第25話  王位継承権者会談――ロータスナイツ・ブラックハント


・まえがき


■登場人物紹介


・セルビス・クランブリン  45歳 前国王サイラスの長男。

                  実母は北のデントラス王国出身の

                  王妃ヤミーナ。

                  王位継承権第1位の王子。

                  ヤミーナとは違い、優しい性格。



・ヘンリー・コバルタス  29歳 7大貴族コバルタス家の次期当主。

                 4大騎士団『青蓮騎士団』の団長。

                 次期国王セルビスの専属騎士。

                 青蓮剣ロータスソードの達人。

                 朱黒天位バーミリオンを持つ天才騎士。



***



 明るい広間の中央に、男は静かに座っていた――。


 短い金髪を丁寧に整えた男は、黄金と宝石を散りばめた頑丈な椅子に深く腰掛けて目を閉じている。男の周囲には何もなく、鏡のように滑らかな石の床に、無数のランプとロウソクの灯りが黄金色の光だけを落としている。その広間には静寂と、そして歴史の重みだけが静かに漂っていた――。


 すると不意に奥の扉が開き、一人の男が広間の中に入ってきた。柔らかな金髪を襟首まで伸ばした騎士だ。美しい青い鎧をまとった騎士は堂々とを進め、中央の椅子に座る年上の男の脇で足を止めた。


「――お待たせ致しました、セルビス殿下。王位継承権第2位から第7位の王子、並びに元老院の方々が大広間にそろいましてございます」


「そうか」


 騎士の澄んだ声を耳にして、椅子に座る男は目を開けた。しかし、すぐには動かない。男は深い知性を宿した青い瞳で、外のテラスに面したガラスの壁を見つめている。壁の外は灰色の世界だった。少し前から降り始めた雨が世界を静かに覆っている。


「雨だな……」


 セルビスは万感ばんかんの思いを込めて呟いた。


「大地をうるおす恵みの雨でございます」


 騎士も感慨深げに言葉をつむいだ。


「……私はもう45だ」


 セルビスは背もたれに寄りかかり、息を吐き出す。


「即位しても、残りの寿命はせいぜい20年――。父が王として生きた年月としつきの半分ほどだ。そんな先の短い男の専属騎士とは、おまえには貧乏くじを引かせたな、ヘンリー・コバルタス」


「とんでもございません」


 騎士は胸にこぶしを当てて、うやうやしく頭を下げる。


「慈悲深きセルビス殿下の盾をつとめるは光栄の至り。さらに我ら青蓮せいれん騎士団は7代ぶりの王室騎士団。我が父にしてコバルタス家当主のローガンも小躍りして喜んでおります」


「はは。そうか。ローガン殿が小躍りされるか」


 セルビスは思わず破顔し、目元を和らげた。


「しかしなヘンリー。私の方こそ光栄に思っているのだ。青蓮剣ロータスソードを極めたおまえは、長い歴史を持つ青蓮騎士団でも歴代最強――。さらにおまえの妹は歴代最高の美貌びぼうを持つ騎士。そんなおまえたちを王室騎士団に任命できるのは、新王としてはこれ以上ない喜びなのだ」


「もったいなき御言葉――。いまだ青嵐剣ブルーストームに認められぬこの身を恥じるばかりです。さらにクレアに至っては見た目こそああですが、中身は男勝りどころではありません。恥ずかしながら、むさ苦しい男そのものでございます」


「はっはっは! 実の妹をむさ苦しい男と言うか!」


 セルビスはたまらず吹き出し、ヘンリーも笑みを浮かべる。静寂な広間に笑声しょうせいが漂い、空気が和らぐ。


「さすがだなヘンリー。おかげで緊張が吹き飛んだぞ」


「私は王の盾でございます。いかなる敵からも王をお守りするのが役目。それがたとえ目に見えぬ敵であろうと、笑い飛ばしてみせましょう」


「そうか、それは頼もしい。しかし少しばかり気が早いぞ。元老院からの即位要請を受けて、他の王子たちに認められないと王にはなれないからな」


「はい。じゅうぶんに承知致しております。ですので、本日よりクランブリン王国の王はセルビス様でございます」


「はは。そう切り返してきたか。ならば致し方あるまいな」


 セルビスは笑みを浮かべながら立ち上がり、豪華なマントを軽く払って裾を揺らす。そして王族の正装をまとった体を自分を守護する騎士に向けて、決意を込めた声を静かに放つ。


「よいか、ヘンリー。私はこれよりこの国を導く王となる。おまえは王の盾となり、私とこの国を守るのだ」


「はい――。王命、たしかに承りました」


 青い鎧の騎士は再び胸にこぶしを当てて頭を下げた。今はまだ無冠の王も、騎士の胸に拳を当てて一つうなずく。


「では、行くぞヘンリー。この国の歴史に我らの足跡そくせきを刻むのだ」


「はい。この身が砕け散るその時まで、お供させていただきます」


 セルビスは颯爽さっそうとマントをひるがえして歩き出す。その背中に、ヘンリーも胸を張って追従する。


 その直後――奥の扉が再び開き、青い鎧の騎士が4名まとめて駆け込んできた。即座にヘンリーはセルビスの前に出て声を張り上げる。


「どうした。何事か」


「ほっ! 報告しますっ!」


 3人の騎士を連れてヘンリーに近づいてきた騎士が足を止めて声を上げた。


「たった今、宮殿の周囲に異変を確認致しました! 正体不明の黒い物体が本宮殿を完全に包囲しております!」


「なんだとっ!?」


 ヘンリーは反射的にガラスの壁に駆け寄った。そして雨にけぶる灰色の世界に目を凝らす。まだ午前中だというのに、分厚い黒雲のせいで外は夕方のように薄暗い。だから一瞬、ヘンリーにはわからなかった。しかしすぐに目を見開いた。たしかに宮殿の庭の奥に何やら黒いものがうごめいている。


「なんだあれは……? あれは……黒い煙か……?」


 ヘンリーはガラスの扉を押し開け、軒先のテラスに飛び出した。そしてさらに目を凝らす。その黒いものはたしかに煙のように揺らめいている。まるで黒い影を凝縮したような何かがうず高く盛り上がり、人間の背丈ほどの壁となって宮殿を取り巻いている。


「誰か! あの黒い煙を調べてこい!」


「はっ!」


 ヘンリーの命令とともに、報告を持ってきた騎士がすぐさま黒い何かに向かって駆け出した。騎士は腰の剣を抜き放ち、臆することなく一直線に突っ込んでいく。そしてその青い鎧が煙の中に飛び込んだ直後――絶叫が響き渡った。


「なっ!? なにぃっ!?」


 ヘンリーと、その背後に立っていたセルビスが同時に目を剥いた。騎士の悲鳴はすぐに消え去り、黒い何かの中からからだ。


「へ……ヘンリー……あれはなんだ……? あれはいったい何なんだ……?」


 セルビスが震えた声を漏らしながら後ろに下がった。ヘンリーも即座に振り返り、青ざめた顔で口を開く。


「セルビス様、お逃げください。


「てっ、敵!? 敵だと!? 王都の中の宮殿までぞくが侵入してきたということか!?」


「はい、どうやらそのようです。そして非常に残念ながら、


「なんだとっ!? おまえですら勝てぬ相手がいるというのか!?」


「はい――」


 ヘンリーは額に緊張の汗を浮かばせながらセルビスに答える。


「私ではあの敵には勝てません。今、我々を取り囲んでいるあの敵は、


「なん……だと……?」


 ヘンリーの言葉にセルビスは愕然とした。しかしすぐに気を取り直して口を開く。


「で、ではヘンリー。我々はどうすればいいのだ」


「宮殿の地下に避難室があります。そこに逃げ込み、応援が来るまで籠城ろうじょうします」


「し、しかし、人間では勝てない相手ではないのか?」


「ここの異変に気づけば魔法兵団が出動します。それまで持ちこたえれば我々の勝利です。さあ、セルビス様。急いで地下に」


 ヘンリーはセルビスを促して駆け出した。同時にセルビスも慌ててヘンリーの背中を追いかける。3名の騎士たちもセルビスを守るように周囲に散って走り出す。すると突然、宮殿を囲んでいた黒い何かが一斉に動き出した。


 人間大の高さの黒い壁は猛烈な速度で宮殿に接近し――全方向から一気に宮殿内に突入した。同時に宮殿のいたるところでガラスの壁や窓が砕け、黒い何かが波のように押し寄せて宮殿内にあふれ返る。とたんに悲鳴と絶叫が無数に響き渡り、宮殿は阿鼻叫喚あびきょうかんちまたと化した――。


「セルビス様っ! 足を止めずについてきてくださいっ!」


 ヘンリーは声を張り上げ、広い廊下を突っ走る。


 四方八方から叫び声が響き渡り、宮殿内の空気はもはや戦場も同然だった。セルビスはヘンリーの背中を見つめて無我夢中で足を動かす。周囲の騎士たちも極度の緊張に顔面を強張らせながら左右に目を光らせている。正体不明の敵の脅威に、誰もが心の底から恐怖していた。


「地下に降りますっ!」


 ヘンリーが下り階段に飛び込むと、セルビスと3名の騎士たちも雪崩を打って駆け下りた。さらに地下一階に降りた5人は全速力で広い廊下を駆け抜ける。


「セルビス様っ! 避難室はあの角を曲がった先ですっ!」


 廊下の先に曲がり角が見えたとたん、ヘンリーが叫んだ。同時にセルビスの瞳に希望の光が宿る。ヘンリーたちは速度を落とさず曲がり角に突っ込んだ――直後、先頭を走るヘンリーが唐突に足を止めた。


「どうしたヘンリーっ!?」


 曲がり角で足を止めたセルビスが荒い呼吸を整えながら声を上げた。するとヘンリーは即座に腰の剣を抜き、セルビスをかばうように廊下の中央に立つ。


「敵です。――おまえたち! セルビス様をお守りしろ!」


 ヘンリーの鋭い声に、騎士たちも即座に剣を抜いてセルビスの周囲を固める。すると不意に廊下の奥の扉が開き、中からフードをかぶった男が出てきた。男は扉の前に立ち塞がり、ヘンリーに向かって低い声を放つ。


「――よく気づいたな。あんたが青蓮騎士団の団長さんか」


「なるほど。おまえが術者だな」


「ま、そういうことだ」


 フードの男はヘンリーを指さしてさらに言う。


「あんたには悪いが、宮殿にいた人間はすべて始末した。あとはあんたたち5人だけだ。抵抗するというなら相手をしてもかまわないが、どうする? 俺と戦うか?」


「無論」


 ヘンリーは即座に剣を構え、一歩踏み込む。


「暗殺者ふぜいと思ったが、決闘を挑む気概きがいがあるなら答えろ。なにゆえ王位継承権者を狙った」


「そりゃ決まってる。それが俺の仕事だからだ。どうやらあんたたちの国は、


「何をくだらぬことを。国家というのはきれいごとだけでは成り立たぬ。ゆえに、我らが祖国に向けられた恨みと憎しみは、が剣がすべて斬り捨てる。言え。おまえに暗殺を依頼した黒幕は誰だ」


「はっ。訊かれて素直に答えるわけないだろ、このバカが――ってセリフがこういう場合のお約束なんだが、俺はあいにくそういうパターンが嫌いでな。どうしても知りたければ俺の体を調べてみろ。一応ヒントらしきものを持っている。俺を倒すことができたら、俺の依頼主が誰だかわかると思うぜ」


 フードの男はそう言いながら、親指で自分の体を指さした。


「そうか。ならばおまえを倒し、黒幕を暴かせてもらおう」


「ああ、是非そうしてくれ。――できるならな」


 男はフードの中でかすかに笑う。同時にヘンリーは剣を構え直し、名乗りを上げる。


「私は青蓮騎士団団長――青蓮剣ロータスソードのヘンリー・コバルタス」


「ほぉ、かっこいいじゃねーか。そういうお約束は嫌いじゃないぜ。いいだろう。付き合ってやるよ」


 男はフードを脱ぎ、青い指輪をはめた両手を天地に構えて口を開く。


「俺の名はジャコン・イグバ――。暴食ヴォレイシャスのイグバだ」


「その長い耳……おまえは泉人族エルフだな」


 ヘンリーは灰色の髪を持つ男の耳を見て言った。そしてすぐに記憶を探り、男をにらむ。


暴食ヴォレイシャス……その異名は聞いたことがある。それに先ほどのを操る魔法ということは――そうか。おまえがドエルの魔法戦団をたった一人で壊滅させたという、か」


「大正解。さすが騎士団の団長ってところだな。この街で俺の名前を知っている奴は初めてだ。褒美に俺のとっておきを見せてやろう」


 ジャコンは左右の中指にはめた青い指輪をヘンリーに向けて淡々と口を開く。


転生武具ハービンアームズ――蒼穹霊輪ミドラーシュ発動」


 その瞬間、指輪が淡い光を放ち始めた。直後、いきなり誰かの絶叫が響き渡った。


「なにっ!?」


 ヘンリーは反射的に振り返った。すると曲がり角にいた騎士の1人が廊下の奥に引き込まれた。それはまさに一瞬の出来事だった。さらに続けて2本の黒い棒状の何かが2人の騎士の体を瞬時に貫き、目にも止まらぬ速さで廊下の奥に引っ張り込んだ。そして男たちの絶叫が再び響き渡り、すぐに静まり返った。


「な……なんだ……? 今のはいったい何なんだ……?」


 ヘンリーは愕然と曲がり角を見つめた。しかしヘンリーの位置からは曲がり角の先はまったく見えない。3人の騎士を引きずり込んだものが何なのか、その3人がどのように殺されたのか、まるで見当もつかない。ただ一人無事でいるセルビスは腰を抜かして座り込み、曲がり角の奥にいる何かを見つめて震えている。


「おのれっ! いったい何をしたっ!」


 ヘンリーは再びジャコンをにらんだ。


「別に。闇は闇に、人は土に、そして魂はソルラインへと立ち返る――。あんたらの世界の言葉を実践しただけさ」


 そう言って、ジャコンは悠々ゆうゆうと左手を振る。すると壁に掛けられていたランプの炎が一つずつ消えていく。そしてすぐに闇と化した廊下の中に黒い何かがあふれ出した。その無数に湧き出した黒い何かはあっという間にヘンリーとセルビスを覆い尽くし、深い闇に飲み込んだ。


「――はい、これで目標ターゲット完全撃破コンプリート


 ジャコンはホッと息を吐き出し、闇の中を階段に向かって歩き出す。


「まったく……。騎士団の団長は朱黒騎士バーミリオンナイトって聞いていたが、とんでもない。余裕で翠銀騎士グラスナイトレベルじゃねーか。まともにやり合ったら、いくら俺でもガチでヤバかったかも知れねぇ――」


 その瞬間――闇の中からいきなりヘンリーが飛び出してきた。


「んなっ!?」


 ジャコンはとっさに両手を前に突き出した――が、一歩遅かった。ヘンリーは自分を取り巻く黒い何かを力任せに振り払い、高速の剣ですべてを粉微塵こなみじんに斬り飛ばす。そしてそのまま鋭く踏み込み――。


青蓮剣ロータスソードっっ!」


 気合一閃――。


 ヘンリーの剣がジャコンの心臓を貫いた。同時に廊下を覆い尽くしていた黒い何かが一瞬で消え去った。


「うお……まじ……か……」


 ジャコンは自分の胸を貫いた剣を見下ろしながら後ろに倒れた。そしてわずかに血を吐き出して、絶命した。


「はあ……はあ……コバルタスの血が編み出した青蓮剣ロータスソードはただの剣技ではない……。甘く見たおまえの負けだ……」


 ヘンリーはジャコンの死体を見つめながら、荒い息を肩で整える。それから左右の壁に向かって剣を振ると、すべてのランプに火がともった。


「しかし、不気味な男だったな……。念のため、確実にとどめを刺しておくか……」


 ヘンリーは床に倒れて死んだジャコンに近づき、素早く剣を走らせて首をはねた。それから曲がり角で倒れているセルビスの元へと駆けつけた。


「殿下! セルビス殿下! 意識はございますか!?」


「あ……ああ、なんとか生きているな……」


 セルビスはヘンリーに支えられて体を起こし、そのままふらふらと立ち上がる。しかしセルビスの豪華なマントはまるで溶けたように穴だらけで、両手や顔の半分近くは皮膚が破れて血が噴き出している。それでもセルビスはヘンリーに肩を借りて避難室に向かいながら、ぎこちない笑みを浮かべた。


「しかし、さすがだなヘンリーよ。よくぞあの化け物を打ち倒した」


「はい。ですが危ないところでした。奴が油断して近づいてこなければ、敗れていたのは私の方でした」


「そうか。おまえが言うのならきっとそうなのだろう。しかし気にすることはない。大事なのは我らが生き残ったという事実だ」


「そうですね。とりあえず今は避難室で休みましょう。異変に気付いた騎士団がすぐに駆けつけてくるはずです」


「うむ。あとのことはそれからだな」


 セルビスとヘンリーは目を合わせて一つうなずき、避難室の前で足を止める。そしてヘンリーがドアを開けたとたん、中にいた巨大な化け物の一撃で2人の上半身は砕け散った。


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