第18章  土曜日のこむずかしいお茶会――レッドパラソル&シークレット・プリンセス

第80話  土曜日のこむずかしいお茶会――レッドパラソル&シークレット・プリンセス その1


 春の暖かな日差しが射し込む石造りの部屋の中で、金色の髪を肩まで伸ばした少女が出かける支度を整えていた。


 それはソフィア・ミンス王立女学院の学生服に身を包んだシャーロットだった。外出用のポシェットを肩にかけたシャーロットは部屋の中を軽く見渡し、メナの似顔絵に微笑みかけた。それからドアを開けて廊下に出ようとしたが、そのとたん、気合いのこもった声が飛び込んできた。


「――シャーロット様っ! お久しぶりでございますっ!」


 その声の主はシャーロットと同じ学生服を着たクレア・コバルタスだった。なぜか廊下に突っ立っていたクレアは、直立不動でシャーロットに敬礼している。その揺るぎない女性騎士の姿を見たとたん、シャーロットは思わずガックリと肩を落とした。


「またですか……」


「本日は清々しい快晴でございますねっ!」


「そうですね……。だからわたしもちょっと出かけようと思ったんですけど――じゃなくて、2日前に会ったばかりなので、久しぶりではないと思うんですけど……」


「はっ! 恐縮でございますっ!」


「いえ、恐縮の意味がわかんないんですけど……」


「本日は、1日あけて再び確認にまいりましたっ! 返答の期日まであと2週間でございますっ! お気持ちは固まりましたでしょうかっ!」


「……そうですね。少しずつ固まってきたと思います」


 シャーロットはポツリと答えながら、あからさまに目を逸らした。そしてすぐにドアを閉めて、階段の方へと歩き出す。するとクレアも当然のようにシャーロットの背中についてきた。


「それはつまり、近いうちにご返答をいただけると考えてよろしいでしょうか!」


「……そうですね。近いうちにお返事したいと思います」


 さらに訊いてきたクレアに、シャーロットは気のない声で返事をした。そして足早に階段を降りてソフィア寮の外に出ると、青空の下を歩きながら小さな息を吐き出した。


 4月に入ってから、クレアがしょっちゅう会いに来るようになったので、シャーロットは少しばかり気が滅入っていた。それで毎回同じ質問を受け続けてきたシャーロットは、いつしかクレアの言葉を否定せずに、適当に同意するふりをして受け流すすべを身に着けていた。


「それでシャーロット様! 本日はどちらまでお出かけになられるのでしょうか!」


「今日は友達に会いに行くんですけど――」


 王立女学院の正門から外に出たシャーロットは、声を張り上げたクレアをじっとりとした目つきで軽くにらんだ。


「すいませんがクレアさん。外で大きな声を出すと目立ってしまうので、もう少し抑えてもらってもいいでしょうか。それと、わたしのことはシャーロットと呼んでください。様付けされると、周りから変なふうに思われますから」


「はっ! かしこまりました! シャーロット様!」


(だから、様付けしないでよぉ……)


 クレアが再び大声で返事をしたとたん、近くの歩行者たちが一斉に振り返った。それでシャーロットは顔を隠すようにうつむいて、長い息を吐き出した。そしてそのまま黙々と、長い水路にかかる石橋を渡り、目的地に向かって歩き続ける。しかし、どこまでいってもクレアはずっとついてくる。それで嫌な予感が脳裏にへばりついたシャーロットは、おそるおそる訊いてみた。


「あのぉ、クレアさん。どこまで一緒に来るんでしょうか……?」


「それはもちろん、どこまでもお供いたします」


「あ……そうですか……」


 まるで岩のようにどっしりとしたクレアの声を聞いたとたん、シャーロットは思わず呆れ顔で空を見上げた。


 クレアとはもう何度も話をしてきたので、どういう性格なのかはじゅうぶんすぎるほどわかっている。ひと言で言えば、一歩も引かない頑固者だ。だからシャーロットはクレアの説得を諦めた。


 友達の家に遊びに行くのに、青蓮せいれん騎士団の若き団長を同伴するなんてどう考えてもおかしな話だ。はっきり言えば、邪魔者以外の何ものでもない。しかし今のシャーロットには、クレアの考えを変える手立ては一つも思いつかなかった。


(まあ、メナちゃんは頭がいいけどちょっと抜けてるところがあるから、クレアさんがいても気にしないよね、きっと……)


 シャーロットは自分に都合のよいように考えることで、胸の中で渦巻く不安から目を逸らした。そしてそのまま住宅街の道を進み、一軒の家の玄関前で足を止めた。すると不意に、小さな前庭に立ったクレアがシャーロットに声をかけた。


「お待ちください、シャーロット様。こちらの家が――」


「シャーロット」


 シャーロットはクレアに素早く顔を向けて、自分を指さした。するとクレアもすぐに軽く頭を下げた。


「失礼いたしました。それで、こちらがご友人のお宅でしょうか」


「うん。ここがメナちゃんのおうちなの」


「さようでございますか。それでは、自分はこのまま外で待機しておりますので、ご友人とごゆっくりご歓談をお楽しみください」


「え? クレアさんも一緒に入ろうよ」


 クレアの言葉を聞いたとたん、シャーロットはキョトンと首をかしげた。たしかにクレアのことは邪魔だと思ったが、悪気がないことはわかっている。しかもここまで一緒に来ておきながら外で待たせておくなんて、そんな仲間はずれにするような真似をシャーロットはしたくなかった。


「メナちゃんは人見知りとかしないから大丈夫ですよ? それにきれいな人とか、かわいい人が大好きだから、クレアさんならきっと大歓迎してくれると思うけど」


「いえ、どうぞお気になさらずに。自分はここで、腕立て伏せをしてお待ちしております」


「はい? 腕立て伏せ……?」


 真剣な顔で答えたクレアを見て、シャーロットはパチクリとまばたいた。さらにクレアが本当に腕立て伏せを始めたので、思わず半分白目を剥いた。


(うん……これはほっといても大丈夫そうね……)


 シャーロットはもはや何のうれいもなくクレアを放置して、メナの家のドアをノックした。するとすぐにドアが開き、茶色い髪を2つのお下げに結ったメナが顔を出した。


「――あっ! シャロちゃんだぁ!」


「メナちゃん、こんにちはぁ~。遊びにきちゃった」


 満面の笑みで出迎えてくれたメナに、シャーロットもニッコリと微笑んだ。そしてドアを片手で押さえ、腕立て伏せをしているクレアを隠しながらメナを家の中に押し込んだ。


「ほえ? シャロちゃん、どうしたの? なんか慌ててる?」


「ううん。ぜんぜん慌ててないよぉ~」


 シャーロットがさっさとドアを閉めたので、メナはキョトンと首をかしげた。しかしシャーロットはにこやかな笑顔で強引に押し切った。


「それよりメナちゃん。今日はなんだかいい香りがするね~」


「あ、うん、そうなのぉ。今はちょっと、お客さまとお茶会してたのぉ~」


「え? お茶会だったの? それじゃあわたし、出直した方がいいよね」


「ううん、だいじょうぶ~。今日のお客さまはとってもいい人たちだから、シャロちゃんも一緒にお茶しよぉ~」


 先客がいると知ったシャーロットは、遠慮しようとして1歩下がった。しかしメナに手を引かれてしまい、そのまま居間に足を踏み入れた。するとそこには見知らぬ3人の姿があった。1人は軍服姿の若い男で、もう1人は黒いメイド服の若い女性。そして最後の1人は、木製の車椅子に座る、透き通るような白い肌の少女だった。


「うわぁ、なにこの人……ものすごぉくかわいいんだけど……」


 シャーロットは少女を一目見たとたん、思わずパチクリとまばたいた。金色の髪を短く切った少女はフリルの付いた白いドレスを着ていて、それがこの上もなく似合っていたからだ。


「ふっ。当然だ。われは世界一の美少女だからな」


「あはは。なんだか面白そうな人だねぇ~」


 シャーロットの呟きを耳にした金髪少女は、車椅子の上で偉そうにふんぞり返りながらケーキを食べた。その態度と口調が見た目と大きくかけ離れていたので、シャーロットは思わずクスリと笑い、車椅子に近づいた。


「こんにちはぁ。わたしはシャーロット・ナクタン。あなたは?」


「……ほう。お主はシャーロット・というのか」


 シャーロットが自己紹介したとたん、白いドレスの少女は椅子に座る男と女をチラリと見た。すると2人もわずかにうなずき、シャーロットに目を向けた。


「我はアム・ターラだ。そっちのメイドはネンナ・ポーチ。軍服の男はクルース・マクロンだが、そいつはべつに覚える必要はないぞ」


「あはは。アムちゃんの口調って、ちょっと変わってて面白いねぇ~」


「そうなんですぅ。しかもアムちゃんは、すっごく頭がいいんですよぉ~」


 シャーロットの分のお茶とケーキを運んできたメナがにこやかに口を挟んだ。


「へぇ、そうなんだぁ。メナちゃんがほめるってことは、アムちゃんはものすごぉく頭がいいんだねぇ」


「うむ。それもまた当然だ。我は五つの星を持っているからな」


「そっかぁ。アムちゃんってすごいんだぁ。それで、その星ってどういう意味なの?」


「べつに大した意味はない。ただの評価みたいなものだからな」


 アムは軽く肩をすくめ、空いている椅子にフォークを向けた。さっさと座れという意味だ。それと気づいたシャーロットは微笑みながら椅子に座り、今度はクルースとネンナに顔を向けた。


「初めまして、こんにちは。急にお茶会に混ぜてもらってすみません」


「ああ、いえ、どうぞお気になさらずに」


 クルースはわずかに困惑した笑みを浮かべながらシャーロットに会釈した。


「それより、シャーロットさんはもしかして、モーリス殿のお身内なのでしょうか?」


「え? あ、はい、そうですけど、クルースさんはお父さんのことを知っているんですか?」


「ええ、まあ、顔見知り程度ですが、モーリス殿とは何度か――」


「おい、こら、クルース」


 シャーロットの問いに、クルースは丁寧に答えようとした。しかしそのとたん、アムがクルースにフォークを向けて黙らせた。


「そんなつまらん話はやめろ。せっかくの女子会が盛り下がってしまうではないか」


「あ、ああ、そうだな……。たしかにつまらない話をするところだったよ」


 クルースはすぐに手のひらを上に向けて、バツが悪そうに肩をすくめた。


「ボクはもう黙っているから、アムは心置きなくおしゃべりを楽しんでくれ。……でも、女子会って言っても、ここには2人しかいないけどな」


「ふっ。クルースにしては面白い冗談だ。――ネンナ」


「はい。お嬢様」


 クルースがわずかに皮肉を込めた言葉を口にしたとたん、アムは鋭く指を鳴らした。するとネンナがすぐに立ち上がり、クルースを椅子ごと玄関の方へと引きずり出した。


「えっ? えっ? ネンナさん? ボクをどうするつもりですか?」


「ニヤリ」


 椅子に座ったまま慌てふためくクルースに、ネンナは淡々とした顔でそう言った。そしてドアを開けてクルースを外に放り出すと、何事もなかったかのように居間に戻った。そのかん、メナとシャーロットはポカンと口を開けていたが、ネンナが再び椅子に腰を下ろすと、2人で顔を見合わせてクスリと笑った。


「アムちゃんってかわいい顔して、やることがけっこう過激なんだねぇ~」


「当然だ」


 シャーロットの素直な感想に、アムは澄ました顔でうなずいた。


「どちらが上かハッキリさせておかないと、愚か者はつけあがるからな」


「あはは。ほんと、アムちゃんって面白いねぇ~。ねぇ、メナちゃん。いつアムちゃんとお友だちになったの?」


「それはですねぇ、じつはちょうど2週間前に――」


 シャーロットに訊かれたメナは、アムと知り合った経緯いきさつをゆっくりと語り始めた。そしてちょうどその時、メナの家から力づくで放り出されたクルースは、一心不乱に腕立て伏せをしている女性を見てパチクリとまばたいた。


「……え? まさか……クレアさん?」


 クルースは自分の目を疑いながら、おそるおそる口を開いた。その長い金髪の女性の顔は間違いなくクレア・コバルタスだったのだが、服装がシャーロットと同じ学生服だったので、頭の中が一瞬混乱したからだ。しかし声をかけられた女性は、腕立て伏せを続行しながらキッパリと否定した。


「違います。自分の名前は、クレアンナです」


「えっ? でも、あなたはどう見ても――」


「クレアンナです」


「でも」


「クレアンナです」


「で」


「クレアンナです」


「そ、そうですか……。それは大変失礼いたしました……」


 汗だくで腕立て伏せをしながらクレアンナと言い張るクレアを見て、クルースは追求を諦めた。クレアと2人きりで言葉を交わしたのは今日が初めてだったが、その頑固な態度からは、どことなくアムとネンナに通じるものを感じたからだ。


(うん……。こういう女性には逆らわない方がいい気がする……)


 クルースは長年の経験からそう直感した。だからわずかに顔を引きつらせながら話題を変えた。


「それでは、クレアンナさんはどうしてここで腕立て伏せをしているんですか?」


「地面があれば腕立て伏せをする――。青蓮せいれんの騎士ならば当然のことです」


(どうしよう……。この人、自分から青蓮騎士ロータスナイトって言っちゃってるんだけど……)


 クルースはもはやどういう顔をすればいいかわからなくなり、クレアからそっと目を逸らした。いきなりメナの家の前で腕立て伏せをしたり、本名がバレバレの偽名を使ったり、そのくせ自分から身分をばらすような言葉を口にしたりと、クレアがいったい何をしたいのかまるで見当がつかなかった。


「そ、それでは、クレアンナさんは騎士なんですね」


「当然です」


 クルースは場をつなぐように、大して知りたくもない質問を口にした。するとクレアは不意に立ち上がり、地面に置いていた青い剣を手に取ってクルースに体を向けた。


「騎士とは剣を持つ者にあらず。されど、力なき者に正義を守ることあたわず。ゆえに騎士とは、寸暇すんかを惜しんでおのれの牙を磨くものなり――。クルース殿ならばおわかりでしょう」


(うーん、ほんとどうしよう……。ボク、まだ名乗っていないんですけど……)


 口を開けば開くほど語るに落ちるクレアを見て、クルースはもはや言葉すら出なくなった。するとクレアはゆっくりと剣を引き抜き、淡々と言葉を続けた。


「さて。それでは、クルース殿。ここでお会いしたのも何かのえん。一手ご指南しなんいただけないでしょうか」


「え? まさか、ここでですか?」


「地面があれば稽古けいこをする――。騎士の道を歩む者ならば当然です」


「いや、でも……」


 唐突なクレアの提案に、クルースは驚きながら周囲を見渡した。春の穏やかな陽気が漂う通りには、散歩をしている人の姿がちらほら見える。こんな住宅街の真ん中で、いくら訓練といえど剣を交えるのはさすがに場違いすぎるとクルースは思った。


「えっと、見てのとおり、ここは人通りのある住宅街ですので、訓練はまたべつの機会にしませんか……?」


「ご心配には及びません。戦いの場において、人目を気にする騎士などおりません」


「いや、ボクたちではなく、他の人たちが気にしますから。というか、戦いじゃなくて訓練ですよね?」


「もちろん稽古けいこです。しかし剣を交える以上、自分はクルース殿を殺す気で全力を出します」


(ああ……ほんとにどうしよう……。この人、本気で殺気を放っているんですけど……)


 クレアは真剣なまなざしでクルースを見据えながら剣を構えた。その必殺の気迫を肌で感じたクルースは、これ以上ないほどの困惑した表情を浮かべた。今までの言葉のやり取りで、クレアが一歩も引かない性格だということはわかっている。そして下手に断れば、どういう行動に出てくるのかまるで予測がつかなかったからだ。


(こうなったらもう、仕方がないか……)


 クルースは諦め顔で肩をすくめ、腰の剣をゆっくりと引き抜いた。それから剣を地面に突き刺し、さやだけをクレアに向けて口を開く。


「わかりました。ボクでよろしければ訓練にお付き合いさせていただきます。ですが、真剣ではなくさやでお願いします。これならお互いに致命傷を負うことがありませんから」


「……いいでしょう」


 クレアも大地に剣を突き刺し、クルースに向かってさやを構えた。


「では、撲殺ぼくさつする気で全力を尽くします」


(だから、なんでこの人、そんなにボクを殺したいんだよ……)


 クレアは瞳の中に必殺の意志を宿してクルースを見据えている。そのあふれんばかりの殺意を受けて、クルースは小さな息を吐き出した。


「一応、先に断っておきますが、ボクはそんなに強くないですよ?」


「マクロン家のクルース殿は、水白天位すいはくてんいのアクアナイトと伺っております。いまだ天位を持たぬ身としては、願ってもないお相手です」


「天位なんて、そんな大そうな代物しろものではないと思いますけどね」


「それは持つ者の論理です」


「……失礼いたしました」


 淡々としたクレアの言葉を聞いたとたん、クルースは姿勢を正してさやを構え直した。天位とは個人の実力を示す指標しひょうであると同時に、人によっては名誉と同じ意味を持つことを思い出したからだ。


 クルース自身は天位に価値を見出みいだしてはいない。しかしそれはクルースだけの価値観でしかない。そして騎士の家系であるコバルタス家に生まれついたクレアにとっては、天位というステータスは非常に重要な意味を持つのかもしれない――。クルースはそのことにようやく気づいた。だからクルースは瞳の中に敬意を込めて、目の前に立つクレアをまっすぐ見つめた。


「それではクレアさん――ではなく、クレアンナさん。警備軍、王都守備隊、クルース・マクロン。お相手させていただきます」


無名むめいの騎士、クレアンナ。胸をお借り致します。――いざっ!」


 クルースが表情を引き締めたとたん、クレアは鋭い気合いを大気に放った。そして素早く踏み込んで、クルースのふところに斬り込んでいった――。


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