第86話  突発性運命症候群のお姫さま――プリンセス・オブ・イディオパシック・デスティニー・シンドローム その2


「ちょっとネインくん! いきなり本名を名乗ってどうすんのよ!」


 ジャスミンと別れてソフィア寮の外に出たシャーロットが、ネインの顔を指さして怒鳴りつけた。ネインがジャスミンに自己紹介した時、自分の本名をポロリと漏らしたからだ。しかしシャーロットの隣を歩くネインは特に気にするふうもなく、淡々と口を開いた。


「うっかり」


「いや、うっかりで済ませちゃダメでしょ……」


 シャーロットは思わずガックリと肩を落とし、呆れ顔で息を吐いた。


 ネインは水路に落ちて溺れかけたシャーロットを水から引き揚げ、乱暴な5人の男たちをメナの家から追い払った恩人だ。だからシャーロットの中のネインのイメージはとても頼りになる男の子だったのだが、今はそのイメージが、まるで砂の城のように崩れていく感じがしてならなかった。


「ネインくんってもしかして、けっこうドジっ子なの?」


「そうだな。幼なじみのチェルシーには、いつもそういうふうに言われているな」


「あっそ。やっぱりそうなんだ……」


 自分を飾ることなく淡々と答えたネインを見て、シャーロットは納得顔でうなずいた。


「でも、メナちゃんはネインくんのこと、すっごくほめてたよ。なんか、かなりおっきなモンスターをネインくんが1人でやっつけたんでしょ? そういう話を聞くと、ぜんぜんドジっ子には思えないんだけど」


「ああ、モンスターというのはあれのことか。たしかにあれは、メナさんよりちょっとだけ大きかったからな」


「なーんだ。おっきいって、メナちゃんより大きいって意味だったんだぁ。なんかメナちゃんの話だと、森の木よりも大きな化け物って感じに聞こえたんだけど、さすがにそんなの人間に倒せるわけないもんねぇ~」


「そうだな。メナさんは優しいから、オレのことをほめるために話を少し大げさにしたんだろ」


「たぶん、そんなところだねぇ~」


 シャーロットとネインはのんびり話しながら王立女学院の正門から外に出た。そしてそのまま広い通りを2人並んで進んでいく。


「それでネインくんは、なんで魔女の手伝いをしているの?」


「魔女契約を結ぶためだ」


「ふーん。それじゃあ、どうしてその魔女契約を結びたいの?」


「その理由は2つある」


 ネインは前を向いたまま、指を2本立ててみせた。


「1つは、魔女契約を結んでおくと、何か困ったことがあった時に魔女の魔法で助けてもらえるからだ」


「へぇ~、そうなんだぁ。それは便利そうだねぇ~。それじゃあ、もう1つの理由は?」


「一言で言うと、情報のためだ」


「情報?」


「そうだ。魔女というのは基本的に、魔女の組織『黒の血脈ブラックベール』に加入している。そしてその組織には、世界中の魔女たちが長年集めてきた膨大な情報が蓄積されている。その情報を使って、ある人を探すためだ」


「人探しって、誰を探しているの?」


「それは――」


「あのぉ、すいません」


 シャーロットに質問されたネインは、上着の内ポケットに手を入れて、小さな革袋を取り出した。しかしそのとたん、近くを歩いていた若い男がいきなりネインに声をかけてきた。


「ちょっと道に迷ってしまったんですが、冒険職アルチザン協会へはどう行けばいいか教えてもらえませんか?」


 道を尋ねてきた男はなぜかニヤニヤと笑いながらネインを見つめている。するとネインは即座に手のひらを男に向けた。


「道なら警備兵に訊いてください」


 ネインは淡々とそう言い放ち、再びスタスタと歩き出す。その素っ気なさすぎる対応にシャーロットは一瞬呆然として、慌ててネインの背中を追いかけた。するとシャーロットが追いつく前に、また別の若い男がネインに声をかけてきた。


「へぇい、ちょっといいかい?」


「イヤです」


「あのさぁ、ちょっと急な話でアレなんだけどさぁ、この近くにシャレオツな感じのカッフェーがあるんだけどさぁ、ちょっと俺と一緒にそこのカッフェーに付き合っちゃったりなんかしちゃったりしないかい? というかもぅ、ほんとそのカッフェーってシャレオツ感がパねぇからさぁ、気軽に俺と付き合っちゃおうぜぇ~」


「付き合いません」


 かなり馴れ馴れしい口調で話を切り出してきた男に、ネインはまたしても即座に断って歩き出す。するとまたまた別の男がネインの前に立ちはだかり、親指を立ててポーズを決めながら口を開いた。


「おっと、おっと、おっとっとぉ~。こいつぁ困った小猫ちゃんだぜ。悪いな、お嬢さん。金ならいくらでも払うから、俺の大事なものを返してくれないか? そう。キミは俺のハートを奪った恋の海賊なのさ。だから今日は俺という港に上陸して、愛という名の海賊旗かいぞくきに包まれていかないか? それがこの広い世界で巡り合った、俺と小猫ちゃんの運命という名の大海原おおうなばらなのさ」


「意味がわかりません」


 ネインはもはや相手の顔に目も向けず、男の横を問答無用で通り過ぎた。


「ネ……ネインくん? なんなの? 今の人たちは?」


 シャーロットは早足で歩くネインを全力ダッシュで追いかけて、後ろを振り返りながらネインに訊いた。


「さあな。オレにも理由はまったくわからないが、今日は朝からあんな感じで話しかけてくる男が多いんだ」


「え? 朝からってまさか、ソフィア寮に来る前からってこと?」


「ああ。下手に返事をするとしつこく食い下がってくるから、相手にしない方がいい」


「へぇ、そうなんだぁ。男の人って、変な人が多いんだねぇ。なんかちょっと気持ち悪いかも」


「まったくだ。しかし昨日まではこんなことがなかったのに、なんで今日に限ってこんなに絡まれるのか、まるでわけがわからない」


 ネインは不機嫌そうに呟いて、長い息を吐き出した。


「それじゃあ、顔を隠してみたら?」


「顔を隠す?」


「うん。ネインくんってけっこうかわいい顔をしてるから、もしかしたらそれで話しかけられるんじゃないかなぁ? だから、少しうつむき加減にして顔を隠したら、誰も話しかけてこなくなるかも」


「なるほど……。顔を隠すというのはたしかに効果がありそうだな……」


 シャーロットのふとした思いつきを、ネインは真剣な表情で検討した。それからすぐに1つうなずくと、肩掛けカバンから青い仮面を取り出して顔につけた。


「よし。これなら誰も話しかけてこないだろ」


「いや、それはさすがにちょっと……」


 不気味な模様が描かれた青い仮面を見たとたん、シャーロットは渋い顔で首をかしげた。


「そんな恐ろしそうな仮面をつけたら、話しかけるどころか、みんな怖がって逃げちゃうような気がするんだけど……」


「そうか。しかし、手持ちの仮面はこれしかないんだ」


「いや、仮面の手持ちがある人なんか普通はいないでしょ……」


「この仮面ではダメか?」


「あ~、どうかなぁ……」


 ネインに訊かれたシャーロットは少しだけ悩んだが、すぐに考えるのが面倒になってうなずいた。


「まぁ、いいんじゃない? わたしはべつに気にならないし」


「そうか。では、このまま行こう」


 シャーロットの同意を得たネインは、青い仮面を装着したまま歩き続けた。そして、自分の進路上の歩行者たちが慌てて左右に避けることに気づかないまま、上着の内ポケットから取り出した小さな革袋をシャーロットに向けた。


「それではさっきの話の続きだが、この中にはある人の形見の品が入っている。これをその人の子どもに渡したいんだが、どこにいるのかわからない。だから魔女の情報網を使って、その子どもを探したいんだ」


「なるほどねぇ、そういうことだったんだぁ」


 ネインの話を聞いたとたん、シャーロットは革袋を眺めながら感心した声を漏らした。


「形見の品を届けてあげるなんて、ネインくんってやっぱり優しいんだぁ」


「オレがあの人の子どもだったら、形見の品を受け取りたいと思う。それだけだ」


「そっかぁ。ネインくんがそういうふうに思ったってことは、その人はきっとすごくいい人だったんだねぇ~」


「そうだな……。あの人はたぶん、この国で一番立派な人だったと思う……」


 何気なく口にしたシャーロットの言葉を耳にして、ネインは歩きながら薄い曇り空に顔を向けた。そしてはるか遠い彼方を見つめながら、仮面の下で小さな息を吐き出した。




 それからしばらくして、ネインとシャーロットは警備軍の本部がある大きな建物に到着した。


 受付の警備兵にクルース・マクロンの名前を告げると、即応治安維持部隊、第6小隊の部屋を教えてもらったので、2人は石造りの長い廊下に足を向けた。


「そういえば、まだ理由を聞いていなかったけど、なんでクルースさんに会うのにわたしを連れてきたの?」


「それには2つ理由がある」


 歩きながらふと質問してきたシャーロットに、ネインは再び指を2本立ててみせた。


「1つは相手の確認だ。メナさんの話だと、そのクルース・マクロンという男はオレと話をしたいそうだが、オレはその男の顔を知らない。だから顔を知っている人間が必要だった」


「え? なんで? べつに顔を知らなくても、クルースさんの部屋に行けば、クルースさんに会えるに決まってるじゃない」


「相手がクルースと名乗っても、オレには本物かどうか判断できない。そういうことだ」


「え……? ごめん。ちょっとなに言ってるのか、意味がよくわかんないんだけど……」


「べつに大したことではないから気にしなくていい」


 ネインが何を考えているのかサッパリ理解できなかったシャーロットは、思わず首をひねりまくった。しかしネインはシャーロットの疑問をあっさり流して言葉を続けた。


「もう1つの理由は、第三者がいると、向こうは強硬手段を取りにくいからだ」


「強硬手段……? それってどういう意味?」


「そのままの意味だ。クルース・マクロンはオレを捕まえようとする可能性がある。しかし無関係の子どもがいれば、あまり強引なことはできない。そういうことだ」


「うん。ぜんぜん意味わかんない」


 やはりネインの話がまったく理解できなかったシャーロットは、思わず開き直ってうなずいた。


「というかネインくん。クルースさんに捕まるような悪いことしたの?」


「どうかな。善と悪の判断は、立場によって簡単に変化する。クルース・マクロンがオレの話を聞いた時、どういう反応をするか予想できないからな」


「あっそ……。ネインくんって、なんだか小難こむずかしい言葉を使うんだね。わけわかんない」


「わかりにくい言葉というのは、話を誤魔化したい時に使うものだからな。――さあ、ついたぞ」


 シャーロットは軽くふてくされて頬を膨らませたが、ネインは気にすることなく1つの部屋の前で足を止めた。そして木製のドアを軽くノックすると、すぐにドアが開き、若い女性が姿を現した。黒い髪を肩まで伸ばした、黒いメイド服姿の女性だ。ドアの内側に立った女性は、澄ました顔のままネインを見てからシャーロットに体を向けて、丁寧に頭を下げた。


「お久しぶりでございます。シャーロット・ナクタン様」


「こんにちは、ネンナさん」


 シャーロットはニッコリと微笑んで、隣に立つネインに片手を向けた。


「えっとですね、この子がクルースさんにお会いしたいというので一緒に来たんですけど、クルースさんはいらっしゃいますか?」


「はい。クルースでしたらいつものように椅子の上でふんぞり返り、ろくに仕事もせずに無駄に茶を飲んでおります。すぐにお取り次ぎいたしますので、どうぞ中へお入りください」


 ネンナは淡々とそう答え、2人を部屋に招き入れた。


 ネインとシャーロットが中に入ると、そこは石造りの広い部屋だった。部屋の中央には応接用のソファとローテーブルがあり、窓際にはしっかりとした造りの机が置いてある。ソファの横には木製の車椅子が置いてあり、白いドレス姿の少女がよだれを垂らして眠っている。そして窓際の机では、書類を手にした茶色い髪の男が顔を上げて、ネンナをじっとりとした目つきで見つめながら口を開いた。


「えっと、ネンナさん? ボク、けっこう真面目に働いていると思うんですけど……」


 ネンナの話が聞こえていた若い男はささやかな抗議の声を上げたが、ネンナは男の言葉を軽く無視して机に近づいていく。そして机の前で足を止めると、やはり澄ました顔で男を見下ろしながら淡々と口を開いた。


「おい、クルース様。お客様がいらっしゃいましたので、さっさとお相手して差し上げろ」


「はい……わかりました……」


 いつもどおり冷たいネンナの物言いに、クルースは口ごたえすることなくうなずいた。そしてすぐに立ち上がり、部屋の入口で待っていたシャーロットとネインの前に足を運んだ。


「こんにちは、シャーロットさん」


「こんにちは、クルースさん。突然お邪魔してすいません」


「いえいえ。それはべつにかまわないのですが、こちらの方は?」


 クルースはわずかに首をひねり、シャーロットの隣に立つ赤毛のウィッグをつけたネインに顔を向けた。するとネインは、シャーロットの紹介を待たずに口を開いた。


「初めまして。オレはネイン・スラートと言います」


 その瞬間、クルースは思わずパチクリとまばたいた。見た目は少女のネインの口から、男の声が出てきたからだ。さらに車椅子で眠っていた短い金髪の少女もゆっくりと目を開き、寝ぼけまなこでネインとシャーロットを眺めている。


「キミは、えっと……男の子なのかい?」


「はい。見てのとおり男です」


「いや、今はどう見ても女の子でしょうが」


 クルースの問いにネインが淡々と答えたとたん、シャーロットは反射的にネインの肩を軽く叩いた。


「そ、そうですか。事情はよくわかりませんが、とりあえずお座りください」


 クルースは思わず苦笑いしながらネインとシャーロットをソファに案内して、2人の向かいに腰を下ろした。すると隣の部屋から戻ってきたネンナがローテーブルに湯気の立つカップを3つ並べ、車椅子の少女にもカップを1つ手渡した。


「それではえっと、改めまして、ボクは王国警備軍の王都守備隊、即応治安維持部隊、第6小隊のクルース・マクロンです。同席しているのはアム・ターラとネンナ・ポーチで、2人ともボクの部下になります。それで、キミがイラスナ火山までメナ・スミンズさんを護衛したネイン・スラートさんでよろしいですか?」


「はい。あなたがオレと話をしたいと、メナさんから聞きました」


 穏やかな声で尋ねてきたクルースに、ネインは素直にうなずいた。


「そうですか。わざわざお越しいただいてありがとうございます。それではキミに、少し伺いたいことがあるのですが――」


「やったのはオレです」


「はい?」


 クルースが本題に入ろうとしたとたん、不意にネインが淡々と言い放った。その言葉の意味が理解できなかったクルースは思わず首を軽くかしげた。そんなクルースをまっすぐ見つめたまま、ネインはさらに言葉を続けた。


「あなたが捜している5人の男はもういません。オレが全員、殺しました」


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