第29章  魔姫覚醒――ザ・プリンセス・オブ・ダークマギア

第116話  業に散る花、魔転の花――ジ・エンド・オブ・ダークナイト その1



 丸い月が昇った星空の下、石造りの都は多くのあかりであふれていた――。


 しかしそれは、重苦しいあかりだった。


 夜に染まった暗い石畳の街角には、手にランプを持った無数の大人たちであふれている。そしてどこからか助けを求める声が聞こえると、男たちは仲間を集めて駆けていく。我が子を抱きしめて立ち尽くしていた女たちも、沸かした湯や布の束を持ってあとを追う。


 その夜、王都クランブルは混乱の中にあった。


 夕暮れとともに突如として現れた無数の黒い大蛇だいじゃによって、街全体が破壊の嵐に襲われたからだ。


 森の大樹たいじゅよりも大きな蛇の体当たりを受けて、石の家々は軒並み崩れ、街中を網羅もうらする水道橋すいどうきょう随所ずいしょ破断はだん――。地上高くに造られた水道橋すいどうきょうからは水が雨のように飛び散り、滝のように流れ落ちる。崩れた家々の下には今も多くの人が埋もれ、助けを求めるうめき声が闇に漂う。


 男も女も、子どもも老人も夜の都を走り回り、家や職場や市場いちばを訪ねる。そして家族の無事を確かめた者は安堵あんどの息を漏らし、悲報に接した者は肩を落として涙を流す。


 理不尽な破壊。


 理不尽な死。


 それは誰かの責任であり、誰の責任でもない。


 それは巡る命の定めであり、世界を回す血のカルマだった――。



 その慌ただしい喧噪けんそうに包まれた夜の王都に、ネインとシャーロットは戻ってきた。そして言葉を交わしながらゆっくり歩き、ソフィア・ミンス王立女学院の門を通り抜ける。すると学院の敷地内には多くの騎士の姿があった。いずれも青い剣を腰にげた女性騎士だ。


青蓮せいれん騎士団か……」


 ネインはポツリと呟き、ソフィア寮の周囲を固めていた騎士の1人に声をかけて事情を聞いた。すると、女性騎士たちはソフィア寮の警備を指示されて駆けつけたという。その理由は、王都の全域で暴れた巨大な蛇に対する警戒態勢をくためらしい。


「おそらく、シャーロットがさらわれたと知ったコバルタス家が慌てて手配したんだろ」


 ネインは自分の推測をシャーロットに聞かせながらソフィア寮の玄関を通り抜ける。そしていくつものランプで照らされた廊下を進みながら、再び話の続きを語り出した――。


 ジャコン・イグバを倒したあと、ネインとシャーロットは月明かりの下を歩いて王都まで戻ってきた。そしてその道すがら、シャーロットは隠していた秘密をネインに話した。


 自分がクランブリン王国の正統な王位継承権者であること。青蓮せいれん騎士団を代表するコバルタス家が、自分を女王の座に就かせようとしていること。そして、女王になるかどうかについて、ずっと悩み続けてきたことを――。


 そのシャーロットの告白を、ネインは黙って聞いていた。そしてシャーロットの話が終わると、ネインも自分の罪を語り出した。


 ある冬の日の夜、王室からの依頼を受けて王城に忍び込んだこと。前国王サイラス・クランブリン本人の希望を受けて、その命を奪ったこと。そして――。


「――そしてオレは王の寝室を出る前に、木の箱からカメオを1つ盗み出した」


 ネインはそう言って、ランプの光に照らされた石の階段をのぼっていく。するとネインの後ろを歩いていたシャーロットも、手の中のカメオを見つめながら階段をのぼり始める。


「それじゃあ、このカメオを彫ったのは、本当にサイラス陛下だったのね……」


「ああ。サイラス・クランブリンは心優しい王だった。だからシャーロットを養子に出した。そしてそのことを、最後の最後まで後悔しながら死んでいった」


 ネインは悲しそうに顔を曇らせて口を閉じた。これで、伝えるべきことはすべて伝え終わった――。そう判断したからだ。


 ネインはシャーロットと一緒に黙々と階段をのぼっていく。そして3階の踊り場で警備している女性騎士の前を通り過ぎ、静まり返った廊下をまっすぐ進み、自分たちの部屋である316号室に足を踏み入れた。


「なんか、わたしたちの部屋、ボロボロになっちゃったね……」


 手にしたランプを室内にかかげたシャーロットは、肩を落として呟いた。


 ヨッシー皆本とジャスミン・ホワイトが戦闘を繰り広げた石造りの部屋は、もはやため息しか出てこないほど荒れ果てていたからだ。


 入口のドアは跡形もないほど完全に砕け散り、床には足の踏み場に困るほどの石の破片が飛び散っている。さらに壁や天井からは石のとげがいくつも突き出し、そのほとんどが途中でポッキリと折れている。


「……そうだな。雨の魔女の魔法陣はもう設置したから、オレは明日にでもこの部屋を出ていく。シャーロットも別の部屋に移った方がいいだろ」


「あ、そっかぁ。ネインくんの用事は終わったんだよね……」


 ネインは机の上にランプを置いて、淡々と口を開いた。するとシャーロットはさびしそうに言葉を漏らし、ネインの机に近づいた。


「まあ、たしかにこんな状態の部屋では暮らせないよね。でも、今夜はわたし、ここで寝るね。だって……」


 シャーロットはネインの隣に立ったまま、机の上に目を落とした。そこには白い花がけられた一輪挿いちりんざしと、小さな額縁がくぶちが置いてある。その額縁の中には、かわいらしい少女の似顔絵が飾ってあった。満面の笑みを浮かべているメナ・スミンズだ。


「ネインくんがさっき言ってたでしょ? 今夜はメナちゃんに会いに行かない方がいいって」


「……ああ。今日はいろいろあったし、街の中もかなり騒がしいからな。だから、メナさんのところにはオレが1人で行ってくる。シャーロットはが明けてから会いに行った方がいい」


 ネインはシャーロットから目をらしてそう言った。なぜならば、それは苦しい言い訳だと自分でもわかっていたからだ。しかし今のネインにとって、それが口にできるギリギリの言葉だった。


 ジャコンの拷問で激しく傷ついたメナの遺体を、シャーロットには見せたくない――。


 ネインはそう思った。だから自分1人でメナの元に向かい、死に化粧しにげしょうほどこすつもりだった。そしてそのネインの配慮を、シャーロットは察していた。


「……うん、そうだよね。わたし、ネインくんの言うとおりにする。だから今夜は、ここでメナちゃんと一緒にいるね」


 シャーロットは額縁の中のメナを見つめて微笑んだ。そして、再び流れ出した涙をぬぐい、自分のベッドに腰を下ろす。するとネインも机の上のメナを見つめて奥歯を噛みしめ、それからシャーロットに声をかけた。


「それじゃあ、オレはメナさんのところに行ってくる」


「……あ、ちょっと待って」


 ネインが廊下に向かって歩き出したとたん、シャーロットが不意に呼び止めた。そして顔に困惑の色を浮かべながら、おそるおそるネインに訊いた。


「えっとぉ……ネインくんって、本当に暗殺者なの……?」


「――そうだ」


 部屋の真ん中で足を止めたネインはゆっくりと振り返り、シャーロットを見下ろした。


「オレが怖いか?」


「んー、よくわかんない」


 ランプの淡い光に照らされたネインの姿を、シャーロットもまっすぐ見上げた。


「だって、ネインくんはサイラス陛下を殺したって言ったけど、それって結局、サイラス陛下に頼まれてやったんでしょ?」


「ああ。だが、命を奪ったことには違いない」


「でも、サイラス陛下は病気で苦しんでいたんでしょ? その苦しみから、ネインくんは陛下を救ったんでしょ? しかも陛下の彫ったカメオをわたしに届けてくれるなんて、そんなのぜんぜん暗殺者っぽくないよ。むしろ陛下の苦しみを、ネインくんが全部背負ったようにしか見えないんだけど」


「人の命を奪うということは、その人の人生を背負うということだ――。見ろ、シャーロット。電撃・第1階梯固有魔法ユニマギア――起電絶対エレク・マーシ魂慈葬送ー・ヒューネラル


 ネインは不意に胸の前で両手を合わせ、必殺の魔法を発動した。そして青い電火でんかで包まれた手をシャーロットに向けて言葉を続ける。


「この世には、悩み苦しんでいる人が大勢いる――。誰もが金の問題や体の問題、名誉の問題や家族の問題を心に抱え、悲しみと後悔という傷を増やしながら、人生という長い道を歩いている」


「悲しみと、後悔の傷……」


 ネインの手を包んでいる青い炎を見つめながら、シャーロットは呟いた。するとネインは、青い光に照らされたシャーロットに真剣なまなざしを向けて言葉を続ける。


「そうだ。心に傷を持たない人間なんて1人もいない。そして、あまりにも大きな傷を負った人間は歩くことに疲れ果て、自分の死に場所を自分で決めて、――。この青い手は、そういう人々の命を奪ってきたんだ」


「……え? 自分の死に場所を自分で決めるって……それじゃあ、ネインくんはまさか……」


「ああ。オレはだ」


「そんな……」


 その瞬間、シャーロットは目を見開き、胸の前で両手を組んだ。


「ねぇ、うそでしょ……? なに言ってんの……? そんなのぜったい暗殺者じゃないよ……」


「……オレは人の命を奪って、金を受け取って生きてきた。それはどう言いつくろったところで、薄汚い暗殺者に違いない」


 ネインは両手を左右に払い、青い電火でんかをかき消した。そしてランプの淡い光が揺れる薄暗い部屋の中で、静かな声を漂わせた。


「さっきも少し話したが、オレは異世界種アナザーズをすべて倒すことを心に誓った。そしてその誓いを守るためには、力と金が必要だった。だからオレは暗殺者の道を選んだ。オレはこの世界を守るために、この世界の人々の命を奪うという血の道を選んだんだ」


「血の道って……そんなの……そんなのなんか、悲しいよ……」


 悲壮な決意のこもったネインの言葉を耳にして、シャーロットは涙を流した。そして肩を震わせながらうつむいた。


 ネインの歩んできた道は、あまりにも悲しすぎる――。


 シャーロットはそう感じた。だからあふれ出す涙を止めることができなかった。


「それじゃあ……それじゃあ、ネインくんの苦しみは誰が救うのよ……。苦しんでいる人を救うたびに、ネインくんの方が傷だらけになってるじゃない……」


「それがオレの選んだ道だ」


 シャーロットの瞳からこぼれ落ちるかすかなきらめきを見つめながら、ネインは低い声でそう言った。そして声を押し殺して泣き続ける少女に背を向けて、薄暗い廊下へと歩き出す。


「……シャーロット。オレはおまえの父親を殺した。そしてメナさんを守ることができなかった。だから、恨んでくれてかまわない――。巻き込んですまなかった」


 ネインはシャーロットに謝った。感情を殺した声で心から謝罪した。そして静かに部屋を出て、シャーロットの前から姿を消した。


「なんで……なんでよ……」


 部屋に1人残ったシャーロットは、自分の両手を見下ろした。その白い手は悲しみに震え、涙がしずくとなって降り注ぐ。


「なんで……ネインくんはあんなに強いのに……わたしは……わたしは……」


 シャーロットは奥歯を噛みしめてこぶしを握った。


 そして、一人静かに泣き続けた。





 それからしばらくして――。


 ベッドに横になっていたシャーロットは、ゆっくりと目を開けた。


「……わたし、寝ちゃってたんだ」


 ネインが部屋から出ていったあと、泣き疲れたシャーロットはベッドに倒れ込んで眠っていた。


「疲れたのかな……。体が重い……」


 シャーロットはゆっくりと体を起こし、長い息を吐き出した。それから何気なくベランダの方に目を向けると、外は暗い夜に包まれている。


「まだ夜か……。いま何時だろ……」


 シャーロットはベッドから立ち上がり、ガラスの扉に足を向けた。ガラスの向こう側には、静寂な空気と暗い星空が広がっている。シャーロットは夜空でまたたく遠い星を見上げながら、疲れた息を吐き出した。


 今日は妖刀を持つ2人の少女に拉致されたうえに、いろいろと衝撃的なことがあったせいで、シャーロットの体内時計は完全にずれていた。おかげで今が何時だか見当もつかないし、よくよく考えてみると夕食すら食べていない。


「はぁ……。ほんと、ひどい一日ね……」


 シャーロットは空っぽの胃をさすり、首を小さく横に振った。


「とりあえず顔でも洗って、朝まで寝ようかな」


 音のない夜空には、丸い月が浮かんでいる。その青く輝く月を眺めながら、シャーロットは泣きはらした目元を手で拭った。それから机の上の額縁を手に取り、メナの笑顔に目を落とす。


「ごめんね、メナちゃん。朝になったら会いに行くね……」


 シャーロットは穏やかな声で話しかけ、悲しそうに微笑んだ。それから額縁を机の上にそっと戻す。


 すると、机の端に置いたせいで、額縁が倒れて転がり落ちた。


「あっ!」


 床に落ちていく額縁にシャーロットは反射的に手を伸ばした。しかし次の瞬間、シャーロットはビクリと震えて手を引っ込めた。


「――えっ!?」


 シャーロットは目を見開き、驚きの声を上げた。なぜならば、今まさにこの瞬間、シャーロットの目の前でからだ。それはまさに、という他に言いようがなかった。


 床に向かって一直線に落ちていた額縁が、重力に逆らってからだ。


「なっ!? なにこれっ!?」


 シャーロットは鋭く息をのみ込み、ふらふらとあとずさった。その顔は一瞬で青ざめ、恐怖の色がありありと浮かんでいる。落ちた額縁が机の上に戻っただけでもありえないことなのに、からだ。


 その額縁はを、何度も何度もからだ。


「な……なんで……? なにこれ……? なんで額縁が何度も落ちて、何度も戻り続けているの……?」


 その光景はもはや異常を通り越して、恐怖そのものと化していた。だから周囲で発生していたに、シャーロットはすぐに気づけなかった。


「――ハッ! これはっ!?」


 額縁が20回以上落ちてから、シャーロットはようやく室内の異変に気がついた。


 それがいつから発生していたのかはわからない。しかしそれは、確実にシャーロットを取り巻いていた。ランプの淡い光に照らされていた部屋の中が、いつの間にかのだ。


「な……なんなのこれ……? なんなの、この気持ち悪い光は……?」


 シャーロットは自分の体を強く抱きしめて唾をのみ込んだ。


 いったい何が起きているのかまるでわからない。しかしこれはほぼ間違いなく『』だ――。シャーロットはそれを本能的に察した。


 だからシャーロットは恐怖で震える足をなんとか動かし、廊下に逃げた。そして壁に手をついて体を支えながら、階段の方へとひたすら急ぐ。


 ランプの光に照らされた薄暗い廊下は静まり返り、なんの音も聞こえない。シャーロットの耳にくのは、得体の知れない恐怖におびえる自分の呼吸。そして、激しく鼓動する心臓の音だけだった。


 シャーロットは何度も振り返りながらひたすら逃げる。そして、階段の踊り場に立っている女性騎士が見えたとたん、全速力で駆けつけた。


「あのっ! あのあのっ! なんだか部屋が変なんですっ!」


 シャーロットは女性騎士の顔を見上げて声を張り上げた。


「自分でもよくわからないんですけど! 部屋の中が変な緑色の光に包まれて! 額縁が何度も何度も落ちるんです!」


 シャーロットは自分の部屋の方を指さして必死に訴えた。


 しかし、女性騎士はひと言も返事をしなかった。それどころか、目の前にいるシャーロットを


「……あれ? えっと、あのぉ、だいじょうぶですか……?」


 まばたき一つしない女性騎士を見て、シャーロットはようやく不審に思った。それでおそるおそる声をかけながら手を伸ばし、女性騎士の腕にそっと触れた。


「えっ!?」


 その瞬間――シャーロットはビクリと震えあがった。


「なっ!? なにっ!? なんなのこれ!? この人っ! !」


 シャーロットは愕然としながら女性騎士の胸に手のひらを押し当てた。


 するとやはり、女性騎士の体は完全に固まっていた。しかも熱は感じられるのに鼓動がない。命の気配はたしかにあるのに、生きているという気配が欠片かけらもない。まるでかのような状態だ。


「わ……わかんない……。なんで……? どうして……? いったいなにが起きているの……?」


 シャーロットは手のひらに恐怖の汗をにじませながら後ろに下がった。


「こわい……こわいよ……。なにこれ……。ほんとにこわいんだけど……」


 死体のように固まった女性騎士を見つめたまま、シャーロットは胸の前で両手を組んだ。そして廊下の中央で足を止めると、それ以上1歩も動けなくなってしまった。


 あまりの恐ろしさに思考が麻痺してしまい、足がすくんでしまったからだ。さらに次の瞬間、呼吸まで一瞬止まった。廊下のはるか奥にある自分の部屋の前に、あの不気味な緑色の光が見えたからだ。


「う……うそ……」


 シャーロットはあごを震わせながら声を漏らした。シャーロットの部屋からあふれ出した緑色の光が、廊下を埋め尽くしながら階段の方に向かってきたからだ。しかも廊下の反対側からも緑色の光が近づいていた。


 もはや逃げ道は1つしかない――。


 そう判断したシャーロットは、恐怖に突き動かされるように慌てて階段を降りようとした。しかしその瞬間、シャーロットの足はピタリと止まった。不気味な緑色の光は、下の階からもゆっくりとのぼってきていたからだ。


「なっ、なんなのよ……。なんなのよ、この光は……」


 追い詰められたシャーロットは震える足で女性騎士の脇を通り抜け、目の前の細い通路に逃げ込んだ。そしてそのまま屋上庭園に飛び出して、反対側の西棟へと走り出す。


 しかし、広い庭園の真ん中に近づいたとたん、鋭く息をのんで足を止めた。学院の創立者であるソフィア・ミンスの銅像の前に細い人影が立っていたからだ。


「……あっ、あのっ! すいませんっ!」


 丸い月が昇った星空の下、シャーロットは人影に向かって声を張り上げた。すると人影は優雅な動きで振り返り、シャーロットの方に体を向けた。さっきの女性騎士のように動かなかったらどうしようと心配していたシャーロットは、ほっと胸をなで下ろした。そしてすぐに人影の前に駆けつけた。


「あのっ! なんだか寮の中が変なんですっ!」


「……あら。何が変なの?」


 シャーロットが恐怖をにじませた声で話しかけると、その人影は優雅に微笑んだ。それは真紅のドレスに身を包んだ、長い赤毛の美しい女性だった。


「それが、わたしにもよくわからないんです」


 シャーロットは荒い息を肩で整えながら、身振り手振りを交えて説明した。


「ほんとにおかしな話なんですけど、額縁が机の上から何度も落ちて、何度も元の場所に戻るんです。しかも警備の騎士さんの体が銅像みたいに固まっていて、不気味な緑色の光が追いかけてくるんです」


「あらまあ。それは本当に大変ね」


 赤毛の女性は軽く驚いた表情を浮かべながら、優雅な仕草で白い手を口元に当てた。


「でも、安心してちょうだい。それはわらわが発動した魔法の効果なの」


「えっ? 魔法の効果って……えっ?」


 その瞬間、シャーロットはパチクリとまばたいた。女が口にした言葉の意味がすぐには理解できなかったからだ。すると赤いドレスの女はクスリと笑い、背後につ老女の銅像を指さした。


「あなたは、この銅像の女性をご存知かしら?」


「え? えっと、この学院を創立した、大賢者のソフィアだとおもいますけど……?」


「ええ。そのとおりよ」


 シャーロットの答えに女は満足そうにうなずいた。そして両腕を左右に広げて言葉を続ける。


「その大賢者ソフィアはね、このソフィア寮に特殊な結界を張り巡らしたの。それは魔女や悪魔を瞬時に消滅させる強力な退魔たいま結界で、このわらわですら突破することは絶対に不可能――。だからわらわは別の方法を模索した。そして編み出したのが、今まさに発動しているこの魔法よ」


「発動している魔法……?」


「そう。その名は、魔女・第9階梯固有魔法ユニマギア――タイム・アウト・マギアサークル


 そう言って、女は優雅に微笑んだ。


「突破が不可能な結界ならば、――。わらわはそう考えた。そして、一時的に時を巻き戻す『限定時間・無限反転の魔法』を開発したの」


「一時的に時を巻き戻すって……。それじゃあ、額縁が何度も落ち続けたのは、その魔法のせいってこと……?」


「そういうことよ。それが、T・O・Mティー・オー・エム――タイム・アウト・マギアサークルの効果よ。そしてこのT・O・Mを使用すれば、理論上では。……だけどこの魔法には1つだけ問題があってね、無効化したい結界の中に、わらわの魔法陣をあらかじめ設置しなくてはならないの」


「――ハッ!」


 その瞬間、シャーロットは両目を見開いた。


「魔法陣を設置って! それじゃあ! あなたはまさかっ!」


「ふふ。どうやらようやく気づいたみたいね」


 シャーロットが声を張り上げたとたん、赤いドレスの女は優雅な仕草で星空に右手を掲げた。そして美しい笑みを浮かべながら、自分の名を少女に告げる――。


「さあ。遅ればせながら自己紹介といきましょう。わらわは最強の悪魔使いと恐れられる雨の魔女。そして、オルトリンの血を受け継ぐ最後の1人――ナキンカルナ・オルトリン」


「あなたが、あの、雨の魔女……」


「ええ、そうよ。初めまして。シャーロット・クランブリン姫殿下」


 星空の下に立つ闇の魔女は、シャーロットの真の名を口にした。


 そのとたん、シャーロットは鋭く息をのみ込んだ。初対面の相手に自分の素性を知られているとは思わなかったからだ。しかしすぐにハッと気づき、美しい赤毛の魔女をじっと見つめて口を開く。


「……そういえば、ネインくんにわたしのことを教えたのはあなたなんですよね」


「あら。それを知っているということは、どうやらネインから例のカメオを受け取ったみたいね。それはますます好都合。


「計算どおり……?」


 不意にニヤリと笑ったカルナを見て、シャーロットは眉を寄せた。


「それってどういう意味ですか?」


「そうねぇ……。話せば長くなるけれど、それでも聞きたいかしら?」


「じゃあ、いいです」


 カルナは左手首にはめた腕輪を眺めながら、もったいぶるような口調で言った。そのとたん、シャーロットはわずかに顔をしかめながら手のひらをカルナに向けた。


「いま起きている異常な現象は、あなたの魔法のせいだということはわかりました。そしてあなたの狙いは、このソフィア寮に隠されている魔道具『ブルーソフィア』だと聞いています。だったら早く、その魔道具を手に入れてお引き取りください」


「くっくっく……。はっはっは。ひゃーっはっはっはっはっはぁーっ!」


 その瞬間、カルナはいきなり高らかに笑い出した。そして鋭い笑声しょうせいを屋上庭園に響かせながら、シャーロットを見下みくだしてさらに笑う。


「っはぁーっ! っ!? はぁん!? だとぉーっ!? わらわらわらわらっわらわらわらっ! わぁーらわせてくれるわねぇーっ! うーっ! ゲラゲラゲラゲラッゲラゲラゲラゲラッ!」


「……えっ? な、なに……? なんなのこの人……?」


 まるで気が狂ったかのように笑い出したカルナを見て、シャーロットの胸の中は再び恐怖で埋め尽くされた。目の前に立つカルナから、身の毛がよだつような不気味な気配が波のように押し寄せてくるからだ。


 だからシャーロットは震える足で1歩下がった。するとそのとたん、カルナの笑い声がピタリと止まった。さらにカルナは再び上品な笑みを浮かべて歩き出し、老女の銅像に手を当てて口を開く。


「――たしかに大賢者ソフィアが作り上げたブルーソフィアは、至宝錬金しほうれんきんの1つと呼ばれる超魔道具よ。だけどね、わらわが求めているモノはそんなではないの。もっとよ」


「もっと大きな価値があるもの……?」


 感情の波があまりにも激しい魔女を見て、シャーロットはおそるおそる呟いた。するとカルナは1つうなずき、嬉しそうに目を細めながら言い放つ。


「それは鍵――。このクランブリンという邪悪な国を、完全なる滅亡にいざなよ」


「な……なにそれ……」


 シャーロットは一瞬、息が止まった。


「な、なんなの……? 完全なる滅亡ってどういうこと……? その最後の鍵って、いったいなんなの……?」


 シャーロットは震える足でさらに後ろに下がった。カルナが口にした言葉も危険極まりないが、それ以上に、カルナがまとっている気配がどうしようもなく恐ろしかったからだ。


 今のカルナは、まるで闇から削り出した針のような鋭い圧力を放っている。そしてさらに、カルナはどこまでも優雅で冷たい笑みを浮かべながら、シャーロットを指さした。


「ふふ。ここまで話せばさすがにもうわかっているはずよ。わらわが求めている最後の鍵は、今まさに、


「目の前って、まさか……」


 その瞬間、シャーロットの体は震え上がった。


 その恐怖で強張こわばったシャーロットの顔を、カルナは狂気に満ちた瞳でまっすぐ見つめる。そして赤い唇を優雅に動かし、涼やかな声で言い放つ。


「そう。その最後の鍵とは、クランブリン王国の正統なる王位継承権者――。シャーロット・クランブリン。




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