第2章   新たなる魔女の誕生――ダーククロウ・ヘクシズゲート

第6話   新たなる魔女の誕生――ダーククロウ・ヘクシズゲート その1


 重苦しい灰色の曇天から、白い粉雪が舞い降りる――。


 クランブリン王国の王都クランブルの整然とした街並みに、雪がうっすらと積もっていく。そのせいだろうか。まだ昼下がりだというのに、広大な街の中を行き交う馬車や人の数は普段よりもかなり少ない。特に黒いハーフマントを羽織った若い男が歩く裏通りには、前にも後ろにも人影はどこにも見当たらない。ただその男の足跡のみが、薄い雪化粧の上に点々と増えていく――。


 ハーフマントのフードで頭を覆った若い男は白い息を吐きながら、石造りの住宅と商店が並ぶ静かな通りをゆっくり進む。そしてふと、一件の店の前で足を止めた。


 そこはワインボトルをかたどった鉄の看板を軒先に下げた店だった。壁には窓がいくつかあるが、いずれもカーテンが閉まっていて中は見えない。入口の分厚いドアの脇にある小窓の内側には『OPEN』の掛札が顔をのぞかせているので、営業はしているようだ。


 細身の若い男は一つ息を吐くと、肩の雪を静かに払い、ハーフマントのフードを脱いだ。それから足元の石段を軽く蹴りつけ、革のブーツにこびりついた泥と雪を振り落としてから、店の中に足を踏み入れた。


「いらっしゃい――って、あぁら。ネインちゃんじゃない」


 明るい店内に入ったとたん、奥から低い男の声が漂ってきた。


「こんにちは。カイヤさん」


 ネインは軽く頭を下げながら奥のカウンター席へと向かっていく。小さいながらも重厚な造りのカウンターの奥に背の高い男が立っている。その引き締まった体をした男は、ネインと目が合うと上品に微笑んだ。


「その様子だと、どうやら上手くいったみたいね。怪我はしてない?」


「はい。怪我はありません。二日ほど右腕が動かなくなりましたが、今はもう大丈夫です」


 ネインは右腕をさすりながら、カウンター席に腰を下ろした。


「あら。腕が動かなくなるって大変じゃない。ちゃんと治癒師に見てもらった?」


「いえ、まだです。村に戻ってから調べてもらうつもりです」


「そうね。そうした方がいいわね。アタシはちょうどひと休みしてお茶をいれていたところよ。――はい、どうぞ。温まるわよ」


 短い髪を紫色に染めたカイヤは、ネインの前に湯気の立つカップをそっと置く。ネインは礼を言って口をつけ、ほっと小さな息を吐き出した。


「それで、お目当てのものは手に入ったの?」


 カイヤはネインが脱いだハーフマントを受け取り、だいだい色の炎が揺らめく暖炉の前の物干し台にかけた。それからネインの隣に腰を下ろし、開いていた分厚い本を丁寧に閉じて脇に寄せる。


 その間にネインは足元に置いた背負い袋から明金ライトゴールド個人認識票タグプレートを取り出して手元に置き、炎を宿した水晶クリスタルをカイヤの前に差し出した。


「あぁら。なにこれ。すごくきれい。これが伝説の特殊魔法核、レジェンダリー・エクスコアってヤツね」


 手にしたとたん緑色に変化した炎をカイヤはうっとりと眺め、目を輝かせている。


「はい。ガッデムファイアと名付けました。ガルデリオン・ファイアだと、歴史や魔法の研究者にはすぐにバレてしまいますから」


「そうね。素性を隠すのは余計な争いを避ける賢いやり方だからね。でも、ガッデムファイアってどういう意味なの?」


「わかりません」


 ネインは淡々と言って、熱い茶を一口含んだ。


「それはオレを殺そうとした男が最後に口にした言葉です。ガルデリオンに語感が近いのでそれにしました」


「あらあら。ネインちゃんを殺そうとするなんて身の程知らずな愚か者ね。絶対に勝てるわけないのに」


 カイヤはくすりと笑い、ガッデムファイアをカウンターにそっと置く。それからネインに顔を向けて、ふと尋ねる。


「それでネインちゃん。一緒にダンジョンに入った人たちは、ちゃんと全員始末してきた?」


「いえ、一人だけ見逃しました。元々巻き込むつもりはありませんでしたし、その人だけはオレを攻撃しませんでしたから」


「あら。バラさなくてよかったの? なんだったら、うちの方で手を打っておこうか?」


「たぶん大丈夫です。それより、こっちをお願いしてもいいですか?」


 ネインは手元に置いた明金ライトゴールド個人認識票タグプレートをカイヤの方に差し出した。


「それはヴァリアダンジョンの最下層に落ちていました。あとで冒険職アルチザン協会に届けるつもりです。そうすればランク2の赤銅カッパーに昇格できるはずですから。ただし――」


「馬鹿正直に申請すれば、聖剣旅団と一緒にヴァリアダンジョンに潜ったことがバレちゃうってわけね。いいわよ。アタシの方で書類は適当に書き換えておくわ。えっと、名前は――ハーシー・スタッカートね」


 カイヤは個人認識票タグプレートの名前を記憶してからネインに返す。ネインはすぐに背負い袋にしまい、礼を言った。


「いつもありがとうございます」


「いいわよ、これぐらい。ネインちゃんにはいっぱい稼がせてもらったからね。それに今日はアタシの方もネインちゃんにお願いしたいことがあったから、立ち寄ってくれて助かったわ」


「そうですか。オレにできることなら何でも言ってください」


「あらん、ありがと。それじゃあ早速お願いしようかしら」


 カイヤは待ってましたと言わんばかりにいそいそと席を立ち、店の中央に置かれた椅子やテーブル、陳列していたワインボトルなどを手早く片付け始める。その様子を見て、ネインも椅子から腰を浮かした。


「あ、掃除ならオレも手伝います」


「ああ、いいのいいの。これぐらい大したことじゃないから――おら、どっこいしょ」


 カイヤはやはり上品に微笑みながら、重たい椅子やテーブルを軽々と持ち上げて店の隅に運んでいく。


 ネインは仕方なくカウンター席に腰を据えたまま店内を見渡した。壁際の棚に大量のワインボトルが陳列してあるのはいつものことだが、今日は店の隅に大きな木箱がいくつも重ねて置いてあるのが少しだけ気になった。


「カイヤさん。あれもワインなんですか?」


「んー? ああ、あれね。そうよ。最近は安いワインがよく売れるから、かなり多めに仕入れているの」


「そうなんですか」


「そうなのよ。ネインちゃんももう誰かから聞いたと思うけど、10日ほど前に国王陛下が亡くなったでしょ?」


「……はい。オレがヴァリアダンジョンに向けて出発した前の日の夜ですね」


「そうそう。それで王位継承権者会談が始まるまでの3週間は国民全員が喪に服すから、大っぴらに酒場でお酒が飲めなくなったのよ。だからみんな安いワインを買って自宅で飲むってわけ」


「なるほど。でも――その割には客が来ませんね」


 ネインはふと、入口の方に目を向けた。分厚い木の扉にぶら下がっている控え目なドアチャイムはいつもどおり静かに寝ている。思い返せばこの店に立ち寄った時に、ワインを買いに来た客を見た覚えがない。


があるうちは来ないわよ。お酒を買っているところを誰かに見られると気まずいから、みんな暗くなってからこっそり買いに来るの。それよりネインちゃん。、やっぱりちょっと長引きそうかもしれないんだけど、いいかしら?」


「ああ、はい。特に急いではいないのでかまわないです」


「ごめんなさいね。あちこち声はかけてるんだけど、ってなかなか見つからないのよねぇ――おし、終わりっと」


 カイヤは店の中央にガランとした広いスペースを作り、小窓の掛札を『CLOSE』にひっくり返してからカウンターに戻ってきた。


「テレサがいればすぐにわかるんだけど、あの人ったら去年からサウスミラに行ったまま、もう半年近くも戻ってこないのよ」


「テレサさんはいつも忙しそうだから仕方ないです。それにオレが欲しいのは情報だけではないので、テレサさん以外の魔女でお願いします」


「はいはい、わかってるわよ。テレサ以外で高い実力を持つ魔女がいいのよね?」


「はい。歌の魔女や雨の魔女みたいなでなくてもかまいませんから」


「そうね。引き続き情報を集めてみるわね。……それでね、ネインちゃん。もしかしたら、今からやることがネインちゃんの助けになるかも知れないんだけど、ちょっと手伝ってもらってもいいかしら?」


「ええ、もちろん何でも手伝います。でも、オレの助けになるっていうのはどういう意味ですか?」


「それはね――」


 思わずキョトンとまばたきしたネインにカイヤは微笑み、カウンターの奥から巻物のように丸めた大きな紙を持ってきた。そしてそれを店の中央にできたスペースに広げたとたん、ネインは軽く驚いて目を見開いた。


「こ、これはまさか……」


「どう? 驚いた?」


 カイヤは嬉しそうに目を細めてさらに言う。


「ネインちゃんは知ってるでしょ? アタシがテレサに弟子入りして、ずっと修行してきたことを」


「はい。それじゃあまさか、これが例のアレですか?」


「そ。これが例のアレよ。アタシには魔法の才能なんてカケラもないから14年もかかっちゃったけど、ようやく二日前に完成したの。よく見てちょうだい。これがアタシのよ」


 カイヤは得意気に筋肉質な胸を張り、床に広げた大きな紙を指でさす。それは直径が1メートルほどの魔法陣で、極めて複雑な魔法文字がびっしりと書き込まれている。


「つまり、カイヤさんがこれからやろうとしていることは……」


「ええ、そういうこと」


 いつになく少し驚いているネインを見つめ、カイヤは上品に微笑みながら言葉を続ける。


「アタシは今からこの魔女契約門ヘクシズゲートを使って、悪魔を呼び出すつもりなの」

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