第71話  悩める少女と、鋼の心を持つ女騎士――パジャマプリンセス&フェイクガーリーロータスナイト


 ソフィア・ミンス王立女学院のソフィア寮316号室で、ベッドの中のシャーロットがゆっくりと目を開いた。そして、金色の髪に軽く寝ぐせをつけた少女は、開口一番、長い息を吐き出した。


「はああああああ……」


 目覚めたばかりだというのに、シャーロットはグッタリと寝返りを打った。最近はいつもこんな感じで、なかなかベッドから起き上がれない日々が続いていた。ポーラの葬儀を終えてからもう10日以上が経つというのに、口を開ければため息しか出てこないし、いつまで経っても気が晴れない。目が覚めると同時に、ポーラの笑顔をどうしても思い出してしまうからだ。


「でも、寝てばかりいてもしょうがないよね……」


 シャーロットは首から下げている青いロケットを指先でなでながら息を吐き出し、思い切って立ち上がった。そしてそのままふらふらとカーテンを開けてみると、今朝の空は一面どんよりとした灰色に染まっていた。


「くもりかぁ……。雨、んだんだ」


 昨日は一日中雨だった。だからだろう。もう3月も終わるというのに、気温はかなり低く感じる。しかし厚手のパジャマを着たシャーロットはガラスの扉を開き、狭いベランダに足を踏み出した。冷たい空気を胸いっぱいに吸い込めば、目が覚めると思ったからだ。でも――。


「やっぱりちょっと、寒いかな……」


 不意に吹き抜けた朝の冷たい風が、少女の金色の髪を軽く揺らした。石の手すりにそっと触れてみると、わずかに濡れている。どうやら雨は夜のうちにんだようだ。


「でもなぁ、授業がないのはいいんだけど、どうやって時間をつぶそう……」


 シャーロットは手すりに軽く寄りかかり、重苦しい空を呆然と眺めた。


 今月に入ってから、シャーロットの生活は大きく変化していた。王族が8人も暗殺されて、しかも同じ寮に住むポーラまで何者かに殺されてしまったからだ。そのせいで、王立女学院に娘を預けていた貴族たちは慌てて我が子を実家に呼び戻し、ほとんどすべての生徒が一時的に寮から出ていってしまった。そのため学院の授業も当面の間は休講となってしまい、シャーロットは完全に暇を持て余すようになっていた。


「シスタールイズには実家に戻るように勧められたけど、わたしにはもう帰る家がないんだよねぇ……」


 シャーロットは悲しそうに眉を寄せて、もう1度長い息を吐き出した。


 いきなり訪ねてきた血統審判官によって、シャーロットは王族の一員と認定されてしまったのだが、それが今になってもまだ信じられなかったからだ。さらに、青蓮せいれん騎士団の団長に就任したクレア・コバルタスから、女王の座に就くように要請されたことが心に重くのしかかっている。しかも自分が養子として育てられたことを知ったシャーロットは、育ての親のナクタンの家には帰りづらくなってしまい、生徒がほとんどいなくなったソフィア寮で一人悶々と過ごすことしかできなかった。


「ほんと、こうなったのはすべてクレアさんのせいなんだよねぇ……」


 シャーロットは三度みたび重いため息を吐きながら視線を下げた。すると遠くから誰かが歩いてくる姿が見えた。王立女学院の制服を着ているので、おそらく生徒なのだろう。長い金髪を背中に垂らした細身の女性だ。しかし――。


「はて……? こんな朝早くに誰だろ? なんだかものすごくきれいな人だけど、あんな人、うちの生徒にいたっけ……?」


 遠目でも美しさを感じさせる女性を眺めて、シャーロットは思わず首をかしげた。しかし次の瞬間、愕然として目を見開いた。背すじをピンと伸ばしてソフィア寮にまっすぐ向かってくる女性の顔には見覚えがあったからだ。


「あれって……ええっ!? うそっ! まさかっ! クレアさんっ!?」


 それは間違いなく、青蓮騎士団の新しい団長、クレア・コバルタスその人だった。しかもクレアはみるみるうちに近づいてきて、ソフィア寮に入ってきた。


「ま……まさか……」


 シャーロットはごくりと唾をのみ込み、おそるおそる振り返った。すると案の定、誰かがドアを勢いよくノックした。しかもシャーロットが返事をする前にドアが開き、学生服姿のクレアが迷うことなく勝手に部屋に入ってきた。


「――シャーロット様っ! おはようございますっ!」


「お……おはようございます、クレアさん……」


 いきなり腹の底から声を張り上げて敬礼してきたクレアに、シャーロットは思わず引きつった顔で返事をした。しかしクレアはシャーロットの渋面じゅうめんに気づくことなく、さらに声を張り上げる。


「今朝は清々しい天気でございますねっ!」


「いえ……どんよりとした曇り空なんですけど……」


「雨上がりの空気は嫌いではありませんっ!」


「相変わらず、わたしの言葉はスルーですか……」


「本日は、先日の続きをお話しするために伺いましたっ!」


「そうですか……。こんなに朝早くから、それはどうもお疲れ様です……」


「ははぁっ! 恐縮でございますっ!」


(うーん、どうしよう……。やっぱりこの人、苦手だわ……)


 シャーロットはあからさまに渋い表情を浮かべてベランダから部屋に戻り、ガラスの扉をそっと閉める。そしてクレアに椅子を勧め、自分はベッドに腰かけた。それから、もっとも当たり障りのない疑問をクレアに尋ねた。


「えっとぉ……今日はどうして、うちの学院の制服を着ているんですか?」


「はっ! 騎士団の制服でシャーロット様にお会いしますと、シャーロット様が重要人物だということが周囲の者に知られてしまう恐れがあるからでございます! ですので本日は、このように完璧な変装をしてまいりました!」


「完璧な変装って……そんな超絶美人の大人っぽいミニスカ女子学生なんて、逆にものすごーく目立つような気がするんですけど……」


「はっ! 恐縮でございますっ!」


(ああ……この人たぶん、恐縮の意味わかってないな……)


 シャーロットは思わずじっとりとした目つきでクレアを見た。しかしクレアは揺るぎない瞳でシャーロットを見返してくる。そのまっすぐすぎる視線からシャーロットはそっと目を逸らし、手のひらを下に向けながらクレアに言った。


「それと、そんなに大きな声だと他の人に話を聞かれてしまうかもしれませんので、もう少し声を抑えた方がいいかと思いますけど……」


「なるほど! さすがはシャーロット様! 鋭いご指摘、まことにありがとうございます!」


(だから、声を抑えろって言ってんのに……)


 シャーロットは思わず胸に手を当てて、沸々と湧き上がってきたいきどおりを抑えつけた。いくら王族の一員に認められたとしても、シャーロットはただの貴族の娘として育ってきたので、4大騎士団の団長の1人に、『声がでかいから静かにしろっ!』などと怒鳴るなんて、そんな大それたことなんかできるわけがない。だからシャーロットは心を無理やり落ち着けながら、話の続きを促した。


「それで、クレアさん。先日の続きというのは、どんなお話でしょうか?」


「はっ。その前にまず、元老院の決定をお伝え致します。やはり次の王位継承権者会談は5月の上旬まで延期ということになりました」


「5月ですか……。つまり、わたしが王位継承権者に名乗りを上げるかどうか、あと1か月は考える時間があるということですね」


「はい。そして本日はその確認にまいりました。王座に就いていただくお覚悟は固まりましたでしょうか」


「いえ、ぜんぜん固まっていません。まだふにゃふにゃです」


 訊かれたとたん、シャーロットはこぶしを握りしめてキッパリと言い切った。するとクレアもすかさず鋭く訊いてきた。


「さようでございますか。ではそのふにゃふにゃのお心は、いつごろ固まりそうでしょうか」


「わかりません」


「3日後でしょうか」


「わかりません」


「4日後でしょうか」


「わかりません」


「5日後でしょうか」


「わかりません」


「2日後でしょうか」


「なんで短くなってんですか……」


 いきなり指を立てながらにじり寄ってきたクレアを見て、シャーロットは半分白目を剥いた。


「というか、考える時間はあと1か月あるんですよね? それなのに、どうしてそんなに答えを急がせるんですか?」


「それには2つ理由があります」


 クレアは再び椅子に腰を下ろし、シャーロットをまっすぐ見つめた。


「1つはやはり時間です。シャーロット様のお覚悟が早く固まりますと、それだけ根回しの時間が確保できるからです」


「根回し?」


「はい。シャーロット様が王族の一員として名乗りを上げますと、他の王族の王位継承権は1つずつ繰り下がります。そうなると、不満を持つ者が必ず出てきます。特に現在の第8王位継承権者のカーク・ノーランドは、シャーロット様のお立場に異議を唱える可能性が高いです。それを抑えるには元老院や他の王族を説得し、シャーロット様の味方につける必要があります」


「なるほど、そういうことですか……。なんだか面倒なお話なんですね……」


「ご安心ください。シャーロット様の地盤固めにつきましては、我らコバルタス家がすべてお引き受け致します」


「そうですか。でも、自分で何もしないのは楽でいいですけど、それだとわたしって、なんだかお人形さんみたいですね」


「ご安心ください。王というのは基本的に、お飾りの人形みたいなものでございます」


(うーん……やっぱりこの人、思ったことをそのまま口にする性格なんだ……)


 シャーロットは思わず渋い顔でクレアから目を逸らした。自分で自分のことを人形みたいと言ってはみたものの、他人からはっきり人形だと言われると、なぜか胸の中がムカムカしたからだ。そして同時に、他人の意見を素直に受け入れることができない自分に対しても嫌気がさして、思わずガッカリしてしまった。しかしそんなシャーロットの心の機微きびにクレアはまったく気づくことなく、淡々と続きを話す。


「それと、もう1つの理由はシャーロット様の警護についてです」


「警護?」


 言われたとたん、シャーロットは怪訝けげんそうに眉を寄せてクレアを見た。このソフィア寮があるソフィア・ミンス王立女学院は男子禁制で、一般開放されている教会から奥の敷地に部外者が入ることはできないようになっている。だから警護と言われても、シャーロットにはすぐにピンとこなかった。


「はい。実は昨日さくじつ、王都に滞在していた王位継承権者の2名が暗殺されました」


「え……? って! ええーっ!? 暗殺されたって、また殺されたんですかぁっ!?」


 その衝撃的な情報に、シャーロットは驚きのあまり声を張り上げた。暗殺が連続で発生したので、王族は安全な場所に避難していると思っていたからだ。実際、ソフィア寮で生活していたナタリア姫は王都から離れた城に避難したと聞いている。だから他の王位継承権者たちも、同じように安全対策を取っているとシャーロットは思っていた。しかしクレアの話によると、それはどうやら違っていたようだ。


「今回は第10王位継承権者のアルビス王子と、第11王位継承権者のソニア姫が命を落とされました。カトレア姫が暗殺された直後、他の王位継承権者はご自分の領地に引き返したのですが、このお2人だけは王都にやって来ました。おそらく、王座に就ける絶好の機会だと思われたのでしょう。王位継承権者会談に出席しなかった王族には、王位継承権が認められなくなりますから」


「そんなぁ……。いくら王様になりたいからって、暗殺されちゃったらなんの意味もないのに……。それでクレアさん、犯人はまだ捕まっていないんですか?」


「残念ながら」


 クレアは即座に首を横に振った。


「今の王都に滞在すれば、暗殺の恐れがあることはわかっていました。ですので、お2人ともかなり厳重な警備体制を整えておりました。しかし、お2人が滞在されている屋敷のそばに突如として巨大な岩の壁が発生し、倒れてきた壁によって屋敷ごと押し潰されてしまいました」


「お……押しつぶされたって、それってまさか、大地魔法ですか?」


「おそらくそうだと思われます。現場を調査した警備軍の担当者によりますと、今回の暗殺者は凄腕の魔法使いだという見方が強まっているそうです」


「えっ……? 今回のって、それってつまり、前の暗殺者とは違うってことですか?」


 そのシャーロットの質問に、クレアはわずかに表情を曇らせた。


「実は、王都守備隊からの報告によりますと、カロン宮殿を襲撃したのは強力な精霊術師の可能性が高いと聞いております。そしてカトレア姫を暗殺したのは、5人組の剣士と判明しております」


「そっ、それじゃあまさか、王族を暗殺しているのは同じ犯人ではないということですか?」


「その可能性が高いです」


「ちょ……ちょっと待ってください」


 クレアが淡々と答えたとたん、シャーロットは反射的に手のひらをクレアに向けた。王位継承権者が暗殺されたことは知っていたが、暗殺犯が複数存在するなんて知らなかったからだ。そして暗殺者が何人もいるということは、つまり――。


「……それはつまり、こういうことですか? 王位継承権者に名乗りを上げると、いろいろな暗殺者から命を狙われる可能性が高い――ってことですか?」


「正直に申し上げますと、そういうことになります」


「ごめんなさい。まだ死にたくないので女王にはなりません」


 その瞬間、シャーロットはすぐさま頭を下げて女王即位を諦めた。しかしクレアも瞬時にこぶしを握って言い放つ。


「ご安心ください。シャーロット様のお命は、このクレア・コバルタスが必ずお守り致します」


「でも、巨大な岩の壁が襲ってきたら防ぎようがないですよね?」


「ご安心ください。シャーロット様のお命は、このクレア・コバルタスが必ずお守り致します」


「それじゃあ、どうやって岩の壁を」


「ご安心ください。シャーロット様のお命は、このクレア・コバルタスが必ずお守り致します」


「でも、岩の」


「ご安心ください。シャーロット様のお命は、このクレア・コバルタスが必ずお守り致します」


(だめだこの人……。ぜったいノープランだ……)


 何度質問しても同じセリフでゴリ押ししてくるクレアを見て、シャーロットは再び顔面を引きつらせた。するとクレアはシャーロットを見つめながらさらに言う。


「ですが、今のシャーロット様は身分をお隠しになっております。このままでは正式な護衛をお付けすることはできません。ですので、一刻も早く王座に就くお覚悟を固めていただきたいと存じます」


「でも……正式な王位継承権者になったら、暗殺者に命を狙われるんですよね?」


「その可能性はあります」


「だったらやっぱり、女王にはなりたくありません」


「ご安心ください。シャーロット様のお命は、このクレア・コバルタスが必ずお守り致します」


「いや、それはもう何回も聞きましたけど、これだけ暗殺が続くと、さすがに安心なんかできないと思うんですけど……」


「大丈夫です。何も問題はありません」


「でも、やっぱり具体的な対策とか話してもらわないと」


「大丈夫です。何も問題はありません」


「でも、なにか具体的な」


「大丈夫です。何も問題はありません」


「で」


「大丈夫です。何も問題はありません」


(どうしよう……もはやしゃべらせてもくれないんだけど……)


 力を込めた声でシャーロットの言葉を片っ端から封殺するクレアを見て、シャーロットはがっくりと肩を落とした。すると不意にクレアが椅子から立ち上がり、なぜかその場でクルリと回ってポーズを決めた。


「ですが、シャーロット様がそこまでご不安だとおっしゃるのでしたら致し方ありません。かくなる上はこのクレア・コバルタス、本日から24時間体制で、シャーロット様の身辺警護に就く所存であります」


「ほえ? 24時間体制って、まさか……」


 その瞬間、シャーロットの脳裏に嫌な予感がべったりとへばりついた。


「はい。都合のよいことにシャーロット様は今、この部屋にお1人で暮らしていらっしゃいます。ですので、僭越せんえつながらこのクレア・コバルタス、本日よりシャーロット様のルームメイトとして、寝食しんしょくをともにさせていただこうと存じます」


「ル……ルームメイトって、まさか、そのためにその制服を着てきたってことですか……?」


 シャーロットは愕然と目を見開きながら訊き返した。するとクレアは再びポーズを取って、制服のスカートをちょこんとつまんだ。そのクレアの顔はとても美しく、スタイルは文句のつけようがないほど完璧なのだが、21歳の大人の女性が学生服を着ている姿は、どうひいき目に見ても無理がある。ひと言でいえば若作りのお姉さんだ。それ以外に、もはや言いようがない。しかしクレアは自信満々の顔で堂々と言い放つ。


「この格好でしたら、誰がどう見ても女学生に見えるはず。もしも暗殺者が油断して近づいてきたならば、その場で即座に撲殺してご覧にいれましょう」


「いや、だから、そんな大人びた女学生はいないと思うんですけど……」


「大丈夫です。何も問題はございません。コバルタス家の当主である我が父ローガンからは、じゅうぶんに女学生で通じるかわいらしさだとお墨付きをいただいております。ゆえに、このクレア・コバルタスがシャーロット様の護衛だと気づく者はおりますまい」


(いや、それってただの親バカなんじゃ……)


 シャーロットは思わず口に手を当てて、飛び出しかけた言葉をギリギリでのみ込んだ。しかしこのまま黙っていると、クレアはまず間違いなくこの部屋に住み着いてしまう。それは今までの言動を見れば火を見るよりも明らかだ。だからシャーロットは、クレアの提案を全力で阻止するべく考えた。久しぶりに脳みそをフル回転して、限界まで思考を研ぎ澄ました。


 クレアはたしかに暑苦しい性格をしているが、シャーロットはべつに嫌いではなかった。クレアの態度は少々どころか、かなり強引だが、その言動は常に一貫してまっすぐだからだ。口にする言葉は強いけれど嫌味がなく、嘘をついているようには見えないので信頼できる。ただ、今のシャーロットは親友を失ったショックからまだ抜け切れていないので、しばらくは1人で心の整理をしたいという想いがあった。だからシャーロットはわずかに言葉を変えて、その想いを口にした。


「……えっと、ごめんなさい、クレアさん。わたしが王位継承権者に名乗りを上げるかどうかはとても大きな問題なので、1人でじっくり時間をかけてきちんと考えたいんです。なので、できればこの部屋で1人にしてもらえるとありがたいんですけど……」


「それはつまり、シャーロット様はお1人で過ごした方が、王座に就く覚悟が早く固まるということでしょうか?」


「え……えっと、まあ、たぶん、そうなるかもしれません……」


「さようでございますか。そういうことでございましたら、今しばらくは現状のままということに致しましょう」


「そうしてもらえると助かります……」


 意外とあっさり引き下がってくれたクレアを見て、シャーロットはホッと胸をなで下ろした。しかし次の瞬間、クレアは即座に次善のプランをシャーロットに通告した。


「ですがこのままでは、いざという時にシャーロット様をお守りすることができません。ですので、本日から女性騎士が学院内を巡回するように手配させていただきます」


「えっ? 巡回ですか?」


「はい。このソフィア寮には貴族の子女が在籍しております。現在は多くの生徒が実家に戻っている様子ですが、それでも若干名は残っております。その生徒たちの警備を強化するという名目でしたら怪しむ者はおりません。そして警備の騎士たちにもシャーロット様のご身分は伏せますのでご安心ください」


「そうですか……。いろいろと気を遣っていただき、ありがとうございます」


 シャーロットはクレアに向かって頭を下げた。正直なところ、暗殺犯が野放し状態だと聞くと、やはりどうしても不安になってしまう。だから女性騎士が警備を担当してくれるのは心強くてありがたかった。


(クレアさんって、こう見えて案外気配り上手な人なのかも……)


 シャーロットはクレアを見つめて、ふとそう思った。クレアは以前も、ポーラの墓の前で泣き崩れているシャーロットを独特な言い回しで元気づけようとしてくれたからだ。だからシャーロットは、心の中でクレアのことをほんの少しだけ見直した。


 しかしそのとたん、急にクレアのことが気になり出した。クレアがシャーロットに気を遣うのは、シャーロットを女王にするためだ。そしてクレア自身が『王の盾』に就任し、青蓮せいれん騎士団を王室騎士団にしたいからだ。しかし、そういった理由はすでに何度か聞いてはいるけど、よくよく考えてみると、シャーロットには理解できないところがあった。だからシャーロットはわずかに首をかしげながら、クレアに訊いた。


「あのぉ、クレアさん。突然ですが、1つ訊いてもいいですか?」


「もちろんです。どのようなことでもお気軽にお尋ねください」


「それでは、えっとぉ、クレアさんが女王の専属騎士になりたいのは、青蓮騎士団を王室騎士団にするためなんですよね?」


「はい。それこそが、我がコバルタス家の悲願でございます」


「そうすると、国王の専属騎士、つまり王の盾になった騎士が所属する騎士団が、王室騎士団と呼ばれるようになることはわかります。だけどそれって、結局は名誉だけの話ですよね? それなのに、どうしてそこまで必死になって、王室騎士団になりたいんですか?」


「その理由は2つありますが、根本的な理由はただ1つ――シャーロット様がおっしゃったとおり、名誉のためです」


 クレアは今まで以上に真剣な表情で、シャーロットをまっすぐ見つめた。


「まず、我ら青蓮騎士団は、ここ7代に渡って王の盾を輩出しておりません。白百合、紅薔薇、金枝きんし、青蓮、この4つの騎士団の中で、ここまで長期に渡って王室騎士団を拝命していないのは我らのみです。それは我らコバルタス家にとって、そして青蓮騎士にとっては筆舌に尽くしがたい屈辱なのでございます」


「屈辱……」


 その瞬間、シャーロットは思わず息をのんだ。淡々としたクレアの言葉から、熱く激しい想いが鋭く伝わってきたからだ。


「我々は騎士です。騎士という存在は、戦いの中で死ぬ運命を選んだ者たちのことです。そして騎士たちが最後の瞬間まで戦い抜くには、名誉が必要なのです。自分の命は国を守る盾となった。自分の死は無駄ではない。未来に続く道を切り開いた――。そういう強い想いこそが、騎士たちに戦う力を与えるのです。そしてその想いのみなもととなるのが――」


「名誉……」


「はい、そのとおりです」


 思わず胸に手を当てて呟いたシャーロットを見て、クレアは1つうなずいた。


「だからこそ我ら青蓮騎士団は、その名誉を心の底から求めているのです。王室騎士団の名誉によくして死にまみえるならば、騎士としてこれ以上の喜びはない――。そう言っても過言ではありません」


「だからクレアさんは、わたしを女王にして、王の盾になりたいんですね……」


「はい」


 何の迷いもなくキッパリと答えたクレアを見て、シャーロットは悲しげに顔を曇らせた。


「でも……それってなんだか、死ぬために生きているみたいですね……」


「お言葉ですがシャーロット様。それは違います。騎士は守るために生きているのです」


「守るため……?」


「はい。騎士は王と国民を守るため、そして未来に生まれる我らの子どもたちを守るために血を流すのです」


「未来の、子どもたちのため……」


 クレアの熱い想いを知ったとたん、シャーロットは思わず考え込んだ。子どもというのは、力のない弱い存在だ。クレアはその子どもたちを守りたいと口にした。そしてつい先日も、シャーロットはネインの口から同じような言葉を聞いたことを思い出した。


(そういえば、ネインくんも多くの人を守りたいと言っていた……。ネインくんは騎士じゃないのに、クレアさんと同じことを考えて生きてきたんだ……)


 シャーロットはそっと自分の胸を押さえた。なぜか不意に心の奥がうずいたからだ。自分と同い年のネインが、人を守るために命を懸けている騎士と同じ想いを持っている――。それが今のシャーロットには、とても眩しいものに感じられた。


(それじゃあ、今のわたしは、なにを考えて生きているんだろ……。どういう道を目指したいんだろ……)


 シャーロットは自分の心のりかを求めるように部屋の中を見渡した。すると、今は使われていない机の上に立ててある小さな似顔絵が目についた。以前のルームメイト、メナ・スミンズの似顔絵だ。額の中のメナは、シャーロットを見つめて幸せそうな笑みを浮かべている。毎日欠かさず目にしているその微笑みが、クレアの話を聞いた今は、とても大切なもののように感じられた。


(クレアさんとネインくんは、たぶん、この微笑みを守りたいと思っているんだ……)


 シャーロットはそう思った。だからシャーロットは、一番大切な友だちに微笑みかけて、それからクレアに目を向けた。


「あのぉ、クレアさん」


「はい」


「もしも……もしもわたしが女王になったら、力のない人たちを守ることができるんでしょうか……?」


「もちろんです」


 クレアは即座に力強く言い切った。


「王は国民を守るものです。そしてもっとも王に相応しいのは、率先して民を守りたいと願う者です。サイラス陛下はそのように考える素晴らしい王でした。そのサイラス陛下の血を受け継ぐシャーロット様ならば、必ずや多くの国民を守るよい女王になられるでしょう」


「ほんとうに、そうなのかなぁ……」


「はい。間違いございません」


「どうしてそう、強く言い切れるんですか……?」


「ご命令いただければ、我ら青蓮騎士団が命を懸けて力のない民を守るからです」


 不安そうに尋ねたシャーロットに、クレアは胸を張って堂々と答えた。その揺るぎない自信に満ちあふれたクレアの顔を、シャーロットは少しの間、眩しそうに見つめていた。


 それからすぐに、クレアはシャーロットの部屋をあとにした。


 シャーロットは再びガラスの扉を開き、狭いベランダに足を運ぶ。そして遠ざかっていくクレアの背中を無言で見送り、灰色の空に目を向けた。


「……ねえ、ポーラ。ほんとうにわたしなんかが、女王になってもいいのかな……」


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