第74話  土曜日の幸せなお茶会――レッドパラソル&ハッピーサタデー・ティーパーティー


「王都の石畳の道を、赤い傘が滑らかに動いていた――」


「……はい?」


 黒いメイド服の女性が淡々と呟いたとたん、隣を歩く軍服の若い男が不思議そうに首をかしげた。


「どうしたんですか、ネンナさん。いきなり何を言っているんですか?」


「……それは、洒落た赤い傘を固定した木製の車椅子だった。傘の下の影の中には、フリルの付いた白いドレス姿の怠け者がぐったりと背もたれに寄りかかり、だらしなくよだれを垂らして惰眠だみんをむさぼり続けている――」


 ネンナは男の質問には答えず、木製の車椅子をゆっくりと押して呟きながら進んでいく。その言葉を耳にして、今度は車椅子に座る金髪の少女が不機嫌そうな声を発した。


「おいこらネンナ。その怠け者とは、もしかしてわれのことか?」


「……その怠け者は、見た目だけはプリティーな少女なのだが、人目をはばかることなくブタのようなイビキをかいている。しかし、その車椅子をゆっくりと押して住宅街の歩道を進むのは、誰もが思わず振り返ってしまうほどの美しい顔立ちをしたスーパー美人メイドだった――」


「ネンナさんって、自分のことをそういうふうに思っていたんですか……」


 白いドレスを着た少女の言葉をあっさり無視してさらに呟いたネンナの言葉に、軍服の男は思わず呆れ顔で天をあおいだ。すると、金髪少女も渋い表情を浮かべて男に言った。


「おいこらクルース。ちょっと、このバカメイドの頬をひっぱたいて、今すぐ現実世界に連れ戻せ」


「は? なんだよアム。現実に連れ戻せって、それはいったいどういう意味だ?」


「どうもうこうもない。このアホっぽい物語口調を聞けばわかるだろ。ネンナは今、目を開けて歩きながら寝言を呟いているのだ」


「なんと……これ、寝言だったのか……」


 クルースは今年一番の呆れ果てた顔で白目を剥いた。ネンナが眠りながら歩く姿には慣れていたが、まさか寝言まで口にするとは思いもしなかったからだ。しかし睡眠状態のネンナは2人の会話に気づくことなく、さらに淡々と呟き続ける。


「……その黒く美しい髪を肩まで伸ばした美人メイドの横には、軍服姿の若い男が歩いていた。たまに意味ありげな言葉を口にしながら茶色い髪をかき上げて、ムダにカッコつけたがるスカした男だ――」


「ネンナさんって、ボクのことをそういうふうに思っていたんですね……」


「だからすぐに起こせと言っただろうが」


 アムはジロリとクルースを見上げた。


「ネンナの寝言は限りなく容赦ようしゃがないからな。ねちっこいイヤミに耐性のないおまえがこのまま聞き続けていると、自己嫌悪と人間不信におちいるぞ」


「たしかに、こんな寝言をずっと聞かされたらたまったもんじゃないな。それにもうすぐスミンズさんの家にも着くころだし、そろそろ起こしておこうか」


 クルースはもう1度小さなため息を吐いてから、ネンナの細い肩をつかみ、いつもより2割増しの強さで揺さぶった。するとネンナは「ハッ」と言って、キョロキョロと周囲を見渡した。


「えっと……ムダにカッコつけたがるクルース様。ここはいったいどこでしょうか?」


「なんか、まだ微妙に寝言が混ざっているみたいですね……」


「……美人メイドがそう尋ねたとたん、ハタチを過ぎてもまだ実家暮らしで親のスネをかじっているボンボン息子のクルースは、わずかに肩を落として小さな息を吐き出した。しかし、生まれてから何不自由なく生きてきた苦労知らずのクルースは、自分の口の匂いが微妙にくさいということに、この時はまだ気づいていなかった――」


「すいません、ネンナさん……。お願いですから、寝言のフリして精神攻撃するのはやめてください……」


「さあ、クルース様。メナ・スミンズの家に到着致しました」


「そうですか……。ボクのお願いはスルーですか……」


 不意にネンナがピタリと足を止めたので、クルースもため息を吐きながら立ち止まった。するとネンナはすぐに車椅子の方向を変えて、小さな前庭に入っていく。クルースも渋い顔で玄関先まで足を運び、ドアをノックする前に今日の目的を2人に話した。


「えー、この地区を巡回している警備兵から、スミンズさんが旅先から戻っているらしいという報告がありました。ですので今日は、例の5人組の男についてスミンズさんにお話を伺いに来ました」


「「そんなことはわかってる」」


 クルースが説明したとたん、アムとネンナは声をそろえて淡々と言い放った。


「「それよりクルース。ケーキはまだか?」」


「それよりって言われても、ケーキより仕事の方が大事だと思うんですけど」


「「それはおまえの都合だろう。自分の価値観を他人に押し付けるのは傲慢ごうまんというものだ」」


「いや、それはそうかもしれませんけど、頼みますから2人で同時にしゃべるのはやめてください……」


「「いやならさっさとケーキを買ってこい。今日はチョコレート・オレンジケーキの気分だな」」


「だから、何でそこまでセリフがピッタリ一致するんですか……」


 クルースは思わず膝に両手をついて、限界までガックリと肩を落とした。1人の相手をするだけでも手に余るのに、2人同時だと完全に制御不能な気がしたからだ。だからクルースは2人から目を逸らし、諦め顔でドアの方に足を踏み出した。しかしその時、不意に背後からおずおずとした声が漂ってきた。


「あ……あのぉ……」


「ん?」


 クルースがふと振り返ってみると、ネンナの後ろに背の低い少女が立っていた。茶色い髪を2つのお下げに結った、かわいらしい女の子だ。女の子は振り返ったクルースとネンナを、不安そうな顔で交互に見ている。


「えっとぉ、どちらさまでしょうかぁ……?」


「ああ、すいません。怪しい者ではありません」


 訊かれたとたん、クルースはすぐに背すじをピンと伸ばし、女の子をまっすぐ見つめた。


「自分たちは王都守備隊の者です。本日はメナ・スミンズさんにお話を伺うためにまいりました」


「王都守備隊……? えっとぉ、警備軍の方がどのようなご用件でしょうかぁ……?」


「それは少し込み入った内容になりますので、スミンズさんに直接お話ししたいと思います。それで、あなたはスミンズさんのおうちの方でしょうか? もしかして妹さんですか?」


「ああ、すみません、申し遅れました。わたしがメナ・スミンズですぅ」


「……はい?」


 女の子の返事を聞いたとたん、クルースは思考が一瞬停止した。さらにそのままポカンと口を開けて、目の前にちょこんと立つ少女を呆然と見下ろした。春らしいよそおいをしたその少女は、アムとほとんど同じくらい背が低く、どこからどう見ても10代前半にしか見えなかったからだ。


 しかし、クルースが知っているメナ・スミンズの年齢は18歳で、王立研究院に所属する正規の研究者と聞いている。さらにメナ・スミンズという女性は、5人の男たちや郵便配達員をとりこにしてしまうほどの美貌びぼうの持ち主だったはず――。その事前情報と目の前の現実があまりにも大きくかけ離れていたので、クルースは思わず頭の中が混乱した。


「えっと、その、スミンズさんはたしか、18歳だと伺っていたのですが……」


「はぁい、そうですぅ。これでもわたし、18歳ですからぁ」


「18……?」


 クルースはパチパチとまばたいて、車椅子に座るアムとメナを交互に見た。しかし、やはり何度見比べてもほとんど同い年にしか見えない。それどころか下手をすると、アムの方が年上に見えてしまうほどだ。それで困惑してしまったクルースは、ふとネンナに目を向けた。するとネンナはクルースを淡々と見返しながら口を開いた。


「ニヤリ」


「ニヤリって……まさかネンナさん、スミンズさんの見た目を知っていたんですか……?」


「いえいえ、まさか。ですがどうやら、賭けは私の勝ちのようですね」


「賭け……? ああ、なるほど、そういうことですか……」


 そのネンナの言葉でクルースは瞬時に理解した。今から2週間ほど前、メナの容姿についてネンナと賭けをしたことを思い出したからだ。その時のクルースは思いつく限りの美人要素を口にしたのだが、ネンナはただ、「お嬢様のようなかわいらしい感じ」とだけしか言わなかった。


「アムみたいな感じって、そういう意味だったんですね……」


 クルースが呟いたとたん、ネンナは一瞬だけ邪悪な笑みを浮かべてみせた。その悪人顔からクルースは目を逸らし、すぐに気を取り直してメナを見つめた。


「えー、大変失礼致しました、スミンズさん。自分は王都守備隊、即応治安維持部隊のクルース・マクロンと申します。そしてこちらは部下のアム・ターラと、ネンナ・ポーチです。スミンズさんは先日、5人組の男に襲われかけたそうですが、その時のことについて、お話を聞かせていただけないでしょうか」


「あぁ、そういうことでしたかぁ」


 メナは冷静な顔で答えながら、目の前に立つクルースとネンナの全身を素早く見た。それからにっこりと微笑みながら、ドアの方へと歩き出した。


「わかりましたぁ。それでは立ち話もなんですので、どうぞ中にお入りくださぁい。すぐにお茶をおいれしますから――って、ふひゃっ!?」


「……ふひゃっ?」


 玄関に向かっていたメナがいきなり素っとん狂な声を上げたので、クルースはパチクリとまばたいた。そして次の瞬間、思わず目を丸くした。メナが車椅子の前に回ってアムを一目見たとたん、いきなりアムに抱きついたからだ。


「きゃ~っ! なにこの子ぉ~っ! すっごくかわいいですぅ~っ! 白いフリフリのドレスがちょ~かわいいですぅ~っ! もう死ぬほどきゅんきゅんしちゃいますですぅ~っ!」


 メナはアムに頬ずりしながら喜びの声を張り上げた。さらにアムの金色の髪をクシャクシャになでたり、ほとんど寄りかかるように抱きしめたりと、猛烈な勢いでスキンシップをしまくっている。


「……おい、クルース。なんだ、この小娘は」


 いつまで経っても終わらないメナの猛烈なじゃれつきに、アムは半分白目を剥きながらクルースを見上げた。しかしクルースは何も答えず微笑んだまま、普段はふんぞり返って偉そうにしているアムの困り顔を面白そうに見下ろしている。


「よかったですね、お嬢様。かわいらしいお友達ができたみたいで」


「かんべんしてくれぇ……」


 クルースの隣に立つネンナも、メナにいじられまくっているアムを見てニヤリと笑った。そして、興奮状態のメナに白い頬をペロペロと舐められ始めたアムは、完全に白目を剥いて動きを止めた。




「……先ほどはお見苦しいところをお見せして、どうもすいませんでしたぁ。アムちゃんがあんまりにもかわいすぎて、ちょっと興奮してしまいましたぁ」


 アムにたっぷりじゃれついて満足したメナは、クルースたちを家の中に案内した。そして散らかったテーブルの上を適当に片付けてお茶とケーキを運び、3人に向かって照れくさそうに微笑みながら謝った。


「ま、仕方なかろう。たしかにわれはこの世で一番かわいらしいからな。思わず抱きしめて頬ずりしたくなるのも当然だ。それに――」


 アムはケーキを一口食べて、メナの頭の上でせわしなく動く犬耳にフォークを向けた。


犬耳族ドギアは気に入った人間にじゃれつく習性があるからな。今日のところはこのケーキに免じて許してやろう」


「アムちゃんありがとぉ~。はぁい、お茶もどうぞぉ~」


「うむ。苦しゅうない」


 こころよく許してくれたアムに、メナは満面の笑みでいそいそとお茶を勧めた。アムは車椅子の上でふんぞり返ったまま1つうなずき、再びケーキを食べ始める。そうしてようやくメナが椅子に腰を落ち着けると、クルースは姿勢を正して話を始めた。


「それではスミンズさん。早速ですが例の5人組について、お話を聞かせていただけないでしょうか」


「あ、はぁい。ですが、そのまえに一つお伺いしてもよろしいでしょうかぁ?」


「ええ、どうぞ」


「それでは、えっとぉ、ちょっとした疑問なんですけど、あの乱暴な人たちがうちに押しかけてきたのはもう2週間以上も前になるのですが、それがどうして今になって、王都守備隊の方が気にされているのでしょうかぁ?」


「それはもっともなご質問です」


 小首をかしげながら訊いてきたメナに、クルースは1つうなずいた。


「実は、ある事件に5人組の男たちが関係している疑いがあるのです。それで王都の中で目撃された怪しい5人組について、スミンズさんだけではなく、いろいろな方に事情を伺っているところなのです」


「なるほどぉ、そういうことですかぁ……」


 クルースの返事を聞いたとたん、メナは思わず納得顔でうなずいた。そして少しの間考え込み、再びクルースをまっすぐ見つめて口を開いた。


「……あのぉ、実はわたし王立研究院のお仕事で、一昨日までモンスターの観察に行ってたんです。そしたらその5人組の人たちが、イラスナ火山まで追いかけてきたんです」


「えっ?」


 唐突なメナの言葉に、クルースは一瞬呆気に取られた。


「イラスナ火山は王都からかなり離れていますが、その5人はわざわざそんなところまでスミンズさんを追いかけたのですか? それでいったいどうなったのですか?」


「それは、その……」


 訊かれたとたん、メナはわずかに言い淀んだ。しかしすぐに口を開き、慎重に言葉を選びながらクルースに答えた。


「護衛として同行してもらった冒険者アルチザンの方に助けてもらって、なんとか逃げ切ることができたんです」


「そうですか。それで事なきを得たんですね」


 メナの説明にクルースは納得してうなずいた。しかし隣に座るネンナはわずかに首をかしげてメナに尋ねた。


「失礼ですが、スミンズ様。その時の護衛は何名だったのでしょうか」


「それは、えっとぉ……1人ですけど……」


「さようでございますか。お答えいただき、ありがとうございました」


 メナの答えを聞いたネンナが軽く頭を下げたので、クルースは再びメナを見つめて口を開いた。


「とにかく、スミンズさんがご無事だったのは何よりです。それでスミンズさん。その男たちの特徴を詳しく教えていただけないでしょうか」


「特徴ですか?」


「はい。その男たちの髪型や服装など、何でもかまいませんので」


「そうですかぁ。それはもちろんかまいませんけど……」


 クルースに訊かれたとたん、メナは不思議そうに首をかしげた。クルースの態度があまりにも真剣に見えたからだ。それに、あの5人組が何らかの事件に関わっているということはじゅうぶんに考えられるし、王都守備隊の人間が容疑者を探すために情報を集めるのは当然なのだが、よく考えるとタイミングが気になった。まるでメナがイラスナ火山から戻ってくるのを待っていたかのようにクルースたちが現れたからだ。そこまで必死になるほどの事件って、いったいなんだろう――とメナは思った。それで、心の中に湧いてきたその疑問を、メナはクルースに尋ねてみた。


「えっとぉ、先ほどのお話ですと、あの5人組がある事件に関係している疑いがあるということでしたけど、それはどういう事件なのでしょうかぁ……?」


「――カトレア姫の暗殺です」


「えっ!?」


「なっ!? ネンナさん!?」


 メナの質問に、ネンナがいきなり淡々と答えた。その衝撃的な言葉に、メナとクルースは同時に目を丸くした。


 暗殺と聞いてメナが驚くのは無理もないが、クルースもまた仰天していた。なぜなら、その情報は可能な限り伏せておきたかったからだ。だから当然、アムとネンナには事前に口止めをしていたのだが、なぜかネンナが暴露してしまったのでクルースは思わず耳を疑った。そして耳を疑ったのはメナも同様だった。メナは思わず胸の前で両手を組んで、呆然と口を開けている。その様子をネンナは鋭いまなざしで見つめながら言葉を続けた。


「王位継承権第9位のカトレア・イストン姫殿下を暗殺したのは5人組の剣士と判明しています。そしてその5人はおそらく、全員が特殊な能力を持つ魔法剣を装備していると思われます。そこでお聞きしたいのですが、スミンズ様を襲撃した男たちは、そのような魔法剣を所持していなかったでしょうか?」


「魔法剣って、まさか……それじゃあ、あの5本の刀が……」


「5本の刀?」


 メナの呟きに、クルースはわずかに眉を寄せて訊き返した。するとメナは鋭く息をのみ込み、慌てて口に両手を当てた。


「もしかして、何か心当たりがあるのでしょうか?」


「そ……それは、そのぉ、えっとぉ……」


 メナは思わず口ごもり、明らかに動揺しながら視線を左右に泳がせた。なぜなら、あの5人が王族の暗殺に関係している可能性があると知って、思わず口が滑ってしまったからだ。


 今をさかのぼること10日前――。メナとネインを襲撃した男たちは、5人ともネインによって返り討ちにされた。そしてネインは5人が持っていた刀を拾い集めて持ち帰り、王都に戻る途中の村でどこかに郵送したのだが、メナはその時、ネインとある約束を交わしていた。その内容は――。


『あの5人を倒したことは2人だけの秘密にする。しかし、もしも何らかの事情で誰かに話さなければならない場合は、殺したのではなく逃げたということにして、それ以外の部分はできる限り正直に話すことにする。下手に嘘をつけば話が破たんするからだ。そして、それでもさらに追及された場合はネインを呼んで、ネインの口から説明する』――そういう約束になっていた。


 だからメナは、『5人組に襲われたけど、何とか逃げ切った』という説明で押し通すつもりだった。しかし、あの5人が王族を暗殺した犯人かもしれないと知ったとたん、メナは激しく動揺した。あの極めて乱暴な男たちなら、その可能性はじゅうぶんに考えられるからだ。さらにネインがあの5本の刀を危険な武器と言っていたことを思い出し、つい心の声が口から漏れてしまった。


「……心当たりがあるんですね?」


「えっとぉ、そのぉ……」


「――まあ、待て、クルース」


 明らかに困惑した表情のメナに、クルースはもう1度探りを入れた。すると、それまで黙っていたアムが不意に口を挟んだ。


「メナよ。答えにくいことを無理に口にする必要はない。ただし、お主が雇った護衛の名前だけは聞かせてもらおうか」


「お名前ですかぁ……」


「うむ。それも答えたくなければ答えずともよい。しかし、お主は先ほど『護衛として同行してもらった冒険者アルチザン』と口にした。ならば冒険職アルチザン協会で、お主に雇われた者を確認すればすぐにわかることだ」


「そう……ですよねぇ……」


 アムに淡々と訊かれたメナは、悩ましげに顔を曇らせた。たしかにアムの言うとおり、冒険職アルチザン協会に問い合わせれば、メナが誰を護衛に雇ったのかすぐにわかってしまうからだ。だからメナは観念して、重たい口でアムに答えた。


「えっとぉ……わたしを護衛してくれたのはネインさんです。ネイン・スラートさんです」


「そうか。それで、そのネインとやらは、今はどこにいるのだ」


「ネインさんは昨日の朝、東の方に向かいました。少し遠出をするということで、戻ってくるのは3週間ほど先だと言っていました」


「なるほど、3週間ほど先か」


 アムはメナの言葉を繰り返しながら、チラリとネンナに目を向けた。するとネンナは首を小さく縦に振った。その仕草を見て、アムとクルースはうなずき合った。


「ならば、話の続きはそのネインとやらが戻ってきてからにしよう。メナもその方がよかろう」


「そうですね……。できればそうしてもらえるとたすかりますぅ……」


 アムの言葉を聞いて、メナはホッと安堵の息を吐き出した。


「すまぬな、メナよ。うちのクルースは見てのとおり、相手の都合に配慮ができない未熟者なのだ。そんなヤツのケーキは没収して、今すぐ我に渡すがよい」


「……はいはい。どうせボクは未熟者ですよ」


 クルースは呆れ顔で肩をすくめ、手をつけていないケーキの皿をメナに差し出した。するとメナも軽く苦笑いしながら皿を受け取り、車椅子に座るアムに手渡した。それからアムとメナは話題を変えて、話に花を咲かせながらゆったりとした時を過ごした。




「それじゃあ、アムちゃん。うちは毎週土曜日がケーキの日だから、よかったらまた遊びにきてねぇ~」


「うむ。気が向いたら午後の3時に来てやろう。来週はブラウン・チーズケーキの気分だな」


 クルースがアムと一緒にメナの家の外に出ると、空はもう暗くなり始めていた。玄関の外まで見送りに出てきたメナは、少しさびしそうな微笑みを浮かべながら、去っていくアムに手を振っている。アムも軽く振り返り、メナに向かって片手を上げた。


「今日はまた、ずいぶんと珍しく話し込んでいたな」


「まあな」


 歩きながら声をかけてきたクルースに、アムはいつになく上機嫌な顔で口を開いた。


「メナはなかなか頭がよい。それにあの年齢にしてはかなりの知識を持っている。我の話し相手としては、まあ及第点というところだな」


「そうか。アムがそこまでほめるということは、スミンズさんはかなり優秀なんだな」


「そうだな。自分の研究について熱心に語るメナを見ていたら、懐かしいヤツを思い出した。若いころのソフィアもああいう感じだったからな」


 アムは藍色に染まった空を見上げて目を細めた。


「ま、それはどうでもいいとして、とりあえずクルースよ。例のネインとやらがいつ戻ってきてもいいように、毎週土曜日はメナの家に様子を見に行くことにするぞ」


「はいはい。そういうことにしといてやるよ」


 クルースは思わず微笑みながら肩をすくめた。アムの狙いはネインではなく、メナと一緒にお茶を飲みたいということがまるわかりだったからだ。しかし、クルースがアムと知り会ってからこの2年あまり、これほど楽しそうなアムを見るのは初めてだった。だから普段は警備軍の仕事が最優先のクルースも、今回ばかりはアムの希望を叶えたいと思っていた。


「だけど、スミンズさんもアムのことをかなり気に入っていたから、アムが質問すれば、あの5人組のことを素直に話してくれたんじゃないのか?」


「たしかに我が追求すれば話していただろう。しかしそれは、もはや聞く価値のない情報だ」


「はあ? 聞く価値がないって、それはいったいどういう意味だ?」


「べつに難しい話ではない。メナはつい先ほどまで、我と楽しくおしゃべりをしていた。つまりはそういうことだ」


「いや、そういうことだって言われても、それだけだとよくわからないんだけど。スミンズさんのおしゃべりが、例の5人組と何の関係があるんだ?」


「簡単なことだ」


 アムは車椅子の背もたれに寄りかかり、星がまたたき始めた夜空を眺めた。


「メナを襲った5人組は、カトレアを暗殺した犯人の可能性が高い。そしてメナは、イラスナ火山まで追いかけてきたその5人組から逃げ切ったと言った。ということは、そいつらは再びメナを襲う可能性がある」


「うん。それはたしかにそうだな。スミンズさんの話だと、そいつらは3回もスミンズさんを襲おうとしたんだから、再び襲う可能性は高いだろ」


「そうだ。そしてその危険性はクルース程度の頭でも予想できる。だったら、頭のよいメナに予想できないはずがない」


「……はいはい。どうせボクの頭はその程度ですよ」


 アムに言われて、クルースは思わず渋い表情を浮かべた。しかし、アムの話の続きを聞いたとたん、クルースはハッと目を見開いた。


「しかしな、クルースよ。メナは先ほどまで我と楽しそうにおしゃべりをしていた。まさに文字どおり、何のうれいもなくお茶会を楽しんでいた。そして今のメナは、王族を暗殺した男たちに狙われる可能性があるというのに、まったく怯えることなくあの家に1人でいる。それはつまり――」


「ちょ、ちょっと待て、アム。それってまさか……」


「うむ。そのまさかだ」


 不意に緊迫した声を漏らしたクルースを見上げて、アムは淡々と言い切った。



「そうか……。だからスミンズさんは何の心配もしていないってわけか」


「そうだ。そしてその5人組を殺したのはほぼ間違いなく、ネインとかいう護衛だろう」


「でも、それならどうしてスミンズさんは、そのことを話したがらないんだ? たとえ5人を殺したとしても、状況を考慮すれば正当な自己防衛だ。ボクたちに話しても罪に問われることはないのに」


「それもべつにおかしな話ではないだろう」


 アムは膝に置いた赤い傘を軽く握って息を吐いた。


「力のないメナには、暗殺者どころか小動物すら殺せない。となると、その5人はネインとやらが1人で殺したことになる。しかし、もしもその5人が本当にカトレアを暗殺した犯人グループなら、そいつらは白百合騎士団のナンバースリーであるアルバート・グロックを倒したことになる。そんな腕の立つ暗殺者たちをたった1人で撃破したとなると、そのネインとやらは相当な実力者だ。そして世の中には、自分の実力を隠したがる人間も少なからず存在する。――クルースよ。おまえにならその気持ちがわかるだろ」


「さあ。そんなこと、ボクにわかるわけないだろ」


 アムに言われたとたん、クルースは素知らぬ顔で目を逸らした。その仕草を見たアムは一瞬だけ鼻で笑い、話の続きを口にした。


「まあ、それはどうでもいいとして、つまりメナは、そのネインとやらに頼まれて、5人を殺したことを隠そうとしている。それはおそらく、その5人に仲間がいることを警戒しているからだ」


「そうか……。もしその5人を倒したと認めたら、そいつらの仲間に命を狙われる可能性がある。だから殺したとは言わずに、逃げ切ったと言ったのか」


「そうだ。その5人に会っているのに会っていないと嘘をつけば、嘘に敏感な者にはすぐにバレる。だから真実を織り交ぜて、殺したというところだけを逃げ切ったと言い換えたのだ」


「そして、スミンズさんにそういう対応をするように助言したのも、その護衛の男ということか」


「そう考えるのが妥当だな――」


 不意に夜の風が吹き抜けて、アムの金色の髪をわずかに揺らした。


「以上の状況から推測すると、そのネインとやらの実力は間違いなく黒天位こくてんい以上――。もしかすると、緋黒ひこく天位のスカーレット級かもしれん」


「スカーレットか。そうなると、水白アクア騎士ナイトのボクではとても太刀打ちできそうにないな」


「さて、それはどうかな」


 ふと呟いたクルースを、アムは軽く見上げてニヤリと笑った。


「あのラグナロクと渡り合ったおまえなら、意外といい勝負になるんじゃないか?」


「やめてくれ。結局あの時のボクには、足止めぐらいしかできなかったんだから」


「そうか。ま、今日のところはそういうことにしといてやろう。それより、メナを襲った5人組がカトレアを殺した犯人だとすると、別の問題が出てくるな」


「そうだな。そいつらが10日前にイラスナ火山で死んでいたとすると、5日前にアルビス王子とソニア姫を暗殺したのは別の人間ということになるからな」


「まあ、あの2人の王族は強力な大地魔法で殺されたわけだから、5人組の剣士たちとは別口だとわかっていたがな」


「しかも、目撃情報によると空を飛ぶ2人組だったらしいから、今度は凄腕の魔法使いのお出ましってところか。まったく、面倒な話だな」


「うむ。そうするとつまり、この一連の暗殺事件には、少なくとも3つの暗殺者グループが別々に行動していることになる。そしてその3つのグループがお互いに干渉していないということは、1つの意志が裏で操っているとみていいだろう」


「つまり、そいつが黒幕ということか――」


 クルースは目に力を込めて、道の先に広がる夜の闇をにらみつけた。


「たしかに、異なる暗殺者を交互に使えば警備軍の意表を突くことができるし、こちらの捜査をかく乱することもできる。それが黒幕の狙いということか」


「おそらくそういうことだろう。だからこそ、逆に犯人像が絞り込める。これほど用意周到な暗殺計画なら、準備期間は1年や2年どころではない。そしてここまで王位継承権者が連続で暗殺されてしまうと、サイラス王の死もその黒幕の仕業と考えた方がいい。つまりこの黒幕は、普通の人間ならば気が遠くなるほどの長い年月を、クランブリン王室に対する恨みの炎で心を燃やしながら生きてきたということだ」


「気が遠くなるほどの長い年月……それはまさか……」


 クルースの低い呟きに、アムは遠い目で星空を見上げながらうなずいた。


「そうだ。それほどまでの暗い負の感情を、長期間にわたっていだき続けることができるのは、ある特定の存在だけだ」


「やはり、そういうことか……」


 アムの言葉を耳にして、クルースは思わず目を閉じた。その推測をアムがどのような気持ちで口にしたのか――。それを考えたとたん、心が急に重くなったからだ。


 以前、カトレア姫が暗殺された時、現場を調べたアムは犯人像に目星がついたと言っていた。そしてその時のアムも、今のように悲しそうな表情を浮かべていたことをクルースは思い出した。だからクルースは再び目を開けて、ゆっくりと歩きながら星を眺めて呟いた。


「つまりその黒幕は、アムの同族というわけか……」


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