第73話  屋上庭園の少女たち――シークレット・プリンセス&シークレット・アベンジャー


 ソフィア寮の316号室に、軽いノックの音が不意に響いた。


 午後の明るい光が射し込むベランダの前で座り込んでいたシャーロットは、のんびりとした声で返事をしながら立ち上がった。そしてすぐにドアを開けてみると、廊下に立っていたのは長い黒髪の少女――ジャスミンだった。


「あ、ジャスミンだぁ。こんにちはぁ」


「こんにちは、シャーロット。いま、少し時間ある?」


「うん、もちろん。授業がなくて暇すぎて、ぼーっとひなたぼっこしてただけだから」


 シャーロットは部屋の奥を指さしながらにっこりと微笑んだ。本当は王位継承権者に名乗りを上げるかどうかについて悩んでいたのだが、さすがにそんなことは話せない。だからシャーロットは適当に誤魔化しながら、部屋の中に手を向けた。


「さ、ジャスミン。入って、入って。中で話そ」


「あ、待って、シャーロット」


 シャーロットが部屋の中に戻りかけたとたん、ジャスミンが不意に呼び止めた。


「ん? どしたの?」


「えっとね、今日はお天気がいいでしょ? だから、屋上で話さない? 実はすでにケーキとお茶も用意してあるんだけど、よかったらどうかしら?」


「えっ? ほんと? いくいくーっ!」


 思いがけずお茶に誘われたシャーロットは、嬉しそうに顔を輝かせながら廊下に出た。そして階段の横にある短い通路を通り抜けて、屋上庭園に足を運んだ。


 シャーロットたちが生活するソフィア寮は、東棟、南棟、西棟がコの字型に組み合わさった3階建ての建物だった。そして3つの棟に囲まれた中央部分の1階は大食堂になっていて、2階には倉庫と大浴場があり、3階部分が屋根のない屋上庭園になっていた。


「あ~、けっこうあったかくなってきたねぇ~」


 広い屋上に出たシャーロットは、晴れ渡った青空を見上げてにっこりと微笑んだ。


「そうね。春の陽気は気持ちがいいわね」


 ジャスミンも優しげに微笑み、屋上庭園の中央に向かっていく。そこには台座に立つ女性の銅像が置かれていて、周囲にはいくつかのテーブルと椅子が並べられている。そのテーブルの1つにお茶の用意がされていて、ケーキがホールで置かれていた。


「あっ! オレンジケーキ! おいしそぉ~」


「せっかくだからオルクラで買ってきたの。さあ、シャーロット。座ってちょうだい」


 ジャスミンはケーキを6つに切り分けて、3枚の皿に1切れずつのせていく。そして椅子に座ったシャーロットに差し出すと、自分の前と、それから空いている席にもケーキの皿をそっと置いた。


「ポーラも、このケーキが好きだったからね」


 ジャスミンは空いている席を見つめながら、とても優しい声でそう言った。それからやはり3つのカップにお茶を注ぎ、同じように振る舞った。


「そういえば、シャーロット。その銅像の女性はどういう方なの?」


「えっ?」


 不意に質問されたシャーロットは、一瞬ポカンと口を開けた。それからすぐに老女の銅像に顔を向けた。


「ああ、これはソフィア・ミンスの銅像ね」


「ソフィア・ミンスというと、この学院の創立者ってこと?」


「そうそう。何百年もむかしの大賢者ね」


 シャーロットはケーキをパクリと食べて、フォークの先を屋上の床に向けた。


「このソフィア寮って、もともとはソフィア・ミンスの研究所だったんだって。だから今でも2階の倉庫には、ソフィア・ミンスが使ってた実験道具や古い本が置きっぱなしになってるみたい」


「そうだったの。この建物にはそういう歴史があったのね」


「まあねぇ。ここって部屋がやたらいっぱいあるから、自分の死後は学生寮にするようにって、ソフィア・ミンスが遺言を遺していたんだって。わたしはべつに興味ないんだけど、メナちゃんなんかは大喜びで2階の倉庫を調べまくってたよ。しかもこの寮を出て今のおうちに引っ越す時、気に入った実験道具をいくつか持っていっちゃったみたいだし」


 シャーロットは不意にメナのことを思い出し、クスクスと笑い出した。


「メナさんはたしか、シャーロットのルームメイトだった先輩ね」


「そうそう。見た目はわたしより小さくて、すっごくかわいいの。だから初めて会った時はぜったい年下だと思ったのに、3つも年上だったからびっくりしちゃった」


「たしかに私も、あの似顔絵を見た時はシャーロットの妹かと思ったわね」


「でしょー? しかも今でもあの顔のままだから、ぜったい誰も18歳だなんて思わないよねぇ~」


「でも、王立研究院に入るぐらいだから、とても頭がいいんでしょ?」


「そうそう、ものすごーく頭がいいの。だから今は他の研究者に嫉妬されて、ちょっとイジメられているみたい。ひどい話だよねぇ~」


「あら、それは大変ね。そうすると、今はあまり元気がないのかしら」


「ああ、ううん、それはだいじょうぶ」


 不意に心配そうに眉を寄せたジャスミンに、シャーロットは手を左右に振ってみせた。


「ほら、この前わたし、南門までメナちゃんのお見送りにいったことがあったでしょ?」


「ええ。たしかメナさんが、イラスナ火山に向かって出発した時のことね」


「そうそう。その時のメナちゃんは、なんだかものすごーくウキウキして元気いっぱいだったからねぇ。メナちゃんって本当に研究が大好きだから、他のことはあんまり気にならないみたい」


「そう。それならよかった。メナさんは心が広い人なのね」


「うん、ほんと、すっごくいい子だよぉ~。ジャスミンも今度、一緒にメナちゃんのおうちに遊びに行こうよ。きっとメナちゃん、大喜びするから」


「そうね。それでは、戻ってきたら1度会ってみたいわね」


「そうだねぇ。たしか月末には戻るって言ってたから、今度の週末にでも会いに行ってみようか」


「あら、ごめんなさいシャーロット。そういう意味ではないの」


「ほえ?」


 不意にジャスミンが申し訳なさそうに微笑んだので、シャーロットは思わず首をかしげた。


「そういう意味じゃないって、どういう意味?」


「実は私、明日から少し王都を離れることになったのよ。だから戻ってきたらというのは、私が王都に戻ってきたらという意味なの」


「え? そうなの? まさか、ジャスミンも実家に戻っちゃうの?」


「ううん。実家ではなく、ちょっと東の方に行くの。ほら、今は授業がお休みになっているでしょ? だから時間のある今のうちに、お父様の知り合いの貴族のところに挨拶に行くことにしたの」


「あ~、なるほどぉ、そういうことね」


 シャーロットはとたんに納得顔で、うんうんとうなずいた。


「だから今日は、わたしをお茶に誘ってくれたんだぁ~。ジャスミンってほんと、礼儀正しいよねぇ~」


「ふふ。そう見せかけて、私がケーキを食べる言い訳を作りたかっただけかもよ?」


「あはは。そういう言い訳ならだいかんげ~い。それで、何日ぐらい王都を離れるの?」


「そうねぇ。たぶん、3週間ぐらいかしら」


「……へっ? そんなに?」


 ジャスミンが小首をかしげながら答えたとたん、シャーロットは一瞬呆然とした。知り合いを訪問するために、まさか1か月近くも王都を留守にするとは思ってもいなかったからだ。しかも今のソフィア寮に残っている女生徒はほんの十数名で、シャーロットと仲がいいのはジャスミンだけだった。だからシャーロットはジャスミンを見つめたまま、思わずさみしそうに顔を曇らせてしまった。


「ほら、クランブリン王国の東にはオーブル共和国があるでしょ? その国境近くに、お父様の知り合いの貴族がいらっしゃるの。だからどうしても往復で3週間ぐらいかかりそうなの」


「そっかぁ。たしかに東の国境は遠いからねぇ。それじゃあ仕方ないか……」


「ごめんなさい、シャーロット。そんなに暗い顔をしないでちょうだい。何かお土産を探してくるから」


 ジャスミンは明るい笑みを浮かべながら、空になったシャーロットと自分の皿にもう一切れずつケーキをのせた。そんなジャスミンを見つめていたシャーロットは、不意に何かを決意するように1つうなずき、思い切って口を開いた。


「そうすると、ジャスミンが戻ってくるのは4月の終わりぐらいになるってこと?」


「そうね。たぶんそれぐらいになると思うけど、それがどうかした?」


「だったら、そのぉ、ジャスミンにちょっと相談したいことがあるんだけど、いいかな?」


「ええ、もちろん。私でよければ何でも相談して」


 ジャスミンはニコリと微笑み、ぬるくなった茶を一口飲んだ。シャーロットはジャスミンに礼を述べて、慎重に言葉を選びながら話し始めた。


「えっとね、実はその、ちょっと急な話なんだけど、うちの家督かとくをわたしが継ぐことになりそうなの」


家督かとく? それはつまり、シャーロットがナクタン家の当主になるということ?」


「うん、まあ、そんな感じ。だけどほら、わたしってもの覚えもよくないし、要領もわるいでしょ? だから、そういう偉い立場なんてぜったい向いてないと思うの」


「それはやってみないとわからないと思うけど、シャーロットはもしかして、自分に自信がないの?」


「それはそうだよぉ~。自信があったらこんなに悩まないよぉ~」


 ジャスミンに訊かれたとたん、シャーロットは思わず長い息を吐き出した。


「わたしってほんと、むかしから頭がわるいから、なにをどうすればいいのかぜんぜんわかんないんだよねぇ……。だからさぁ、こんなダメダメなわたしが偉い立場になんかなったら、ぜったいいろんな人たちに迷惑かけちゃうに決まってるよぉ……」


「そうかしら? シャーロットは素直で優しいから、誰にでも好かれると思うけど」


「そう言ってもらえるのはすごく嬉しいけど、問題はわたしの頭のわるさなんだよねぇ……。いくらお飾りの人形でいいって言われても、わたしみたいにバカすぎると、ぜったい大勢の人を困らせちゃうと思うんだよねぇ……」


「なるほどね。つまりシャーロットはそのことで、ここのところずっと落ち込んでいたというわけね」


「あ……ごめん。わたし、ジャスミンの前でそんなに暗い顔してた……?」


「ちょっとだけね。でも、そういう事情なら仕方ないわよ。最近はいろいろなことがあったからね」


 ジャスミンはシャーロットを見つめたまま悲しそうに微笑んで、空いた席に置かれたケーキの皿に目を向けた。それからもう一口茶を含み、遠い目をしながら静かな声で語り始めた。


「……実はね、シャーロット。私もこの国に来る前に、今のあなたのようにすごく悩んでいたことがあったの」


「え? そうなの?」


「ええ。もう何年も前の話になるんだけど、仲の良かったお兄様が何者かに殺されたの」


「……えっ? 殺されたって……えっ?」


 シャーロットは一瞬思考が止まった。ジャスミンの告白内容があまりにも衝撃的だったので、すぐには理解できなかったからだ。そしてその言葉の意味が頭に染み込んできたとたん、シャーロットは愕然として目を見開いた。そんなシャーロットを見て、ジャスミンは申し訳なさそうに微笑みながらゆっくりと続きを話す。


「あの時の私は9歳で、お兄様は16歳だったの。家族の私が言うのもなんだけど、お兄様はとても頭がよくて勇敢で、何でもできるすごい人だった。だから私はお兄様に憧れて、お兄様のように強くなりたいと思っていた。だけどね、その時の私はあまり素直じゃなかったの。きっと子どもだったのね。お兄様が剣の稽古けいこをつけてくれると言ってくれたのに、私は意地を張って強がって、1人で練習すると言い張ったの。それでお兄様は少しさびしそうに微笑んで、外に出かけてしまった。そしてそれが、お兄様との最後の別れになってしまったの」


「ジャスミン……」


 シャーロットはジャスミンの名を口にしたが、それ以上は言葉が何も出てこなかった。ジャスミンの兄の身にいったい何が起きたのか、詳しい事情を知りたいという気持ちはあるが、同時に質問してはいけないような気がしたからだ。そして何より、心の中で涙を流しているかのようなジャスミンの微笑みを見て、胸がいっぱいになってしまったからだ。


「あの時……もしもあの時、私がつまらない意地を張らずにお兄様と剣の稽古けいこをしていたら、お兄様は殺されずに済んだかもしれない。そう。もうあと少し、ほんの一言でも声をかけてお兄様の外出を遅らせていれば、お兄様は死なずに済んだのかもしれない。私はそう考えて、長い間……ううん、今でもずっと後悔している。それで私は気づいたの。もうこんな後悔はしたくない。だから、何もやらないで後悔するよりは、何かをやって後悔した方がいい――。そう気づいたの」


「なにもやらないより、なにかをやって……?」


「そう」


 思わず呟いたシャーロットに、ジャスミンは固い決意を秘めた瞳でうなずいた。


「何かについて、やるか、やらないかの選択肢で悩んだ時は、思い切ってやった方がいいと私は思う。なぜなら、何もしなければ何も変えることができないから。だけど思い切って行動すれば、必ず自分の選択が結果を変えると私は思う」


「自分の選択が……結果を変える……」


「そうよ、シャーロット。どんな選択肢にも、よい結果と悪い結果が必ずあるの。だけど、どういう行動がどういう結果に結びつくかは誰にもわからない。一生懸命に努力しても、よい結果に結びつかないことだってきっとあるはず。でもね、未来を恐れて何もしないことこそが、最悪の選択だと私は思うの」


「未来を恐れてなにもしないことが、最悪の選択……」


 そのジャスミンの言葉に、シャーロットの心は激しく揺れた。


(それはたしかに、そうかもしれない……)


 シャーロットは心の中で呟きながら、思わずこぶしを握りしめた。なぜならば、シャーロットは王位継承権者に名乗りを上げるかどうかで考え込んでしまい、ポーラとのお茶の約束をすっぽかしてしまったからだ。


 もしもあの時、いつまでもウダウダと悩まずに時間を守ってカフェに向かっていれば、もしかすると途中でポーラと出会っていたかもしれない。そしてそうなれば、ポーラは殺されずに済んだかもしれなかった。


 それはつまり、未来を恐れた自分が立ち止まってしまったせいで、ポーラが命を落としたのかもしれないとシャーロットは考えた。そしてシャーロットは、自分のせいでポーラが死んだのではないかと無意識のうちに感じていて、それでいつまでも元気が出なかったのだと、今さらながらにようやく気づいた。


「それじゃあ……わたしが未来を恐れていつまでも悩んでいたせいで、ポーラは殺されちゃったのかも……」


「それは違うわ、シャーロット」


 わなわなと手が震え始めたシャーロットに、ジャスミンはきっぱりと言い切った。


「ポーラのことはシャーロットのせいではないわ。それだけは絶対に違う。だからお願い。自分のことを責めないで」


「で……でも……」


「大丈夫。大丈夫よ」


 ジャスミンは椅子から立ち上がり、今にも泣き出しそうなシャーロットの頭を抱きしめた。


「ごめんなさい、シャーロット。辛いことを思い出させてしまったわね」


「ううん、わたしの方こそ、ごめんねジャスミン……」


 シャーロットも瞳を潤ませながら、ジャスミンの胸に顔をうずめて抱きしめた。


「だけどわたし……わたし……ほんとにもう、なにをどうすればいいのかわかんなくて……」


「大丈夫よ、シャーロット。あなたには考える時間がある。だから、急いで答えを出さなくていいの」


 自分の道を見つけられずに迷い苦しむシャーロットの小さな頭を、ジャスミンは優しくなでた。それからシャーロットに気づかれないように顔を上げて、青い空の彼方を憎々しげににらみつけた。





***



・あとがき


本作品をお読みいただき、まことにありがとうございます。


参考までに、明日の投稿時間をこの場に記載いたします。


引き続きご愛読いただけますよう、どうぞよろしくお願いいたします。


2019年 1月 22日(火)


第74話 06:05 土曜日の幸せなお茶会――

第75話 11:05 この広い世界の片隅で――

第76話 16:05 優雅なる魔女の狂想曲――その1

第77話 19:05 優雅なる魔女の狂想曲――その2

第78話 23:05 優雅なる魔女の狂想曲――その3



記:2019年 1月 10日(木)

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