第11章  見送りの朝――サウス・ノース・ホワイトソード

第50話  見送りの朝――サウス・ノース・ホワイトソード その1


 そこは王都クランブルの南の入口、大きな石の門の内側だった――。


 分厚い灰色の雲で覆われた空の下、早朝から多くの荷馬車やほろ馬車が続々と門をくぐり、王都内のあちらこちらの市場や広場へと向かっていく。そして外から押し寄せる商人たちの波が収まったころ、今度は王都の外へと向かう無数の馬車が動き始める。


 南門の内側にある乗合のりあい馬車の搭乗口には多くの人が集まって列をなし、定員が埋まった馬車から次々に走り出す。その長い列の最後尾に2人の人物が並んでいた。茶色い髪を2つのお下げに結ったメナと、黒いハーフマントを羽織ったネインだ。そしてその2人の前に、学生服姿のシャーロットが息を切らして駆けてきた。


「……あ~、よかったぁ、間に合ったぁ~」


「あ! シャロちゃんだぁ~」


 シャーロットが足を止めたとたん、メナは顔を輝かせてシャーロットに抱きついた。


「お見送りにきてくれたんだぁ~、ありがとぉ~、ちょ~うれし~」


「うん、ごめんねぇ。もっと早く来るつもりだったんだけど、ちょっと寝坊しちゃって」


 そう言いながらシャーロットは手に持っていた小さな2つの包みを、メナとネインに手渡した。


「それクッキーだから、おやつに食べて」


「わぁ~い、ありがとぉ~」


「……オレももらっていいのか?」


 茶色い紙に包まれた数枚のクッキーをメナはさっさと外套がいとうのポケットに突っ込んだが、ネインは軽く首をかしげた。


「当たり前でしょ。せっかく持ってきたんだから、もらってくれないとこっちが困るじゃない」


「そうか。それじゃあ、ありがとうございます」


「その代わり、ちゃんとメナちゃんを守ってよね」


「ああ、任せてくれ」


 ネインも大きな背負い袋のポケットにクッキーを突っ込み、力強く1つうなずく。


「メナ・スミンズはオレの命に替えても必ず守る。だから安心して待っていてくれ」


「あ、そう。そうしてもらえると助かるけど……メナちゃん?」


 淡々と答えたネインの隣で、メナがいきなり頭の上の茶色い耳をせわしなく動かしながら、小さな両手で自分の顔をなで始めた。シャーロットがのぞき込むと、メナの頬はほんのりと赤みがさし、目じりはだらしなく下がっている。


「どうしたの、メナちゃん? 熱でもあるの?」


「そうなんですぅ~。今日はちょっと熱いんですぅ~」


「いや、まだ朝早いし、少し肌寒いと思うけど。体調悪いんだったら出発を延期する?」


「いえ。大丈夫です。こんなビッグなチャンスをのがすわけにはいきませんから」


 シャーロットが心配そうな顔で訊いたとたん、メナはいきなり小さなこぶしを握りしめ、真剣な顔で言い切った。


「そっか。メナちゃんは仕事熱心なんだねぇ。でもほんと、ケガしないように気をつけてね」


「はいですぅ~。予定では3週間ほどで帰ってくるので、そしたらまた、うちで一緒にお茶しましょうねぇ~」


「うん。今度はケーキを持って遊びにいくね」


 そのシャーロットの言葉に、メナは満面の笑みでうなずいた。そしてすぐにメナとネインは列を進み、大きな乗合馬車に乗り込んだ。馬車はすぐに動き出し、最後尾の座席に腰を下ろしたメナは後ろを振り返って手を振り始める。


「いってらっしゃーい!」


 シャーロットも微笑みながら大きく手を振り返し、遠ざかる2人に向かって声を張り上げた。そしてその場に立ったまま、門の外に向かっていく馬車を見送り続ける。すると不意に背後から誰かに声をかけられた。


「――あら? シャーロット?」


「ほえ?」


 シャーロットが反射的に振り返ると、そこには長い黒髪の少女が立っていた。腰に白い剣をげたジャスミンだ。


「あれ? ジャスミンだ。おはよぉ~」


「おはよう、シャーロット。どうしたの? こんな朝早くに、こんな場所にいるなんて珍しいわね」


「ああ、うん、昨日話した昔のルームメイトの先輩がね、ちょっと南の方の火山まで仕事に行くっていうから見送りに来たの」


「あら、どこの火山まで行くの?」


「イラスナ火山だって」


 ジャスミンが門の方に顔を向けたので、シャーロットもつられて目を向けた。そしてハッと気づいて言葉を続ける。


「あ、そっか。ジャスミンは外国から来たばっかりから、この国の地理とかわかんないよね」


「ええ。でも、その火山の近くなら通ったことがあるわ。私、シンプリアの港に上陸して、そこからこの王都まで北上してきたから」


「あ、そうなんだ。……って、そう言えば、ジャスミンってどこの国から来たの?」


「あら? 言ってなかった?」


 不意にシャーロットが首をかしげて訊いてきたので、ジャスミンも首をかしげながら口を開く。


「私はギルネスのヘクスから来たの」


「えっ? ギルネスってたしか……神聖大陸にある魔法都市国家だよね? ジャスミンって、そんな遠くから来たの?」


「ええ、そうよ。でも、遠いといっても船と馬車で2か月ほどだったから、大した距離ではなかったけどね」


「いやいやいやいや、それ、めちゃくちゃ遠いって」


 シャーロットは思わず顔の前で手を激しく振った。


「そんな2か月もかけて、なんでクランブリンまで来たの?」


「実は、あまり大した理由はないの」


 軽く驚きの表情を浮かべたシャーロットに、ジャスミンは少し照れくさそうに微笑んだ。


「お父様の知り合いの貴族と商人が、この国に何人かいらっしゃるの。その方たちへの挨拶も兼ねて、若いうちに見聞けんぶんを広めたいと思ったのよ」


「ほえ~、そうなんだぁ。ジャスミンってしっかりしてるんだねぇ~。わたしと同い年とは思えないよぉ。というか、わたしが子どもなだけか……」


「大丈夫よ、シャーロット」


 言いながらガックリと肩を落としたシャーロットを見て、ジャスミンはクスリと笑う。


「私だってお父様に命令されてこの国に来たようなものだから、シャーロットが思うほどしっかりなんかしていないの。それに私から見ればシャーロットは立派よ。こうしてお友達のお見送りに来るなんて、心が優しい人にしかできないからね」


「え~、そうかなぁ~。見送りぐらい誰だってできると思うけど」


「ふふ、それはどうかしら。自分の常識が世界の常識とは限らないわよ?」


「それはまあ、たしかにそうかもしれないけど……」


 ジャスミンに優しく微笑まれたシャーロットは、渋い顔で金色の髪をかき上げた。


「そう言えば、ジャスミンはどうして南門まで来たの?」


「えっと、実はね、ポーラを探しに来たの」


「えっ? ポーラ、まだ見つかってなかったの?」


 ジャスミンの言葉に、シャーロットは思わず目を見張った。


「ってことは、昨日の夜は寮に戻ってこなかったってこと?」


「どうやらそうみたいなの」


 ジャスミンはわずかに眉を寄せて、心配そうな顔で言葉を続ける。


「ほら、先週の王位継承権者会談の暗殺事件以降、寮で暮らす生徒の半分以上が実家に戻ったでしょ?」


「ああ、うん、そうみたいだね。ナタリア様もすぐにお屋敷に連れ戻されちゃったみたいだし、やっぱりみんな、犯人が捕まっていないから不安なんでしょ」


「それでポーラも実家に戻ったのかもしれないと思って、シスタールイズに尋ねてみたの。だけど、そういう話は聞いていないと言うのよ。それでポーラを探すついでに、念のためポーラの実家に確認の手紙を出しに来たの」


「なるほど、そうだったんだ……」


 ジャスミンの話を聞いたとたん、シャーロットも不安そうに顔を曇らせた。


「それじゃあ、わたしも一緒にポーラを探すね」


「あ、ううん、シャーロットは探さないで寮にいて」


「ほえ? どして?」


「ポーラが寮に戻ってくるかもしれないでしょ? それにあんな暗殺事件があったあとだから、女の子が1人で外を出歩くのはやめたほうがいいと思うの」


「それを言うなら、ジャスミンだってそうじゃない?」


「私は大丈夫よ。護身用の剣があるから」


 ジャスミンは腰の白い剣を指さし、にこりと微笑む。


「それに、危ない場所には近づかないようにするから。だからシャーロットには寮で待っていてほしいの」


「うーん……。なんだか釈然しゃくぜんとしないけど、わかった」


 シャーロットは渋い表情を浮かべながら首を縦に振った。


「それじゃあ、わたしは先に寮に戻ってるね。ポーラが戻ってきたら、ジャスミンの分も怒っておくから」


「ええ、しっかり注意してあげてね。みんなに心配かけちゃダメでしょー、って」


「うん、そうするね」


 茶目っ気たっぷりに言ったジャスミンを見て、シャーロットは微笑んだ。そしてすぐにジャスミンに別れを告げて、学院の方に足を向けた。


 大勢の人であふれる大通りを、シャーロットはまっすぐ北に向かって歩いていく。その細い背中が見えなくなるまで、ジャスミンは微笑みながら見送った。その直後、ジャスミンの顔からすべての感情が一瞬で消え去った。


 ジャスミンは淡々とした冷たい視線を南門の外に向けて、はるか彼方に目を凝らす。そして瞳を鋭く研ぎ澄ましながら、ぽつりと呟く。


「イラスナ火山は、たしか南に9日の距離……。そしてあそこには、あのがいたはず。さて、どうするか……」


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