第19章  雨の心と、幸せの日――レイニーサイド・ハッピーサイド

第82話  雨の世界の怒れる少女――ゲームマスター VS クルオルガール


 石造りの都に、雨が静かに降り始めた――。


 まだ昼前のこの時間、王都の各所にある広場には多くの露店がのきを連ね、買い物客や商人たちが大勢集まっていた。しかし雨足が少し強まると、まるで波が引くように誰もが広場から去っていく。あちらこちらの屋台では、早めの昼食をとっていた者たちが足早に姿を消して、店主たちは恨めしそうに灰色の天をにらみ上げた。


 そんなありふれた日常の片隅を、2人の少女が黙々と通り過ぎた。


 長い黒髪を頭の後ろで結わえた少女と、金色の髪を頭の左右で短い房にした少女だ。2人は雨に打たれながら、小さな噴水のある広場を脇目も振らずに通り抜けていく。そして細い通りに面した一軒のハーブショップの前で足を止めると、顔に暗い影を落としながら店の中に足を踏み入れた。


「……どうした。穏やかじゃないな」


 小さなドアチャイムが響くと同時に、カウンターで粉薬を調合していた中年の男が顔を上げた。男は雨に濡れた少女たちを見たとたん、椅子の上で姿勢を直し、眉を寄せた。少女たちの放つ気配が尋常ではないと瞬時に悟ったからだ。


「……仲間が殺された」


 黒髪の少女が低い声で男に答えた。


「そうか」


 男も短い黒髪をかき上げて、重い声を漂わせた。


「おまえたちの仲間は、たしか5人だったな。何人やられたんだ」


「――そんなのっ! 全員に決まってるじゃないっ!」


 男が質問したとたん、今度は金髪の少女が唐突に声を張り上げた。


「男子たちはいつもみんな一緒にいたんだからっ! だからみんな殺されちゃったんだっ! それもこれもぜんぶぜんぶっ! あんたのせいなんだからっっ!」


「……フウナ」


「でもヨッシー!」


 悲鳴のような声で怒鳴った金髪の少女を、黒髪の少女が片手を上げて黙らせた。


「ザジさんとは、私が話をつけるから」


「はあっ!? 今さら話すことなんてなにもないじゃないっ! あんなヤツっ! さっさとぶっ殺せばいいじゃないっ!」


「それは、男子たちを殺したヤツを知っているかどうか確認してからよ」


「……おいおい、なんだそりゃ? 完全に逆恨みじゃないか」


 ザジは思わず呆れ顔でため息を吐いた。


「一応言っておくが、俺はおまえたちの味方だぞ。そしておまえたちがどれだけ必死こいて頑張っても、俺には絶対に勝てない。うっぷん晴らしがしたいんなら、近くの山でたきぎでも割ってこい。その方がよほど建設的だからな」


「うるさいわねっ! 私たちはそんな話をしに来たんじゃないって言ってるでしょっ!」


 不意にヨッシーも怒鳴り出し、近くの棚にあったガラスビンを床に叩きつけた。同時に鋭い破壊音が店の中に響き渡り、ビンに入っていたハーブが派手に飛び散った。


「いいからさっさと答えなさいっ! アーサーやポーラを殺した犯人は見つかったの!? そいつがうちの仲間を殺したに決まってるんだからっ!」


「……もう1度だけ言うが、俺はおまえたちの味方だ。そして、おまえがいま割ったのはうちの店の商品だ。ケンカを売る相手を間違えたら痛い目を見るぞ」


「だったらなによっ! そんなことっ! こっちの知ったことじゃないんだからっ!」


 ザジが淡々と言葉を発したとたん、ヨッシーは両目を吊り上げて怒鳴り返した。そしてさらに、ハーブの入ったビンを片っ端から床に叩きつけて割り始める。店の中にはガラスが砕け散る音が無数に響き渡り、床はあっという間にハーブとガラス片で埋まっていった。


「ほらっ! さっさと答えなさいっ! さもないとっ! 本気であんたもぶっ殺すわよっ!」


「やれやれ……。転生者に選ばれるガキってのは、どうしてこうもバカばっかりなんだろうな……」


 ザジは呆れ果てた顔で椅子から立ち上がり、怒り狂う少女たちをまっすぐ見据えた。


「つまり、おまえたちは今この場で強制魂絶ログアウトしたいわけだな?」


「はあ!? なに言ってんのっ!? 死ぬのはあんたよっ! あんたが私とフウナをダンジョンに送り込んだからこんなことになったのよっ! あんたは自分が悪いってわかってんのっ!? 私が一緒にいれば誰も死なずに済んだんだからっ! こんなことにはならなかったんだからっ! だからっ! あんただけはぜったいに許さないっ!」


 ヨッシーは怒りに目を血走らせながら腰の妖刀を引き抜いた。


 その瞬間――ヨッシーの視界からザジが消えた。ザジは人間の動体視力では捉えきれない速度で店内を駆け抜けた。そして次の瞬間、ヨッシーの腹に疾風のようなこぶしを叩き込んだ。


「ごぶふっ……」


 ヨッシーは目玉が飛び出さんばかりに両目を見開き、血を吐き散らしながらすさまじい速度で宙を飛んだ。さらにヨッシーの全身は壁に激しく叩きつけられ、店中に響き渡る轟音とともに床に沈んだ。


「ヨッシー! ……ぐぼぉっ!」


 ヨッシーが壁に激突した直後、フウナも腰の妖刀に手を伸ばした。しかしその瞬間、ザジはすでにフウナの目の前に立っていた。ザジはやはり猛烈な威力のこぶしを下から突き上げ、フウナの腹に叩き込んだ。フウナの細い体は一瞬で石の天井に激突し、口から大量の血を吐き出しながら床に落ちて動きを止めた。


「……だから、相手にならないって言っただろうが」


 ザジは再び呆れ顔で、床に転がるヨッシーとフウナに目を落とした。ザジの一撃を食らって倒れた2人の少女たちは、すでに命の炎が消えていた。


「まったく、めんどくさいなぁ……」


 ザジはヨッシーとフウナの死体を仰向けにして、カウンターの奥の棚から小さな革袋を持ってきた。そして中に入っていた白銀のコインを1枚ずつ、2人の死体の上に置いた。それからカウンターの奥へと戻り、渋い表情を浮かべながら2人が生き返るのを見つめていた。


「……まだやるか?」


 ほとんど同時に生き返ったヨッシーとフウナにザジは淡々と声をかけたが、2人は何も答えなかった。雨に濡れて、血に濡れて、ガラス片とハーブで汚れた2人の少女は、床に座り込んだまま暗い顔でうつむいている。どうあがいても、転生者管理官ゲームマスターにはかなわない――。それが2人の骨身には、すでに死ぬほどしみ込んでいた。


 そんな2人に、ザジはさらに声をかけた。


「……おまえたちは今、多くのハーブをダメにした。この店の客は少ないが、それらのハーブを必要としている病人はけっこういる。割れたビンを片付ける手間だってかかるし、新しいビンやハーブを買うのにも金がかかる。おまえたちが仲間を殺されて怒りを覚えるのは当然だが、だからといって周りに迷惑をかけていいわけじゃない。安っぽいテレビドラマみたいに物を壊してどうする。あれは怒りの感情を手っ取り早く表現するための演出だ。常識のある人間は物を壊したりはしないし、八つ当たりで刃物を抜いたりなんかしない。おまえたちは何が正しくて何が間違っているのか、自分の頭でもう1度よく考えてみるんだな」


 ザジの静かな声を聞きながら、ヨッシーとフウナは泣いていた。ザジの言葉が心にしみたわけではなく、ただただ仲間の死が悲しくて仕方なかったからだ。そして仲間が殺されたというのに、何もできない自分たちが不甲斐なくて情けなかった。


 そんな2人の心情をザジはじゅうぶんに察していた。だからもはや何も言わず、2人が泣き止むのをじっと待った。


 それからしばらくして、泣き止んだヨッシーとフウナはザジから掃除道具を渡された。すると2人は素直に掃除を始めながら、男子たちの死体を見つけた経緯と状況をザジに話した。それでようやく事情を把握したザジは、掃除を続ける2人を眺めながら淡々と口を開いた。


「たしかにその状況だと、おまえたちの仲間は何者かに殺されたとみて間違いないな。そうすると、この2か月ほどでアーサーとポーラ、そしておまえたちの仲間5人が連続で殺されたということになる。これはもはや偶然とは考えられない。俺たち転生者を狙っているヤツがいることは、これでほぼ確定だな」


「……だったらどうすんの? この国から逃げろっていうわけ?」


「敵の正体がわからなければ、どこに逃げても安全とは言えないだろ」


 ふてくされた顔で訊いてきたヨッシーに、ザジは首を小さく横に振った。


「とはいえ、何もしなければ危険な状況は変わらない。何しろこの王都にいる残りの転生者は、俺たちを含めてたったの4人しかいないからな。このままでは一方的に狩られるだけだ。だからおまえたちは、しばらくの間この店に隠れていろ」


「しばらくって、どれぐらい?」


「俺がいいと言うまでだ。アーサーたちを殺した犯人が見つかるまで、決して外には出るな」


「だったら、あたしたちも協力する」


 不意にフウナが力を込めた瞳でザジを見た。しかしザジはもう1度首を横に振った。


「俺はおまえたちを管理する転生者管理官ミドルマンだ。だからおまえたちを守る義務がある。その守る対象が勝手に動き回ると、はっきり言って足手まといだ」


「でも、相手の強さがわからないのに、1人で行動するのは危なくない?」


「それはたしかに一理ある」


 ザジはヨッシーを指でさしてうなずいた。


「しかし俺一人だけなら、どんな状況でも大抵はなんとかなる。それにもしも人手が必要になったら、シンプリアの収容所アサイラムからハンターチームを招集する」


「だけどあそこのハンターチームって、たしか4人じゃなかった? そんな少人数だと、敵の組織が大きかったら人手が足りなくなるんじゃない?」


「問題ない。それでも手に余る状況になったら、『L』に協力を要請すればいい」


「「エル?」」


 ザジの話を聞いたとたん、ヨッシーとフウナは同時に首をかしげた。


「Lっていうのは、あるギルドを指す隠語いんごのことだ」


 ザジは人差し指と親指を広げて『L』の字を作ってみせた。


「こっちの世界には、おまえたちのような転生者が万単位で存在する。そしてその多くは世界の各地でギルドを作り、仲間同士で助け合って行動している。当然、ギルドの規模は大小様々だが、中には世界規模のギルドがいくつかある。Lっていうのはそういう世界規模のギルドの中でも、最強集団と呼ばれている組織のことだ」


「最強集団……」


 その言葉を聞いたとたん、ヨッシーとフウナは思わず目を見合わせた。


「そのギルドに所属する転生者って、そんなに強いの?」


「まあな。おまえたちみたいな駆け出し転生者とは圧倒的にレベルが違う。Lの構成員は数こそ少ないが、幹部の奴らは神殺しクラスの実力者ぞろいだ。そしてその中の1人は、実際に神の力を身につけている。つまり半神ということだ」


「半神って……」


 ヨッシーは呆気に取られてザジをまじまじと見つめた。隣に立つフウナも驚きのあまりポカンと口を開けている。


「半神という言葉は聞いたことがないだろうが、文字どおり、神に近い実力を持つ人間のことだ。俺たち転生者管理官ミドルマンは女神の力を借りているが、それと同等の能力を自力で獲得した最強の転生者ってところだな」


「うそ……。自力でゲームマスターと同じ強さになれる転生者なんているの……?」


「ああ、間違いなく存在する。人間ってのは本気で努力すれば、いくらでも高みに昇れるっていう証拠だな」


 ザジは石の天井を指さして、2人の少女を交互に見た。


「ま、そういうわけで俺の方は何とかなる。おまえたちは安全が確保されるまで、この領事館コンスレトから外には出るな」


「わかった……そうする……」


 ヨッシーとフウナは渋々といった表情でうなずいた。たしかに敵の正体がわからないうちに動くのは危険すぎると、ようやく理解したからだ。


「でも、この王都にはもう1人転生者がいるんでしょ? そいつはかくまわなくていいの?」


「ああ。あいつなら問題ない」


 ヨッシーの質問に、ザジは片手を横に振った。


「あいつはおまえたちみたいなひよっことはワケが違う。たった1人で一国の軍隊を殲滅せんめつしたことがある実力者だからな」


「えっ!? 1人で軍隊を倒したの!?」


 ザジの言葉を聞いたとたん、ヨッシーとフウナは目を丸くした。


「そうだ。あいつは頭もいいし、生き延びるすべを身につけている。この危機的状況で、あいつがこの国に立ち寄ってくれたのは不幸中の幸いだな。もしも人手が必要になったら、まずはあいつに頼むつもりだ」


 ザジはそう言いながら立ち上がり、再び小さな革袋を手に取った。そして中に入っていた白銀のコインをカウンターの上にすべて出した。その枚数は、全部で4枚――。


「え? ゲートコインって、あとそれだけしかないの?」


「まあな。ついさっき、ムダに2枚使っちまったからな」


 軽く驚きの声を上げたヨッシーに、ザジは皮肉そうな目を向けた。


「ゲートコインはかなりの貴重品だから、どこの国の領事館コンスレトにもあまりストックがないんだ。だが、今は非常事態だから仕方がない。おまえたちはもう1枚ずつ持っていろ」


 ザジはコインを指で弾き、2人に1枚ずつ投げ渡した。


「え? 2枚持ってていいの?」


「ああ。もしも敵に襲われた場合でも、敵はおまえたちを2回殺せば油断するはずだ。だから念のための保険ということで、セブンルールの6番は一時的に免除する。それと、ちょっと店番しといてくれ」


「店番?」


 不意にザジがドアの方に足を向けたので、ヨッシーは反射的に訊き返した。


「ああ。俺はちょっと出かけてくる。まずは情報を仕入れないと、行動方針が立てられないからな」


 そう言って、ザジは掃除をしているヨッシーとフウナを店に残して表に出た。すると空は相変わらずの薄暗い灰色で、かなりの雨が降り続いている。


「雨は嫌いじゃないんだが、さすがに今日ばかりは気が滅入るな……」


 狭い軒先に立ったザジは雨にけぶる通りを眺め、渋い顔でため息を吐いた。それから傘立てに置いていた傘をつかみ、雨の中へと歩き出す。そして人の気配が消えた石の街をゆっくりと歩きながら、低い声で呟いた。


「さてと。やはりこういう時は、あそこのワインショップに頼むしかないか……」


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