第95話  錬金術師と白天の闇――ダークサイド・デスフェイト


 澄み渡った青空の下、白衣姿の小柄な少女が石の道をのんびりと歩いていた。


 それは茶色い髪を2つのお下げに結ったメナだった。メナは茶色い紙で包んだ大きなケーキを両手で大事そうに抱えながら、住宅街の中をゆっくりと進んでいく。そして自分の家のドアを開けて中に入ると、居間のテーブルにケーキを置いて嬉しそうに微笑んだ。


「やったですぅ~。今日は新作のホワイトチョコレート・オレンジケーキが買えましたぁ~。きっとアムちゃんも大喜びですぅ~」


 メナは床に転がっている無数の本と実験道具を手早く片付け、アムの車椅子が通れるように道を作った。それから階段を駆け上がり、むかし着ていた王立女学院の制服を持って降りてきた。


「ネインさんはムリでしたけど、アムちゃんならきっとサイズがピッタリのはずなので、今日はこの制服を着てもらいましょ~。ぜったいすっごく似合うはずですぅ~。ふひひ」


 メナは壁際の机に制服を置き、ニンマリと微笑んだ。それから、少し早いけどお茶の準備をしておこうと考えて、台所に足を向けた。すると不意にノックの音が響いたので、首をかしげて振り返った。


「……はて? 3時までにはまだけっこう時間がありますが、アムちゃんでしょうか?」


 メナはわずかに疑問に思ったが、ノックの音が再び聞こえたので玄関のドアを開けた。するとそこには見知らぬ3人が立っていた。それはローブのフードで頭を隠した中年の男性と、長い黒髪を頭の後ろで結わえた少女、そして金色の髪を頭の左右で短い房にした少女だ。


「あのぉ、どちらさまでしょうかぁ?」


 メナはキョトンとしながら、不意の来訪者たちを順に見た。すると、中年の男もパチクリとまばたいて、連れの少女たちに目を向けた。


「……おい。子どもじゃねーか。ほんとにこいつなのか?」


「私も本人を見たのは初めてだけど、外見は子どもっぽいってザジさんが言ってたから、たぶんそうだと思います。――ステータス・オン」


 男に訊かれた黒髪の少女もわずかに困惑した表情を浮かべて答え、メナの頭の横に目を向けた。


「――メナ・スミンズ。18歳。職業は錬金術師アルケミスト。能力値は青白天位せいはくてんい識聖しきせいクラス。薬師ナチュラススキルはコンプリート。錬金術師アルケミストスキルは研究リサーチ読書リーディング本質眼トゥルーネイチャーを習得。知力が337もある天才なので間違いないです」


「まったく……。マジでイヤな仕事を押しつけてくれるぜ……」


 淡々とした少女の言葉を耳にした男は、呆れ果てた息を漏らした。そして同時に、メナは慌ててドアを閉めた。


 メナやシャーロットと同い年ぐらいの少女が2人もいたので、メナは完全に油断していた。しかし、黒髪の少女はメナを見て、『錬金術師アルケミスト』という単語を口にした。今までにそれと同じ言葉を使ったのは、メナを3度も襲おうとした5人組の男たちだけだ。ということは、つまり――。


(間違いありません……。この人たちは、異世界種アナザーズです……)


 メナは自分が危機的状況におちいっていることを瞬時に理解した。だからドアに素早く鍵をかけて、全速力で裏口に走った。


 今はとにかく家から脱出して、ソフィア寮にいるネインのところまで逃げる――。


 メナはそれだけを考えて居間に駆け込んだ。さらに本や実験道具を蹴り飛ばして突っ走り、台所の奥にあるドアを押し開けた。――と思ったが、なぜかドアがうんともすんとも動かなかった。鍵はかかっていないはずなのに、ドア自体がピクリとも動かない。


「これは、何かの魔法ですね……」


 メナは即座に状況を把握して、脱出経路を検討した。


 玄関のドアの外には異世界種アナザーズが3人いる。裏口もすでにふさがれた。だとすると、窓もすべて押さえられていると見た方がいい。そうなると、残された可能性は――。


「暖炉の煙突――。しかしそれは向こうもすぐに思いつくはず。だったら、向こうが想定できない道が唯一の活路――。そうすると、屋根裏部屋の壁を破るしかありません」


 メナは数秒で方針を定め、階段に向かって駆け出した。屋根裏部屋の壁の一部は薄い板張りなのをメナは把握していた。だから力の弱いメナでも、手斧があれば簡単に穴を開けることができる。


 メナは瞬時にそう計算し、階段を駆け上がった。しかしその瞬間、メナはピタリと足を止めて、愕然と目を剥いた。玄関先にいたはずの男が、なぜか2階からゆっくりと降りてきたからだ。


「――くっ!」


 メナは奥歯を噛みしめて男をにらみ上げた。そうでもしないと恐怖で心が押しつぶされそうだったからだ。退路を断たれたと悟ったメナは階段を素早く駆け下り、居間に転がっていた本を一冊手に取った。そしてすぐさま、窓に向かって投げつけた。窓を派手に割れば、誰かが異変に気づくと思ったからだ。


 しかし次の瞬間、メナは目を丸くした。窓の外がいきなり灰色に塗りつぶされたからだ。しかもメナが投げた本は窓ガラスを破ったが、突如として現れた灰色の壁にぶつかって跳ね返り、部屋の中に転がった。


「なっ、なに!? 岩の壁ですか!?」


「――正解」


 メナが呆然と言葉を漏らしたとたん、玄関の方から歩いてきた黒髪の少女が淡々と声を発した。その手には不気味な緑色に輝く刀が握られている。その刀を見た瞬間、メナはさらに驚きの声を張り上げた。


「そっ! その刀はまさかっ! あの5人と同じ武器っ!?」


「……ああ。やっぱりあんた、うちの男子たちを知ってんだ」


「ハッ!」


 メナは慌てて口を押さえた。しかし、時すでに遅し――。黒髪の少女は明らかに剣呑けんのんな気配をまといながら、メナの方に近づいていく。


「あんたもしかして、うちの男子たちを殺したヤツを知ってんの?」


 黒髪の少女は凍てつくような目でメナを見つめて問いただした。しかしメナは唇を噛みしめて、無言で黒髪少女をにらみ返す。


「ああ、その態度を見れば私でもわかるわ。あんた、絶対知ってるね」


「――やったね、ヨッシー。あたしたち、ジャコンさんを案内してきて正解だったね」


 不意に後ろから声が聞こえてきたので、メナは慌てて振り返った。すると、金色の髪の少女もいつの間にか家の中に入っていた。しかも最後の脱出路として考えていた暖炉の前で、青く輝く刀を握りしめている。さらに階段を降りてきた男もメナの近くで足を止めたので、メナは完全に逃げ道を失った。


「だけどフウナ。私たちは手を出しちゃダメよ」


「え~? なんでぇ~?」


 ヨッシーは、今にもメナに飛びかかりそうな顔をしているフウナに片手を向けて動きを制した。


「私たちだとほぼ間違いなく、一瞬でぶっ殺しちゃうからよ。だいたい、こんな弱い子に男子たちが殺されるはずがないでしょ。だったら殺したヤツは他にいる。そいつの名前を聞き出さないと意味がないからね」


「……ま、そういうこったな。そのために、わざわざ俺を呼んだんだろ」


 ヨッシーの言葉を聞いたとたん、ジャコンが首を縦に振った。それでヨッシーとフウナも1つうなずき、刀を腰の鞘に収めた。


「む……ムダですよ。わたしは何も知りませんから」


 不意にメナがジャコンに顔を向けて言い放った。3人の話しぶりから、ジャコンがリーダーだと判断したからだ。


「それに、今日は土曜日だからお客様がすぐに来ます。しかもその3人は警備軍の人たちです。窓があんな岩でふさがれていたら、すぐにおかしいと気づきます。そしたらあなたたちはすぐに捕まってしまうはずです。逃げるなら今のうちだと思いますけど」


「ふむ……。どうやらそれは、嘘ではなさそうだな」


 ジャコンはテーブルに置かれたケーキの包みを見てうなずいた。


「その小さな体で、あれだけのケーキを食べるのはちょっと考えにくいからな」


「――だったらジャコンさん。場所を変えますか? 使われていない教会が王都の郊外にありますけど」


「いや、その必要はないだろ」


 声をかけてきたヨッシーに、ジャコンは指を1本立てて答えた。


「嘘をつくと、どんなヤツでも無意識に目が泳ぐ。しかし、こいつの視線はブレなかった。だけど、声にちょっとだけ力が抜けていた。ということは、基本的に嘘はついていないが、言葉の一部に自信がないってところだな。そうすると、問題はどこに自信がないかってことだが――」


 ジャコンはメナの目をのぞき込むように見下ろした。


「この国のお茶会は、たしか3時に始めるのが定番だったはず。そして今はまだ1時を過ぎたばかりだ。つまり、この家にはたしかに客が来る予定がある。しかしそれは午後の3時だ。だから客はすぐには来ない。それがわかっているから、不安で声が低くなったんだな」


「……あなたはいったい何者なんですか」


 自分の言葉の裏を完璧に分析したジャコンを、メナはにらみ上げながら質問した。するとジャコンはニヤリと笑い、フードを脱いで頭を出した。そのとたん、メナはジャコンの耳を見て目を見開いた。


「その耳は……泉人族エルフですね」


「ああ、そうだ。俺は北西大陸ジブルーンにある、ノジルの村から来た泉人族エルフ、ジャコン・イグバだ。そして、カロン宮殿を襲撃して、7人の王位継承権者を暗殺した男だ」


「あっ!? 暗殺!? そんな!? まさか……!?」


 ジャコンの自己紹介を聞いたとたん、メナは思わず絶句した。するとヨッシーもパチクリとまばたいて口を開いた。


「え? あれってジャコンさんの仕事だったんですか?」


「まあな。ちょいと厄介なヤツに仕事を頼まれたんだが、国のトップにいる腐った貴族どもをまとめて殺せるっていうんで引き受けたんだ」


「実は私たちもなんです。かなり強い悪魔に仕事を依頼されて、王族を3人暗殺したんです」


「なんだ。それじゃあ、どこかの屋敷を岩で潰したのはおまえたちの仕業だったのか」


「それと、カトレアってお姫様を殺したのは、うちのギルメンです。だけど、その仲間たちは何者かに殺されてしまいました」


 そう言って、ヨッシーは再び殺意を込めた目でメナを見据えた。


 メナもあごを引いてヨッシーをにらみ返したが、心臓は早鐘のように鼓動していた。王族を殺した暗殺者たちが、まさか自分の目の前にまとめて現れるとは想像すらしていなかったからだ。しかも2人の少女は、ネインが倒した5人の男を自分たちの仲間だと口にした。そして仲間たちを殺した人物をメナが知っていると察し、少女たちは憎悪に燃える瞳でメナをにらみつけている。


(これは……かなりまずいです……)


 メナは脱出方法を必死に考えながら、目だけで周囲を素早く見渡した。しかし玄関も裏口も、窓も暖炉も階段も完全に押さえられていて逃げ道は1つもない。このままでは確実に殺される。だったら、生き延びるために残された最後の可能性は――。


「……ゲートコインか?」


「えっ!?」


 不意に口を開いたジャコンの言葉を聞いたとたん、メナは完全に度肝を抜かれた。それはまさにメナが考えていた最後の希望だったからだ。だからメナは少しの間、頭の中が真っ白になった。その動揺を隠せないメナの顔を見下ろしながら、ジャコンは淡々と続きを話した。


「べつに難しい推測じゃない。暗殺者に囲まれて逃げ道もないとなると、殺されることはもう確実だ。だったらあとは、生き返ることのできるゲートコインを使うしかない。ゲートコインの効果を知っている転生者なら誰だってそう考えるからな。――しかしおまえは、転生者ではない」


 ジャコンはメナを見つめる目に力を込めた。


「いいか、メナ・スミンズ。おまえがゲートコインを調べていることはすでにバレている。だから答えてもらおうか。おまえにゲートコインを渡したのは誰だ。そして、転生者を殺したヤツは誰だ」


「……何のお話だかさっぱりわかりません」


「こいつっ! ふざけんなっ!」


 メナが低い声で答えたとたん、フウナがいきなり怒りの声を張り上げた。さらにすぐさまメナに向かって歩き出したが、ジャコンが片手を向けて止まらせた。


「落ち着け。それができないんなら外に出ていろ。それもイヤって言うんなら、おまえから先に殺す」


「なによっ! だったらさっさと聞き出してよっ!」


 フウナは怒りに任せてテーブルの上の紙包みを床に叩き落とし、思い切り踏みつけた。そんなフウナを見てジャコンは軽く肩をすくめ、壁際の机に足を向けた。そして小さなトレーを覆っていた布をつまみ上げて、その下にあった白銀のコインを手に取った。


「……人間の心ってのは目に現れる。俺がゲートコインのことを口にした瞬間、おまえはこの机に視線を投げた」


 ジャコンはメナを振り返り、さとすように語りかけた。


「これでおまえの希望はなくなった。だからもう諦めて、知っていることをすべて話せ。そしたらおまえの命だけは見逃してやる」


「……もう1度いいますが、何のお話だかさっぱりわかりません」


 メナは恐怖で震える手をこぶしに握り、ジャコンをまっすぐ見据えて言い返した。その悲壮な気迫のこもったメナの顔を見て、ジャコンは首を横に小さく振った。


「いい目だ……。そんなまっすぐな目を見るのは久しぶりだ――。いや、この前のワインショップでも、同じような目を見たか……。こんなしょぼい国にも、骨のあるヤツはけっこういるみたいだな」


 ジャコンはゲートコインを腰の小さな革袋にしまい、テーブルに尻を当てて寄りかかった。


「そんな目をするのは、自分にとって大切な人間をかばう時だ。そんなヤツの口を割らせるのは本当に気が進まないんだが――悪いな、メナ・スミンズ。俺も遊びで来ているわけじゃないんだよ。だから、素直にしゃべらないというのなら、それなりの方法を取らせてもらう」


「何をするのか知りませんが、どうぞ好きにしてください。だけど、わたしは何も知りませんから、あなたたちが何をやっても時間のムダです」


「だといいけどな」


 メナは再び低い声でジャコンに言った。しかしジャコンは薄い笑いを浮かべながら、自分の頬を指さした。


「前にちょっと耳にしたことがあるんだが、人間の体で一番痛みを感じるのは歯の根元だそうだ。それで昔、ある魔法使いの奥歯を抜いて、剥き出しの歯茎に鉄の串を突き刺してみたことがあるんだが、たしかに狂ったように泣き叫んでいたな」


「な……なんてひどいことを……」


 メナは思わず自分の体を抱きしめてあとずさった。そんなメナを見つめながら、ジャコンは淡々と続きを話す。


「だけどな、そいつはどれだけ痛めつけても俺の質問に答えなかった。どうやら、脳みそを焼くような激痛にも耐えられる人間ってのはけっこう多いらしい。それで俺は少し方法を変えてみたんだが、そしたら今度はあっさりと質問に答えやがった。それこそ、こっちが拍子抜けするくらいあっさりとな。そこで質問だが、俺はいったいどうやって、その魔法使いの口を割らせたかわかるか?」


「そんなの、知りたくもありません……」


 ジャコンの話を聞いて、メナの体は恐怖で震え始めていた。ジャコンが口にした方法とやらは想像すらできないが、それが自分の身に振りかかってくることは明白だったからだ。そんな恐怖におびえたメナを見て、ジャコンはニヤリと笑いながら右手を前に差し出した。


「その答えはこれだ。転生武具ハービンアームズ蒼穹霊輪ミドラーシュ発動――」


 その瞬間、右手の中指にはめた青い指輪が淡い光を放ち始めた。すると下に向けた手のひらから、小さな黒い粒が滝のように流れ出した。


「えっ!? なに!? 黒い影……じゃない! それはまさかっ!」


 ジャコンの手のひらから無限にあふれ出てくる黒い塊を見たメナは、限界まで両目を見開いた。さらにその小さな物体の正体を知ったとたん、かつてない恐怖がメナの全身を貫いた。


 手も足も激しく震え出したメナは腰を抜かしてへたりこみ、床に落ちてうごめき出した無数の黒い粒から逃げるようにあとずさった。しかしすぐに壁にぶつかり、もはや動くことすらできなくなった。


「……さっきも言ったが、俺はこいつらを使ってカロン宮殿を襲撃した。そしてその場にいた人間は、すべて。だから俺の通り名は『暴食ヴォレイシャス』って言うんだ」


 ジャコンは手のひらから黒い粒を垂れ流しながら、ゆっくりとメナに近づいていく。とめどなく流れ落ちる黒い粒は床を覆うように広がっていき、さらに壁を登って天井まで達していた。その黒く塗りつぶされていく家の中を、メナは震え上がりながら見ていることしかできなかった。


「さて、メナ・スミンズよ。話を元に戻そうか――」


 もはや果てしない恐怖で思考が麻痺したメナの前に、ジャコンはしゃがみこんで顔を近づけた。


「死ぬほどの激痛に耐えた魔法使いの頑固な口を、俺がどうやって割らせたかわかるか?」


 その問いに、メナは何も答えられなかった。すでに限界を超えた恐怖のせいで、メナのあごは激しく震え、一言も声が出せなかった。するとジャコンは左手でメナのあごを握りしめ、強引に口を開かせた。そして黒い粒が無限にあふれ出る右手をメナの顔にゆっくりと近づけながら、邪悪に笑った。


「答えはこれだ。どんなに痛みに強いヤツでも、想像を超える恐怖には耐えられない。だから俺はこいつらをその魔法使いの口に流し込んで――



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