どうしてあなたに滅ぼされなくちゃいけないのよ」


「ふふ。それはとっても簡単な話よ」


 カルナは優雅な仕草で片腕を天に向けた。そしてシャーロットを見下みくだしながら言い放つ。


「復讐と正義は表裏一体――。どちらも力がなければ実行できない。しかしわらわは、わらわの正義と復讐を実行できる力を蓄えた。だからわらわは、自分のやりたいことをやりたいように実行する――。


 たとえわらわの愛する家族を殺した人間がすでに死んでいようと、わらわの愛する故郷に攻め込んだ人間がすべて死に絶えていようと、そんなことはどうでもいいの。


 わらわが憎んでいるのは、このよ。中身の血肉ちにくがいくら入れ替わろうと、わらわの恨みが鎮まることは絶対にない。だからわらわは、


「あ……あなた……ぜったい狂ってる……」


 瞳の中に暗黒の炎を燃やしながら語ったカルナを見て、シャーロットの体は震え上がった。目の前に立つ魔女は、もはやヒトの形をした闇そのものだとはっきりわかったからだ。そんなシャーロットを見つめながら、カルナは上品な笑みを浮かべて言い返す。


「そうね。わらわはたしかに狂っているのかもしれない。だけど、よく聞きなさい、シャーロット・クランブリン。わらわは生まれつき狂っていたわけではないの。つまり、今のわらわが狂っているとしたら、それはわらわのせいではない。おまえたちクランブリンの王族がわらわの国と家族を奪い、わらわの心を狂わせたの。だから――」


 カルナは再び片手を伸ばし、シャーロットの細い首を握りしめた。


「わかるでしょ? ねぇ、わかるでしょ? わらわの人生を破壊して、わらわの大事なルシーラを無残に殺して、わらわに暗黒の道を歩かせたのはおまえたちクランブリンの人間よ。それを言うに事欠ことかいて、今さら恨みを晴らすのはおかしいですって?


 はあ? なにそれ? 


 恨みを晴らすには力がいるでしょう。その力を蓄えるために、こんなに時間がかかったのよ? この195年ものあいだ、わらわがどれほどの憎しみの炎に身を焦がしてきたと思っているの? どれだけの怒りと絶望を抱えながら生きてきたと思っているの? 地獄の苦しみと悲しみを知らない甘ったれた小娘の分際で、どのつらさげてこのわらわに意見しているのかしら?」


「や……やめ……くるし……」


 気道をしめられて呼吸ができなくなったシャーロットは、苦痛に顔を歪めながら声にならない声を漏らした。しかしカルナはさらにシャーロットの首をしめつける。そしてシャーロットが泡を吹いて半分白目を剥いた瞬間、手を離した。


 とたんにシャーロットは激しく咳き込んだ。


 そしてあえぎながら息を吸い込み、黒い十字架に縛られたまま肩を大きく上下させる。そうしてようやく呼吸が落ち着いたシャーロットは、涙目のままカルナをにらんで口を開いた。


「たしかに……わたしは何不自由なく生きてきた子どもよ……。だから、あなたがどれほどの悲しみを抱えて……どれほどの憎しみを持っているのかはわからない……。だけど、これだけはわかる……。あなたの計画は、ぜったいに失敗する……」


「あら、そう。だったらその理由を聞かせてちょうだい。どうしてわらわの計画が失敗すると思うのかしら?」


「……簡単なことよ」


 シャーロットは大きく息を吸い込んで、赤毛の魔女をまっすぐみつめた。


「クランブリン王国の王座おうざは、王室血統審判官ブラッドガードが厳重に守っている。だからいくら第1位の王位継承権者であっても、王座に就く前には何度も魔女狩ヘクセンハントの魔法をかけられる。つまり、あなたがどんな魔法を使ってわたしになりすましたとしても、王家の血筋を守る王室血統審判官ブラッドガードの目はぜったいにごまかせない。あなたの正体なんかすぐにバレるに決まってるんだから」


「ふーん。へぇー。そうなんだぁー。――って! 


 シャーロットの言葉を聞いたとたん、カルナは唐突に声を張り上げた。


「そんなことは知ってるっ! 知ってるっ! 知っているぅーっ! わらわはそんなことぐらいじゅうぶんに知っているぅーっ! 王室血統審判官ブラッドガードの特殊魔法『魔女狩ヘクセンハント』がっ! 魔女や悪魔の変身魔法を完全に無効化することぐらい誰よりもよく知っているわぁーっ! だぁぁからぁーっ! はいっっ! ドォーンッッ!」


 カルナは左手首にはめた腕輪をシャーロットの前に突き出した。


「こぉれがぁーっ! これこそがぁーっ! わらわが14年の時をかけて開発した至高の魔道具っ! よっっ!」


「バイオーン……?」


 オレンジ色の球体がはめ込まれた腕輪を見つめながらシャーロットは首をひねった。するとカルナは腕輪を夜空に突き上げて、さらに声を張り上げる。


「そうっ! これはおまえが生まれた時から開発に取り組みっ! 我が契約悪魔にカエンドラの瞳を集めさせてっ! ネインが持ってきた完璧な特殊魔法核エクスコアによってようやく完成した究極の魔道具っ! 場所を移動するだけのチンケなブルーソフィアごときとはレベルが違う! 違うっ! ぜんぜんちがぁーうっ! これこそがっ! 新たなる至宝錬金しほうれんきんにふさわしいっ! わらわの最高傑作よっっ!」


 カルナは暗い天空に向かって声を張り上げ、高らかに笑い出した。そして再びシャーロットに腕輪を向けて、魔道具を発動させた。


「さあ! 月が昇り! 星がまたたき! 日付が変わった今宵こよい! この時! この瞬間にっ!  いくわよっ! バイオーン・フルスキャン・レジストレーションッ! アァンドォォーッッ! トランスフォームッ! ブートアァーップッッ!」


 その瞬間、腕輪にはめられたオレンジ色の特殊魔法核エクスコアから無数の光線が放たれた。そのオレンジ色の光はシャーロットの全身を素早くなぞり、すぐさま反転してカルナの全身を照らし出す。そしてカルナの体が黒いきらめきに包まれた直後、シャーロットの呼吸が一瞬止まった。


「な……な……な……」


 シャーロットは目の前の光景を見つめたまま完全に言葉を失った。


 なぜならば、大人のカルナがほんの一瞬で少女の姿に変身したからだ。しかも長い赤毛は肩まで伸びた金色の髪に変わり、真紅のドレスはソフィア・ミンス王立女学院の制服に変化している。その姿は、もはやどこからどう見ても――。


「わ……わたし……?」


「――ええ、そうよ」


 カルナは踊るような足取りで振り返り、黒い十字架に縛りつけられているシャーロットをまっすぐ見た。その姿はまさにシャーロットそのものだった。そして、顔も声も髪の色もシャーロットに変化したカルナは、自分の頬をそっとなでて優雅に微笑んだ。


「さあ、よく見なさい、無知で無力な小娘よ。今この瞬間から、このわらわこそが、クランブリン王国の正統なる王位継承権者――シャーロット・クランブリンよ」




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