第97話  たとえこの街を灰にしてでも――ダークレッド・レッドパラソル&ダークブルー・ライトマン


 わずかに赤く染まり始めた空の下、王都の石畳の道を赤い傘が滑らかに進んでいた――。


 それは木製の車椅子に固定された傘だった。その車椅子をゆっくりと押すのは黒いメイド服姿の若い女性で、傘の下には不機嫌そうに頬を膨らませた少女が座っていた。金色の髪を短く切った、白いドレス姿の少女だ。そしてその少女の隣には、軍服姿の若い男が車椅子と同じ速さで歩いていた。


 3人は住宅街の道をひたすら黙々と進んでいた。しかし不意に少女が男をじろりとにらみ上げ、不満に満ちあふれた声を叩きつけた。


「……おい、こら、クルース。おまえ、さっきからずっと黙っているが、本当にわかっているのか? もうすぐ4時だぞ? おまえがグズグズしていたせいで、3時のお茶会に間に合わなかったではないか。この落とし前、おまえはいったいどうやってつけるつもりなのだ?」


「はいはい、もちろんわかってるって。それはもう、本部を出る時に何回も謝っただろ……」


 少女に冷たい視線を向けられた男は、顔を曇らせながら短い茶色の髪をかき上げた。


「だけどな、アム。今日はバルカン将軍に呼び出されたんだから仕方ないだろ。それともなにか? 今日はお茶会があるから報告に行けません――って言えばよかったのか?」


「今日はお茶会があるから報告に行けませんって言えばよかっただろうがっ! 言えばよかっただろーがぁーっ!」


「おまえなぁ……そんな無茶苦茶な言い訳、できるわけないだろ……」


 いきなり怒鳴りつけてきたアムを見て、クルースは呆れ果てた息を漏らした。するとアムはさらに目をつり上げながらクルースをにらみつけた。


「何が無茶苦茶だ、このボケー。毎週土曜日はメナの家でお茶会だと決まっているではないか、この大ボケがー。それをバルカンだかマカロンだかカルカンだかホビロンだか知らんが、どこぞの馬の骨のために台無しにするとはいったいどういう了見りょうけんだコラー。われは絶対に許さんぞぉー。許さないったらほんとに許さないんだからなー、このボケナスがー。ボケナスクルースがー」


「おいおい……ボクたちの上司を馬の骨扱いするなよ……」


「何が上司だコラー。そんなモン知ったことかー。我は怒っているんだぞー。待ちくたびれたメナがケーキを全部食べちゃってたらどうすんだコラー。ほんとにもぉ、今日という今日はゼッタイゼッタイ許さんからなー。このスカポンタンのすっとこどっこいクルースがー」


「あー、もう、わかったわかった。それじゃあ帰りに、オルクラに寄ってケーキを買ってやるから、いい加減、そろそろ機嫌を――」


「――お嬢様、クルース様。お話はそこまででございます」


 不意に、車椅子を押していた黒髪の女性がクルースの声をさえぎった。その声の奥底に鋭い響きを感じ取ったクルースは、すぐさま表情を引き締めて訊き返した。


「ネンナさん? どうかしましたか?」


「はい。この付近一帯に、血の匂いが漂っています」


「血の匂い?」


 その言葉を聞いたとたん、クルースは歩きながら素早く周囲を見渡した。しかし、石の家が建ち並ぶ住宅街に異常はまったく見当たらなかった。歩道にはのんびりと散歩をしている大人たちの姿があり、近くの家の前庭では子どもたちが元気に走り回っている。どう見ても、いつもどおり平和そのものの光景だ。だからクルースは思わず首をかしげたが、そのとたん、アムが低い声で言い放った。


「ぼさっとするな、クルース。状況を考えろ」


「状況って言われても――」


 アムに言われて、クルースは髪を軽くかき上げながら思考を走らせた。すると不意にハッと気づいて顔を上げた。


「血の匂いが漂うということは、たしかにただ事ではない……。そしてこの住宅街において、ただ事ではない血生臭い事件に関わりを持ったことのある人物というと……まさか!」


「そのまさかだ。ネンナ、急ぐぞ」


「かしこまりました」


 アムの指示と同時に、ネンナは早足で車椅子を押し始めた。クルースもすぐさま駆け出し、一軒の家の小さな前庭に飛び込んだ。そこはアムと一緒に毎週訪れているメナの家だ。しかしクルースは目の前の光景を見た瞬間、反射的に腰の剣を素早く抜いた。


「アム! これは!」


「うむ。石の壁――大地魔法だな」


 クルースに追いついたアムが、メナの家を見て重々しくうなずいた。なぜか窓の前に大きな石の壁があり、家の中がまったく見えないようになっていたからだ。


「ネンナ。状況は」


「はい。人の気配はありません」


「気配がないって……」


 アムの言葉にネンナが淡々と答えたとたん、クルースはゴクリと唾をのみ込んだ。その言葉の裏にのか、聞かなくても想像がついたからだ。


「よし、クルース。家の中に突入しろ。油断はするな」


「わかった」


 アムの指示と同時にクルースはすぐさま玄関へと走り出した。そして剣を構えながら、開けっ放しのドアからメナの家に飛び込んだ。さらにそのまま居間の中に足を踏み入れたが、その瞬間――クルースは愕然と目を見開いて動きを止めた。


「こ……これはひどい……」


 クルースは思わず呆然と呟いた。居間の中央に椅子がポツリと置かれていて、そこに茶色い髪の小柄な少女が縛りつけられていたからだ。しかもその身にまとった白衣は真っ赤に染まり、少女の足元には赤い命が筋となって広がっていた。


 その少女はメナ・スミンズだった。


 メナは顔を上向きに固定されて、椅子に座ったまま完全に動きを止めていた。しかしクルースはメナのそばに駆け寄らず、周囲を警戒しながらゆっくりと近づいていく。なぜなら、メナの目と鼻と口からは血が流れ、腹に開いた穴からは内臓の一部がはみ出していたからだ。どう見ても、もはや手のほどこしようがないのは明らかだった。


「なんという……むごい殺し方をする……」


「……あまり見てやるな、クルースよ」


 クルースのあとから居間に入ってきたアムが、力の抜けた顔でメナの死体を見つめながら言葉をこぼした。


「メナは花も恥じらう乙女だからな……。無残な死に様なぞ、あまりヒトには見られたくあるまい……」


「だけどアム。この状況からすると、スミンズさんが殺されたのはおそらく数時間以内のはずだ。だったら今すぐ調べれば、何か犯人の手がかりが見つかるかもしれないだろ」


「よいのだクルース……。そんなものはもうどうでもよい……。手がかりなぞ、もうどうでもいいのだ……」


「はあ? アム。おまえ、何を言って――」


 アムは首を小さく横に振ってポツリと呟いた。その暗く沈んだ顔を見て、クルースは困惑顔で訊き返そうとしたが、その瞬間――慌ただしい足音が外からいきなり駆け込んできた。


「――メナさんっ!」


 アムとネンナの横に飛び込んできたのはネインだった。さらにネインは椅子に縛られたメナを一目見たとたん、両目を限界まで見開いた。そして他の3人には見向きもせず、手に持っていた紙包みを床に落としてメナの元に駆け出した。そのとたん、クルースがとっさに両腕を広げてネインの前に立ちはだかった。


「待ってください、ネインさん。スミンズさんはもう――」


「どけぇっ!」


 足を止められたネインは、クルースをにらみつけて脇をすり抜けようとした。しかしクルースは、さらにネインの進路をふさぎながら口を開いた。


「スミンズさんの体には、犯人を捜す手がかりがあるかもしれません」


「だからなんだぁっ!」


 クルースの言葉を聞いたとたん、ネインは怒鳴りながら胸の前で両手を打ち合わせた。そして次の瞬間、青い電流を体にまとったネインはメナの前に移動していた。


「――なっ!?」


 クルースは愕然と目を見開きながら反射的に振り返った。視界からネインの姿が一瞬で消えて、しかもその動きがまったく見えなかったからだ。


「い……今の動きはいったい……?」


「もういいだろう、クルースよ。ネインの好きにさせてやれ」


 メナを縛っている縄をナイフで切断し始めたネインを見ながら、アムはクルースに声をかけた。そしておもむろに右手の人差し指を上に向けた。するとネンナが小さくうなずき、車椅子をゆっくり押して、メナのそばにアムを運んだ。


「……ネインよ。メナの手を、われの方に向けるのだ」


「え……?」


 今にも泣き出しそうな顔でメナの手足を解放したネインは、ハッとして顔を上げた。するとアムが、メナの方に白い手を伸ばしていた。それでネインは1つうなずき、冷たくなったメナの手を、アムの手のひらにそっとのせた。


「メナよ……。そんなに泣くな。誰もおまえを責めはせぬ……」


 アムは瞳の中に淡い光を宿しながら、メナを見つめて呟いた。すると次の瞬間、メナの手を握るアムの手が、銀色の光を放ち始めた。その柔らかな光はメナの体に流れ込み、全身をゆっくりと包み込んでいく。


「アムさん……これは……?」


「期待するな。ただの気休めだ――」


 思わず呆然として尋ねたネインに、アムは首を小さく横に振った。


「我にはメナを生き返らせる力はない。できることといえば、この場にとどまり続けるメナの魂に、ほんのわずかな時を与えてやることだけだ。だからネインよ。メナの最後の言葉を、おまえがしっかりと受け止めるのだ」


「……はい。わかりました」


 静かに語ったアムを見つめて、ネインは唇を噛みしめながらうなずいた。そしてネインも、だらりと下がっていたメナの片手を握りしめた。すると次の瞬間、息が絶えていたメナの両目が薄く開いた。


「メナさんっ!」


 ネインは思わず声を張り上げた。しかしメナはネインの声に反応しなかった。


「ご……ごめん……なさい……」


 メナは焦点の合わない瞳を宙に向けたまま、かすかな声で謝った。


「パパとママ……ころすって……だから……しゃべって……ごめ……なさい……」


 メナは涙を流しながらもう1度謝った。そしてその濡れた瞳をネインに向けて、何度も何度も謝った。泣きながら、かすれる声で、ネインを見つめて謝った。


「……大丈夫です。何も問題はありません」


 ネインはメナの手を両手で握りしめて、奥歯を噛みしめながらメナの顔をまっすぐ見つめた。そして無理やり目元を和らげて、微笑みながらうなずいた。


「だからもう、泣かないでください。そして今はゆっくりと眠ってください。また今度、ケーキを持って会いに行きます。いつか必ず会いに行きますから……その時はまた、2人で一緒にお茶を飲みましょう……」


「ネイン……さん……」


 メナは最後にネインの名前を口にした。そしてすぐに、こと切れた。


 ネインはメナの手を握りしめたまま、血の海に膝をついた。そしてメナの膝に頭を落とし、無言で肩を震わせ続けた――。


「……おまえのことをいていたのだな。メナは穏やかな顔で旅立ったぞ」


 メナの冷たい手をネンナにたくしたアムが、宙を見つめながらポツリと言った。ネンナはその手をネインの前にそっと差し出す。ネインは自分の頬に流れた涙を拭い、その小さな手を受け取って、メナの膝にそっと置いた。


「……ありがとうございました」


「逆だ――」


 ネインはゆっくりと立ち上がり、アムに向かって丁寧に頭を下げた。するとアムは首を力なく横に振った。


「メナの魂が哀れな死霊デスレイにならずに済んだのは、ネインよ、おまえのおかげだ。我にとって、メナは久しぶりの茶飲み友達だったからな。我の方こそ礼を言わねばならん」


「いえ。メナさんを巻き込んだのはオレです。オレの考えが甘かったから、こんなことになったんです」


 ネインは壁際の机に目を向けて、悔しそうに顔を歪めた。小さなトレーの上には何もなく、置かれていたはずのコインが見当たらなかったからだ。


「どうやら、複雑な事情があったみたいだな……」


 アムはネインの表情と視線の先を見て、思案顔で口を開いた。


「それでネインよ。おまえは犯人に心当たりがあるのか?」


「……いえ。ですが、犯人はオレの名前と居場所を知りました。なので、オレは今すぐ行かなくてはいけません。だからアムさん。メナさんのことをお願いしてもいいですか?」


 ネインは真剣なまなざしでアムに言った。その言葉の裏にどういう意味が込められているのか、アムは即座に理解した。だからアムも、ネインを見上げてうなずいた。


「うむ。行くがいい」


「ありがとうございます」


 ネインはもう1度頭を下げた。そしてすぐさま走り出し、メナの家をあとにした。


「……おい、アム。ネインさんを放っておいていいのか?」


「べつにいいだろう」


 ネインが玄関から飛び出したあと、クルースが心配そうに眉を寄せてアムに訊いた。しかしアムはクルースの言葉を軽く受け流し、もはや言葉を交わすことができなくなった友に顔を向けた。


「求めるモノが同じなら、道はおのずとつながるものだ――。だからメナよ。今は安息神域セスタリアへとまっすぐ向かい、ソルラインにかれて眠るがよい。縁があればいつか再び、ともに茶を飲むこともあるだろう……」


 アムは深い悲しみをたたえた瞳でメナを見つめ、車椅子の背もたれに寄りかかった。そして疲れた顔で目を閉じて、先にった若き友のために祈りを捧げた。


 それからアムはゆっくりと目をひらき、宙をにらんで口を開いた。


「――ネンナ。今日は晴れだぞ」


「はい。問題ありません」


 アムの言葉にネンナは淡々と答え、車椅子を押してメナの家の外に出た。それでクルースも慌てて足を動かして、2人の背中を追いかけた。


「おい、アム。今日は晴れって、いったいどう意味だ?」


「そのままの意味に決まっているだろう」


 アムは膝にのせた赤い傘を握りしめ、赤みが増した空に顔を向けた。


「今日は風もない穏やかな天気だからな。にはもってこいだ」


「狩りって、おまえ……まさか……」


 クルースは驚きのあまり両目を見開き、慌ててネンナを振り返った。するとネンナは車椅子を押しながら、やはり淡々と口を開いた。


「スミンズ様の血の匂いを捕捉しました。これより犯人を追跡いたします」


「犯人を追跡って……そうか。だから手がかりはいらないと言ったのか」


「うむ。そういうことだ――」


 ようやく理解したクルースに、アムは1つうなずいた。


「それに、ネインにも頼まれたからな。メナのかたきは、我がこの手で直々じきじきにとってやる」


「いや、ネインさんのお願いはそういう意味じゃないだろ……」


 力のこもったアムの言葉を聞いたとたん、クルースは困惑顔でアムを見た。


「それより、アム。白昼堂々とスミンズさんを拷問ごうもんして殺すなんて、この犯人は明らかにその道の専門家だ。それに窓を覆ったあの石の壁を見ただろ。もしかするとスミンズさんを殺したのは、王位継承権者を暗殺した、あの2人組みの魔法使いかもしれないんだぞ」


「そんなことはわかっている。しかしなクルース。いくらおまえでも、今日ばかりは口出し無用。また1人、友に先立たれた我を止めることは絶対に許さぬ――」


 アムは瞳の中に冷たい光を宿しながら、はるかなる空の彼方をにらみつけた。


「考えが甘かったのはネインだけではない。我も同じだ。ならば、やるべきことはただ一つ――。相手がどこの誰であろうと容赦はせぬ。たとえこの街を灰にしてでも、メナのかたきは跡形もなく滅ぼしてやる――」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る