第20章  突発性運命症候群のお姫様――プリンセス・オブ・イディオパシック・デスティニー・シンドローム

第85話  突発性運命症候群のお姫さま――プリンセス・オブ・イディオパシック・デスティニー・シンドローム その1


 石造りの部屋の中で、ベッドに横たわる少女がうれいに満ちた声を漏らした――。


 それは金色の髪を肩まで伸ばしたシャーロットだった。部屋に2つあるベッドの片方で寝ていたシャーロットは、石の天井をひたすら呆然と眺め続けている。そして、朝起きてから何度目になるかわからない長いため息を吐いて、疲れ切った声をこぼした。


「あぁ……もう、ほんとにどうしよぉ……。王位継承権者に名乗りを上げるかどうか、あと4日で返事をしなくちゃいけないのに、決心がぜんぜん固まらないんだけど……」


 眉間にしわを寄せて悩むシャーロットは左右にゴロゴロと寝返りを打ち、膝を抱えて丸まった。


「でもさぁ~、そんなのしょうがないじゃん……。わたしにとっては一生の問題なんだもん……。それをさぁ~、あとたったの4日で決めろって、そんなの絶対ムリに決まってるじゃない……。まあ、考える時間は6週間以上あったわけだから、今さら言い訳とかできないってわかってるけど……。あー、だけどムリ。ほんとムリ。ムリムリムリムリ、ぜったいムリ。もぉかんぺき、ムーリーざーまーすー……ふぁっ?」


 シャーロットは半分白目をいてもだえながら駄々をこねた。すると不意にドアをノックする音が聞こえたので反射的に顔を上げた。


「……はて? こんな朝から誰だろ?」


 シャーロットはベッドから起き上がり、首をひねりながらドアの方に足を向けた。


 今のソフィア寮には生徒がほとんどいないので、シャーロットの部屋を訪れるのはクレアかジャスミンしかいなかった。しかし、クレアならノックと同時にさっさと部屋に入ってくるし、ジャスミンのノックはもっと柔らかくてリズミカルだ。今みたいな事務的で冷たい印象のノックをしたことは1度もない。


 だからシャーロットはわずかに嫌な予感を覚えながら、ドアをそっと開けてみた。すると廊下に立っていたのは、黒い修道服に身を包んだ、短い栗色の髪の女性だった。


「おはようございます、ナクタンさん」


「お、おはようございます、シスタールイズ……」


 シャーロットを見下ろしながら淡々と口を開いたのは、ソフィア寮を監督する寮監りょうかん、シスタールイズだった。


(え~、なんだろぉ……。わたし、またなにか怒られるようなことしたかなぁ……?)


 シャーロットはドアを半分だけ開けて、一回り年上の修道女におずおずと顔を向けた。ソフィア寮の責任者であるシスタールイズがシャーロットの部屋を訪れるのは、お説教か連絡事項がある時だけと決まっていたからだ。だからシャーロットは思わず身構えたのだが、シスタールイズはシャーロットの部屋を見渡しながら、やはり淡々と言葉を続けた。


「……そうですね。まあ、いいでしょう。ベッドは少し乱れていますが、それなりに片付けているみたいですね」


「あ、はい。今は授業がなくて暇ですから……」


「そうですか。それでは、来週以降もきちんと掃除をするように心がけてください」


「はい、わかりました……」


 はて? なんで来週以降なんだろう? とシャーロットは疑問に思ったが、何も訊かずにうなずいた。下手に質問して、またネチネチ怒られるのは嫌だったからだ。するとシャーロットの心の動きを読んだのか、シスタールイズはシャーロットを見つめて続きを話した。


「それでは連絡事項をお伝えします。5月2日、つまり来週の月曜日から、授業が再開することになりました」


「あっ、そうなんですかぁ」


 その話を聞いたとたん、シャーロットは思わずホッと胸をなで下ろした。お説教ではないとわかって安心したこともあるが、授業が再開すれば実家に帰っていた生徒たちが戻ってきて、またソフィア寮が活気づくと思ったからだ。しかし話の続きを耳にした瞬間、シャーロットはパチクリとまばたいた。


「それと、連絡事項はもう1つあります。今日からこの部屋に新しい生徒が入ります」


「……はい?」


 シャーロットは一瞬、シスタールイズの言葉の意味が理解できなかった。それはあまりにも唐突で意外すぎる内容だったからだ。だからシャーロットはたっぷり10秒ほどシスタールイズと見つめ合い、おそるおそる訊き返した。


「……えっとぉ、そのぉ、新しい生徒というのは、つまりそのぉ、なんと言いますか、早い話が、いわゆるひとつの、アレということなのでしょうか……?」


「なんですか、その要領を得ない言葉づかいは」


 困惑顔でしどろもどろに質問するシャーロットを見て、シスタールイズは呆れ顔で小さな息を1つ漏らした。


「人にものを尋ねる時は、簡潔かんけつにまとめたわかりやすい言葉を使いなさい。そうでないと、頭が弱いと思われますよ」


「はい……すいませんでしたぁ……」


 案の定、下手に質問して怒られたシャーロットは、バツの悪そうな顔でしょんぼりとうつむいた。そんなシャーロットを見てシスタールイズは首を小さく横に振り、少しだけ柔らかい声で説明した。


「つまり今日から、あなたに新しいルームメイトができるということです」


「それは、はい、わかりますけど……でも、どうしてこの部屋なんですか? 部屋なら他にいくつかいていると思うんですけど……」


「もちろん部屋は空いております。ですが、ここは学生寮です。他人との共同生活を通して社交性を養うために、わざわざ2人部屋にしてあるのです。それと、理由はもう1つあります――」


 シスタールイズは1通の手紙を取り出し、シャーロットに手渡した。


「それは以前、あなたのルームメイトだったスミンズさんからの書状です」


「えっ? メナちゃんのお手紙?」


 シスタールイズの言葉を開いたとたん、シャーロットは慌てて手紙をひっくり返した。すると赤い封蝋ふうろうには、たしかにメナが使うスミンズの家紋が押されている。しかし――。


「でも、なんでだろ……? メナちゃんとは会おうと思えばいつでも会えるのに、なんでわざわざお手紙なんかくれたんだろ……?」


「べつにおかしな話ではありません。あなたの新しいルームメイトになる生徒は、スミンズ家の推薦で当学院に入学しました。それをしらせるための書状です」


「え? そうなんですか? それじゃあ、その子はメナちゃんの親戚なんですか?」


「私はそのように伺っております。詳細については、その書状に記してあるそうです」


「なるほど、そういうことですかぁ……」


 シャーロットは思案顔でちらりと部屋の中を振り返った。


 メナとは1週間ほど前に会って話したばかりだが、メナの親戚が王立女学院に入学するという話は聞いていなかった。しかし、こうして手紙を送って寄こしたということは、おそらくそれなりの事情があるに違いない――。そう考えたシャーロットは、机に置いていたメナの似顔絵に小さくうなずきかけてから、シスタールイズに顔を向けた。


「わかりました。それじゃあわたし、その子のルームメイトになります」


「そうですか。では、早速ですが紹介します」


「えっ? うそ。もう来てるんですか?」


 不意にシスタールイズが顔を横に向けたので、シャーロットは慌てて髪型を整えた。まさか新入生をすでに連れてきているとは夢にも思っていなかったからだ。


 しかしシスタールイズは焦るシャーロットには見向きもせず、ドアを大きく押し開けた。すると、王立女学院の制服に身を包んだ人物が部屋の前に立っていた。細い体つきをした、長い赤毛の子だ。シスタールイズはその新入生に片手を向けて、シャーロットに紹介した。


「よろしいですか、ナクタンさん。こちらがあなたの新しいルームメイトになる、ネーナ・スミンズさんです」


「あ、ど、どうも、シャーロット・ナクタンです」


 新入生と顔を合わせる心構えができていなかったシャーロットは、あたふたと頭を下げた。すると赤毛の子も丁寧にお辞儀をした。


「さて。それではナクタンさん。あとのことはあなたにお任せします。学院やソフィア寮の規則や習慣などについて、スミンズさんにきちんと説明してあげてください。スミンズさんも、何か困ったことがあったらいつでも相談に来てください」


 シスタールイズは2人を交互に見ながら声をかけた。そしてすぐに背中を向けて、階段の方に去っていった。


「そ、それじゃあ、スミンズさん。とりあえず中に入ろっか」


 シャーロットは新しいルームメイトに声をかけると、慌てて自分のベッドに駆け寄った。ついさっきまで寝転んでいたので、掛け布団が少し乱れていたからだ。それでシャーロットはベッドを素早く整えて、ついでに制服のしわを軽く伸ばし、もう1度金色の髪をなでつける。それから姿勢を正して小さな息を1つ吐き、ニッコリと微笑みながら振り返った。


「それじゃあ、初めまして。わたしのことはシャーロット……はい?」


 その瞬間、シャーロットの思考は停止した。


 後ろに立っていたはずの長い赤毛の子が、なぜか短い黒髪の子に変わっていたからだ。しかも、赤毛のウィッグを片手に握って突っ立っているその相手は、かなり見覚えのある顔だった。


「……えっ?」


「え?」


 何が起きたのかわけがわからず頭の中が真っ白になったシャーロットは、思わずパチクリとまばたいた。すると相手もキョトンとしながら首をひねった。


「え……? あなた、まさか……ネインくん?」


「気づいていなかったのか?」


「え、ごめん、ちょっと待って、ほんとちょっと待って」


 シャーロットがおそるおそる尋ねると、スカート姿の相手は不思議そうな顔で訊き返した。そしてその声が紛れもなく男の子の声だったので、シャーロットは反射的に左右の手のひらをネインに向けて黙らせた。


「えっと、そのぉ、わたしってほら、けっこう頭が悪いから、こういう特殊な状況を理解するのにちょっとかなりの時間がかかるというか――って、えぇーっっ!? えええええええぇーっっ!?」


 シャーロットは5テンポ遅くやってきた驚きのあまり、両目を見開きながら全力で声を張り上げた。


「ちょっ!? ネインくんっ!? うそでしょっ!? あなたいったいなにやってんのって、えぇっ!? えええええええぇーっっ!? うえええええええぇーっっ!?」


「いや、今さらそんなに驚かれても――」


「いやいやいやいやっ! ムリムリムリムリっ! なにこれなにこれっ!? どういうことっ!? こんなの驚くなって言われてもホントうええええええええぇーっっ!?」


 シャーロットはひたすら驚きまくり、しばらくのあいだ廊下にまで響く大声を張り上げ続けた。そして疲れ果てて息が切れるまで叫び続けたシャーロットは、床にペタリと座り込み、ベッドに寄りかかって呆然としながらネインを見上げた。


「はあ、はあ、はあ、はあ……」


「まあ、あれだけ大声で叫び続けたら疲れて当然だな」


 肩で呼吸を整えているシャーロットをネインは淡々と見下ろして、赤毛のウィッグを頭にかぶった。


「とりあえず、詳しい事情はメナさんの手紙に書いてあるから目を通してくれ。オレが説明するよりその方が早いだろ」


「そ、そぉ……。わかった……」


 シャーロットは1つうなずき、深呼吸を繰り返した。それから受け取った手紙を読み始めた。


 その間に、ネインは持ってきた背負い袋と肩掛けカバンを使われていない机の横にそっと置いた。それから壁際に置いてある縦長の鏡で自分の服装をチェックして、空いているベッドに腰を下ろす。すると手紙を読み終わったシャーロットが、怪訝けげんそうに眉を寄せながらネインを見上げた。


「……つまりネインくんは、雨の魔女の魔法陣をこの寮のすべての部屋に設置するために、わざわざ女の子に変装して入学してきたってこと?」


「ああ、そういうことだ――」


 かなり渋い顔で訊いてきたシャーロットに、ネインも渋い表情を浮かべてうなずいた。


「メナさんに相談したら、ソフィア寮に潜入するにはこの方法しかないと言われたんだ」


「ああ……それ、メナちゃんぜったい楽しんでるね……」


 ネインの女装がメナの入れ知恵と知ったシャーロットは、呆れ顔でため息を吐いた。メナは悪ふざけをする性格ではないが、たまに悪ノリする時がある。そして今回は、その悪ノリがとんでもないレベルで発揮されてしまったので、シャーロットは思わず頭を抱えてしまった。


「まったく……。いくらなんでも女装した男の子を女子寮に送り込むなんて、そんなのどう考えてもムリが……って、あれ? だけどネインくんだと、あまり違和感がなかったような……」


 いくら女装しても男子は男子――。女子に化けるなんて不可能だとシャーロットは頭から思い込んでいたが、よくよく考えてみると、シスタールイズはネインが男子だと気づいている様子がなかった。


 それでシャーロットは改めてネインの姿に目を向けた。すると、男子のわりにネインは小柄で体の線が細く、女子の制服がかなり似合っている。それに以前、メナの家で聞いた女子の声色こわいろも上手だったし、そのうえ赤毛のウィッグまで装着したら、これはもうどこからどう見ても女学生にしか見えない。だからシャーロットは『あぁ、うん、これはけっこうアリかも……』と思いながら、ふとネインに質問した。


「でも、ネインくんって、なんでそんなに女装が似合ってるの? それに、この前とっさに出した女の子の声も上手だったし」


「女のフリをするのはそんなに難しいことじゃないからな。前に何度かメイドの格好で仕事をしたことがあるから、こういう状況にはそれなりに慣れている」


「いや、慣れてるって、いったいなんのお仕事してたのよ……」


 何気ない質問にとんでもない答えが返ってきたので、シャーロットは思わずじっとりとした目つきでネインを見た。それからもう1度首をかしげてさらに訊いた。


「だけど、メナちゃんの制服だとネインくんには小さすぎて入らないでしょ。その制服はどうしたの?」


「たしかにメナさんの制服では無理だったからな。これはこの学院の卒業生に、メナさんがわざわざ借りてきてくれたんだ」


「あぁ、やっぱりね……。メナちゃん、完全に遊んでるわ……」


 メナが嬉々ききとしてネインを着せ替え人形にしている姿が目に浮かび、シャーロットは力なく首を横に振った。そしてメナの手紙に目を落とし、ポツリと言った。


「まぁ、ネインくんにはいろいろ助けてもらった借りがあるし、メナちゃんの頼みなら断れないか……。だけどさぁ、『実家と研究院のコネを使ってネインさんを入学させましたぁ~。シャロちゃんと同じ部屋になるようにお願いしたので、ネインさんのことよろしくねぇ~。追伸。ネインさんはものすごぉくいい人だから安心だよぉ~』って言われてもねぇ……。わたし、男の子と同じ部屋で暮らすなんて、生まれて初めてなんだけど……」


「大丈夫だ。なるべく早く作業を終わらせて出ていくから、あんたに迷惑はかけない」


「あっそ」


 何気ない口調で答えたネインを見て、シャーロットは軽く肩をすくめ、メナの手紙を封筒に戻した。


「だけど、しばらくはこの部屋で寝泊まりするんでしょ? だったら、わたしのことは『あんた』じゃなくて、シャーロットって呼んで。『あんた』って呼ばれると、なんかムカつくから」


「わかった。他に何かルールはあるか?」


「ん~、特にはないかなぁ~」


 シャーロットは軽く考えながら立ち上がり、メナの手紙を机に置いた。


「あ、そうだ。1つ疑問なんだけど、なんでわざわざわたしのルームメイトになったの? 魔法陣をすべての部屋に配って回るだけなら、べつに一人部屋でもよかったと思うけど」


「これは潜入の基本だからな。内部に協力者がいると正体がバレにくいし、行動しやすい。特にここは女子寮だから、女子と一緒にいれば誰も怪しまないだろ」


「いや、そんな基本、初めて聞いたんだけど……」


 真面目な顔で答えたネインに、シャーロットは思わず渋い表情を向けた。


「でもまぁ、潜入するのはいいとして、全部の部屋にどうやって魔法陣を配るつもりなの?」


「それはこのソフィア寮の状況を見て決めるつもりだったが、やはり難しいか?」


「そりゃそうでしょ。今は生徒がほとんどいないけど、それでも20人ぐらいは残ってるし、来週から授業が再開するから、週末にはみんな戻ってくるんじゃないかなぁ? そしたら、部屋に忍び込むなんてできないと思うけど」


「そうか……。だったら何か手段を考える必要があるな……」


「手段って、たとえばどんなの?」


「そうだな――」


 ネインもベッドから立ち上がり、部屋のドアに近づいてしゃがみ込んだ。


「このドアと床の間にはすき間があるから、ここから魔法陣を描いた紙を滑り込ませるとか」


「でも、そんな怪しい紙を見つけたら、わたしだったら破って捨てちゃうと思うけど」


「それはたしかにそうだな……」


 シャーロットに欠点を指摘されたネインは、手のひらを上に向けて肩をすくめた。


「とにかく、一晩だけでいいから、すべての部屋に魔法陣を設置する方法を考えないとな」


「だったら、生徒が少ない今のうちに忍び込んじゃえば? そしたら見つかる危険性も低いと思うけど」


「たしかにそうしたいところだが、魔法陣はまだ1枚も用意していないんだ。それに、このソフィア寮の部屋数は、倉庫や風呂場などを含めると全部で202室ある。今から急いで準備をしても2、3日はかかるだろう」


「あっそ。でも今日は火曜日だから、準備に3日かかったとしても、週末までには間に合うんじゃない?」


「ああ、たしかにそうだな。それでは早速、紙とインクを調達して、作業に取りかかるか」


「はいはい。それじゃ、気をつけていってらっしゃ~い」


 行動方針を定めたネインは、すぐに肩掛けカバンに手を伸ばし、出かける準備に取りかかった。そんなネインを眺めながらシャーロットはベッドに腰を下ろし、片手を軽く左右に振った。するとネインはシャーロットの前に近づき、見下ろしながら口を開いた。


「ついでに警備軍の本部に行くから、シャーロットも一緒に来てくれ」


「はい?」


 いきなり突拍子もない場所に誘われたシャーロットは、思わず顔を突き出しながらネインを見上げた。


「え? どういうこと? なんでわたしがそんなところに行かなきゃいけないの?」


「シャーロットは、王都守備隊のクルース・マクロンと知り合いだと聞いたからだ」


「はあ? クルースさん? たしかにクルースさんとは1度会ったことがあるけど、それがなんの関係があるの? ちょっと意味がわかんないんだけど」


「理由は歩きながら説明する。とにかく一緒に来てくれ」


「えっ? うそ。今からほんとに出かけるの?」


「ああ。何か都合が悪いのか?」


「いや、べつに都合は悪くないけど……」


「だったら行こう」


 シャーロットはあからさまに渋い表情を浮かべたが、ネインは気にすることなくシャーロットの手を握った。そしてシャーロットの手を引いて、ベッドから立ち上がらせた。


「はいはい。わかりました。一緒に行けばいいんでしょ……」


 ネインの強引な態度にシャーロットは渋々首を縦に振り、外出用のポーチを肩にかけた。


 正直なところ、今のシャーロットは外に出かけるような気分ではなかった。王位継承権者に名乗りを上げるかどうかについて考える時間がほしかったからだ。しかしネインには危ないところを2度も助けてもらった借りがある。それに一番の親友であるメナからネインのことを頼まれているので、強く断ることができなかった。


 それでシャーロットは仕方なくネインの前を歩いて廊下に出たが、そのとたん、長い黒髪の少女と目が合った。


「あ、ジャスミン、おはよぉ~」


「あら、シャーロット。おはよう」


 腰に白い剣をげたジャスミンはシャーロットを見てニッコリと微笑んだ。ジャスミンは315号室のドアノブを握っているので、どうやら部屋に戻ってきたところらしい。


「昨日はおみやげありがとね。あのクッキー、すごく美味しかったよぉ~」


「ありきたりなものでごめんなさいね。お土産を選ぶ時間があまりなかったの」


 シャーロットが礼を口にすると、ジャスミンは照れくさそうに微笑んだ。


「それで、シャーロットは今から出かけるの?」


「うん。新しいルームメイトの子と一緒に、ちょっとね」


「ルームメイト?」


「うん、そうなの。今日から学院に入学した子なんだけど――ほら、ちょっとこっちきて」


 ジャスミンがキョトンとしながら首をかしげたので、シャーロットは部屋の中に手を伸ばし、後ろにいたネインの腕をつかんで引っ張った。すると、赤毛のウィッグを装着したネインが廊下に一歩出た瞬間、ジャスミンの顔面が完全に強張こわばった。


「え……? ジャスミン……?」


 その強烈に引きつったジャスミンの顔を見たシャーロットは、驚きのあまり目を丸くした。


「ど……どうしたのジャスミン? だいじょうぶ……?」


「あら、なんのこと?」


 シャーロットは心臓をドキドキさせながらおそるおそる声をかけた。いつも冷静で優雅に微笑むジャスミンが、まるで鬼のような形相ぎょうそうになったからだ。しかしジャスミンは一瞬でいつもの優しげな笑顔に戻り、何事もなかったかのようにシャーロットを見つめている。


「いや、だっていま、なんか顔がものすごいことになってたんだけど……」


「そう? べつに普通だと思うけど」


「いや、でもたしかに」


「そう? べつに普通だと思うけど」


「でも」


「そう? べつに普通だと思うけど」


「そ……そうだね……。たぶん、わたしの見間違いだったかも……」


 シャーロットの疑問を、ジャスミンは女神の微笑みですべて押し切った。それでもはや何も言えなくなったシャーロットは、視線を斜め下に逸らして追求を諦めた。そして何も見なかったと自分の心に言い聞かせてから、隣に立つネインを紹介した。


「それじゃあ、えっと、この子がわたしの新しいルームメイトで、名前はネーナ・スミンズっていうの」


「紹介してくれてありがとう、シャーロット」


 ジャスミンは嬉しそうに微笑んで、ネインに顔を向けた。


「初めまして。私はジャスミン・ホワイトです」


「どうも。ネーナ・スミンズです」


(ああ……やっぱりネインくん、女の子の声もカンペキだわ……)


 ネインが女子の声色こわいろでジャスミンに返事をしたとたん、シャーロットは再びじっとりとした目つきになった。ネインの女の子っぷりが完璧すぎて、それがなんとなく気に入らなかったからだ。


「これからお隣同士、よろしくね、スミンズさん」


「こちらこそよろしくお願いします、ホワイトさん」


「あら。私のことはジャスミンでいいですよ」


「そうですか。では、オレのこともネインで――」


「ネーナねっっ!」


 ネインが本名を言いかけたとたん、シャーロットは慌てて声を張り上げて誤魔化した。


「はい。オレのこともネーナと呼んでください」


「ふふ。ネーナって、ちょっと変わっていて面白いのね」


 慌てずに淡々と言い直したネインを見て、ジャスミンはにこやかに微笑んだが、シャーロットは引きつった苦笑いを浮かべていた。


「それでは、2人は今から出かけるんでしょ? 引き止めてしまってごめんなさいね」


「う、ううん、だいじょうぶ。それじゃあ、ジャスミン。ちょっと行ってくるねぇ~」


「はい、いってらっしゃい」


 ジャスミンが話を切り上げてくれたので、シャーロットはこれさいわいにと、すぐにネインの手を引いて足早に歩き出した。そしてそのまま階段を駆け下りて、ソフィア寮をあとにした。



 その2人の背中を、ジャスミンは廊下に立ったまま見送った。そしてネインとシャーロットの姿が見えなくなると、一瞬で顔からすべての感情を消し去り、シャーロットの部屋のドアを静かに開けて忍び込んだ。


「さて……」


 ジャスミンは室内を素早く見渡し、シャーロットの机にまっすぐ向かった。そして無造作に置いてあった封筒を手に取り、手紙の内容に目を通す。


「なるほど、魔女の魔法陣の設置……。それがナキンカルナとの条件だったか……」


 ネインの目的を知ったジャスミンは1つうなずき、手紙を元の位置に戻す。それから壁際に置いてあった縦長の鏡を横にずらし、腰の白い剣をゆっくりと引き抜いた。そして次の瞬間――目にも止まらぬ速さで剣を突き出し、分厚い石の壁を貫いた。


「ふう……」


 ジャスミンは剣を腰のさやに戻し、壁に顔を近づけた。たった今、猛烈な剣速けんそくで開けた穴はかなり細いが、隣のジャスミンの部屋までしっかりと貫通している。それを確認したジャスミンは、縦長の姿見すがたみを元の位置に戻して穴を隠す。そしてすぐにシャーロットの部屋をあとにした。


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