インタールード――side:ヨッシー皆本

第75話  この広い世界の片隅で――ダーク・ダーク・クルオルガール


「なんだか、雨が降りそうね――」


 分厚い灰色の雲の下、イラスナ火山の中腹で足を止めた少女が不意にポツリと呟いた。長い黒髪を頭の後ろで結ったヨッシー皆本みなもとだ。ヨッシーは薄暗い空を見上げて息を吐き出し、額に浮かんだ汗を手の甲で拭った。すると、ヨッシーの隣に立つもう1人の少女――フウナ数見かずみも疲れた顔で口を開いた。


「そうだねぇ。山の天気は変わりやすいっていうからねぇ。それよりヨッシー。男子たち、ほんとにこんな山奥なんかにいるのかなぁ~?」


「いるんじゃない? カエンドラの生息地を5人組の若い男たちに訊かれたって、ふもとの村の人が言ってたから」


「でもさぁ、なんでいきなり、マグマの中に住むモンスターなんかを見に行くわけ? 男子たちって、そんな趣味あったっけ?」


「さあ? あのアホどもの考えなんか、私にわかるわけないでしょ。あいつらって意味もなく、バーベキューとかキャンプファイアとか大好きなんだから。ほんと、わけわかんない」


 軽く呆れ顔で訊いてきたフウナに、ヨッシーも渋い顔で返事をした。


「まあ、とにかくあのバカどもを探してこんなところまで来ちゃったんだから、とりあえずカエンドラの生息地まで行くしかないでしょ。フウナはちょっと空を飛んで周囲を見てきて。私はこのまままっすぐ進むから」


「はいはい、りょーかい」


 金色の髪を頭の左右で短い房に結ったフウナは、諦め顔で肩をすくめ、腰の青い妖刀を引き抜いた。そしてすぐに特殊能力を発動して宙に浮かび、周囲を見渡しながら飛んでいく。


「ほんと、あのバカどもときたら、こんなところで何やってんだか……」


 ヨッシーはもう1度ため息を吐き、再び黒い砂の大地を歩き出した。


 ヨッシーとフウナは転生者管理官ミドルマンのザジから頼まれた依頼、アーサー・ペンドラゴンの安否確認を終えたあと、すぐに冒険職アルチザン協会に足を運んだ。そこが男子たちとの待ち合わせ場所だったからだ。しかし、いつまで経っても5人の仲間たちは姿を現さなかった。それで男子たちが腰を落ち着けているはずの宿屋に行ってみると、すでに引き払ったあとだった。しかも宿の主人に話を聞くと、どうやら5人は南のイラスナ火山に向かうと言って出ていったらしい。


「あのバカどもは、ほんと、底抜けのバカだったみたいね……」


「ほんとだねぇ……。まさか本気でお仕事を放り出すとは思わなかったよぉ……」


 男子たちが王都を去ったと知ったヨッシーとフウナは、怒りを2度ほど通り越して呆れ果てた。それで2人は男子たちのことは放置して、暗殺の仕事を済ませてしまおうと考えた。


 ヨッシー率いる七天抜刀隊しちてんばっとうたいが引き受けた依頼は7人の王位継承権者の抹殺で、そのうちの1人はどうやら男子たちが始末したらしい。なので残りは6人なのだが、そこでヨッシーとフウナは少々困った事態に直面した。調べてみると暗殺対象の6人中、王都にいるのは2人だけだったからだ。しかも他の4名はクランブリン王国の各地にあるそれぞれの領地に引きこもり、暗殺に備えて守りを固めているという噂だった。


「どうする、ヨッシー。さすがに2人であちこち行くのは、時間と手間がかかりすぎると思うけど」


「そうね。とりあえず、王都にいる2人をさっさと始末するわよ。そして南の領地にいる王位継承権者のところに行く途中で男子たちを見つけて、手分けして始末していくのが一番手っ取り早いでしょ」


 そうして方針を固めたヨッシーとフウナは、王都にいた2名の王位継承権者を暗殺し、すぐに南へと足を向けた。そして今、ようやくイラスナ火山に到着したヨッシーは、腹の底から沸き立つ怒りを抑えながら歩き続け、カエンドラの生息地であるマグマの池の近くまでやってきた。


「……あれがカエンドラね」


 山腹の割れ目から噴き出す溶岩が溜まっている窪地くぼちに目を凝らしたヨッシーは、マグマと同じ色をした無数の大トカゲを淡々と眺めた。それから軽く周囲を見渡したが、人の気配はまったく感じられない。目に見えるには黒い岩と、黒い砂がどこまでも広がる不毛の大地だけだった。


「まったく……。何が楽しくてこんなところに来たのやら……」


「――ヨッシーっ!」


「うん?」


 不意に頭上から声が降ってきたのでヨッシーは反射的に顔を上げた。すると、慌てて戻ってきたフウナが地上に降り立ち、革製の水筒を差し出してきた。


「ほら、これ。塚原の水筒じゃない?」


「ええ、間違いないわね。ふたをしててもこんなにくさい水筒なんて、他にないでしょ」


 ヨッシーは思わず顔をしかめて、ひょうたん型の水筒を見た。それはたしかにボクチン塚原が持っていた水筒で、中には得体の知れない白い液体が入っている。


「それがあるってことは、あのアホどもはこの辺にいるっていう証拠ね」


「だけどこれ、向こうの岩陰に他の荷物と一緒に置いてあったんだけど、なんでだろ?」


「さあ? どうせまた、みんなでキャンプファイアの準備かなんかしてるんでしょ。それで、あいつらの姿は見当たらなかったの?」


「うん、ぜーんぜん」


 フウナは軽く肩をすくめて、東の方に指を向けた。


「だけど、なんかあっちの方に、真っ二つに切られたような岩が転がってたよ。あれってもしかして、佐々木くんのディメンションスラッシュじゃないかなぁ?」


「岩が真っ二つならきっとそうね。とりあえず見に行きましょ」


 ヨッシーは再びフウナと一緒に歩き出した。そして黒い砂が広がる空き地に出たとたん、わずかに首をかしげて目を凝らした。遠くの大きな岩陰に何かが転がっているのが見えたからだ。


「フウナ。あれは?」


「さあ? 空から見た時は気づかなかったけど、岩かなんかじゃないの? それか、男子たちがキャンプファイアをしたあとだとか」


「ああ、きっとそうね」


 2人は互いに呆れ顔で目を合わせ、その大きな岩に足を向けた。しかし、地面に転がっているモノがはっきりと見えてきたとたん、2人は驚愕のあまり目を剥いた。さらに慌てて駆けつけてみると――それはやはり、2人が想像したとおりのモノだった。


「なんで……こんなところに死体なんかが……」


 ヨッシーは黒い砂の上に転がった5つの塊を見て呆然と呟いた。それは間違いなく人間の死体だったからだ。しかも肉はほとんど燃え尽きて、どれも黒く焦げた骨と化している。


「ヨ、ヨッシー、なにこれ……? 頭が……頭蓋骨が5つあるんだけど……」


 フウナはわなわなと体を震わせながら、しゃれこうべを指さした。


「まさかこれって……まさかこれって……」


「どうやら……そうみたいね……」


 ヨッシーは黒い大地に膝をつき、砂からわずかに顔を出していた紫色の布をつまみ上げた。それは半分以上が燃え尽きた、紫色のリボンだった。


「これは七天抜刀隊の仲間の証……。それに塚原のお気に入りの水筒と、男子たちの荷物が放置されていて、さらに5人分の死体がある……。つまりこれは……この死体は……」


「そんな……うそでしょ……」


 ヨッシーが悲痛な表情で奥歯を噛みしめたとたん、フウナは崩れるように膝をついた。そして涙目で体を震わせながら地面を這って、頭蓋骨の1つを抱きしめた。


「うそ……うそよ……これが男子たちだなんて、ぜったいにうそだよぉ……。だって、ゲートコインは……? ゲートコインがあれば、生き返ることができるはずなのに……」


「この状況だと、全員が2回連続で殺されたとしか考えられないでしょ……」


 すでに大粒の涙を流して嗚咽おえつを漏らし始めたフウナに、ヨッシーは低い声で言った。そのヨッシーの瞳からも、こらえきれない悲しみが筋となって流れ出ていた。


「なんで……? なんで……? なんでなのぉ……? なんでみんながこんな姿になってんの……?」


 フウナは顔をくしゃくしゃにして泣きながら、震える手で5つの頭蓋骨を拾い集めた。


「あたしたち、バスが爆発してあんなひどい死に方をしたのに、なんでまたこんなに燃やされなくちゃならないの……? せっかくみんなで転生できたっていうのに、なんでみんな、あたしを置いていっちゃうのよぉ……」


「まとめて岩陰に置いてあるってことは、誰かに殺されたってことでしょ……」


「そんなことわかってるわよっっ!」


 フウナは甲高い声で怒鳴りながらヨッシーを振り返った。


「だからなんでっ!? なんでなのっ!? なんで男子たちが殺されなくちゃならないのっ!?」


 フウナはさらにボロボロと涙を流しながら、抑えきれない感情をヨッシーにぶつけた。


「みんなでお金を貯めて家を買って! みんなで毎日たのしく暮らしていただけなのに! なんでこんなところで殺されなくちゃならないのっ!? どうしてっ!? ねぇっ! どうしてっ!? 答えてよっ! どうして男子たちがこんなひどい殺され方をされなくちゃいけないのっ!? あたしたちっ! こんなひどい仕打ちを受けるほど悪いことなんかしていないじゃないっ! ひどいよっ! こんなのひどすぎるっ! いったいどこの誰がこんなひどいことをしたっていうのよっ!」


「そんなの、私にわかるわけないでしょ……」


「なんでっ!? なんでわかんないのっ!? ヨッシーはギルマスでしょ! あたしたちのリーダーでしょ!? リーダーなのになんでそんなこともわからないのよっ! なんで男子たちを守ってあげられなかったのよっっ!」


 フウナはヨッシーにしがみつき、真正面から全力でにらみつけた。


「ねぇっ! なんでよっ! なんでなのっ!? 男子たちと別れていなかったらこんなことにはならなかったのにっ! なんでゲームマスターの依頼なんか引き受けたのよっ! こうなったのはぜんぶヨッシーのせいじゃないっ! 男子たちが死んじゃったのはっ! ぜんぶヨッシーのせいじゃないっっ!」


 命の気配がない黒い大地に、フウナの絶叫が響き渡った。


 フウナはヨッシーの襟元を両手でつかみ、悲しみと怒りに燃え上がる瞳で涙を流し続けている。そんなフウナをヨッシーはまっすぐ見つめたまま、一言も言い返さなかった。フウナの言葉は筋が通っていないとヨッシーにはわかっていた。しかし、仲間たちの死をなげき悲しむフウナの感情は、ひたすらまっすぐなものだったからだ。


 今のフウナはやり場のない激しい怒りと悲しみを吐き出している――。できればヨッシーもそうしたかった。仲間たちの骨を抱きしめて、我を忘れて泣き叫びたかった。涙が枯れるまで泣き続けたかった。5人の男子たちは毎日まいにちバカなことをして、バカ騒ぎするバカばかりだったが、ヨッシーにとってはかけがえのない仲間だったからだ。


 ヨッシーを捨てた父親と違い、男子たちはヨッシーのそばにいてくれた。夫に捨てられた腹いせでヨッシーに不満をぶつけ続ける母親とは違い、男子たちはくだらない冗談でいつもヨッシーを笑わせてくれた。だからヨッシーは、男子たちを守ろうと心に誓っていた。一生遊んで暮らせるお金を貯めて、みんなでずっと楽しく生きていきたいと思っていた。それなのに――。


「なんでこんなことになっちゃったのよ……」


「だからそれはっ! ヨッシーのせいでしょっ! ヨッシーがしっかりしていなかったからこうなったんでしょっ! ヨッシーのせいでっ! みんな死んじゃったんでしょーっっ!」


「そうね……。ごめんねフウナ……」


 怒りにまかせて怒鳴り散らすフウナに、ヨッシーは泣きながら謝った。


「あたし、ギルドマスターなのに……みんなを守ることができなかった……。ごめん……ごめんね……みんなごめんねぇ……」


 ヨッシーは深い悲しみに顔を歪め、泣き崩れた。フウナもヨッシーに抱きついて、一緒に声を上げて泣き続けた。




 それからしばらくして、泣き止んだ2人は5人の骨を大地に埋めて墓を作った。


「あたし、宮本くんのこと、けっこう好きだったんだよねぇ……」


 フウナは1つの墓標の前で両手を組んで、悲しそうに呟いた。そこに埋めたのが宮本の骨だったかどうかはわからない。しかしフウナは目を閉じて、心から祈りを捧げた。生きている間に伝えられなかった想いを言葉にして、心の中で何度も繰り返した。


 フウナの横に立つヨッシーもまた、1つの墓を見つめながら佐々木の名前を呟いた。そして口の中で小さく「ごめんね……」と、もう一度謝った。


「それでヨッシー。これからどうするの?」


「……そんなの決まっているでしょ」


 疲れた声で訊いてきたフウナに、ヨッシーは重い灰色の空を見上げながら淡々と答えた。すると不意に風が吹き、水の気配が漂った。さらに薄暗い天空からぽつりぽつりと雨が降り出し、黒い大地に染み込んでいく。


「地球にいた時、私たちは不幸だった……」


 ヨッシーは静かな雨を頬に受けながら、心に秘めていた痛みを言葉に変えた。


「私も、フウナも、佐々木も、宮本も、塚原も、滝沢も、柳生も、みんなが悩みを抱えていた。私は親に見捨てられた。フウナは学校でいじめられた。佐々木は親に虐待された。宮本はみんなにバカにされた。塚原は自分を認めてもらえなかった。滝沢は自分を出すことができなかった。柳生はやりたいことができなかった。私たちはみんな、地球に居場所を見つけることができなかった」


「なんでふつうの人たちって、弱い人をいじめるんだろ……」


 ヨッシーの言葉を聞きながら、フウナも雨の空に顔を向けた。フウナの瞳は空の彼方のはるか遠く、もう2度と戻りたくない腐った世界を見つめていた。


「だけど、私たちはこの星に転生して、新しい人生を手に入れた。そしてようやく、この広い世界の片隅で、小さな幸せを見つけることができた――。たった7人しかいない小さなギルドで、私たちは助け合って生きてきた。みんなで一緒の家に住んで、みんなで一緒にご飯を食べた。朝起きたらおはようって声をかけて微笑んで、寝る時はおやすみって言って手を振り合った。そうやって一日いちにちを、ごく普通に生きてきた。私たちはそういう普通の幸せが欲しかった。そしてその小さな幸せを守るために生きてきた。それなのに――」


 ヨッシーは再び仲間たちの墓に顔を向けた。そして瞳の中に狂気の炎を宿らせながら、自らの魂に暗黒の決意を刻み込んだ。


「……許さない。私は絶対に許さない。私の大切な仲間を殺したヤツは絶対に許さない。どれだけ時間がかかろうと、草の根を分けてでも犯人を探し出す。そしてこの手で、必ず殺す。絶対に見つけ出して、跡形もなく切り刻んでやる――」


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