第26話  呼吸をするように怠ける少女とメイドの扱い方――レッドパラソル・オレンジケーキ


・まえがき


■登場人物紹介


・アム・ターラ  金色の髪を短めに切った、見た目は13歳の美少女。

         白いフリル付きのドレス姿で、車椅子に乗って移動する。

         赤い傘『アリス』を常に持っている。

         いつでもどこでもスリープモードの怠け者。

         口調は横柄おうへいで常に偉そう。オレンジケーキが大好物。

         というか、ケーキがないと働かない。



・ネンナ・ポーチ  黒い髪を肩まで伸ばした、自称『誰もが振り返る美女』。

          黒いメイド服に身を包み、常にアムの車椅子を押している。

          主人のアム同様、いつでもどこでもスリープ状態。

          口調は、前半と後半で真逆になる特徴がある。

          常人をはるかに超える観察力を持つ。



・クルース・マクロン  20歳 7大貴族マクロン家の一員。

            王国警備軍、王都守備隊、即応治安維持部隊、

            第6小隊の小隊長。

            しかし、部下はアムとネンナの2人だけ。

            王都守備隊の副指令エドワード・バルカン将軍の直属。

            エリート部隊の一員で、王都で発生した重大事件の

            捜査を担当する。

            水白天位に認定された水白騎士アクアナイト

            しかし、彼の実力には隠された秘密が……。



***



 雨が降りしきる噴水広場を、赤い傘がゆっくりと滑らかに移動していた――。


 それは少しばかり不思議な光景だった。革製の雨合羽に身を包んだ若い女性が、大きな車輪の付いた椅子を押して歩いていたからだ。そしてその椅子には洒落しゃれた赤い傘が据え付けてあり、傘の下にはフリルの付いた白いドレス姿の少女が座っていた。


 そのやせた少女は椅子に座ったまま目を閉じて、小さな口をだらしなく開けている。しかも椅子の手すりにのせた細い指先や、背もたれに寄りかかった小さな頭が時折ぴくりとけいれんし、短く切った金色の髪がわずかに揺れる。かなりの雨が降っているというのに、どうやら少女は完全に眠っているようだ。


 その少女を乗せた車椅子がゆっくりと進む噴水広場には、雨天にも関わらず大勢の人間が集まっていた。そのうちの半数は軍服姿の軍人で、残りの半数は鎧姿の騎士たちだ。騎士たちのほとんどは青い鎧だが、白とべに色と黒い鎧の騎士たちもちらほら見える。そして彼らは皆一様に緊張した面持ちで、近くの者と熱心に言葉を交わし続けている。


 そんな異様な雰囲気の雨の広場を、雨合羽の女性はまったく気にすることなく車椅子を押して人混みの中へと突っ込んでいく。そして無数の騎士が立ち並んで封鎖している大きな鉄柵門の前を、そのままゆっくりと通り過ぎる。


「……はっ」


 不意に雨合羽の女性が気の抜けた声を漏らして立ち止まった。さらに女性は周囲を見渡し、ゆっくりと方向転換――。元来た道をまっすぐ戻り、鉄の門の前で停止した。それから仁王立ちで門を封鎖している騎士の一人に向かって淡々と口を開く。


「――大変申し訳ございませんが、中に入りたいのでそこをどけ」


「……は?」


 若い男の騎士は一瞬自分の耳を疑った。そしてすぐに不機嫌そうに顔を曇らせて言い返す。


「駄目だ。カロン宮殿は封鎖中だ。散歩ならよそでしろ」


 その瞬間、若い女性はニヤリと笑った。そしてすぐに真顔に戻って確認する。


「では、帰ってもよろしいのですね?」


「当たり前だ。さっさと帰れ。こんな雨の日に出歩く方がおかしいだろ」


「はい、まったくもってそのとおりでございます。まさに非の打ち所のない完璧なご指摘でございますので、私どもはこれにて失礼させていただきます。ぃよっしゃ。それでは、さようなら」


 若い女性は軽く頭を下げると、すぐに元来た方向へと歩き出す。そのとたん、門の内側からいきなり若い男が飛び出してきて声を張り上げた。


「――おーいっ! まったまったぁーっ! ちょっとまったぁーっ!」


「……ちっ」


 若い女性は軽く舌打ちをして足を止めた。それから渋い表情をにじませながら振り返る。すると警備軍の軍服を着た若い男が慌てて駆け寄って謝った。


「すいません、ネンナさん。こんな雨の日に呼び出してしまって」


「はい。まったくそのとおりでございます、クルース様。しかもわざわざ足を運んだというのに、そこの騎士にさっさと帰れと言われました。ですので、本日はこれで帰らせていただきます。あー気分悪い」


「え?」


 雨合羽の女性が騎士の一人を指さしたので、軍服姿の男は反射的に目を向けた。すると騎士の方はキョトンとして、男と女を交互に見る。軍服の若い男は思わず苦笑いを浮かべながら、騎士に向かって口を開く。


「すいません。自分は王国警備軍、王都守備隊、即応そくおう治安維持部隊のクルース・マクロンと申します」


「え? マクロンというと、まさかあの七大貴族のですか?」


「ええ、まあ」


 軽く驚いた騎士に、クルースは照れくさそうに茶色い髪をかき上げて言葉を続ける。


「それで本日は青蓮騎士団代表コバルタス家の要請を受けて、カロン宮殿で発生した襲撃事件の調査に来ました。そしてこちらの2人は――」


 クルースは車椅子のそばに立つ若い女性と、赤い傘の下で眠りこけている少女を手でさした。


「自分の部隊の隊員で、ネンナ・ポーチとアム・ターラです。二人とも特殊な魔法が使える優秀な魔法使いなので、調査には欠かせない人材なのです」


「そ、そういうことでしたか。それは大変失礼致しました」


 騎士は慌てて姿勢を正し、クルースとネンナに向かって敬礼した。しかしネンナは顔を背けて淡々と言い放つ。


「いえ、謝罪はけっこうでございます。今さら謝っていただいても許すことはできません。。私の心は大変傷つきましたので、すぐに回復することはできません。ですので今日は帰らせていただきます。せいぜい苦労するがいい、この愚か者どもが。では、さようなら」


 ネンナはそれだけ言うと、再び車椅子を押して歩き出した。


「あちゃぁ~……完全にねちゃったか……」


 クルースは思わず大きなため息を吐いた。それからすぐにネンナの横に駆けつけて、歩きながら話しかける。


「すいませんネンナさん。僕も現場に着いたばかりで、ネンナさんとアムのことを周知する時間がなかったんです。そのことについてはお詫びしますので、何とか機嫌を直してもらえないでしょうか?」


「申し訳ございません、クルース様。ご存知のとおり、私は天使や女神ではありません。機嫌を直せと言われても、すぐにできるはずがありません。そういうわけでございますので、100年後に出直してこい」


「いや、100年後って、僕120歳なんですけど……」


「問題ありません。100や200は子どものうちと、どこかの頭の腐った大賢者が言っておりました。そういうわけでございますので、もうついてくんな」


 ネンナはとたんに足を早め、人混みの中を一気に突っ切っていく。クルースも慌てて駆け出し、並走しながら頼み込む。


「お願いします、ネンナさん。僕にできることなら何でもしますから、事件の調査を手伝ってください」


「――よし。止まれ、ネンナ」


 不意に赤い傘の下からかわいらしい少女の声が飛び出した。とたんにネンナはぴたりと止まる。クルースもたたらを踏んで足を止め、傘の下の少女に目を向ける。すると白いドレス姿の少女は小さな口で大きなあくびをしてから、クルースに向かって言葉を放つ。


「さて、クルースよ。わざわざ地下寝室アスピクから出てきた我らを門前払いしたのだからな、それ相応の詫びが必要だぞ? おまえは何でもすると言ったが、どう詫びるというのだ?」


「やれやれ、アムもようやく起きたか」


 クルースはホッと息を吐き出し、短い金髪の少女に向かって肩をすくめる。


「わかってるって。調査が終われば何でも好きなものを買ってやるから、さっさと現場に向かってくれ」


「ならばオルクラのオレンジケーキで手を打とう。ホールで2個だ」


 アムは細い指を2本立てて、クルースに向かって突き出した。


「はいはい。そんなものでいいなら、2個でも3個でも好きなだけ食べていいから」


「よし。絶対だからな。約束だからな。嘘ついたら怒っちゃうんだからな。ほんとにほんとに怒っちゃうんだからな」


 今度は小さなこぶしを握ったアムを見て、クルースは苦笑いを浮かべながら自分を指さして言う。


「この僕に、おまえとの約束を破る度胸があると思うか?」


「むむ、なるほど。それはたしかに説得力バツグンだな」


 アムはとたんに納得顔で一つうなずき、背後に立つネンナに向かって命令する。


「よし、ネンナ。現場に向かえ。それと、おまえもバツグンの演技力だったぞ。よくやった」


「かしこまりました、お嬢様。お褒めの言葉、ありがとうございます。イエイ。ケーキゲットだぜ」


 ネンナは淡々とそう言って、すぐに車椅子を押してカロン宮殿へと向かう。その背中を見つめながら、クルースも淡々と言葉をこぼす。


「……うーむ。やはりケーキをねだるための演技だったか。まあ、どうせそんなことだろうとは思ったけどね……」


 クルースは軽く肩を落としながら息を吐き、短い茶色の髪をかき上げて雨を払う。そしてすぐにネンナの背中を追いかけた。




 カロン宮殿の正面入口に到着したネンナは雨合羽を脱ぎ、肩まで伸ばした黒い髪を後ろに払う。そしてすぐに雨合羽を丁寧にたたんで車椅子の下のスペースに収納し、閉じた赤い傘を背もたれの脇の傘立てに立てる。それから宮殿の広い通路に向かってゆっくりと車椅子を押し始めた。その様子を横で見ていたクルースは、ネンナの隣を歩きながら2人に向かって話しかける。


「――えー、今回の襲撃事件の概要は先ほど説明したとおりです。それで現場はカロン宮殿の全域に及びますが、僕たちは1階の大広間と、地下1階の避難室を調べに行きます。今回の任務は王位継承権者上位7名のほか、合計で700名弱を殺害した犯人の割り出しと逮捕になります。――さあ、大広間はここです」


 クルースは2人を先導して広い廊下を進み、大広間に足を踏み入れた。そこは中央に大きな円卓がある、天井の高い広間だった。


 無数のランプとロウソクで煌々こうこうと照らされた室内には、忙しそうに動き回る多くの軍人と騎士の姿があった。制服姿の軍人たちは広間の様子を書き留めたり、破壊された調度品を片付けたりしている。青い鎧の騎士たちは床に転がっている剣や鎧を一か所に集めている。そしてその光景を見たとたん、ネンナはいきなり大きな息を吐き出した。


「まったく……いったい何をやっているんですか……。現場を片付けてしまったら、ここで何が起きたのか調べようがないでしょう……」


「すいません、ネンナさん……」


 ネンナの呆れ果てた声に、クルースは申し訳なさそうに頭をかいた。


「今回は複数の最重要人物が同時に殺害されてしまったので、警備軍だけではなく王国軍や各騎士団、それに王族や有力貴族が手配した騎士や傭兵たちが先を争って捜査に取りかかってしまったんです。僕もバルカン様を通して各所に通知を出しましたが、すべてを抑えることはできませんでした」


「問題はそういうことではありません、クルース様。好き勝手に調べて犯人を突き止めることができるなら文句は言いませんが、結局何もわかりませんでした――となるのは目に見えています。最も恐るべき敵は無能な味方と言いますが、ここにいる人間はその典型です。ほんともう、全員死ねばいいのに。――というか、今なら死体が100や200増えたとしても、ここを襲った犯人のせいにできそうですね……。そういうわけでクルース様。やっちゃってもいいですか?」


「いや……やっちゃっちゃダメでしょう……」


 物騒なことを表情のない顔で淡々と口にしたネンナに、クルースは渋い顔で首を小さく横に振る。するとそれまで黙っていたアムが小さなあくびを一つして、ネンナに言う。


「――まあ、そう言うな。人間が無能なのは今に始まったことではないからな。それに我らは事件の捜査には来たが、事件を解決する義務はないのだ」


「いや、あるだろ」


 クルースは思わず小声で突っ込んだ。しかしアムは聞こえないふりをして言葉を続ける。


「だからな、ネンナよ。たかが700程度の人間が殺されたところで、おまえが腹を立てるほど責任を感じる必要はないのだ。たしかに無能なバカどもに足を引っ張られることには怒りを覚えるが、そんなものはあとでケーキと一緒に飲み込めばよい。それからあったか~いベッドでぐっすり寝れば、怒りの感情なんかあっという間にどこか遠くに……Zzzzz」


「いや、そこで寝るなよ」


 クルースは再び速攻で突っ込んだ。しかし背もたれに寄りかかったアムは返事をしない。しかも次の瞬間、小さな口がだらりといた。どうやら一瞬で眠りに落ちてしまったらしい。


「まったく……。いったいどうやったら、しゃべっている途中で眠れるんだよ……」


 クルースは思わずため息とともに肩を落とした。しかしすぐに気を取り直し、ネンナに向かって口を開く。


「こうなったらしょうがない。ネンナさん。僕たちだけで現場を調べましょう」


 しかしその呼びかけに、ネンナは返事をしなかった。ネンナは直立姿勢で車椅子の取っ手を握り、正面に顔をまっすぐ向けたまま微動だにしない。


「ネンナさん……?」


 クルースは再び声をかけたが、ネンナはやはり動かない。しかも何度声をかけても一向に返事をしない。さらに顔の前で手を横に振っても反応がまったくない。


「ああ……この人、また目を開けて立ったまま眠ってる……」


 いつの間にか睡眠状態スリープモードに移行していたネンナを見て、クルースは思わず愕然と白目を剥いた。しかしすぐに気を取り直し、ネンナに向かって声をかける。


「あー、それじゃあ、ネンナさん。ここには見るものがなさそうなので、地下の避難室に行きましょう。あっちはまだ片付けられていないそうですから」


 そう言って、クルースは大広間の外へと歩き出す。するとネンナは目を開けて眠ったまま足を動かし、車椅子を押してクルースの背中についていく。そして地下1階にある避難室の前に到着したとたん、ネンナの口から唐突に声が漏れた。


「……はっ」


「目が覚めましたか?」


 首を動かして周囲を見渡したネンナに、クルースが声をかけた。


「はい。これだけがすれば、さすがに」


 そう言いながら、ネンナは滑らかな石の床に目を落とす。見ると、広い廊下のほぼ中央に大きな血だまりができていた。その血だまりの上には何もなく、そこからが曲がり角の方へとまっすぐ続き、途中で薄れて消えていた。


「どうやらここで戦闘があったようですね。そしてこの出血では、確実に1人の人間が死んでいます。つまり、そこの血だまりにあった死体も片付けられてしまったということですね」


「ああ、いえ、違います。ここには元々そうです」


「え? 死体がなかった? この出血で?」


 クルースの言葉に、ネンナは思わず首をひねった。


「それでは、その血の足跡はどういうことでしょうか? まさか死体が起きて、どこかに帰っていったということですか?」


「わかりません。それを調べるのも僕たちの仕事です。それと――」


 クルースはとたんに顔を曇らせ、奥の扉に手を向けた。つられてネンナが目を向けると、避難室の扉の前にも大きな血だまりが広がっている。しかもその上にはが並んで転がり、周囲には大量の肉片と金属片が散らばっている。


「あれはおそらく第1王子のセルビス殿下と、青蓮騎士団の団長ヘンリー・コバルタス殿です。身に着けているもので確認が取れたそうです」


「なるほど……」


 ネンナは軽く目を見開き、周囲を素早く見渡した。


「重要人物の遺体が残っているなら、ここはまだ手つかずということですね。でしたら手がかりがいくつかあります。まず、その血だまりから出ている足跡は男性です。身長は175センチ前後、体重は50キロ前後、装備は軽装、剣などの武器は持っていません。それと血の乾き具合からすると、その出血はちょうど4時間ほど前のもの。匂いからして人間であることは間違いありません――」


 急にネンナは情報を次々に話し始めた。クルースは慣れた手つきで手帳を取り出し、ネンナの言葉をすべて書き留めていく。ネンナはさらに曲がり角にあった複数の血の痕跡も調べてから、避難室の前で足を止めた。


「――そしてこの2つの下半身の状態からすると、前方から強力な一撃を受けたことがわかります。しかも2人の人間の胸から上を一撃で粉砕したとなると、剣や槍などの細い武器ではありません」


「……ということは、丸太のような太さがあるもの――城門を破壊する破城槌はじょうついですか?」


 クルースの質問に、ネンナはわずかに首をかしげた。そして扉の外に立ったまま避難室の床を見つめ、ゆっくり答える。


「たしかにその可能性はありますが、あれは数人がかりで扱うものです。不意打ちには向いていませんし、瞬時に攻撃できるものでもありません。この扉を開けたと同時に破城槌で攻撃されたとしても、青蓮騎士団の団長なら軽く避けることができたはずです」


「なるほど。それはたしかにそうですね……」


「しかし2人の上半身が同時に砕かれたということは、ほぼ間違いなく2人分の幅を持つ強力な武器が使われたはず。ですが、2人を一撃で粉砕するほどの威力を発揮したというのに、避難室の床の上にはそのような反動の痕跡がありません。わずかに泥がついた足跡が一人分あるだけで、足を踏ん張った跡などがまったく残っていないのです」


「そうすると、天井から丸太を吊るしたトラップを仕掛けていた……わけないですね。それならヘンリー殿に避けられないはずがない」


 クルースは広い避難室の中をのぞきながら自分で自分の意見を否定した。すると不意に少女の声が漂った。


「――だったら選択肢は2つだけだ」


 いつの間にか車椅子の上でアムが目を覚ましていた。アムは小さなあくびをしてから、避難室の中を見つめて言葉を続ける。


「魔法を使ったか、魔獣を使ったか、そのどちらかだろ。まあ、われの予想だと間違いなく魔獣だな」


「どうしてそう思うんだ?」


「状況を見ればそれしかないからな」


 質問してきたクルースに、アムは淡々と説明する。


「おまえはさっき、王位継承権者会談に出席していた7名の王子たちと元老院の代表たち、それと宮殿で働いていたすべての人間、警備していたすべての騎士、合わせて700名ほどが1時間もかからずに殺されて、その死体のほとんどがと言っていただろ。そんなことが可能なのは大量の魔獣だけだ。そして――」


 アムは遠くにある血の足跡に指を向ける。


「あの足跡のぬしがこちらの味方なら、この場で助けが来るのを待っていたはず。つまりあれが暗殺者だ。そしてその暗殺者が大量の血を流したということは、青蓮騎士団の団長に斬られたのだ。それから団長と第1王子は避難室に入ろうとしたが、敵が仕掛けていた魔獣に襲われて2人とも死亡した。その後、暗殺者はその魔獣の力を借りて傷を治し、この場を去った――。ま、そんなところだろ。ふぁ~あ~」


「なるほど……」


 白いドレスの少女は再び小さなあくびをした。クルースは白い手の甲で目元をこするアムを見ながら、わずかに首をかしげて疑問を投げかける。


「しかしそうすると、ここを襲撃した敵はたった一人ということなのか?」


「さあな。だが魔獣を使う人間というのは基本的に他人を信用しない。今回の襲撃者は、ほぼ間違いなく1人と見ていいだろう。それにほら、あのナントカという暗殺者がいただろ」


「なんとか? それってブルーハンドのことか?」


「そうそう、それそれ」


 アムは続けざまに出るあくびを噛み殺して言葉を続ける。


「あの小賢しい暗殺者も、1人で活動していると見て間違いないからな。裏の仕事というのは仲間がいると身元がバレやすくなる。腕の立つヤツほど1人で行動するものだ」


「そうか、あの最強の暗殺者がいたな……。それじゃあもしかして、今回の襲撃もあいつの仕業か――って、それはないか」


「ああ、ないない。手口が違いすぎる」


 クルースが肩をすくめて自分の意見を否定すると、アムも小さな頭を左右に振った。


「たしかにあのブルーハンドはかなりの凄腕だ。どんなに厳重な警備も信じられないほどあっさりとすり抜けて、名のある騎士に守られている貴族たちをやすやすと殺し、まるで煙のように消え失せる――。しかし、奴の使う武器は刃物だ。そして一晩に3人以上を殺したことがない。つまり、ここを襲った暗殺者はブルーハンドではないと断言できる」


「なるほど……。しかし、そうなると困ったな……」


「何がだ?」


 不意に顔を曇らせたクルースを見て、アムとネンナは首をひねった。


「いや、ネンナさんの観察眼とアムの推理のおかげで、今回の襲撃事件の状況と犯人像はなんとなくわかった。だけど、これじゃあまだ情報が足りない。ネンナさんの見立てによると暗殺者は細身の男性らしいが、そんな男なんて王都にはごまんといるし、700人近い死体をほぼすべて消し去る暗殺者なんて聞いたことがない。明日の朝にはコバルタス家に説明に行かないといけないのに、ほとんど何もわかりませんでしたなんて言えないだろ」


「じゃあ何か? おまえは現場を見ただけで暗殺者を特定して、今日中に捕まえろと言ってるのか?」


「うん。それが理想かな」


 アムが非難の色をにじませながら質問すると、クルースはアムをまっすぐ見つめてそう言い切った。そのとたん、アムとネンナは口をそろえて言い返す。


「「おまえはアホか」」


「はあ? 何でアホなんだ? 何でアホなんですか?」


 クルースも反射的にアムとネンナに口調を変えて言い返す。しかしアムは無言でだるそうに背もたれに寄りかかり、ネンナも無言で車椅子を押して歩き出した。


「えっ? 2人ともどこに行くんだ? まだ調査は終わってないだろ?」


「もう終わった。これ以上ここにいても意味がない。もっと重要な場所に行くぞ」


 アムは首だけで振り返り、クルースを手招きする。その言葉にクルースはパッと顔を輝かせ、2人の背中を追いかける。


「そうか、何か重要なことに気づいたんだな? で、どこに行くんだ?」


「うむ。我らはこれよりへとおもむくのだ」


「約束の地?」


 アムの言葉にクルースは思わず首をかしげた。そんなクルースにアムはにっこりと微笑み、言葉を続ける。


「うむ。そこは王都の中央広場にあるスイーツショップ――オルクラだ。はいっ! オッレンジケェーキっ! オッレンジケェーキっ!」


 いきなり弾んだ声を吐き出したアムを見て、クルースは思わずポカンと口を開けた。


「いや……今はケーキなんて食ってる場合じゃないだろ……」


「食ってるばあいですぅ~、食ってるばあいなんですぅ~、食ってるばあいっていったら食ってるばあいなんだからなっ!」


 アムは小さなこぶしを握りしめ、頬を膨らませながらクルースに抗議した。そのふくれっ面の少女に、クルースは呆然と訊き返す。


「いや、そしたら明日あした、コバルタスの当主に何て報告すればいいんだよ。向こうは実の息子を殺されて怒りまくっているんだぞ……」


「そんなことは悩むまでもない。こう言えば向こうも少しは落ち着くだろ」


 そう言って、短い金髪の少女はにこりと笑う。そしてすぐに真剣な表情を浮かべ、前を向きながら口を開く。


「今回の襲撃者はたった1人。そいつは凄腕の使であり、間違いなく。下手に追い詰めると、さらなる血の雨を降らせるだろう。2年前、この王都を破壊しようとしたのようにな――」


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