第27話  冷静と野望の天秤――ザ・ブラッド・オブ・コバルタス その1


・まえがき


■登場人物紹介


・ローガン・コバルタス 7大貴族、コバルタス家の現当主。

            ヘンリーとクレアの父。

            元・青蓮騎士団の団長。

            どんな状況でも先を読み、必要な手段を講じる策略家。

            青蓮騎士団を王室騎士団にするのが悲願。



・クレア・コバルタス  21歳

            クランブリン王国でもっとも美しい女性と評判。

            しかし、頭の中は筋肉。声もでかい。

            青蓮騎士団の副団長だが、実力はまだ開花していない。

            自分にも他人にも厳しさを求める性格。しかし、

            厳しさの中には深い思いやりの心が秘められている。

            剣の腕は弱くても、心の強さは誰にも負けない。



・バルト・ブレイデン  58歳 前国王サイラスの専属騎士。

            クランブリン王国最強騎士。

            白百合騎士団の団長。

            蒼銀天位の蒼銀騎士グリーンナイト

            天秤剣ライブラソードの達人。



***



 朝もやが立ち込める王都の石畳を、2頭立ての馬車がゆっくりと走っていた――。


 そこは広大な王都の中でも特に閑静かんせいな一角だった。整然とした並木道がどこまでも続き、道沿いのさくの向こうには、大きな池を囲む見事な庭園が広がっている。馬車の窓の外に広がるその景色は、まさに一枚の絵画のような美しさだ――。


 しかし、洒落しゃれた客車の中に座る3人は、その朝もやが漂う幻想的な景色を完全に無視して眠り込んでいた。軍服姿のクルースは腕を組んだまま船を漕ぎ、黒いメイド服姿のネンナは顔を上に向けた姿勢で寝続けている。フリルの付いた黒いドレス姿のアムはネンナの膝に小さな頭をのせて、よだれまで垂らしている。


 すると不意に、馬車が小石を踏んで縦に揺れた。その衝撃でクルースはハッと目を覚まし、慌てて窓の外に目を向ける。それからすぐに目の前の2人の肩を軽く揺さぶり、眠りから引き戻す。


「アム、ネンナさん、起きてくれ。もうすぐコバルタスの屋敷に着くぞ」


 しかし二人の動きは鈍かった。ネンナは手の甲で目元をこすったかと思うと、再び目を閉じて完全に沈黙した。アムは黒いエナメルの靴をのろのろと手に取ると、いきなりクルースに向かって力なく投げつけた。


「うるしゃい、このぼけぇ~。いまなんじだとおもってんだぁ~、このぼけなすがぁ~」


「いや、今さら文句を言ってもしょうがないだろ。向こうが朝の7時でないと時間が取れないって言ってんだから、少し早めに行くぐらいの気遣いは必要だろうが」


「だからってなんでこっちが……ふぁ~あ、もういい……ねみゅい……」


「そりゃまあ、たしかに僕も眠いけどさ……」


 会話を放棄して目を閉じたアムを見て、クルースは渋い顔で短い茶色の髪をかき上げた。


「コバルタス家は青蓮せいれん騎士団の代表だからな。王子7人を守れなかった責任問題を追求されるのは目に見えている。だから今はいろいろと根回ししなくちゃいけないから大変なんだよ」


「だぁかぁらぁ~、そんなことしらんがなぁ~。というかぁ~、黒い服は好きじゃないのだぁ~」


 アムは目を閉じたまま、もう片方のエナメル靴もクルースに放り投げた。クルースは反射的に宙で受け止め、2つをそろえてアムの足下に並べて置いた。


「それもしょうがないだろ。サイラス王のは昨日で明けたけど、今度は王子たちが亡くなったんだから、この先3週間は国全体が喪に服す。そのかんずっととは言わないから、せめて今日ぐらいは我慢してくれ」


「えぇ~、この国はしきたりがめんどくさすぎるのだぁ~。われの国はもっと自由でおおらかだったぞぉ~」


「いや、おまえの故郷の方こそ真っ黒ってイメージしかないだろ」


「うるしゃい、うるしゃい、うるしゃ~いっ!」


 アムは再びエナメル靴と、今度は頭のカチューシャまでクルースに投げつけた。クルースはやはりすべてを宙で受け止め、呆れ顔で息を吐き出す。


 すると不意に馬車が止まった。クルースが窓の外に目を向けると、馬車は立派な屋敷の前に到着していた。しかしなぜか正面玄関からかなり離れた位置で止まっている。どうやら屋敷の玄関前に1台の馬車が止まっているので、それが移動するのを待つためのようだ。


「はて……? こんな朝早くに馬車? まさか僕たちよりも早く誰かが訪れたのか?」


 クルースは馬車回しで待機している立派な馬車を見て首をひねり、さらに玄関から出てきた複数の人物を見て目を丸くした。1人は純白のマントをまとった騎士で、もう1人は身なりの整った中年の紳士、そして最後の1人は青いドレスに身を包んだ、長い金髪の若い女性だった。


「あの白騎士はまさか……ブレイデン様? そしてもう一人はモーリス殿か? なんであの2人がこんな早朝にコバルタスを訪れたんだ……?」


「なんだ? なにか珍しい人間でもいたのか?」


 呆然と呟いたクルースの隣に、アムがいきなり小さな頭を寄せて外を眺めた。


「ああ、サイラス王の専属騎士で、王の盾を務めた我が国最強の蒼銀騎士グリーンナイト、バルト・ブレイデン様だ。それともう一人は父の知り合いの上級貴族、モーリス殿だ。あの二人に親交があったとは聞いたことがないから、非常に珍しい組み合わせだな」


「ふーん。どっちもジジイ一歩手前のおっさんか。死ぬほどどうでもいいな」


「おっさんっておまえ、それは死ぬほど失礼すぎるだろ……」


「それよりクルース。あの女はだれだ? 最近見た女の中では一番の美人だぞ」


 アムはクルースの言葉を無視して若い女性を指さした。クルースは呆れ顔で息を吐き、長い金髪の女性に目を向ける。


「あの人はクレア・コバルタスだな。昨日亡くなったヘンリー殿の妹で、青蓮騎士団の副団長だ。たしか我が国を代表して、デントラス王国の王子に誕生祝いを届けに行っていると聞いていたが、どうやら戻ってきていたみたいだな」


「ふーん。おまえとどっちが年上だ?」


「クレアさんは僕の1つ上だから21歳だ。というか、なんで年齢なんか訊くんだよ」


「いや、あれだけの美人は滅多にいないからな。おまえの嫁にいいかと思って」


「何でそういう話になるんだよ……」


 クルースは呆れ果てた顔で大きなため息を吐き、椅子に座り直した。同時に白騎士と紳士を乗せた馬車が走り出したので、クルースたちの馬車も動き出す。


 クルースは馬車が正面玄関の前で止まると外に出て、客車の後ろに固定してあった車椅子を用意する。するとネンナがアムを抱きかかえて客車を降りて、車椅子に座らせた。


 その直後、玄関で待機していた青いドレスの若い女性が大股でクルースたちに近づいてきた。さらに女性はかかとを打ち合わせて姿勢を正すと、敬礼とともにいきなり声を張り上げた。


「自分は青蓮騎士団っ副団長ぉーっ! クレア・コバルタスでありまぁーすっ! 本日はお忙しいなか足をお運びいただきぃーっ! まっことにありがとぉございまぁーすっ!」


 その瞬間、朝もやにけぶる邸宅の周囲に凛とした女性の声が響き渡った。同時にクルースとアムの口がポカンと開き、ネンナは無表情のまま固まった。しかしクレアは3人の呆然とした面持ちには一切気づかず、さらに声を張り上げる。


「王国警備軍っ、王都守備隊っ、即応そくおう治安維持部隊っ! 第6小隊隊長クルース・マクロン様とほか2名ぃっ! ただ今より速やかにぃっ! コバルタス家当主の元までご案内させていただきますっ! さぁっ! こぉちらへどぉぞっっ!」


 美しい顔立ちのクレアは唾を飛ばさんばかりの勢いで言葉を発し、勢いよく屋敷の中へと向かっていく。しかしクルースたちはあまりのことに仰天したまま、その場から一歩も動けなかった。


「せ……青蓮騎士団の副団長は男勝りと聞いていたけど、まさかこれほどの迫力だったとは……」


「うむ……クルースよ……。あれを嫁にするのはやめておいた方がいいな……」


「はい、お嬢様……。あれはかなり暑苦しいですね……」


 3人は大きな屋敷の中に消えた細い背中をただひたすら呆然と見送った。そして再び飛び出してきたクレアに大きく手招きされて、慌てて屋敷の中に駆け込んだ。


「――失礼いたしますっ!」


 クレアは2階の応接室にクルースたちを案内すると、重厚な扉を開けて再び声を張り上げた。


「お待たせいたしましたっ、ご当主様っ! マクロン様ご一行をお連れいたしましたっ!」


「――うむ」


 広い応接室の中には1人の男性が立っていた。短い金髪を後ろに撫でつけた初老の紳士だ。男は手にしていた青い鞘の剣を重厚な机の上に置き、クルースたちに顔を向ける。


「コバルタス家当主、ローガン・コバルタスです」


「カロン宮殿襲撃事件を担当することになりました、クルース・マクロンです」


 クルースもこぶしを胸に当てて挨拶し、横の2人を紹介する。


「こちらは自分の部隊の隊員で、アム・ターラとネンナ・ポーチです」


「朝早くに呼びつけて申し訳ない。お座りください」


 ローガンは部屋の中央を手でさして、向かい合ったソファの片方に腰を下ろす。クルースもすぐに腰を下ろし、ネンナは車椅子をソファの脇に移動させて後ろに控える。


「それではすぐにお茶をご用意させていただきますっ!」


 クレアは再び大きな声を張り上げて、応接室をあとにした。その背中を見送ったローガンは、ドアが閉まると同時に小さな息を吐き出した。


「人一倍声の大きな娘で申し訳ない」


「いえ。あんなことがあったあとですから、気丈きじょうに振る舞われていらっしゃるのでしょう」


 クルースは机の上に置かれた剣を横目で見ながらそう言った。その視線に気づいたローガンも、剣を見つめながら重い口をゆっくり開く。


「あれは先ほど届いたヘンリーの剣です。あいつには今年の初めに息子が生まれたので、その子が騎士になったら渡すつもりです」


「そうでしたか……。お悔やみ申し上げます……」


 クルースも低い声でこたえ、言葉を続ける。


「我々が現場を調査したところ、ヘンリー殿はカロン宮殿を襲撃した暗殺者を倒したと思われます。その後、セルビス殿下を避難室にお連れしようとしたところ、中に潜んでいた魔獣に不意打ちされた可能性が高いと見ております」


「そうか……。あいつは敵に一矢報いたか……」


 ローガンの口から心の内がかすかに漏れた。そして初老の男は誇りと悲しみをたたえた瞳で、あるじを失った剣をしばらくの間見つめ続けた。


 それから少しして、クレアが茶を運んできた。その青い瞳の周りが赤く腫れていることにクルースは気づき、無言でそっと目を逸らす。そしてクレアが部屋を出てから、調査で判明したことをローガンにすべて伝えた――。



「――しかし、なにやら奇妙だったな」


 1時間ほどでローガンに襲撃現場の調査結果とこれからの捜査方針を伝えたクルースは、コバルタスの屋敷を辞去じきょして馬車に戻った。すると不意にアムがわずかに首をひねりながらぽつりと呟いたので、クルースは思わず訊き返した。


「何が奇妙なんだ?」


「あのローガンという男だ」


 アムは窓の外に目を向けて、遠ざかるコバルタスの屋敷を眺めながら淡々と話す。


「あの男は息子の死に悲しんでいたが、何かそれ以外のことに心をとらわれているように見えた。おまえの話にあまり集中していなかったからな」


「ああ、それはあれだろ。王位継承権者を守れなかった騎士団の代表として、責任問題にどう対処するか悩んでいるんだろ」


「いや、そうではない。その場合だと焦りと苦悩がにじみ出るはずだが、その色は薄かった。あの表情はおそらく決意だ」


「決意?」


「そうだ」


 アムは怪訝けげんそうに眉を寄せたクルースをまっすぐ見つめて言葉を続ける。


「あれは戦地におもむく決意の表情だ。しかも負け戦とは思っていない。何か勝算のある大きな戦いに挑もうとしている男の顔だ。だから奇妙だといったのだ」


「ふむ、それはたしかに奇妙だな……」


 クルースはあごに手を当てて考え込んだ。


「――コバルタス家の青蓮騎士団はここ何代もの間、王の専属騎士を輩出はいしゅつしていない。それがようやく叶うところだったのに、今回の襲撃事件で彼らの悲願だった王室騎士団への道は完全に断たれてしまった。そして存命している王位継承権の最高位は第8位のカーク・ノーランドで、あそこの家は金枝きんし騎士団との交流が深い。ローガン殿には悪いが、もはやコバルタス家に逆転の芽はないだろう……」


「だったら、その次のヤツは誰だ?」


「その次?」


 アムからの不意の質問で、クルースはハッと気づいた。


「そうか。王位継承権第9位はカトレア・イストンだ。イストン家の領地を守っている南方軍にはコバルタス家の縁者が多い。そしてたしかカトレア姫を護衛しているのは白百合騎士団の騎士だったはず――。となると、王室騎士団は2代続けての就任ができないから、もしカトレア姫が女王に即位したら、専属騎士を青蓮騎士団の騎士に変更することができる。しかも女王の場合は女性騎士が王の盾になると決められているから――」


「あのクレアとかいうやかましい娘を王の盾にする――という狙いか」


 クルースの言葉の先をアムが淡々と引き継いだ。


「なるほど……。だから白百合騎士団の団長であるバルト・ブレイデン様を呼び出したのか。まさか実の息子が殺された翌日に起死回生の一手を打つとは、さすがコバルタス家の当主。しかし、そうなると問題は――」


「うむ。問題はカトレアよりも上位の王位継承権者――。第8位のカーク・ノーランドが、カトレアが女王に即位する可能性はないだろう」


「ということは、まさか……」


 クルースは思わず唾を呑み込んだ。その顔をアムは見つめて、わずかに微笑む。


「そういえばクルース。ローガン・コバルタスはつい先ほど、面白い質問をしていたな。おまえが今回の襲撃者の人物像を報告した時、さりげなく訊いてきたであろう。と」


 その言葉を聞いたとたん、クルースは目の前に座る金髪の少女をまじまじと見つめた。そして瞳の中に緊張の色をにじませながら、ゆっくりと口を開く。


「そう言えば、たしかに訊かれた……。そして僕はこう答えた。この国で最強の暗殺者は――ブルーハンド」


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