第24話  闇がもたらす雨の気配――ワイン&スターゴールド


・まえがき


■登場人物紹介


・カイヤ・ブランク  35歳 ワイン店『ワインパレス』を経営する男性。

               魔女テレサ・マレドの弟子。

               14年の修行を積んで、ようやく魔女となった。

               オネエ系イケメン細マッチョ。

               ネインのよき理解者。



・アーユル・メッチ  9歳 カイヤ・ブランクと契約した悪魔。

              愛称はユルメちゃん。

              無邪気に見えてけっこう腹黒い。

              悪魔ですから。

              長い桃色の髪のかわいこちゃん。

              特殊能力の出番はまだない。



***



 ランプと暖炉で明るく照らされた店内に、背の高い男が椅子に腰を下ろしていた――。


 短い髪を紫色に染めたカイヤ・ブランクは、小さいながらも重厚な造りのカウンター席で分厚い魔法書を熱心に読んでいた。時折、暖炉で燃える薪が一瞬だけ鋭く弾けるが、ワインショップの中の音はそれだけだった。広い店内は静寂に包まれ、陳列されている無数のワインボトルたちもいつもどおり、ただ静かに眠っている。


 すると不意に鈴の音が小さく響いた。入口の木の扉にぶら下がった控え目なドアチャイムだ。同時にカイヤは魔法書にしおりを挟み、そっと閉じる。それからゆっくりと振り返り、店内に入ってきた客に声をかけた。


「――いらっしゃいませ。どんなワインをお探しかしら?」


「そうだな。安いワインを2本。それと、星の金貨を1枚もらおうか」


 それは低い男の声だった。フードで顔を隠した細身の男は店内を一瞥いちべつすると、暖炉の前の椅子にまっすぐ向かって腰を下ろす。それからおもむろにフードを脱いでカイヤの顔を見たとたん、軽く驚いたように目を見開いた。


「ほぉ、男の魔女ってのは珍しいな」


「そっちこそ。泉人族エルフのお客さんは初めてよ」


 言われたとたん、カイヤも男の耳を指さして言い返した。その短い灰色の髪の男の耳は、上に長く突き出ていた。


「それで、どうしてアタシが魔女だってわかったの? あなた何者?」


「そう警戒すんな」


 中年のエルフは軽く肩をすくめて言葉を続ける。


「俺の名はジャコン・イグバ。あんたが欲しいものを売りに来ただけの流れ者さ。ま、あんたがまだ興味を持っているといいんだがな」


「さあ、それは中身によるわね。スター金貨1枚――つまり2000ルーンに見合う価値が本当にあるならね」


 カイヤは暖炉にかけていたヤカンの湯で茶をいれて、エルフの男に手渡した。それから再びカウンター席に腰を下ろし、話を続ける。


「一応先に言っておくけど、テレサの情報ならいらないわよ。それと条件はクランブリン国内限定だけど、どうかしら」


「そうだなぁ。そのテレサって名前は初耳だから大丈夫だろ。どうする。買うか?」


「そうねぇ……」


 ジャコン・イグバと名乗ったエルフの男は背もたれのない木の椅子に座ったまま、湯気の立つ茶をゆっくりとすすり始める。その様子を眺めながら、カイヤはしばし思案した。


(……この中央大陸にエルフはほとんどいない。つまり、この王都にエルフがいればかなり目立つはずなのに、そんな話はどこからも入っていない。ということは、この男はつい最近王都にやってきたということ。そしてその短期間でアタシが魔女の情報を求めていると聞きつけたのは、情報収集能力がかなり高い証拠。それにアタシを一目で魔女と見抜いたのは、かなりの経験を積んできた証し。そして何よりこの自然体は、どう見ても自信に満ちあふれている……。となると、これはおそらく当たりみたいね――)


「いいわ」


 カイヤは長い足を組み直し、灰色の髪のエルフに答える。


「使える情報だったら即金でスター1枚。だけど使えない情報だったら――」


「だったら金は取らないさ」


 ジャコンは手のひらをカイヤに向けた。


「相手が必要としないものを売りつけるほど金には困ってないからな。それにこっちも聞きたいことが2つある。それを教えてくれたら情報料は半額でいい」


「あら。それは悪くない取引だけど、アタシに答えられることかしら?」


「ああ、別に難しい話じゃない。この国は2週間前に王様が死んだんだろ? そいつがどんな王様だったのか、情報のプロの口から直接聞きたいんだ」


「え? 王様って、サイラス・クランブリンのこと? そんなことでいいの?」


 カイヤは思わずパチクリとまばたいた。そんなカイヤに、ジャコンは首を縦に振って話を促す。それでカイヤは小さな息を一つ漏らし、語り始める。


「そうねぇ……国民にとってはそれほど悪くない王様だったわね。33歳で国王に即位したとたん、すぐにドルガリアと停戦して戦争を終わらせてくれたし、税金もほんの少しだけど安くしてくれたからね。シャルムの女王がわざわざ『風の賢王』なんて称号を贈ってきたぐらいだから、よその国からもそれなりに高く評価されていたと思うわよ」


「へぇ。国民のために働く王様なんて、そいつはかなり珍しいな。で、そいつはどうして死んだんだ?」


「病気よ」


 ジャコンの問いに、カイヤは淡々と言葉を続ける。


「何年か前から、毎年冬になると体調を崩していたのよ。それで去年も12月から寝込んじゃったんだけど、今回はもたなかったってわけ。風の噂によると亡くなるまでの3か月間、かなり苦しんでいたそうよ。まあ、71歳の老人だからしょうがないでしょ。いくら国王陛下といっても、しょせんは人間――。寄る年波には絶対に勝てないってことね」


「ふーん、つまりは老衰による病死ってことか」


 カイヤの話を聞いたとたん、ジャコンは宙の一点を見つめたままわずかに首をひねった。しかしすぐに一つうなずき、再びカイヤに質問する。


「それじゃあもう一つは、この国で一番強いって噂の暗殺者について教えてくれ」


「暗殺者? そんなことを聞いてどうするの?」


「別に。ただの興味本位さ。何やらブルーハンドとかいう暗殺者が貴族たちを殺しまくっているそうじゃないか。その噂を小耳に挟んで、久しぶりに胸がすっとしたんだよ。俺みたいな小市民はそういう話が大好きだからな」


「なあに、あなた。貴族に恨みでもあるの?」


「恨みのない奴なんていないだろ」


 ジャコンは淡々と呟き、茶をすする。カイヤも軽く肩をすくめて茶を一口すすり、それからゆっくりと口を開く。


「ま、聞きたいというなら話してあげるわ。ブルーハンドという暗殺者の名前が広まったのは、たしか5年ほど前ね。その暗殺者が殺す相手は貴族ばかり。それも富と権力があって、腕の立つ騎士や傭兵に守られている相手がほとんどね。それなのに、どんな厳重な警備もあっさりすり抜けて貴族だけを確実に殺すのよ。今までに警備の人間を一人も殺していないってのがすごい話ね」


「ほぉ、そいつはたしかにすごいな。あくどい貴族だけを殺す正義の暗殺者か。そりゃあ一般人に人気があるのも当然だな」


「人殺しの正義なんて、ただの言い訳よ」


 カイヤは呆れ顔でジャコンを見つめた。するとジャコンはわずかに頬を緩め、一つうなずく。


「それはたしかにあんたの言うとおりだ。正義なんて立ち位置によって簡単にひっくり返るからな。それは俺も否定しない。で、そいつは今までに何人ぐらい殺したんだ?」


「そうねぇ……噂をまとめると、全部で100人ちょっとってところかしら?」


「ほほう。警備が厳重な貴族ばかりをたったの5年で100人か。それで人相書きすら出回っていないってのはかなりの凄腕だな。たしかに最強の暗殺者と言われるだけのことはある。それで、そいつはどうやって殺すんだ?」


「すべて心臓を一突きで殺しているから、きっと刃物ね」


「ふーん、殺し方はあまりひねりがないんだな」


 ジャコンは軽く拍子抜けした顔で呟いた。それからカイヤをまっすぐ見つめ、最後の問いを投げかける。


「それじゃあ最後に一つ教えてくれ。そいつは何でブルーハンドって名前なんだ?」


「ああ、それはたぶん、その暗殺者の手が青かったからでしょ。なんでも殺された貴族の屋敷の近くで、青い手の人物が目撃されたらしいのよ」


「はあ? 青い手ってどういうことだ?」


「さあ? 青い手袋でもはめてたんじゃないの?」


「青い手袋って、そいつはまたものすごいファッションセンスだな。まさかこっちの世界に医療用のゴム手袋があるわけないし――って、いや、待てよ? まさか、そういうことなのか……?」


 しゃべっている途中でジャコンは急に声を潜め、何かを考え始めた。その様子を見たカイヤは小首をかしげて声をかける。


「あら、なあに、あなた。ブルーハンドの正体に心当たりでもあるの?」


「ああ、いや、欠片かけらもないな」


 ジャコンは即座に手のひらをカイヤに向けた。


「俺がこの王都に来たのはほんの2日前だからな。それに俺はブルーハンドを探したいわけじゃないから正体なんてどうでもいい」


「あら、そうなの。アタシはてっきり――」


 カイヤがジャコンに何かを言おうとしたとたん、いきなり鈴の音が派手に響いた。同時に軽い足音と、元気いっぱいの声が慌ただしく店内に駆けこんでくる。


「たっだいまぁーっ! 配達いってきたぞぉーっ!」


 それは背の低いやせた少女悪魔、アーユル・メッチだった。えんじ色の上等なメイド服を着た少女悪魔は長い桃色の髪を弾ませて走り、カウンター席に飛び乗った。そしてカイヤのカップを両手で挟み、湯気を吹きながら飲み始める。


「ご苦労様、ユルメちゃん。道に迷わなかった?」


「まよった!」


 上品に微笑みながら尋ねたカイヤに、ユルメは声を張り上げた。


「だからいわれたとおり、警備兵のおっさんにつれていってもらった! それでちゃんとワインは届けたからな! うちさまをほめるがいい!」


「はいはい、偉い偉い」


 カイヤは苦笑いを浮かべながらユルメの小さな頭をなでる。すると不意にジャコンがユルメを鋭く見つめて呟いた。


「……おい。そいつは悪魔だな」


 その瞬間、カイヤの顔から笑みが消えた。カイヤも瞳の中に鋭い光を宿しながら、ジャコンを見据えて口を開く。


「あら。やっぱりあなた、ただ者じゃないわね。ユルメちゃんのことがわかるの?」


「ああ、わかる。間違いない。そいつは悪魔だ」


 ジャコンはいきなり床に置いていたかばんの中に手を突っ込んだ。そして手の中に何かをつかみ、ふらりと立ち上がってユルメに近づく。カイヤも反射的に立ち上がってユルメをかばおうとしたが、一歩遅かった。ジャコンはカイヤの肩を片手で抑えて動きを制し、鋭い目つきでユルメを見下ろしながら口を開く。


「こいつは悪魔だ……。悪魔的かわいさだ……」


「……はい?」


 その瞬間、カイヤの口がポカンといた。しかしジャコンはカイヤのことなど完全に無視し、ユルメに顔を近づけた。ユルメはいきなり最接近してきた中年男性をキョトンと見上げ、首をかしげる。


「なんだおっさん。うちさまになにか用か?」


「ああ。――お菓子をやるからイタズラさせろ」


 ジャコンは真顔でそう言い切った。そのとたん、ユルメの顔がパッと輝いた。


「えっ!? おかしくれるの!? やったぁーっ!」


「ほら、手を出しな」


 ジャコンは握っていたものを、ユルメの小さな手のひらにそっと置く。それは茶色の紙に包まれた飴玉だった。


「おおーっ! アメだぁーっ! おっさんいいヤツだな! ほめてつかわす! ありがとーっ!」


 ユルメは満面の笑みで声を張り上げた。そしてさっさと飴玉を口の中に放り込む。灰色の髪の中年エルフは、少女悪魔の幸せそうな顔を少しの間無言で見つめた。それからユルメの小さな頭を軽くなでて、元の椅子に腰を下ろす。


「……イタズラはしなくていいの?」


 いったいどうなるものかと心配そうに見ていたカイヤは、呆れ顔でジャコンに訊いた。するとジャコンは肩をすくめて口を開く。


「それはお約束ってヤツさ。俺の故郷では年に一度、さっきみたいなセリフを言って子どもにお菓子を与える祭りがあるんだ。まあ、セリフはちょっとばかりアレンジしたけどな」


「あらあら。それはまた随分と変わった風習のある土地に住んでいたのね」


「まあな。それより、あんたの契約悪魔は随分と若いな。そんな子どもじゃ何の力もないだろ。知識と魔力を求める魔女としては致命的な相手じゃないのか?」


「それはまあそうなんだけど、断ったらもっと致命的な状況だったのよ」


 カイヤは幸せそうに飴玉をなめているユルメの頬を指でつつき、言葉を続ける。


「それにこうして一緒に暮らしてみると、それほど悪くないかもって思ったの。アタシみたいな才能のない魔女には、この子ぐらいがちょうどよかったみたいね」


「ふーん。つまりあんたはワインショップの店長で、裏の情報屋で、男の魔女で、しかも契約悪魔はただの子どもってわけか――。面白い。気に入ったぜ」


 ジャコンは再び立ち上がり、店の奥に置いてある大きな木の箱に足を向けた。そして中から2本のワインボトルを取り出すと、暖炉の前の椅子に戻ってカイヤに言う。


「本当は詳しい話をするつもりはなかったんだが、気が変わった。俺にもその子と同じ年頃の娘がいたからな。あんたには俺が見てきたことを全て教えてやろう」


「あら、いいの? それ、うちで一番安いワインなんだけど」


「別にいいさ。俺みたいな人間のクズに高い酒を飲む資格はない。安酒でじゅうぶんだ」


 ジャコンは自虐じぎゃく的な笑みを浮かべ、肩掛けカバンの中に2本のボトルを突っ込んだ。それから座ったまま姿勢を正してカイヤを見つめ、ゆっくりと語り出す。


「さてと。それじゃあ、あんたが欲しがっていた情報を話そう。――俺は今から1か月ほど前、ある森に迷いこんだ。そしてそこで1人の魔女と会った」


「ようやく本題ね。それで、それはどこの森? その魔女の名前は?」


「場所はここからはるか北東。オーブル共和国との国境にほど近い土地――だ」


「えっ!? オルトリン!? それじゃまさかっ!」


 ジャコンの言葉を聞いたとたん、カイヤの瞳に驚愕が走った。ジャコンは驚きに目を見開いたカイヤをまっすぐ見つめ、さらに言葉を続ける。


「そうか。あんたも魔女だから知っていて当然かもな。そうだ。俺が会ったのはだ。裏の世界で最強最悪と恐れられている使――だ」


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