第83話  すれ違う光と闇――レッドウッド&ワインショップ


 薄い曇り空の下、黒いハーフマントを羽織った若い男が石畳の道を黙々と歩いていた――。


 それは髪が少し伸びてきたネインだった。背負い袋と一緒に、燻製くんせいした豚の足を一本丸々背中にぶら下げたネインは、人通りのない道をひたすらまっすぐ進んでいく。そしてワインボトルをかたどった鉄の看板の下で足を止めると、すぐにドアを開けて店の中に足を踏み入れた。


「いらっしゃいませ――って、あら、ネインちゃん」


「こんにちは、カイヤさん」


 控えめなドアチャイムに続いて、低い男の声がネインを出迎えた。声の主は、短い髪を紫色に染めたカイヤ・ブランクだ。カウンターの奥にいたカイヤは、読んでいた分厚い魔法書にしおりを挟んでそっと閉じた。そして上品な笑みを浮かべながら奥の部屋へと足を向けた。


「おかえりなさい、ネインちゃん。いまお茶をいれるから、ちょっと待っていてちょうだい」


「ありがとうございます」


 ネインは軽く頭を下げて、カウンターに足を運んだ。するとカイヤと入れ違いに、奥の部屋から背の低い少女が飛び出してきた。えんじ色の上等なメイド服を着たアーユル・メッチだ。


「――なにこれっ!? なんかへんな匂いがするっ!」


 ユルメは元気いっぱいな声を張り上げて、長い桃色の髪をなびかせながらカウンターに駆け寄った。そして荷物を足元に下ろしたネインを見たとたん、顔をパッと輝かせた。


「あっ! おみやげがかえってきたっ!」


「いや、オレはお土産じゃないだろ」


 ネインは思わず苦笑しながら、腰に抱きついてきたユルメの頭を軽くなでた。


「それでおみやげはっ!? おみやげはなに!? なになになに!?」


「そう慌てるな。ユルメは肉がいいって言ってただろ。だから、東の村でいいものを買ってきた。――ほら、それだ」


 そう言って、ネインはカウンターに置いた豚の足を指さした。するとユルメは目を丸くして、まるでこん棒のような豚の足に飛びついた。


「えーっ!? なにこれなにこれっ!? お肉のかたまり!?」


「ああ、それは生ハムだ。そのままだとかなり硬いから、薄く切って食べると美味しいぞ」


「うっひゃーっ! うひゃひゃーっ! なにこれすごーいっ! ネインっ! おまえホントにいいヤツだったんだなっ! ほめてつかわすっ! ほめてつかわすぞぉーっ! どうもありがとぉーっ!」


 ユルメは満面の笑みで再び声を張り上げると、もう1度ネインに抱きついた。それからいそいそと大きな豚の足を抱きかかえ、よろよろとふらつきながら奥の部屋へと足を向けた。


「表面にちょっとカビが生えてるから、ちゃんと拭き取ってから食べるんだぞ!」


「わかったぁーっ!」


 ネインの声にユルメはくるりと振り返り、ニッコリ笑って奥の部屋に姿を消した。それから少ししてカウンターに戻ってきたカイヤが、ネインの前に湯気の立つカップをそっと置いた。


「ごめんなさいね、ネインちゃん。生ハムの原木げんぼくなんて、持ってくるの重かったでしょ」


「いえ。あれはサイズが小さいヤツでしたから。でも、味はけっこう美味しかったです」


「ふふ。ネインちゃんは本当に律義ねぇ」


「一応、約束しましたから」


 ネインはユルメが入っていった奥の部屋にちらりと目を向けてから、熱い茶を一口飲んだ。


「それでネインちゃん。雨の魔女に会うことはできたの?」


「ええ。カイヤさんにいただいたワインのおかげで、何とか話をすることはできました」


「話だけ? 魔女契約はできなかったの?」


「はい」


 ネインはわずかに残念そうな表情を浮かべて、カップの中に目を落とした。


「ですが、魔女からある条件を出されました。その条件をクリアすれば、魔女契約を交わしてもらえると約束してもらいました」


「なるほどね。さすがは最強の悪魔使いと呼ばれる魔女――。欲が深いのか、お高く留まっているのかは知らないけど、そう簡単には首を縦に振らないってわけね」


 カイヤは思わず呆れた顔で肩をすくめた。


「それでネインちゃん。その条件っていうのは何だったの?」


「それが、けっこう厄介な条件だったんです」


 ネインは背負い袋から一枚の紙を取り出して、カイヤの前に差し出した。その紙には1つの魔法陣が描かれていたのだが、カイヤは一目見たとたん、困惑顔で首をひねった。


「なに、この魔法陣。けっこうシンプルなデザインだけど、今までに見たことがないタイプね」


「これは雨の魔女が独自に創り出した魔法陣だそうです。その魔法の効果は教えてもらえませんでしたが、特に危険な魔法ではないと言っていました。そして雨の魔女が出してきた条件というのは、この魔法陣を、という内容でした」


「なるほどねぇ……。つまり雨の魔女は、その建物に対して何らかの魔法をかけたいというわけね」


「おそらくそうだと思います。そこでカイヤさんに相談したいんですが――」


「その建物への潜入方法ね?」


「はい」


 話の先を読んだカイヤに、ネインは即座にうなずいた。


「もちろんいいわよ。アタシにできることなら何でも協力させてもらうから。それで、その建物というのはどこのことなの?」


「それが実は、というところなんです」


「王立女学院?」


 ネインの言葉を聞いたとたん、カイヤはパチクリとまばたいた。


「え? 王立研究院ではなくて、女学院の方なの?」


「はい。その女学院の敷地内にあるソフィア寮というところに、この魔法陣を設置したいそうなんです」


「なんでまた、そんなところに魔法をかけたいのかしら?」


「それはわかりません。ただ、雨の魔女は何気なく話していましたが、その建物にかなりの興味があるような口ぶりでした」


「魔女が女子寮に興味ねぇ……。あぁ、そう言えば、テレサからちょっと聞いたことがあったわね――」


 カイヤは魔女の師匠であるテレサの言葉を思い出し、記憶を何とか掘り起こした。


「たしか、その学院を設立したソフィアという大賢者が、何かとてつもない魔道具を作ったそうよ。それがまだ学院のどこかに隠してあるかもって、テレサが言っていたと思うけど、雨の魔女の狙いはそれかしら?」


「そうですね。雨の魔女は魔法の研究に興味があると話していましたから、強力な魔道具なら手に入れたがると思います。その魔道具を探すために探知系の魔法陣を刻むというなら、納得できる話です」


「まあ、ネインちゃんの目的は魔法陣を設置することだから、そこから先を考えても仕方ないわね。だけど、たしかにその条件はちょっと厄介ね……」


 カイヤはあごに手を当てて、少しの間考え込んだ。


「あそこは女学院だから、男性は基本的に入ることができないのよ。しかも入学できるのは貴族の娘だけだから警備もかなり厳しいし、一般人は正門近くのベリス教会までしか入れない。もちろん、生徒たちが暮らす学生寮に近づくなんて、普通はどうやっても不可能ね」


「ではやはり、夜中に忍び込むしかなさそうですね」


「たぶんそれしかないでしょう。でも、その学生寮に部屋がいくつあるかはわからないけど、そのすべてに魔法陣を刻むとなると、1度や2度ではちょっと無理かもしれないわね」


「そうですね。ただ、魔法陣は紙に描いて貼ってもいいそうなので、事前に部屋の数だけ用意しておけば何とかなると思います」


「なるほど……。それならたしかに何とかなりそうね……」


 カイヤは考えを巡らせながら1つうなずき、ネインを見つめた。


「それじゃあ、ネインちゃん。アタシはそのソフィア寮の部屋数と、学院のことを調べておくわね。もしも料理や掃除の下働きに空きがあったら、何とか潜りこめるかも知れないし。忍び込むよりはそっちの方が安全でしょ」


「そうですね。それでは、調査の方はお任せしますのでよろしくお願いします」


「ええ。まかせてちょうだい」


 こころよく引き受けてくれたカイヤに、ネインは丁寧に頭を下げた。それからすぐに席を立ち、カイヤに別れを告げてドアの方へと足を向けた。


 するとネインがドアを開けたとたん、店に入ろうとしていた男と目が合った。黒縁メガネをかけた、短い黒髪の中年男性だ。男は慌てることなく一歩引いて体をずらし、店から出ていくネインに道を譲った。


「……すいません」


「いえいえ」


 ネインが軽く頭を下げると、男も軽く会釈した。そして男はすぐに、ワインショップの中に姿を消した。


 しかし、歩道に出たネインは足を止めて振り返り、閉じたドアをじっと見つめた。そして、一瞬だけ灰色の炎に染まったガッデムファイアを片手で握り、少しの間立ち尽くした。


「さて、どうするか……」


 ネインは薄い雲が広がる空を見上げて呟いた。それから小さな息を吐き出して、道の先に顔を向ける、そしてゆっくりと歩き出し、今度こそワインショップの前から立ち去った。




「――あら、いらっしゃい」


 ネインと入れ違いに店に入ってきた男に、カイヤが上品に微笑んだ。すると男も黒縁メガネを指で押し上げながら会釈して、カウンター席に腰を下ろした。


「……どうも。先日頼んだモノは届いていますか?」


「ええ、もちろん。たしかザジさんだったわね。お茶をお持ちするから、ちょっと待っていてちょうだい」


 ザジが無言でうなずくと、カイヤは微笑みながら奥の部屋に入っていった。そして再び戻ってくると、湯気の立つカップと小さなメモをザジの前に差し出した。


「……エマ・クルパス」


 ザジはゆっくりとメモを広げ、書いてあった名前を口の中で呟いた。


「ええ、そうよ。聖剣旅団はヴァリアダンジョンのモンスター掃討作戦で全滅したという話だったけど、つい最近、西の街でその人を見たという情報があったの。その人は副団長だったそうだから、けっこう顔が知られていたみたいね」


「そうすると、聖剣旅団の生き残りはこの人だけということですか」


「そう考えて間違いないでしょ。でも、そんなことを調べてどうするの?」


「団員の1人にちょっとした貸しがあったんです。だけど、どうやら回収は無理のようですね」


 ザジは自嘲じちょうするような笑みを浮かべ、それからカイヤに質問した。


「それで、この副団長さんは今どこに?」


「さぁねぇ。目撃されたのは国境近くの街で、そこからさらに西に向かったという話だったから、おそらくペトリン公国じゃないかしら。まあ、確証はないけどね」


 カイヤは再び微笑みながら、もう1枚のメモをザジの前にそっと置いた。ザジは熱い茶をすすりながら2枚目のメモに目を通す。そしてわずかに眉を寄せて口を開いた。


「……少女ですか?」


「ええ。この情報はおそらく、王都守備隊も知らないはずよ」


 カイヤも茶を一口飲んで、小さな息を吐き出した。


「残念ながら、ポーラ・パッシュという少女を殺した犯人はわからなかったわ。だけど、その子が殺される直前に、中央広場のカフェで長い黒髪の少女と一緒にいるのを見た人がいたの。その少女も、ポーラという子と同じ学生服を着ていたそうよ」


「同じ制服? ということは、ソフィア・ミンス王立女学院の生徒ですか?」


「目撃情報を信じると、そういうことになるわね。でも、長い黒髪の子なんてゴロゴロいるから、特定するのはちょっと無理かも。それでもご希望なら調べてみるけど、どうする?」


「いえ、これだけわかればじゅうぶんです」


 ザジはカイヤに手のひらを向けて、2枚のメモをポケットに突っ込んだ。それからカウンターの上で両手を組んで、カイヤを見上げた。


「それでは、最後のアレはわかりましたか?」


「ええ、もちろん」


 カイヤは3枚目のメモを取り出してザジに向けた。しかしザジが手を伸ばすと、カイヤはメモを軽く引いた。


「ただし、この情報はちょっとした問題があるのよ」


「問題?」


「ええ。ひと言で言うと、このメモに書いてあるのは、アタシの知り合いの知り合いみたいなの。だから、あなたがこの情報をどういうふうに使うのかは知らないけど、この人に危害を加えないと約束してもらえるかしら?」


「約束ですか」


「そう。約束よ」


 ザジは不意に、瞳の中に鋭い光を宿らせながらカイヤを見た。その冷徹れいてつなまなざしを、カイヤも顔から感情を消して見返している。


「……わかりました」


 長い数秒間の攻防に、ザジは根負けしたかのように肩の力をわずかに抜いた。


「そのメモに誰の名前が書いてあっても、傷つけるようなことは絶対にしません」


「そうしてもらえると助かるわ。それと――」


 カイヤはいったん言葉を区切り、カウンターの中から取り出したワインボトルをメモの上にそっと置いた。


「実はこの情報を警備兵から聞き出す時に、ちょっとだけ予算をオーバーしちゃったのよ」


「……なるほど。商売が上手ですね」


 ザジは思わずクスリと笑い、小さな革袋を取り出した。そして月の模様が刻まれた金貨を1枚、ワインの横に並べて置いた。


「これで足りますか?」


「ええ、じゅうぶんよ」


 カイヤは優雅な手つきで金貨を受け取り、上品に微笑んだ。ザジもすぐにワインボトルの下からメモを引き抜き、書いてあった名前を見た。


「……それで、このメモの人ととは、どういう関係があるんですか?」


「ちょっと変わった刀を持った、5人組の男の子なんてそうはいないからね。目撃情報はすぐに集まったわ。だけど、その5人はかなりお行儀が悪かったみたいよ。冒険職アルチザン協会で小さな女の子を追いかけ回したあと、さらにどこかの女の子の家に押しかけて襲おうとしたらしいの。もしかして、あなたの知り合いなの?」


「いえ。知り合いの知り合いみたいなものですが、はっきり言って赤の他人です」


「そう。だったらいいけど」


 ザジが即座に手を横に振ったので、カイヤは1つうなずいた。


「それで、その襲われかけた子の悲鳴で警備兵が駆けつけたから、男の子たちは逃げていったそうよ」


「そうですか。それで、その5人は今どこに?」


「それが、女の子を襲った2日後の夜中にいきなり宿を引き払って、南の方に向かったらしいの。たぶん、警備兵に捕まるのが怖くて逃げたんでしょ。その日以来、王都での目撃情報は1つもないからね」


「なるほど……。それで結局、このメモの人は誰なんですか?」


「その襲われかけた女の子よ。あなたが探している5人を目撃した人はいっぱいいるけど、言葉を交わしたのはその女の子と宿屋の主人だけらしいの。だから――」


「あの5人について何かを知っている可能性があるのは、この人だけということですか」


「そういうことよ。まあ、その子はただの被害者だから大したことは知らないでしょ。あまり期待はできないわね」


「それはたしかにそうですね……」


 カイヤの話を聞き終えたザジは、少しの間考え込んだ。


 ザジが今回、カイヤに依頼したのは3つの情報収集だった。1つは聖剣旅団の消息確認。1つはポーラ・パッシュを殺害した犯人。そして最後は、七天抜刀隊しちてんばっとうたいの男子5人の目撃情報だ。これはもちろん、転生者を殺した犯人を捜す手がかりをつかむためなのだが、カイヤの報告を聞く限り、その3つの案件に絡む共通項は見当たらない。


(今のところ、一番有力な情報はポーラと一緒にいた黒髪の少女だが、名前がわからなければ捜し出すのはかなり難しい。そして、聖剣旅団の生き残りがいたのはいいが、ペトリン公国まで捜しにいくには時間がかかりすぎる。それに、現地に行ってもそのエマ・クルパスとやらが見つかるかどうかはわからない。そうなると、残った選択肢は一つだけか……)


 ザジは時間と手間を考慮して、行動方針をすぐに定めた。それから3枚目のメモとワインボトルをつかみ、おもむろに立ち上がった。


「あら。もうお帰り?」


「ええ。相変わらず仕事が早くて助かりました」


「それはどうも。よかったら、また顔を出してちょうだい」


 やはり上品に微笑んだカイヤに、ザジは無言でうなずいた。それから軽く片手を上げて、ドアの方へと足を向ける。そしてワインショップの外に出たザジは石の道を歩きながら、3枚目のメモに書かれた名前を見つめて呟いた。


「ランドン王立研究院の研究者、メナ・スミンズか。まずはこいつの調査からだな……」





***



・あとがき


本作品をお読みいただき、まことにありがとうございます。


参考までに、明日の投稿時間をこの場に記載いたします。


引き続きご愛読いただけますよう、どうぞよろしくお願いいたします。


2019年 1月 24日(木)


第84話 00:05 錬金術師の最高の日――

第85話 07:05 突発性運命症候群のお姫さま――その1

第86話 12:05 突発性運命症候群のお姫さま――その2

第87話 17:05 突発性運命症候群のお姫さま――その3

第88話 20:05 初めてのきらめき――



記:2019年 1月 10日(木)

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