第114話  夜にうごめく闇の者――ダーク・ダーク・ブルーダーク




「バ……バカな……」


 静まり返った星空の下、大樹たいじゅの枝に立つ男が呆然と声を漏らした。その短い黒髪の中年男性は、なだらかな丘を覆う森に身を潜めていたザジ・レッドウッドだった。


超精神感ハイパーシメレ応元素ント・コネクシ接続機構ョン・システムを発動した転生者が、3人とも撃滅げきめつされただと……?」


 フウナ数見かずみ、ヨッシー皆本、ジャコン・イグバの3名は、いずれも激戦の果てに命を散らした。そのすべての戦闘を観察していたザジは、額に浮かんだ冷たい汗を手で拭った。


「まさかこんな結果になるとは……。だが、とにかくこうなった以上は状況を整理して、女神に報告するのが最優先事項だな……」


 ザジは緊張した声で呟き、はるか彼方の大地に目を凝らす。そしてびた鉄の門がある広い空き地を見つめながら、そこで繰り広げられた戦闘を脳裏に浮かべた。


「まずはフウナ数見かずみだ。あいつが戦った2人組は魔女と契約悪魔に違いない。だが、なんなんだ、あいつらは……?


 フウナ数見かずみ転生武具ハービンアームズを魔力回廊に限定接続して、第7階梯魔法まで使用した。しかし、それをものともせずに涼しい顔で倒すとは、なんという恐るべき魔女……。


 しかも、あの悪魔が最後に使った魔法はかなりヤバい……。あの暗黒のエネルギーは俺でも防ぐことは不可能だ。あんな超魔法を使えるのは魔王ダボンクラスの大悪魔か、さらにその上の九大魔王ナインビルとしか考えられん……」


 最初から最後まで常に優雅な動きをしていた魔女と悪魔の姿を思い出しながら、ザジは唾をのみ込んだ。


「とにかく、あの魔女と悪魔の実力は圧倒的すぎる。特殊戦闘訓練をほどこした転生者が手も足も出ないとは、完全に想定外だ。それに、あの白い剣を持っていた女も異常すぎる……」


 ザジは視線を西に移し、荒れ果てた大地をじっと見つめた。そこは岩で埋め尽くされた巨大な穴がある広大な空き地だった。その無人の荒野で謎の女と剣を交えたヨッシー皆本は、暗い大地に串刺しにされたまま転がっている。


「……ヨッシー皆本の実力は高く、緊急戦闘要員の候補だった。そして総合的な戦闘能力は、すでに戦闘用転生者の上位10パーセントに達していたほどだ。


 しかし、あの白銀の髪の女は、ヨッシー皆本の魔法攻撃をすべて受けておきながら、ほとんど無傷だった。あの肉体強度と戦闘能力を見る限り、あいつは間違いなく最強の獣人、竜印族ドラゴニアンだ。


 だが、獣人たちの故郷であるホーライン獣人国ですら、あそこまで頑丈な竜印族ドラゴニアンは見たことがない。そしてさらに恐るべきは、あの白い剣だ――」


 胸に木の杭が突き立ったままの死体を遠目に眺めながら、ザジは勝負を決めた一撃を思い起こした。それは、白い剣が金属粒子と化して宙を舞い、ヨッシー皆本の頭部と心臓を破壊した瞬間だ。


「あの銀髪女が持つ白い剣は、粉々になっても瞬時に修復した。俺たち転生者の転生武具ハービンアームズですら、破損の自動修復には数分の時間がかかるというのに、なんという桁違けたちがいの修復速度だ……。


 それに、自動修復する魔法金属というとホーリウムしか考えられないが、あの剣の素材はただのホーリウムではない。地球の女神たちですら知らない、さらに上位の魔法金属としか考えられん。そんなとんでもない剣を持つということは、あの女自身がそれだけ特殊な存在ということか……」


 ザジはさらに目を凝らし、暗い森の中にたたずむ女を見つめながら呟いた。その女が、ヨッシー皆本を撃破した白い剣の使い手だった。髪の色が黒に戻った女は、身を潜めるように木陰に立ったまま、無言で何かを観察している。


 ザジは女の視線の先に目を向けて、そこにいる赤毛の人物を凝視した。それは、ソフィア・ミンス王立女学院の制服に身を包み、ジャコン・イグバとの戦いに挑んだ人物だった。


「そうだ。最後の問題は、まさにだ……。まさかあのジャコン・イグバをタイマンで撃破できる人間がいたとは、完全に想定外だ……」


 大地に横たわるジャコンのそばに立ち、祈りを捧げるようにこうべを垂れている人物を、ザジは緊張した面持ちで観察した。


「……白い剣の使い手と同じく、もやはり異常すぎる。ジャコンが召喚した無限のアリどもを、青い電流で瞬時に消滅させやがった。しかも第二種HCS・フ魔回接続ル・ブーストを発動したジャコンを、第7階梯レベルの光魔法で圧倒するとは、完全に規格外の存在だ。まったく……。体の動きは大剣聖レベルで、使う魔法は大賢者レベルとは、いったいどんな魔人だよ……」


 ザジは思わず呆れ果てた息を漏らした。そしてすぐに表情を引き締めて、瞳の中に恐怖をにじませながらさらに呟く。


「……しかし本当に恐ろしいのは、途中で顔を出した2人のガキどもだ。


 アレはヤバい。あいつらはマジでヤバい。


 特に金色のローブのガキは化け物を超えたバケモノだ。ジャコン・イグバが召喚した膨大な数のアリどもを、一撃で消し去った超弩級ちょうどきゅうの光魔法は、おそらく第10階梯魔法――。


 つまり、あのガキはだ」


 ザジは手のひらに浮いた汗を尻でぬぐった。そしてこぶしを固く握り、胸の中で渦巻き始めた暗い不安を抑えつけた。


「もしもあの金髪のガキが本当に神々の一員で、俺たち転生者に敵対する組織に協力しているとなると、事態はもはや最悪だ。なぜならば、ことがバレているってことになるからな。……だが、そのおかげでわかったことも1つある」


 不意にザジは1つうなずき、視線をわずかにずらした。そして枯れた噴水のそばに立つ少女を見つめる。それは、ソフィア・ミンス王立女学院の制服に身を包んだ、金色の髪の少女だ。


「ジャコンたちの狙いは、七天抜刀隊しちてんばっとうたいの男子5人を殺した犯人だ。その犯人を呼び出すために、ジャコンたちはあの女生徒じょせいとをさらって人質にした――と俺は思っていた。


 しかし、向こうの組織は凄腕の精鋭部隊を送り込んできた。


 圧倒的な実力を持つ魔女と悪魔に、白い剣を持つ竜印族ドラゴニアン。そして、俺たち転生者管理官ミドルマンに近い能力を持つ魔人のような娘と、さらに第10階梯魔法を操る謎のガキだ。


 ジャコンはたしかに強力な転生者だが、それにしても向こうがそろえた戦力は過剰すぎる。つまりヤツらには、ということだ。そしてこの状況で考えられる目的はただ1つ。


 それは、だ――」


 ザジは視線を研ぎ澄まし、最大視力で金髪の少女を見た。そして少女の顔を記憶に刻んだ。


「……転生者に敵対する組織があることは、これでほぼ確定した。そしてジャコンたちがさらったあの女生徒は、その組織にとって重要な人物である可能性が非常に高い。ならば今後の方針は、あの女生徒の素性を調べ、ヤツらの組織の情報を集めることだ……」


 ザジは決意を込めた声で呟き、小さな息を吐き出した。それから晴れた星空に目を向ける。


「……それにしても、この重苦しい気配。やはり誰かがまだ見ているな……。しかし、ジャコンたちが全滅してものぞき続けるとは、こいつはいったいどういうことだ……? まさか狙いはこの俺か? それとも他に理由があるのか……?」


 雲一つない夜空を見上げ、ザジは得体の知れない恐怖を感じた。


 敵の正体がわからない――。それは恐怖そのものだ。そして敵の正体を推測することすらできないのは、ザジにとって最大の恐怖だった。


「わからない……。なんなんだ、この気配は……? この世界でいったい何が起きているんだ……?」


 不意に乾いた夜風が吹き抜けて、ザジの体がわずかに震えた。するとザジはいきなり奥歯を噛みしめて、全身に殺気をみなぎらせた。


「……だが、いいだろう。こちらの準備は着々と進んでいる。この世界の存在どもよ。止められるものなら止めてみろ。の開幕まで、あまり時間は残っていないぞ――」


 ザジははるかなる天の高みを見据えながら、邪悪な笑みを浮かべてみせた。そしてすぐさま空中高く跳び上がる。さらにそのまま暗い森の中に飛び込んで、いずこかへと消え去った。



 その直後――。



 森の中の木陰から、黒い人影が音もなく姿を現した。


「……異世界大戦」


 その人影はザジが立っていた大樹たいじゅの枝を見上げながら、かすかな声を漂わせた。そしてすぐに振り返り、深い森の奥へと向かっていく。すると、木々のすき間を抜けていく人影を、夜空に昇った月の光が一瞬だけ照らし出した。


 その背の低い人影は、長い髪の少女だった。




***




「……どうやら、ネインを監視していた存在が去ったようね」


 夜の暗い森の中、木の根元に座っていたドレス姿の女性がポツリと言葉を漏らした。すると、すぐそばに立っていた執事服の男も淡々と口を開く。


「はい、カルナ様。その監視者はほぼ完璧に気配を消していましたので、凄腕の探索者シーカーかと思われます。……私の影を飛ばして追跡いたしますか?」


「不要よ。放っておきなさい」


 男の言葉に、女は興味なさげに手を横に振った。


「ジャコンが死んだとたんに立ち去ったということは、ネインに手だしする気はないということでしょう。だったらどうでもいいわ。それよりブリトラ。今のネインの戦いぶり、おまえはどう思う?」


「はい。正直に申しまして、まさかの展開です。ネイン・スラートが、あのジャコン・イグバに圧勝するとは予想すらできませんでした。こうなりますと、『ただ者ではない』――などという言葉では言い表せないほどの逸材いつざいかと思われます」


 ブリトラは木々のすき間に目を凝らし、ジャコンの死体のそばに立つネインを見つめながら言葉を続ける。


「ネイン・スラートは、前国王サイラス・クランブリンの最期を看取みとったと口にしました。その時点でカルナ様は、彼の正体に気づいていらっしゃったはずです」


「……それはまあ、当然ね。だけどさすがに驚いたわ。まさかネインが、あの噂の最強暗殺者ブルーハンドだったとはね」


 カルナも遠くにたたずむネインの背中を眺めながら、感心した声を漏らした。


「それに、ネインが使った青い手の魔法もなかなかの威力だったわね。まさか触れただけで敵を即死させる魔法を編み出していたとは、さすがのわらわも度肝を抜かれたわ。いったいどういう原理なのかしら」


「原理は不明ですが、あれは電撃魔法です。ネイン・スラートは電撃魔法で身体能力を強化して、強力な光魔法と火炎魔法でジャコン・イグバを倒しました。それが彼の基本的な戦闘スタイルなのでしょう。青い手の魔法はおそらく、暗殺専用の特殊魔法かと思われます」


「そうね。その分析で間違いないでしょう。でもそうすると、ちょっと説明がつかないわね……」


 カルナはあごに手を当てて、思案しながら呟いた。


「ネインは第6・第7・第8階梯の大魔法を連続で使用した。そんなことができるのは星天位せいてんい天法賢者てんほうけんじゃぐらいよ。しかも、このわらわですら使えない第8階梯の魔法を、どうして探索者シーカーのネインが使えるのかしら……」


「それはおそらく、特殊な魔道具を併用へいようしたからだと思われます。ネイン・スラートは戦闘中に爆炎と黄金色おうごんいろの光を体にまとい、能力を飛躍的に高めました。それが大魔法を発動するための必要手順プロセスかと思われます」


「それはわらわも見ていたけれど、それでもやはりおかしいわ……」


 ブリトラの分析を聞きながら、カルナはさらに眉を寄せて考え込んだ。


「たしかに強力な魔道具を使用すれば、強力な魔法を発動できてもおかしくはない。でも、いくら魔道具で能力を向上させても、そこら辺の魔法使いが第8階梯の魔法なんか発動したら、一気に魔力を使い尽くして即死するはずよ」


「はい。強力な魔法を使うことと、その魔法に必要な魔力を確保することは別の問題です。つまりネイン・スラートには、すでに大賢者レベル下地したじがあるということでしょう」


「だからおかしいのよ」


 遠目にネインを見つめながら、カルナはブリトラを指さした。


「ネインの資質は間違いなく探索者シーカー魔法使いマギア。つまり混合資質ミクスド。それなのに、魔法使いマギアの資質を2つ持つ、同一資質セイムのわらわよりも強力な魔法を扱えるなんてどう考えてもありえない。そうすると、ネインはもしかして……」


「8つの資質をすべて持つ最強種――超越者オーバーマンということでしょうか」


「その可能性が高いわね」


「ですが、私の大罪魔眼モータル・ムーンで見る限り、ネイン・スラートの資質は探索者シーカー魔法使いマギアの2つだけでございます」


 ブリトラは瞳の中に暗黒の炎を燃やしながら、ネインを見つめて口を開いた。するとカルナは指を1本立ててブリトラに言う。


「おまえの目を疑ってはいないわ。だけど、現実より情報を重視するのは本末転倒よ。今の戦いを見る限り、ネインは並みの騎士よりも高い戦闘能力と、大賢者を超える魔力を持っている。その現実と、おまえの目で見たネインの情報に食い違いがあるのなら、ということになる。つまり、ネインは自分の能力情報を、


「なるほど……。たしかに、そう考えるとつじつまが合います。そうすると、その偽装をほどこしたのは、ネイン・スラートの危機に駆けつけた女神たちということでしょうか」


「そう考えるのが妥当ね」


 カルナは視線をわずかにずらし、枯れた噴水のそばに立つ銀色のローブの女性を見た。


「あの女と一緒に現れた白いローブの子どもは、見たこともない治癒魔法でネインの傷を瞬時に治した。しかも金色のローブの子どもは、明らかに人知を超える超特大級の光魔法を発動した。あんなとんでもない魔法が使えるのは神しかいないでしょ」


「たしかに。では、彼女たちが女神だとしますと、ネイン・スラートが所属している組織というのはもしや――」


「ええ。神の力を持つ存在が助けに来たんだから間違いないでしょ。ネインは力のある神の指示で行動している。つまりネインは、神の契約者――半神ゴッドマンよ」


「なんと……。ネイン・スラートが、あの伝説の存在だったとは……」


 思考を積み重ねたカルナがネインの正体を推測したとたん、ブリトラはネインを見つめる瞳に力を込めた。そしてすぐに上品な笑みを浮かべながら、カルナに向かってうやうやしく頭を下げた。


「おめでとうございます、カルナ様。半神ゴッドマンは歴史を左右するほどの特別な存在――。そのような神の御子みこと契約を交わされたカルナ様は、まさに魔女の頂点に立たれたと言っても過言ではございません」


「そうね。もしもネインが本当に半神ゴッドマンだとすると、これはものすごい幸運よ」


 カルナは胸の奥から湧き上がる喜びに体を震わせながら、満面の笑みを浮かべた。


「……ふふ。どうやらここまで、死ぬ気で駆けつけた甲斐はあったようね。これであとは計画どおり、わらわがを手に入れればすべてが終わる――いや、すべてが始まるわ。わらわの長く苦しい闇の世界に、ようやく光が射し込むのよ。ふふふふふふふ――」


 不意にカルナは腕を組み、自分の二の腕に爪を突き立てた。そして白い肌に赤い血をにじませながら、さらに不気味な低い声で笑い出す。


「くっくっくっ……。ジャコンは死んだ。これで傘の魔女も手を引くはず。問題はすべて乗り越えた。もうすぐよ……。運命の歯車が血のカルマを回転させて、復讐の雨をまき散らす――。その日が来るのは、もはや確定したも同然よ――」


「はい、カルナ様。まさにそのとおりでございます」


 ブリトラも邪悪な笑みを浮かべながら、再びうやうやしく頭を下げた。するとカルナはゆっくりと立ち上がり、森の奥に向かって歩き出す。


「それじゃあ、行くわよブリトラ。まずは王都の館でお風呂にしましょう。そして新しい門出に相応ふさわしい姿で、


 カルナはわずかに首を回し、背後をチラリと見てそう言った。そしてそのままブリトラと一緒に、闇の中に姿を消した。




***




「第8階梯火炎かえん魔法――獅子心ライオンハー魔炎乱舞ト・メガフレア


 ネインは静かな声で魔法を唱えた。


 そのとたん、ネインの周囲に巻き起こった爆炎が1体の獅子に姿を変えた。その炎の獅子は宙を駆け抜け、すぐさま大地に突っ込んでいく。そして横たわっていた男の死体を燃やし尽くした。


「さらばだ、ジャコン・イグバ。風とともに、ゆっくり眠れ……」


 ジャコンの遺体は瞬時に灰と化し、夜風に巻かれて舞い上がる。そしてすぐに、暗い空に流れて消えた。


 その哀れな男の散りゆく姿を、ネインは澄んだ瞳で見送った。それから左手に握った2つの青い指輪を上着のポケットにしまい、枯れた噴水に足を向ける。


「ネインくん……」


 シャーロットはネインとジャコンの激戦を立ち上がって見守っていた。そして決着がついた今、シャーロットの胸の中には深い悲しみがあふれていた。


 ネインの事情はわからない。


 ジャコンの事情もわからない。


 どうしてこんなことになったのかシャーロットにはわからない。でも、メナ・スミンズは死んでしまった。そしてネインは、メナのかたきを取るために命がけで戦った。その必死に戦う姿を見るのは悲しかった。そして、その戦いを見ていることしかできない自分が、とても悲しかった――。


 だからシャーロットは、今にも泣き出しそうな瞳でネインを見つめていた。そしてあふれ出す悲しみが抑えきれなくなったシャーロットは、ゆっくりと近づいてくるネインに向かって駆け出した。


 しかしその瞬間――隣に立っていたハルメルが1歩速く飛び出した。


「ネインっ!」


 銀色のローブをまとったハルメルは長い黒髪をなびかせながら、ネインに向かって全速力で駆けていく。そしてそのままネインに力いっぱい抱きついた。


「……えっ?」


 その瞬間、1歩踏み出した体勢で足が止まっていたシャーロットは呆然と呟いた。


「あれ……? なんかわたし……出遅れた……?」


 さらに、ネインを抱きしめ続けているハルメルを眺めながら、シャーロットは首をほとんど真横に傾けた。


 ポツリと呟く5秒前まで、シャーロットのイメージでは自分がネインに抱きつくはずだった。なぜならば、ネインが助けに来たのはシャーロットだからだ。


 だがしかし――。


 シャーロットよりも先にハルメルがネインに抱きついてしまったので、シャーロットのイメージの中から自分が消えた。さらに、『ネインに抱きつきたい』という衝動がなぜか急速に落ち着いてしまったせいで、シャーロットは踏み出した足をそっと戻した。そして、顔に暗い影を落としながらうつむいた。


 そんなシャーロットを完全に無視したまま、ハルメルはネインに話しかける。


「ネイン、大丈夫? ケガはない?」


「ああ、大丈夫だ――」


 抱きついてきたハルメルから、ネインはそっと体を引き離した。そして心配そうな表情を浮かべているハルメルを見つめながら言葉を続ける。


「……ハルメルだったな。キミとさっきの2人には、かなり危ないところを助けてもらった。そのことには本当に感謝している。だけどどうして、オレを助けてくれたんだ?」


「ネインがケガをしたからよ」


 ハルメルは白い手をそっと伸ばし、ネインの左肩を優しくなでた。


「わたし、ネインのことをずっと見ていたの。だからネインのケガを治してほしいってクスネにお願いしたの。だけど、『一対一の戦いに介入するのはダメだ』って、ヒミナとサライサに反対されたの。でもアイシイとミルシュが『相手は精霊獣をいっぱい召喚しているから一対一ではないと思う』って、2人を説得してくれたの。それでヒミナもネインのケガの治療を認めてくれたから、ララチに頼んで門をひらいてもらったの」


「……そうか。わかった」


 ハルメルの話に耳を傾けていたネインは、真剣な顔でうなずいた。


 正直なところ、ハルメルの説明は要領を得ないので、助けに来てくれた理由はわからなかった。しかしそれでも、ハルメルが仲間たちを説得して駆けつけてくれたことはよくわかった。そして理由はどうであれ、自分のために頑張ってくれたハルメルの気持ちがネインには嬉しかった。


 だからネインはさらに話を聞こうと思って口を開いたが、そのとたん、ハルメルが先に話を切り上げた。


「それじゃあ、ネイン。わたしはもう戻るわね」


「え? 戻るって……?」


「決着がついたら、すぐに戻るようにヒミナに言われているの」


 ハルメルはそう言うと、いきなり枯れた噴水に向かって走り出した。そして噴水の中央に近づいたとたん、ハルメルの姿はかき消えた。


「なにっ?」


「……ほえっ? 消えた?」


 その瞬間、ネインは思わず目を見開き、シャーロットはパチクリとまばたいた。本当にほんの一瞬でハルメルの姿が見えなくなったからだ。それで2人は思わず目を合わせてお互いに首をひねり、ハルメルが消えたところまで足を運んだ。


「なにもない……よね?」


 シャーロットは噴水中央付近の空間に手をかざしながら呟いた。


「でもそういえば、ほかの2人の女の子たちが消えたのもこの辺だったような……」


「ああ。おそらくこの辺の空間に、移動用の門とやらがひらいていたんだろ」


 ネインもシャーロットの隣に並び、呆然と言葉を漏らした。そのネインの横顔を見つめながら、シャーロットはふと質問した。


「それでネインくん。結局、あの子たちって何者なの?」


「……オレにもよくわからない」


 ネインは思案げに眉を寄せて、首を小さく横に振った。


「最初は夢幻境むげんきょうサイメルに住む妖精かと思ったんだが、よく考えると、妖精にあんな大魔法が使えるとは思えない。そうすると、ソルナ教の女神という可能性も出てくるな……」


「いや、女神さまはさすがにないでしょ」


 ネインの推測を聞いたとたん、シャーロットは即座に手を左右に振った。


「だって、女神さまが人間に姿を見せるなんてありえないもん。それにあの子たちって、神さまにしてはちょっと若すぎない?」


「どうかな。ソルナ教には様々な女神がいるという噂だから、見た目が幼い女神がいてもおかしくはないと思うが」


「そうかなぁ……? でも、もしもあの子たちが女神さまだとしたら、なんでネインくんを助けにくるの?」


「さあな。オレもその理由を知りたかったんだが、どうやらはぐらかされてしまったらしい……」


 ネインは肩の力を抜いて、小さな息を1つ漏らした。すると不意に、背後から静かな声が漂ってきた。


「――ネイン・スラート」


 その声を耳にしたとたん、ネインとシャーロットは反射的に振り返った。そして声のぬしを見たとたん、シャーロットの顔がパッと輝いた。


「あっ! ジャスミン!」


 枯れた噴水に向かってゆっくりと近づいてくるのはジャスミン・ホワイトだった。ジャスミンが身にまとっている制服はあちこち破けて汚れているが、足取りはしっかりしている。


「もしかして、ジャスミンもネインくんと一緒に来てくれたの?」


 シャーロットは目の前で足を止めたジャスミンに声をかけた。しかしジャスミンはシャーロットの顔を見向きもせずに、ネインに言う。


「おまえの戦いぶりは見せてもらった」


「……そうか。それで?」


「話にならん。倒すべき害虫に情けをかけてどうする」


 ジャスミンはネインに向かって冷たい声で言い捨てた。そのとたん、シャーロットは目を丸くして口を開いた。


「……え? どうしたの、ジャスミン? なんかいつもと――」


「黙れ」


 ジャスミンの様子がいつもと違う――。シャーロットはそう思ったので質問しようとした。しかし、ジャスミンに鋭くにらまれながら手のひらを向けられたので、それ以上は何も言えなくなってしまった。


 すると代わりに、ネインがジャスミンを見つめながら淡々と口を開いた。


「……あの男に情けをかけたつもりはない。オレの目的は異世界種アナザーズをすべて倒す。それだけだ」


「ならばなぜ最初から全力を出さなかった」


「あの異世界種アナザーズは話が通じる男だった。交渉次第で、こちらの戦力にできる可能性があると思ったからだ」


「それが話にならんというのだっ!」


 その瞬間、ジャスミンは怒りの声を張り上げた。そして目じりを吊り上げながら、手に持っていた緑色の刀をネインに突きつけてさらに怒鳴る。


「ヤツらは害虫だ! 我らの同胞を殺し続けている殺戮者さつりくしゃだ! そんな外道げどうどもの力を借りるなど言語道断! 恥を知れっ!」


「……オレも最初はそう思っていた。だが、よく考えてみろ。人間は一人ひとりで考え方が違う。ならば異世界種アナザーズの中にも、オレたちに友好的な考えを持つ存在がいるはずだ。そういう存在をこちらの戦力にするのも、オレたちの世界を守る戦い方の1つのはずだ」


「黙れっ! なにをくだらんことを言っているっ! 害虫なぞ片っ端から斬り捨てるっ! それが我らの戦い方だっ!」


「それは違うぞ、ジャスミン・ホワイト。そういう力押しだけで倒せる相手なら、オレたちの神がとっくにやっている。そんなことぐらい、おまえにもわかっているはずだ」


「……なるほど。


 ネインは落ち着いた声で、自分の考えを素直に語った。そのとたん、ジャスミンは顔から怒りの色を消し去り、淡々とした表情でネインを見つめた。そしてすぐに妖刀を引っ込めて、感情のない声で付け加える。


「いいだろう。私は少し王都を離れ、2日後に結論を伝えにいく。おまえはそれまでにやるべきことを済ませておけ」


 そう言って、ジャスミンは再び歩き出す。そして1度も振り返ることなく、ネインたちの前から姿を消した。


「……どうしたんだろ、ジャスミン。なんだかいつもと雰囲気が違ったんだけど……」


 遠ざかるジャスミンの背中を眺めながら、シャーロットは心配そうに呟いた。


「ジャスミンは、シャーロットをさらった女たちと戦ったんだ。それで今は気が立っているんだろう」


「そっかぁ……。だったらわたし、あとできちんとお礼を言わなきゃ……」


 ネインの言葉を聞いて、シャーロットは悲しそうに言葉をこぼした。それからネインに顔を向けて、疑問をぶつけた。


「それで、ネインくん。結局これってどういうことなの? メナちゃんのこととか、さっきの悪い人たちのこととか、今のジャスミンの話とか、わたし、ぜんぜん意味がわかんないんだけど。いったいどうして、こんなことになったの?」


「……それはぜんぶ、オレのせいだ」


 シャーロットの問いかけに、ネインは重たい声で答えた。


「メナさんとシャーロットを巻き込んだのはオレだ。だから、シャーロットにはすべてを話そう」


 ネインはそう言って、王都のある南の方に足を向ける。そしてシャーロットと一緒に暗い星空の下を歩きながら、話を切り出す。


「……オレがさっき倒した男は、この世界の人間ではない。こことは違う別の世界からやってきた、異世界種アナザーズと呼ばれる存在だ」


「別の世界? それってどういう意味?」


「まさに文字どおりの意味だ。しかし、それを説明する前に話しておきたいことがある」


 ネインは上着の内ポケットから、小さな革袋を取り出した。そして中に入れていた白いカメオをシャーロットに手渡した。


「これって、誰かに渡すつもりのカメオでしょ?」


「そうだ。オレはそれを渡す相手をずっとさがしていた。そしてついさっき、その相手の名前を雨の魔女に教えてもらった」


 キョトンと首をかしげたシャーロットを、ネインは横目でチラリと見た。それから遠い星をまっすぐ見上げて言葉を続けた。


「そのカメオを彫ったのは、2か月前に死んだ前国王ぜんこくおう――サイラス・クランブリンだ」


「……えっ?」


 その瞬間、シャーロットはパチクリとまばたいた。ネインが口にした言葉の意味がすぐには理解できなかったからだ。しかしすぐにハッと気づき、鋭く息をのみ込んだ。


「うそ……。サイラス・クランブリンって……そんな、まさか……」


「そうだ――」


 呆然と声を漏らしたシャーロットの隣で、ネインは重々しくうなずいた。


「オレがさがしていた相手の名前は、シャーロット・クランブリン――。つまり、シャーロット。おまえだったんだ」


「なっ……!?」


 ネインがその名を口にしたとたん、シャーロットは今度こそ驚愕のあまり目を丸くした。さらに言葉を失って、その場に呆然と立ち尽くした。


 するとネインも足を止めて、ゆっくりと振り返る。そして真実を口にした。


「オレはサイラス・クランブリンの最期を看取みとった。しかし、サイラス王は病気で死んだわけではない。――」




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