インタールード――side:クルース・マクロン

第63話  情報と現実の狭間――ウォーキング・カンファレンス


 晴れ渡った青空の下、灰色の石畳の道を赤い傘が滑らかに進んでいた――。


 それは洒落た傘を固定した木製の車椅子だった。車椅子にはフリルの付いた白いドレス姿の少女が座り、背もたれにダラリと寄りかかっている。金色の髪を短く切りそろえた白い肌の少女は、傘の影の中で目を閉じて、小さな口をだらしなく開けている。どうやら完全に眠りこけている様子だ。


 少女が座る車椅子をゆっくりと押しているのは、黒い髪を肩まで伸ばした若い女性だった。そしてその隣には、軍服姿の若い男性が同じペースで歩いていた。2人はしばらく黙々と進んでいたが、不意に男の方が道の先を指さした。


「ああ、ネンナさん。その先を右に曲がってください」


 茶色い髪を短く切った男が声をかけると、黒いメイド服姿の女性は無言のまま右折した。そしてやはり黙々と、前庭のある住宅が並ぶ通りをまっすぐに進んでいく。そこはきれいに整えられた幅の広い石の道で、買い物帰りの人々や、郵便配達員、見回りをしている警備兵などが歩いていた。


「えっと、カトレア姫を暗殺したのは、5人組の男でしたからね」


 不意に男が若いメイドに話しかけた。男はすれ違う人々や、左右に並ぶ家々を眺めながらゆっくりと言葉を続ける。


「それで、5人組の男の目撃情報を集めてみたところ、つい最近、この通りにあるメナ・スミンズという女性の家に、5人組の男たちが押し入ったそうなんです。その時は幸い、近くにいた警備兵が駆けつけたので大事だいじには至らなかったそうですが、その5人は剣で武装していたそうです。それはカトレア姫を暗殺した犯行グループの特徴に合致します。ですので、今からそのメナ・スミンズという女性に詳しい話を聞きに行こうと思うのですが――って、ネンナさん? 聞いていますか?」


 男はふと首をかしげ、隣を歩くネンナを見た。しかしネンナは無言のまま歩くだけで、何の反応も示さない。それどころか、顔の前で手を左右に振っても、まばたきの1つもしない。


「ああ……この人はまた、歩きながら寝てるのか……」


 男は思わず呆れ顔で青い空に目を向けた。それからすぐに気を取り直し、淡々とした声で話しかける。


「あー、それでですね、スミンズさんにお話を伺ったあとは、無謀にも王都まで駆けつけた王位継承権者のお2人に、身辺警護の強化を進言に行くつもりです。ですがその前に少し時間ができそうなので、どこかのカフェでお茶でもしようかと――」


「ぜひ、そういたしましょう」


 不意にネンナが凛とした声で返事をした。


「ああ、目が覚めましたか、ネンナさん」


「何をおっしゃいますか、クルース様。私はいつでもしゃっきりと起きております」


「いや、でも、アムとネンナさんは、ほとんどいつも寝ているじゃないですか」


「いいえ、そんなことはございません。私は必要な時以外は思考を停止させて、エネルギー消費を抑えているだけでございます。いつまでもだらしなく寝続けるお嬢様ごときと一緒にすんな、コノヤロー」


「そ、そうですか……。それは大変失礼しました……」


 思考を停止させていたら、寝ているのと同じだと思うけど――とクルースは思ったが、その突っ込みはいつもどおりのみ込んだ。


「それでクルース様。本日のご用件はなんでしょうか? どうしてこんな住宅街を歩いているのでしょうか?」


「ああ、はい、そうですね。その説明がまだでしたね……」


 不意にキョロキョロと周囲を見渡し始めたネンナを見て、クルースは小さな息を吐き出した。そして――やっぱり寝てたんですね――という突っ込みもゴクリとのみ込み、再び同じ話を繰り返した。


「……なるほど。つまり、そのメナ・スミンズという女性に会って、狼藉ろうぜきを働こうとした5人組の話を伺うわけですね」


「ええ、そういうことです。ついでにスミンズさんがその男たちの顔を覚えていたら人相書きに協力してもらい、手配書を回そうと思っています」


「さようでございますか。それで、お嬢様と私は何をすればよろしいのでしょうか」


「それなんですが、今日は一緒にいてもらうだけで大丈夫です。どうやらスミンズさんは王立研究院の研究者で、まだ18歳の若い女性らしいです。ですのでボクが1人で会いに行くよりも、アムとネンナさんがいた方が向こうも安心すると思いますので」


「なるほど。さすがはクルース様。卑劣な手段をお使いになりますね」


「えぇ~、なんで卑劣なんですか……?」


 いきなり淡々と言い放ったネンナの言葉に、クルースは思わず目を丸くした。


「それはもちろん決まっております。お嬢様はたしかに、見た目だけは純真無垢っぽい完璧なロリ少女でございますからね。外見で相手をだまして油断させるスキルに関しては世界一です。そう。これはまさに適材適所のパーフェクトな大戦略――。うら若き乙女をだましてもてあそぶクルース様の鬼畜プランには、このネンナ・ポーチ、頭が禿げ上がりそうなほど完全に脱毛でございます」


「そこは脱毛じゃなく、脱帽でしょう……」


 クルースは思わず呆れ果てた息を漏らした。


「ボクは話を伺いに行くだけです。卑劣でも鬼畜でもありません」


「いえいえ、クルース様。そこはほめ言葉でございますので、軽く聞き流すがよい」


「相変わらず、ネンナさんの言葉使いはブレブレですね……」


「おほめの言葉、ありがとうございます」


「いえ、全然ほめてないんですが……」


 クルースは思わず渋い顔で茶色い髪をかき上げた。それからすぐに足を止めて、一軒の家に顔を向けた。


「ああ、どうやらここが、スミンズさんのお宅みたいですね」


「さようでございますか。それでは私は近所の人間どもから情報を仕入れてまいります。たかが18の小娘1匹だますぐらい、お嬢様がいれば事足りるでしょう」


 ネンナはクルースに向かってそう言うと、車椅子を置いて向かいの家に足を向けた。


「やれやれ……。ネンナさんは、黙っていれば美人なのに……」


 ネンナの細い背中を見送りながら、クルースは長い息を吐き出した。さらにひたすら眠り続けるアムを見て、首を小さく横に振る。それから車椅子をゆっくり押してメナ・スミンズの家に近づき、ドアを軽くノックした。


「あー、ごめんください、スミンズさん。いらっしゃいませんかー?」


 クルースは何度かドアを叩いて呼びかけたが、一向に返事はない。


「うーん、今日は土曜日で王立研究院は休みのはずだけど、留守なのかな……?」


 クルースはぼそりと呟きながら前庭に足を運び、窓から家の中を覗いてみた。するとカーテンの隙間から見える室内には灯りがなく、空気はひっそりと静まり返っている。


「あー、やっぱり出かけているみたいだな。さて、どうするか……。戻ってくるまで待つか、それとも日を改めて出直すか――うん?」


 次の行動を思案しながら車椅子に戻りかけたクルースは、ふと横を見て足を止めた。向かいの家に聞き込みに行ったネンナが、歩道の脇の木の下で誰かと話をしていたからだ。


「あれは、郵便配達員かな……」


 ネンナが話しているのは制服姿の中年男性だった。男は身振り手振りを交えて、何やら熱心に話している。すると次の瞬間、ネンナがいきなり男の首筋を手刀で叩いた。


「ふぁっ!?」


 クルースは思わずパチパチとまばたいた。ネンナの素早い一撃を食らった中年男性がその場に倒れて動きを止めたからだ。しかもネンナは男の足首を片手でつかみ、そのまま近くの家の陰に引きずっていく。そして何食わぬ顔でクルースの前まで戻ってきた。


「お待たせいたしました、クルース様。いろいろと情報を仕入れてまいりました」


「いや、情報って……」


 呆気に取られたクルースは、郵便配達員が姿を消した路地とネンナを呆然と交互に見た。しかしネンナは気にすることなく話を続ける。


「どうやらメナ・スミンズは、4日前の早朝にイラスナ火山まで魔物の生態調査に向かったそうです」


「え? 魔物の調査って……ああ、なるほど。スミンズさんは王立研究院の仕事で家を空けているということですか」


「はい。そして彼女の家に5人組の男が押しかけたのは、その前日の午後4時過ぎだったそうです。どうやら偶然居合わせた友人らしき少女が、大声で悲鳴を上げて助けを呼んだため、男たちは慌てて逃げていったそうです」


「なるほど……。スミンズさんの自宅に5人組の男たちが押し入ったのは、5日前の夕方ですか。とすると、カトレア姫が暗殺される2日前ということか……。それはかなり怪しいな……」


 クルースは手帳を取り出し、ネンナの話を書き留めながら呟いた。


「それで、その男たちの特徴はわかりますか?」


「はい。かなり目立つ集団だったそうです。全員が防寒用のマントを羽織った若い男性で、腰には変わった剣をげていて、1人は頭髪がまったくなかったそうです」


「変わった剣?」


「はい。目撃者の話によると、黄色い鞘や赤い鞘といった、目立つ色の剣を装備していたとのことです」


「それはまさか、魔法剣? とすると、そいつらがカトレア姫を暗殺した犯人という可能性が――」


「それはじゅうぶんに考えられます」


 不意に眉を寄せたクルースに、ネンナは1つうなずいた。


「となるとやはり、スミンズさんには人相書きに協力してもらう必要がありそうですね」


「ですが、メナ・スミンズが王都に戻るのは、早くても月末になるそうです」


「月末ですか。たしかにイラスナ火山まで行って戻るにはそれくらいかかりそうですね。しかし、向こうにどれだけ滞在するかわからないとなると……うーん、まいったな」


 クルースは思わず渋い顔で茶色い髪をかき上げた。それからふと、首をかしげてネンナを見つめた。


「だけどネンナさん。よくそこまで詳しいことがわかりましたね」


「はい。先ほど話しかけた、通りすがりの郵便配達員がすべて教えてくれました。どうやらその郵便配達員は毎日欠かさず、物陰からメナ・スミンズのことを見守っていたそうです。しかも仕事のない時はほぼ1日中メナ・スミンズのことを観察して、彼女宛ての手紙の内容もすべて知っていると自慢げに話していました」


「手紙の内容って……その配達員、かなりヤバくないですか……?」


 クルースは思わずじっとりとした目つきで向かいの家の路地を眺めた。


「はい。私もそう感じましたので、ちょっとかる~くメナ・スミンズの記憶をすべて消しておきました」


「いや、記憶を消すって、それはさすがにやりすぎでは……」


「いえいえ、冗談ですよ、冗談。特定の記憶を消去するだなんて、ごく普通の人間であるこの私ごときに、そんなことができるわけないではありませんか。アハハハハハハ、ハハハハハー」


「いや……ネンナさんが言うと、ぜんぜん冗談に聞こえないんですけど……」


 いきなり乾いた笑い声を上げたネンナを見て、クルースは顔面をわずかに引きつらせた。


「とにかく、スミンズさんにはもう1度会いに来るとしましょう」


「かしこまりました。それでは、次はどちらに行かれますか?」


「予定どおり、アルビス殿下とソニア姫に面会します」


「ああ、暗殺を恐れずに王都に駆けつけた、あの愚かなお2人ですか」


「たしかにそうですけど、本人たちの前では言わないでくださいね」


 クルースは苦笑しながら肩をすくめ、元来た道へと引き返す。ネンナも再び車椅子をゆっくり押して、クルースの隣を歩き出した。


「ですがネンナさんのおっしゃるとおり、暗殺者が捕まっていないこの状況で王都に来るのは無謀です。ですので、お2人には王都を離れるか、警備しやすい王城に移っていただくか、どちらかをお願いするつもりです」


「さようでございますか。ですが、たかが王座ごときの魅力にあらがえない強欲な人間なんか放っておけばよろしいと思います。自分の命よりも権力をほっする人間というのは、他人の命を軽く扱うクズと決まっておりますから」


「それでも彼らは王族ですからね。仕方ありません」


 辛辣しんらつなネンナの言葉を耳にして、クルースは手のひらを上に向けた。


「クランブリン王国の長い歴史において、王位継承権第5位以下の王族が王座に就いたことはありませんからね。王位継承権第10位のアルビス殿下と第11位のソニア姫にとって、今の状況は千載一遇の好機に見えたのでしょう」


「本当に愚かなことです。国のトップになんかなっても面倒なだけなのに、何をすき好んで王になりたがるのか理解に苦しみます。というか、さっさと暗殺されればいいのに」


「まあ、そういう強欲な人間がいるおかげで、国や社会が発展することがありますからね。そしてそういう人たちを含めて、この王都にいるすべての人々を守るのがボクたちの仕事です」


「さようでございますか。そういう愚かなクズどもを守るために愚かな努力をするクルース様が、一番強欲な人間なのかもしれませんね」


「はは。それは否定できませんね」


 ネンナの言葉にクルースは再び苦笑した。そして石の道の突き当りを左に曲がり、青い空を見上げながらふと疑問を漏らす。


「そういえば、その5人組の男たちは、どうしてスミンズさんの家に押し入ったんだろ……」


「それはおそらく、そのメナ・スミンズという女性が魅力的だからでしょう。先ほどの郵便配達員も、メナ・スミンズに相当熱を上げていましたから」


「ああ、なるほど、そういうことか」


 淡々と答えたネンナの横顔を見て、クルースは納得顔でうなずいた。


「つまりスミンズさんは、多くの男たちをとりこにする美貌の持ち主ということですね」


「きっとスラッと背が高く、胸の大きな女性なのでしょう。多くの男性は、そういう美女に弱いと聞きますから」


「だけど、それで危ない男たちに狙われるとしたら、美しさというのも考えものですね」


「それは仕方がありません。持って生まれたモノは変更できませんから。それよりクルース様。よろしければ、1つ賭けをいたしませんか?」


「賭け?」


 不意の提案に、クルースはキョトンとまばたいた。


「はい。簡単な賭けでございます。メナ・スミンズがどのような外見をしているのか、それを予想する賭けでございます」


「えっと、女性の見た目で賭け事をするのは、失礼に当たると思いますけど……」


「もしもこの賭けにクルース様が勝利した場合は、今後1年間、どのような事件でも全力で協力することをお約束いたしますが」


「やりましょう」


 クルースは即座にこぶしを握りしめてうなずいた。


「それでは、私が勝った場合は今後1年間、オルクラのケーキを週に1度ご馳走していただきますが、よろしいですか?」


「ええ、それくらいなら何の問題もありません」


 ネンナの条件を聞いたとたん、クルースは一瞬で同意した。


「それでは、ボクから予想しますね。えっと……スミンズさんはおそらく、クレア・コバルタスと同じくらいの美貌の持ち主だと思います。まず、髪は美しい金色で、背中まで届くほど長く、肌はおそらく真っ白ですね。それから身長はスラっと高くて腰は細く、胸はかなり大きいと思います。年齢は18ですが大人の色気を感じさせる形のいい唇をしていて、王立研究院の研究者なので、かなり知的な雰囲気を漂わせている美人なのは間違いないでしょう。それから――」


 クルースは前を見つめて歩きながら、思いつく限りの美人要素を次々と口にしていく。その予想を聞きながら、ネンナはわずかに横を向き、ニヤリと頬を緩ませていた。





***



・あとがき


本作品をお読みいただき、まことにありがとうございます。


参考までに、明日の投稿時間をこの場に記載いたします。


引き続きご愛読いただけますよう、どうぞよろしくお願いいたします。


2019年 1月 20日(日)


第64話 01:05 イラスナ火山の決戦――その1

第65話 08:05 イラスナ火山の決戦――その2

第66話 13:05 イラスナ火山の決戦――その3

第67話 18:05 ベッドの中の観察者――

第68話 21:05 石の少女の進む道――



記:2019年 1月 10日(木)

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