第52話  見送りの朝――サウス・ノース・ホワイトソード その3


「……あ……え?」


 一瞬で胴体から切断されたポーラの頭部は、口から声のような音を漏らしながら石の床に転がり白目を剥いた。そして細い胴体も、首の断面から大量の血を噴き出して崩れ落ちた。


「……ね? ここは行き止まりではなく、ソルラインへの道がひらいていたでしょ?」


 ポーラの首を斬り飛ばしたアイナは、地面に転がった死体を見てにっこりと微笑んだ。そして剣を素早く振って血を払い、腰の白い鞘に収める。それから石の壁に寄りかかって腕を組み、ポーラの死体をじっと見下ろす。


 すると不意にポーラの首と胴体が淡い光に包まれた。さらに首は光の粒となって宙に溶け、胴体のあるべき場所に現れた。しかも首と胴体はみるみるうちに接続し、傷跡があっという間に消えていく。同時に血の気の失せたポーラの顔に赤みが差し、紫色の唇がゆっくりと桃色に染まっていく。そしてその小さな唇がわずかに開いて呼吸を始めると、ポーラは両目を開き、ゆっくりと体を起こした。


「……あ、あれ? なんでボク、地面に倒れているんだろ……?」


 石の床に座り込んだポーラは、周囲を呆然と見渡した。その姿を見据えながら、アイナは淡々と口を開く。


「私があなたの首を斬り落としたからよ」


「……えっ? 首をって……え?」


「そしてあなたは、1枚しか持っていないゲートコインで生き返った。つまり、もうあとはないってこと」


「な、なに? なんのこと? ボクが、ゲートコインで生き返った……?」


 頭が混乱して思考がまとまらないポーラは、呆然とアイナを見上げて首をかしげた。そのアイナの白い顔には、先ほどまでの柔らかな笑みは一切ない。まるで氷でできた彫刻のように冷たい表情でポーラをじっと見据えている。すると不意にアイナが石の床にあごをしゃくった。つられてポーラが横に目を落とすと、自分が赤黒い水たまりの中に座っていることにようやく気がついた。


「……え? なにこれ? これってまさか……」


「ええ、あなたの血よ」


「これが全部ボクの血……? え? それじゃあほんとに、ボク、アイナに首を斬られたの……? でも、なんでいきなりそんなことを……?」


 ポーラはおそるおそる自分の細い首に手を当てた。その困惑に満ちた顔を、アイナはまっすぐ見下ろしながら冷たい声で言い放つ。


「理由なんて言わなくてもわかるでしょう。あなたがポーラの体を乗っ取った、転魔エリオンだからよ」


「転魔……エリオン……?」


「そう。あなたたちの言葉で言えば、転生者ということね」


 その瞬間、ポーラは愕然と目を見開いた。


「なっ、なんでっ!? どうして転生者のことを知ってるの!? こっちの世界の人はボクたちのことを知らないってザジさんが言ってたのにっ!」


「……なるほど。この国のゲームマスターは、ザジって言う名前なのね」


「はっ!」


 ポーラは慌てて口に手を当てた。しかしすでに遅かった。アイナは瞳の中に冷たい光を宿しながらさらに言う。


「この国には転魔がほとんどいないから、ゲームマスターを探すのに苦労していたんだけど、あなたのおかげで手間が省けたわ。だけど、ポーラがいなくなったのは昨日の昼だから、あなたはそのころに転生してきた新人で間違いない。だったら大した情報は持っていないでしょう。ということは、あなたから聞きたい情報はあと1つだけ――」


「じょ、情報……?」


「ええ。あなたの転生武具ハービンアームズを今すぐ見せなさい」


「なっ! なんで転生武具ハービンアームズのことまで知ってるの!?」


 ポーラは驚きの声を上げながら心臓の上に手を当てた。アイナはポーラの仕草、表情、視線などをすべて冷静に観察しながら言葉を続ける。


「私たちは長い時をかけてあなたたちのことを調べてきたの。だからあなたたちがどんな存在で、どこから来たのかも知っている――。そして、この世界の人間を殺し、体を勝手に乗っ取り、どれだけ残酷なことをしているのかもわかっている」


「こっ! 殺してない! ボクたちは誰も殺してなんかいない!」


 ポーラは慌てて首と手を左右に振った。


「ご、誤解だよ! ぼ、ボクはたしかに転生者だけど、ポーラさんを殺してなんかいない! ポーラさんは事故で死んだんだ!」


「あら、そう。だったらどんな事故でポーラは死んだの?」


「え……? ど、どんな事故って……それは、詳しくは聞いてないけど……」


「だったら、2日前まで元気に生きていたポーラがいきなり死んだと言うの?」


「じ、事故なら、そういうことがあってもおかしくないと思うけど……」


「だったら、こっちの世界の人間が誰もいないところでポーラがたまたま事故で死んで、たまたまあなたたちのゲームマスターだけがポーラの死体を見つけて、たまたま使える死体だったからあなたを転生させたって言うの?」


「そ……それはその……そういう偶然も……」


「偶然? そんな偶然が、この星の各地で毎日のように発生しているって本気で思うの? どう考えてもありえないそんな偶然が、何年も、何十年も、何百年も積み重なって、数万人を超える転魔たちがこっちの世界に来ていると、あなたは本気で思っているの?」


「そ……そんなぁ……それが偶然じゃないとしたら……」


 ポーラは愕然として自分の体を見下ろした。


「それじゃあ……ポーラさんは……この体は……」


「知らなかった――なんて言い訳は無駄よ」


 アイナは石の壁から背を離してゆっくり歩き、ポーラの前で足を止める。


「あなたたち転魔は、転生先の体の条件を自分で選ぶ――。あなたは、ポーラの体の特徴と一致する条件を出したはず。そしてゲームマスターは、その条件に合う人間を選んで殺し、あなたを転生させた。つまり、ポーラを殺したのはあなたよ。この薄汚い盗人が」


「ぬ……盗人って、そんなぁ……」


 冷たい怒りに燃えるアイナの目を見て、ポーラは瞳を潤ませた。


「とにかく、あなたの転生武具ハービンアームズを見せなさい」


「そ、そんなのむりだよ……。だってボクの転生武具ハービンアームズは、ボクの心臓だもん……」


「あら、そう。だったら心臓を取り出してあげる」


「えぇっ!? うそっ!? ちょ! ちょっとまってっ!」


 アイナが淡々と言ったとたん、ポーラは仰天して座り込んだままあとずさった。そして素早く周囲を見渡し、緊張した声で質問を飛ばす。


「ひっ! ひとつ聞かせてっ! なんでボクが転生者だってわかったの!?」


「答える義務はない――」


 アイナは淡々と口を開き、腰の白い剣をゆっくりと抜き放つ。


「そして、あなたが知ったところで意味もない」


「くっ! くそぉっ! おまえっ! ボクを殺すつもりかっ!? なにも悪いことをしていないボクを殺すなんてっ! そんなのただの殺人鬼だろっ! この人でなしっ!」


「それは盗人ぬすっと戯言ざれごとだな」


 必死の形相ぎょうそうでさらにあとじさるポーラを見据え、アイナは殺意を込めた声で言う。


「あなたは私の友達を無残に殺し、その体を奪い、あまつさえポーラになりすましてのうのうと生きようとした――。そのような邪悪な存在が何を言おうと、私の心には届かない」


「ふっ! ふざけんなっ! ボクがポーラとして生きて何が悪いっ! この体は間違いなくポーラ・パッシュだ! 誰がどう見たってポーラそのものだっ! だったら中身がボクでも問題はないだろぉっ!」


「……ならば、だろう」


 顔を醜く歪めて吠えまくったポーラにアイナは1歩近づき、静かに言い放つ。


「ポーラの体にはポーラの魂が宿っていた。それが正しい在り方だった。それなのに、どうしておまえのような薄汚い魂に、ポーラの体を奪われなくてはならないのだ。おまえたち転魔どもは、他人の体を奪ってまで生きるほどの価値があるのか?」


「そ、それはボクが決めたんじゃない! 女神様が決めたんだ!」


「黙れ。それは女神などではない。邪悪な神――邪神というのだ」


 アイナは1歩踏み込んで立ち止まったまま、じわじわと後ろに下がり続けるポーラに白い剣を向けて構える。同時にポーラは奥歯を噛みしめながら素早く立ち上がり、水路に向かって駆け出した。


「はっ、話にならないっ! この殺人鬼めっ! おまえなんかザジさんにぶっ殺してもらうからなっ!」


 ポーラは歯を剥き出しにして吐き捨てた。そして必死に足を動かす。目の前に迫った水路まで、あと5歩――。ポーラはわき目もふらずに全力ダッシュ。そしてあと4歩、3歩、2歩、1歩――。


「ぃぃぃよっしゃぁーっっ!」


 ポーラは路地の端を勢いよく踏み切って――幅の広い水路に向かって跳びはねた。


「ンンンざまぁみろぉーっっ! これでボクはぁーっっ! にげきったぁーっっ!」


 ちゅう高く跳び上がったポーラは、満面の笑みで水面へと飛び込んでいく。しかしその瞬間、薄暗い路地に立つアイナが口の中でぽつりと呟いた。


闘竜ドラゴニック戦技・バトルアーツ――」


 同時にアイナは白い剣を瞬時に振り抜く。その刹那、ポーラの体は空中で停止した。


「……ふぁっ!? ンなっ!? なんだこれっ!? なんで体が落ちないんだぁっ!?」


 水路の上に跳んだポーラは、宙に浮いて止まったまま両手と両足を動かした。しかしどれだけあがいても体は水面に近づかない。むしろ何かに押されるように、路地の方へと下がり出した。


「えぇっ!? ちょ!? ちょまっ! ちょっとまってっちょっとまってぇーっ!」


 その異常事態にポーラは愕然と目を剥いた。さらにいきなり吹き荒れた激しい突風が全身を叩き、ポーラの体は高速で路地へと突っ込んでいく。


「いっ! いやぁーっ! イヤイヤイヤイヤっ! イヤイヤイヤイヤぁーっ! イヤイヤイヤイヤっイヤイヤイヤイヤぁーっ!」


 ポーラは首だけで後ろを振り返り、あらん限りの声で絶叫した。見ると狭い路地には、白い剣を振りかざしたアイナが鋭い眼光を放ちながら待ち構えている。ポーラはまるで泳ぐように慌てて両手で宙をかいたが、意味はなかった。その細い体は弓から放たれた矢のように路地に向かって突き進む。そしてその先で必殺の牙を剥くアイナの姿は一瞬ごとにどんどん近づき、そして次の瞬間――白い刀身が閃光とともに振り抜かれた。


「いひゅ……」


 不意にポーラの口から空気が漏れた。新たな人生と未来を求めて両腕を振り回していたポーラの胴体は、首と分断されながら高速でアイナの横を通り抜けた。そして薄暗い路地裏に、赤い血の花を咲かせてゴミのように転がった。


「……この国での私の名前は、ジャスミン・ホワイト」


 アイナは淡々と呟き、腰の鞘に剣を収める。それから死体のそばに膝をつき、転がった首を大事そうに胸にいだいた。そして抑えきれない悲しみに震える声を、静かにこぼす。


「ごめんなさい、ポーラ……。先にソルラインで待っていてね。そしてまたいつの日か、一緒にお茶を飲みましょう……」


 アイナはポーラの首を抱きしめて、一筋の涙とともに祈りを捧げた。


 それから血まみれの床に首をそっと置き、死体の胸を素早く切り裂く。そしてまだ温かい心臓を布に包み、そのまま静かにその場を去った。


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