第8話   新たなる魔女の誕生――ダーククロウ・ヘクシズゲート その3


「殺される?」


 少女悪魔ユルメの話を聞いたとたん、カイヤとネインは緊張した視線を交わした。


「殺されるって、それはちょっと穏やかじゃないわね……。ねぇ、ユルメちゃん。いったいどういうことなのか事情を話してもらえるかしら?」


「そ……それはいえないんですぅ……。もしもだれかにしゃべったら、オグさまにきついお仕置きをされてしまうんですぅ……」


「そのオグ様って人――じゃなくて、悪魔がユルメちゃんを脅しているの?」


「そうなんですぅ……。うちさまはオグさまに命令されたんですぅ……。――おまえは中央大陸で生活している魔女の契約アクマになれ。そして定期的にじょうほうを送れ――って。それでうちさまは中央大陸でのアクマ召喚に片っ端から応募したんですけど、なぜかどの魔女もうちさまを一目見たとたん、無言でヘルバースに送り返しやがったんですぅ。あいつらみんな呪われろですぅ。そしてそれが5回も続いたので、とうとうオグさまに言われてしまいました……。――次の召喚で魔女の契約アクマになれなかったらおまえをころす――って……」


 その話を聞いたとたん、カウンターの中に立つカイヤと椅子に座るネインは額を寄せ合い、小声で言葉を交わし始めた。


(あらぁ。どうしましょう、ネインちゃん。この子、ものすごぉく口が軽いわよ)


(はい。これほどまでに頭のユルい子ども悪魔と契約する魔女がいるとは思えません。どうやらそのオグ様というのは力のある上位悪魔のようですが、かなりの無能のようです。もしくは、この子ども悪魔が苦労する様子を見て楽しむ、悪魔のような悪魔かと思われます)


(たしかにそのオグ様というのは悪魔のかがみみたいな悪魔ね。こんな子どもをイジメるなんて、悪魔の風上に置けちゃう悪魔に違いないわ。でもどうしましょ。この子、アタシが追い返したら本当に殺されちゃうと思う?)


(わかりません。本人は殺されると信じ切っている様子ですが、そのオグ様という悪魔を実際に見てみないと本気かどうか判断はできません。それに子どもに見えても相手は悪魔です。悪魔は言葉巧みに人間を騙すのが仕事のような存在です)


(つまりこの子は、アタシと契約するために同情を引こうとしている可能性がある、ってことね)


(はい。演技をしているようには見えませんが、悪魔なら息をくように嘘をつけてもおかしくはありません。ですがもしこの子ども悪魔の態度が演技だとしたら、それは逆に悪魔らしい悪魔だと言えます)


(なるほどねぇ。つまりここまで自然に嘘をつける悪魔であれば、それは逆に有能な悪魔の証しというわけね。でもねぇ、アタシ、女の子って本当に苦手なのよ。ちょっと男にチヤホヤされただけですぐ調子にのるブスってホント気持ち悪い。死ねばいいのに)


(オレはそういう女性を見たことがないのでよくわかりませんが、もし見た目だけが問題なら変身させるという方法はどうでしょうか。テレサさんの契約悪魔みたいに普段は動物にさせておけばそれほど気にならないかもしれません)


(たしかにロダンみたいな無口な鳥なら悪くないかもね。でもねぇ、いくら見た目が変わっても中身がオンナならあまり意味がないと思うのよ。結局のところアタシはオンナが大嫌い。だからオンナの悪魔とは契約したくない。そこがどうしても譲れないのよねぇ)


(そうですか。だけどそれは仕方がないと思います。相手の都合にばかり合わせていたら、自分の首を絞めることになりますから)


(そうそう、そういうことなのよ。だからやっぱり悪いけど、この子とは契約できないわね。まあ――そのオグ様って悪魔が怖そうだから契約できない――っていう理由で断れば、この子も少しは言い訳できるでしょ)


(では、そのオグ様という悪魔のことを少し聞き出してから断るという流れですね)


(そうね。それが一番手っ取り早そうね――)


 手早く相談を終えた二人はお互いにうなずき合い、少女悪魔に顔を向ける。するとユルメはネインの革袋に入っていた砂糖をカップの中に大量に流し込み、幸せそうに飲んでいた。先ほどまでの曇り顔が嘘のような満面の笑みだ。


「ねえ、ユルメちゃん。ちょっと聞いてもいいかしら?」


「おうっ! なんでもきいていいぞっ!」


 ぬぅ、この子、ほんとは何も考えていないんじゃないかしら――と、カイヤは腹の中で思いながら質問する。


「えっとね、そのオグ様というのはどんな悪魔なの?」


「それはいえないのだっ! いったらまたお仕置きされちゃうからっ!」


「もしかして、ものすごく強いのかしら?」


「おうっ! オグさまはものすごくつよいぞ! なんてったって九大魔王さまの一人だからな!」


 その言葉を聞いたとたん、再びカイヤとネインの瞳に緊張が走った。


「きゅ……九大魔王ってほんと? それって悪魔の最高位なんでしょ?」


「ほんとだぞ! うちさまはうそなんかつかないからな! オグさまは正真正銘、北西大陸の暗黒領域ヘルバースを支配している九大魔王さまだ! どぉだ! おそれいったか!」


「え……ええ、恐れ入ったわ。でも、そんなにものすごい大魔王様が、どうしてユルメちゃんを魔女の契約悪魔にしようとするの?」


「それはもちろん中央大陸のじょうほうをあつめるためだ!」


「情報? そういえばさっきもそんなことを言ってたけど、どんな情報を集めて、それをどうするつもりなの?」


「それはうちさまもよくしらないけど、とにかくつよい人間のじょうほうを集めるんだ! オグさまは何年かまえから自分だけのじょうほうそしき? というのを作っているからな!」


「情報組織? 悪魔がそんな組織を作っているの?」


「そぉなのだっ! オグさまがつくったそしきはすごいんだぞ! そのなまえは――」


 その瞬間、ワインショップの店内がいきなり闇で覆いつくされた。


「――なっ!? これはっ!?」


「えっ!? なっ!? なにこれっ!?」


 一瞬で光が消え去った店内でネインは即座に立ち上がり、カイヤは呆然と目を凝らした。しかし二人の目には何も見えない。自分が目を開けているのかどうかすらわからないほどの完全な暗闇がすべてを覆い尽くしている。


「――くっ! 第1階梯光魔法――魔光ライト! 魔光ライト! 魔光ライト! 魔光ライト!」


 ネインはとっさに両手をかざし、魔法を唱えた。すると頭上に四つの光の球が発生したが、なぜかいつもより光がかなり弱い。まるでか弱いロウソクのような灯りが店内をうっすらと照らし出している。


「ネインちゃん! これはいったいどういうこと!?」


「わかりません!」


 淡い光を頼りにネインは周囲に視線を飛ばしながら声を張り上げた。


「カイヤさん気をつけて下さい! この闇は異常です! おそらくかなり高レベルの闇魔法です! すぐに店の外に避難しま――なにぃっ!?」


 ネインは突如として現れた黒い何かを見て息をのんだ。それは闇よりもなお暗い、漆黒の煙だった。その発生源は店の中央――ユルメを召喚した魔法陣だ。光をまったく反射しない黒い闇が複雑な魔法陣から次から次に立ち昇り、店の中にゆっくりと広がっていく。


「な……なにあれ……? なんなの……?」


 カイヤは両目を見開き、静かに迫り来る闇の煙を凝視した。反射的に席から立ち上がっていたユルメも恐怖で全身を震わせながら固まっている。


「くっ! 二人とも! 早く外へ!」


 ネインは慌てて叫びながらユルメを抱きかかえようとした。しかしなぜか体がまったく動かない。よく見ると、いつの間にか漆黒の糸が全身を縛り付けている。そのせいで一歩どころか指先一つ動かせない。しかもカウンターにゆっくりと迫ってきた闇の煙が唐突に何かの形を取り始めた。


「これはまさかっ……! 手かっ!? 煙が手の形に変わったっ!?」


 ネインは思わず驚きの声を上げた。それはまさに漆黒の巨大な手だった。長く鋭い爪を持つ、人体よりも大きな手がゆっくりとユルメに近づいていく。その異様な黒い手が放つ暗黒のオーラのせいで、ユルメとカイヤは呼吸すらままならないほど恐怖で全身が硬直している。


「……あ……あ……あ……あ……」


 ユルメの小さな唇から震える声が漏れて出た。巨大な黒い手が目の前まで迫ったからだ。しかもその黒い指がゆっくりと内側に曲がり、鋭い爪がユルメの鼻先で停止した。ユルメは顔面から大量の汗を噴き出しながら、自分の顔よりも大きな黒い爪を凝視している。


(こうなったら仕方ない――)


 圧倒的な死の気配を振りまく巨大な黒い手を見て、ネインは瞬時に覚悟を決めた。そして最強の魔法を唱えるために意識を極限まで集中させる――。しかし次の瞬間、黒い手がいきなり後退を始めた。巨大な手はゆっくりと下がりながら元の黒い煙へと戻り、さらに魔法陣の中に吸い込まれていく。そして煙がすべて消え去った瞬間、ワインショップの中に光が戻った。


「ア……アタシたち、助かったの……?」


「……どうやら、そうみたいです」


 カウンターの奥の壁に寄りかかって呆然と呟いたカイヤに、ネインが淡々と返事をした。ネインは体が問題なく動くことを確認すると、すぐに魔法陣が描かれた紙を巻いてたたみ、ユルメに近づいて声をかける。店内に灯りが戻ると同時にへたり込んでいたユルメの小さな体は、まだ恐怖で震えていた。


「おい、大丈夫か? 今のがオグ様という奴なのか?」


「……あ……あう……あう……」


 ネインがしゃがんで尋ねると、ユルメは震えるあごで小刻みにうなずいた。ネインはユルメの背中をそっとなでたが、震えはまったく収まらない。少し時間をおこうとネインは判断し、今度は壁に寄りかかったまま動けないでいるカイヤに近づいて声をかけた。


「カイヤさん、今のは……」


「え……ええ、そうね……」


 カイヤは胸の前で手を組んで、心を落ち着かせながら口を開いた。


「今のは間違いなく警告ね。余計なことに首を突っ込むな。そしてユルメちゃんと契約しろ。さもないとひねり潰す――。たぶん、そういうことでしょ」


「おそらく」


 ネインが短く答えると、カイヤは大きな息を吐き出した。


「まったく……。まさかこの世に悪魔の押し売りがあるなんて思いもしなかったわ。だけど、さすがにあのオグ様には逆らえそうにないわね。あんなに恐ろしいモノを見たのは初めてよ……」


「オレが何とかしましょうか?」


「ううん、いいの。悪魔召喚をしたのはアタシだからね。そこまでネインちゃんに迷惑はかけられないわ」


 カイヤは壁から背を離し、カウンターに両手をついた。


「それに、今のではっきりわかったわ。オグ様はきっと本物の九大魔王だと思う。そんな大物がユルメちゃんのバックにいると思うとかなり恐ろしいけど、逆に考えればこれ以上ないほど頼もしい味方とも言える。それにアタシみたいな才能のない新米魔女には、ユルメちゃんみたいな頭のユルい新米悪魔がちょうどいいのかもしれないしね」


「でも、女性は苦手なんですよね?」


「それはまあそうだけど、アタシが嫌いなのは男に媚びを売るクソオンナだからね。まだ9歳の子どもなら育て方次第でなんとかなるでしょ。これじゃあ魔女というより、なんだか母親みたいだけどね」


 カイヤは諦め顔で、もう一度大きく息を吐き出した。それから床にへたり込んでいるユルメのそばにしゃがみ、上品に微笑みながら声をかける。


「さてと。それじゃあ、ユルメちゃん。今日からあなたはアタシの契約悪魔よ。この先いろいろあると思うけど、まあ、仲良くやっていきましょうね」


「あ……あう……あうう……」


 まだ体が小刻みに震えている少女悪魔はゆっくりと顔を上げた。その目は涙であふれ、鼻水も垂れている。


「あらあら。どうやら相当怖かったみたいね――って、あらやだ」


「……どうしたんですか?」


 不意に呆れた声を漏らしたカイヤに、ネインが近づいて声をかけた。するとカイヤは、メイド服のスカートを小さな両手で押さえているユルメを指さし、淡々と言う。


「この子、漏らしちゃったみたい」

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