好きな子にラブレターを渡すように頼まれてしまった

樹一和宏

好きな子にラブレターを渡すように頼まれてしまった


 十一月頭。最近、綾瀬あやせとよく目が合うようになった。授業中だったり、すれ違う時だったり。お互い友達と話している時でも、こっそり抜け出したみたいに、目線を運ぶ。

 目が合う度に、パズルのピースが合ったみたりに動けなくなる。まるでその時、会話しているかのような錯覚さえ覚えてしまう。

 これはもしかして、もしかしなくても脈ありなのでは。と、日がな一日、綾瀬のことばかりを考えてしまっている俺がいた。

 綾瀬が気になるようになり始めたのは、去年、高一の七月のことだった。クラスで一番可愛いわけでも、クラスで一番頭が良いわけでもない。だからと言って、これといって特別な出来事があったわけでもない。ただグループワークの時、ちょっとした冗談を言ったら、綾瀬が笑ってくれて、その顔が俺にとって魅力的だったってなだけだ。

 それから気付いたら自然と目で追い掛けるようになっていた。

 四十人が詰め込まれた教室で、皆が冗談を言った生徒を見ている中、俺と綾瀬だけが、内緒話をするかのように数秒間だけ見つめ合う。

 日々積み重ねるそれは、少しずつ二人の距離を歩み寄っているようだった。


 ※

 

「なぁいしがき、お前最近よく綾瀬のこと見てるよなー」


 昼休み、前の席でともゆきが弁当をつつきながら言ってきた。


「何のことか分からない」


 白を切ったが


「顔に出てるよ」と、一秒も経たずに嘘を見抜かれた。

「何、もしかして好きなの?」

「まさか」

「だから、顔に出てるって」


 両頬を触ると異様に熱くなっていた。


「あとで焼きたての顔と交換しなきゃ」


 しょうもない冗談を言うと、智幸が乾いた笑い声を上げた。こんな風に今日も明日も、変わらない昼休みを潰す。疑うことすら考えなかった。その時、綾瀬の声が掛かるまでは。


「ねぇ石垣くん」


 呼ばれて顔を上げると、すぐそこに綾瀬が立っていた。しかも聞き間違いじゃなければ今俺のことを呼んでいた。


「何?」と冷静さを取り繕うと、智幸が「顔」と言ってきた。一発ど突く。黙ってろ。

「ちょっといい?」


 綾瀬はそう言うと俺の反応はお構いなしに教室の外へと出て行く。


「告白かもよ?」

「んなわけねぇだろ」とか言いながら少し期待している自分がいた。


 廊下は昼休みとあって出入りが激しく、あちこちから止めどなく笑い声が聞こえてきた。

 綾瀬は人目を気にしてか「こっち」と人通りがほとんどない特別棟まで歩いて行く。

 期待したくなくても期待してしまう。高鳴る緊張の中、理科室の前まで来ると、人気のないことを確認し、綾瀬が振り向いた。


「……あのさ、これ」


 綾瀬が差し出してきたのは、可愛いらしいピンクの封筒だった。それはまるで、遙か昔にあったといわれる伝説の存在、ラブレターを彷彿とさせるものだった。

 口から飛び出るんじゃないかと思うぐらい心臓が飛び跳ねる。


「石垣くん、智幸くんと仲良いでしょ? これ渡しといてくれない?」

「え」 


 胃袋に鉛玉が詰め込まれたようだった。理解が追いつかないのに、ただ自分にとって良くないことが起きていることだけはハッキリと分かる。


「これ何?」

「恋文」


 綾瀬は冗談でも言うかのように、笑いを含みながら答えた。

 呆然と立ち尽くす俺を横目に


「じゃ、よろしく」と綾瀬は手を振って教室へと駆けていった。


 残された俺はその恋文と呼ばれたものをどう扱っていいのか見当もつかなかった。

 教室に戻ると、面白いものを期待する目で智幸が見てくる。


「期限切れの本を返しといてくれって話だったよ」


 戻る途中で考えた適当な嘘をつくと、俺が図書委員だということもあり、智幸は「なーんだ」とすんなりと信じてくれた。

 結局その日、智幸に手紙のことは言えず、家に帰るまでの間ずっと、ポケットに入れた封筒の感触を確かめ続けた。



 

 智幸に渡すかどうか悩んだ。天井のシミを見つめても、湯船に反射する自分を睨んでも、答えは出てこない。綾瀬を思えば、渡さないといけないだろう。でも、智幸の答えが何であろうが、この手紙を渡してしまうことは俺達の関係にヒビが入ることは間違いなかった。智幸の性格からして、きっと俺のことを考えてノーと返事をするだろう。でも、そうやって気を遣われるのは嫌だった。でもだからと言って、二人が付き合うのは快く思えないのも確かだった。

 暗闇に沈んだ深夜の闇の中で、ベッドに横たわり、頭の中で堂々巡りを繰り返す。

 闇の中に潜んでいたのか、そこでふと、魔が差した。


 ――読んでみよう。


 ベッドから飛び起きると、机の読書灯を点けた。制服のポケットから手紙を取り出して、封の白い猫のシールを丁寧に剥がす。中から出てきたのは一枚の便せんだった。

 読んでもいいことはない。そんなことは分かっていても、ここまで来てやめることなんて出来なかった。

 結論から言うと、読まなければよかった。

 いつどこどうして好きなったのか、まるで教科書の手本のように5W1Hを用いて事細かに書かれていた。

 もう生きていてもしょうがない。そんな気分になってくる。そもそもどうして人間は愛を求めるのか、何て哲学的なことまで考え出してしまいそうだった。

 文末には、お返事待ってます、とLINEのIDが書かれていた。今目の前に好きな子の連絡先がある。それなのに俺にはそこに連絡する権利すらない。

 手紙を読んでしまった罪悪感と連絡できないもどかしさ、そして何より、綾瀬が好きな相手が自分じゃなかったという喪失感が、奈落の底へと落としていく。

 一睡も出来ず、その日の学校はただただ億劫だった。



 

 心とは裏腹に、目はどうしても綾瀬を追ってしまう。そして綾瀬を見る度に虚しさに蝕まれる。

 廊下ですれ違い、今日も綾瀬と目が合う。でもそれは勘違いだ。あの視線は俺ではなくて、隣にいる智幸に向けられていたものだ。目が合っているのは俺の勘違いだったと気付いた時には、死にたくなった。

 人のことも知らず能天気に話す智幸と、いつも通りに友達のみやと話している綾瀬。

 魔女の鍋の中でグツグツと煮込まれた色んな感情達が、次第に一つのもの変わっていく。妬みも、嫉妬も、愛情も、友情も、罪悪感も、喪失感も、破滅願望も、苛立ちも、全部が一つのものに凝縮されていく。

 やがて完成された名状しがたいそれは、俺の理性を根こそぎ奪っていった。



 

『返事遅れてごめん。俺で良ければ付き合ってください』


 智幸と同じアイコン、智幸と同じアカウント名に変更して、俺は手紙に書かれていた連絡先に文面を送信した。

 しばらくしてアカウント名【バド命】と書かれたバドミントン部の女子三人が手を繋いでジャンプしているアイコンから返信が来た。アイコンをよく見ると、右側が綾瀬だった。


『ホント!? ヤバイめっちゃ嬉しい(笑)』


 頬が無意識にニヤリと上がってしまう。


『それでさ、皆には内緒にしてたいから俺達が付き合ってるのは秘密でいい?』

『いいよ! 特に反対する理由ないし(笑)』


 もうどうにでもなれ、もうどうなっても構わない。

 こうして俺の、偽装彼氏が始まった。



 

 朝、携帯の着信音で目を覚ました。こんな朝早くから礼儀知らずもいるもんだ、と携帯を開くと綾瀬からだった。


『おはよう!』


 ここは天国か?

 朝っぱらから好きな人から連絡がくるとか幸せ過ぎだろ。と、幸せを噛みしめつつ、俺もおはようと返信をする。


『智幸くんって早起きなんだね(笑)私は朝練があるからだけど(笑)』

『着信音で起きた!』

『あ、起こしちゃった? ごめんね』

『大丈夫、気にしないで』


 何て歯痒いやりとりなのだろうか。通学途中、そのやりとりを何度も見返してしまう。まるで形になった青春の一ページを垣間見ているようだった。

 学校に到着し、何も知らない智幸が「うぃっす」と登校してくる。相手が知らない裏で手を引いているこの支配感というのだろうか。黒幕の優越感がとんでもなく気持ちいい。

 今すぐにでも智幸に教えてやりたいが、そんな悪手は当然しない。

 しばらくして綾瀬が登校してきて、雑談を交わす俺らの横を通り過ぎる。俺ら二人はすれ違いざまに、いつものように「おは」と素っ気ない挨拶を交わした。

 綾瀬は智幸に恋人のつもりで挨拶をしたのかもしれない。それも約束通りに俺には関係性がバレないように。でもそんなことは智幸は知らなくて、隠しているはずの俺が知っている。

 笑ってしまいそうだった。悪代官の如く大口を開けてアハハハ、と、やべ、ヨダレ。



 

 連絡は授業中も届いた。ポケットが振動する度に綾瀬の方を見ると、素知らぬフリをしてノートに板書を続けている。携帯を見てみると


『先生脱字してる(笑)』


 とあった。黒板をよく見ると「を」が抜けていた。死ぬほどどうでもよかった。

 普段の俺なら間違いなく、無視か適当な暴言を吐くところだが、相手は綾瀬となると話は別。そのアイコンを見る度にニヤリと頬が綻んでしまい、『あ、ホントだ! よく気付いたね』なんて調子の良い返事をした。

 その次の授業でも、『数学意味わかんない』とか『結果が分かってるのに実験する意味(笑)』とか色々どうでもいいことが送られてきた。

 でもそんなどうでもいい内容が俺には堪らなく嬉しかった。


『どこが分かんないの?』『確かに意味ないね笑』


 相手に合わせた相槌を返信する。別に中身なんてどうでもよかった。大切なのは綾瀬から連絡が来るということだ。必要とされている。充実感が、胸いっぱいに広がっていた。


 ※


 智幸のフリをし始めて一週間が経ったが、未だにバレる気配はなかった。皆に隠しているという設定のおかげか、綾瀬が執拗に智幸に絡むことはなかった。

 学校内での返信は極力気をつけた。智幸が携帯をいじっていない時に返事をするのはおかしいし、逆に智幸が携帯を使っている時に返事をしないのはどう思われるか分かったものじゃない。

 だから俺は智幸を綾瀬と同じ空間にいないように、智幸を連れ回した。

 そして智幸になりすまして返信するのは簡単だった。あいつが言いそうなこと、考えそうなことは中学からの付き合いでよく心得ていた。

 しかし、学校ではどんなミスが命取りになるかは分からない。それは授業中だろうが休憩時間だろうが、境はない。常に気を張るのは些か疲れた。

 家に帰り、ベッドに寝そべって携帯を見た。また連絡が届いている。


『ただいま~』


 家を出る。どこかに出かける。どこに着いた。帰宅する。これから何をする。今日は何を食べた。風呂に入る。寝る。

 綾瀬は全てを逐一報告してきた。俺はその度に適当な相槌を打った。一週間も途切れることなくこれが繰り返される。嫌気が差していない、と言えば嘘になるが、相手が綾瀬だと思うと、許容ができた。

 家でやりとりをするのは楽しみでもあった。智幸の行動に制限されることなく、気軽に返信が出来、そんな中でたまに俺は智幸であることを忘れてしまうことがあった。

 唐突に『好き』と送る。


『私はその十倍好き』と返信が来て『俺はその百倍』なんて、他人に明かしたら恥ずかしさのあまり死んでしまうようなやりとりをした。


 こんなに甘美な気持ちに満たされるのは生まれて初めてだった。ニヤニヤとしてしまい、そのやりとりを何度も見返して、ベッドの上を転げ回った。

 綾瀬から感じる好意。それを浴び続けていると、ふいに自分の正体をバラしたくなった。自分だと明かしても受け入れられる、そんな気がしてしまう。


『俺、実は智幸じゃ――』


 そこまで打って、すぐに消す。バレてはいけないのだ、絶対に。

 翌日の学校、被服室でエプロンを作る授業があった。四人席の作業で皆、楽しそうに談笑している。そんな中で俺は後ろを向き、綾瀬と智幸のテーブルを見た。他の生徒もいるから付き合っているどうこうの話はしないだろうが、遠くから見る二人の楽しげな横顔は、カップルのそれと何ら変わらなかった。

 綾瀬が付き合っているのは俺であって、俺ではない。そして綾瀬が好きなのは俺ではない。二人の姿を見ていると、俺だけがどこか、遠い所で仲間外れにされているような疎外感を覚えた。


 ※

 

 十二月になった。

 綾瀬に『会いたい』と言われた。すぐにでも『俺も』なんて返信をしたかったが、俺と綾瀬が二人きりで会うことは万が一にでもありえないことだった。

 会うためにスケジュールを訊くフリをして、その日は丁度予定があるんだ、と断った。

 その日に智幸が暇そうな所を見られてはマズいと思い、その日曜日に智幸と二人だけでカラオケに行くことにした。


「何で高校生活の貴重な日曜日に野郎と二人でカラオケなんて来なきゃいけないんだよ」


 と智幸はうだうだ言っていたが、俺としても同感で、背に腹はかえられないと、誰にも打ち明けられないむしゃくしゃをマイクを使って叫んだ。


「あああああああああああああああ」


 冬の六時にもなると、外はもう真っ暗だった。カラオケで高まっていた気持ちとか体とかが、冷気に刺されて急激に萎んでいく。

 智幸と別れると、帰り道を急いだ。早くこの寒さから逃れて、家に戻りたい。動かす足が無意識に早くなっていた。

 携帯が鳴った。先月から毎日鳴りやまることのない聞き慣れた音色。画面を見なくてもその相手が誰かは想像が出来た。

 遊んではいたが、予定が入っているという設定だったので連絡を疎かにしていた上に、前回の『これから部活~』にも返事をしていなかった。


『もうすぐクリスマスだね(笑)』


 それだけで言いたいことは何となく分かった。恋人 + クリスマス = デート と、相場が決まっている。


『今年も早いねー。去年のクリスマスがもう昨日のことみたいだよ笑』

『年寄りか! (笑)』


 そうやって姑息に話題をズラす。しかし、幾ら逃げる選択肢を選んだ所で、回り込まれてしまっては意味がない。


『それでさクリスマスなんだけど予定ある?』


 正面から逃げ場のない文面が送られてきた。その字面を見ただけで甚だ困り果ててしまう。俺は別れたばかりの智幸に電話した。


「もしもし」

「あー、石垣か。俺のと同じ名前とアイコンから来たからホラーかと思ったわ」

「そういえばそうだった。わりぃわりぃ」


 変更してから二日目で智幸には当然バレたのだが、智幸は冗談交じりに「やめろよ」言うだけで深く追求してこなかった。


「それで、何の用?」

「お前クリスマスの予定は?」

「俺がクリスマスに予定が入るような人間なら、今日お前とカラオケなんて行ってねぇよ」


 遠回しの否定文。それを聞いてホッと肩を下ろした。


「それじゃあ他の奴らも誘って、男だけのクリパしようぜ」

「あいよー。それじゃあ電車乗っから」


 電話が切られると、俺は綾瀬に『ごめん、先約で男達だけのクリスマス計画があるんだ』と連絡を入れた。


『分かった……』


 傷つけてしまっただろうか。本当は俺も会いたいんだよ、とアピールするために、イブは部活があるから会えないのを知っておきながら


『それじゃあイブは?』と忘れたフリをして予定を尋ねた。


『ごめん、部活……』


 分かっていた返事が返ってくる。

 文面から綾瀬の元気がみるみるなくなっていくのが、手に取るように分かった。そろそろ別れを切り出した方がいいだろうか。前々から考えていた計画を思い返す。

 このまま別れることに成功すれば、綾瀬と智幸は本当に付き合うことなく別れ、傷心中の綾瀬に俺が隙を見て懐に入るという作戦だ。

 我ながらやっていることが本当に最低だと思う。言い訳がつかないぐらい。本当に。

 こんなことをやっていていて良心が痛まないわけではないが、今更引き返す道もない。

 クリスマスムードで陽気になっていく街並みの中を、誰の邪魔にならないように隅を歩いて帰路についた。



 

 天変地異にも似た衝撃を受けたのは、その翌日のことだった。

 たまたま俺は寝坊して、一時間目が始まるギリギリに登校をした。

 その異様な雰囲気はクラスの外にも漏れ出ていて、廊下から中を覗く人集りを潜って中に入った。皆がクラスの一角を見ていて、喧騒の中に妙な静けさがあった。視線の先には、女子のグループがあって、その中の一人に綾瀬の後ろ姿があった。俺はその空気を壊さないように、隙間を縫うようにスルリと移動すると、教室の後ろで女子の様子を伺っている智幸の元に向かった。


「何かあったの?」


 シャボン玉を破裂させないような小声で尋ねる。


「詳しくは分からないけど、ホームルームの最中に急に間宮が泣き出したんだ。それで他の女子がどうしたのどうしたのって集まってって、今こんな感じになった」


 一瞬、間宮って誰だっけ? と分からなくなった。少しして、あーそういえばそんな人いたな、と思い出した。普段全く関わりがないからすっかり抜け落ちていた。

 見ると確かに、間宮さんの席を中心に女子のグループが形成されていた。しばらくすると、ふと綾瀬が振り返った。後ろで溜まっている男子を吟味するように薄目で見ると、俺達の所でピタリと止まった。

 するとクラス中の視線を一身に集めながら、そんなことお構いなしにと、俺達の所へ歩み寄ってくる。

 智幸に何か用があるのか? と他人事のように見ていると、綾瀬は驚くことに俺の腕を掴んで「こっちきて」と俺を引っ張った。


「え、ちょ、ちょい!」


 華奢な見た目とは裏腹に、力強い手と気迫。クラスメイトの視線を気にしてか、綾瀬はまた俺を理科室前へと連れ出した。

 放り出されるように手を離されると、俺は数歩つんのめった。

 いまいち状況が理解出来ていない中、胸中に湧いていたのは偽装彼氏がバレたのでは、という不安だった。


「何、どうしたの?」

「石垣くんさ」


 綾瀬の詰め寄るような強い口調に、生唾を?む。


「……ちゃんと智幸くんに手紙渡してくれた?」


 心臓に生えた毛が逆立つような戦慄が、背中を一瞬で駆け抜けた。

 返事に迷った。どうしてこの話題が今このタイミングで振られるのかは見当もつかなかったが、この件は間宮さんが泣いていることと関係していることは想像がついた。

 返答は慎重に選ばなければ、間違いなく地雷を踏み抜く。一先ずは


「何で?」


 と答え、出方次第で渡したとも、渡してないとも答えられる態勢を整えることにした。


「間宮が話してくれないから事情は分からないんだけどさ、一昨日の部活まで凄い明るかったのに、昨日の部活から急に元気がなくなったの。あの子、何かあるとすぐ顔に出るから。それで最近の間宮が揺さぶられることって言ったら智幸くんのことだから」


 ……ん? 間宮さんが智幸のことで揺さぶられる? 何で? どういうこと? 仮に間宮さんが智幸のことを好きだったとしても、何で綾瀬が間宮さんと全く関係ない俺に話を……

 と、ここまで考えた所で、俺はとてつもなく、嫌な予感と勘違いをしているのではないかと気付いた。十二月なのに汗がふつふつと湧いてくる。

 何て返事しよう。真っ白になった頭の中で必死にもがいていると、運の良いことに一時間目を知らせる予鈴が鳴った。

 ハッとした綾瀬が「やばっ」と廊下を引き返していく。あとを追い掛けるように教室に戻ると、間宮さんの姿は鞄と一緒になくなっていた。

 話はうやむやで終わった。それからタイミングを失ったようで、綾瀬は話し掛けてくることはなく、授業中も携帯が鳴ることはなかった。

 昼休みになればきっと綾瀬に捕まる。授業中にお茶を濁す戯れ言を色々を準備する。だけど、4限の終了と共に、予想外にも智幸の方から教室の外に行こうと提案された。

 図書室で智幸と昼食をとることになった。向かい合って弁当をつつく。きっと間宮さん絡みで何かあると思っていたのだが、言い出しにくいのか、途切れ途切れの会話が居心地の悪さを感じさせるだけだった。我慢出来なくなり


「何かあったの?」と俺は口火を切ることにした。


「……さっきバド部の連中に捕まって知ったんだけどさ、何か俺、間宮と付き合っていることになっているらしいんだ」


 思わず卵焼きを吹き出してしまう。


「……それで?」

「何のことか分からないって言ったら、隠しているのは知ってるけど、バレバレなんだから今更隠さないでよって押し通されて、マジで何のことか分からないから逃げてきた。石垣は俺と間宮が付き合ってるなんて噂聞いたことある?」

「……ごめん。ない」思わず謝ってしまった。

「ちなみに智幸は間宮さんのことどう思ってるの?」

「んー、まぁ、正直嫌いではないよね」


 一刻も早く帰って確かめないといけないことがあった。

 帰りのホームルームが終わると、俺は教室を飛び出して、全力疾走で家へと向かった。

 玄関の段差につまずき、靴を放り捨て、階段を両手を使って上って、ぶつかるようにドアを開けた。引き出しを引っ張り出すと、逆さまにして中身を床にぶちまけた。

 プリントの山の中からピンク色の封筒を見つける。もう一度手紙を取り出して文面を見るが、間宮さんことは一言も書いていない。……だとしたら

 ピンクの封筒を裏返す。そこには【from間宮】と書かれていた。

 無意識に頭を抱えてしまう。思い返してみれば連絡がきたタイミングで綾瀬を見ても携帯を使っている様子はなかったし、アイコンの女子三人の真ん中は間宮さんだった。

 溜息と一緒に呻き声を上げてベッドに倒れ込んだ。一体どうすんだよ、この状況。

 経緯は分からないが、恐らく綾瀬は間宮さんに代理で手紙を渡すことを頼まれて、承諾し、でも智幸本人に渡すのはアレだから仲の良い俺に渡したということだ。

 確認不足で勘違いしてた俺も悪いが、綾瀬がちゃんと間宮さんの手紙って教えてくれてたらこんなことにならなかった。てかそもそも間宮さんが自分で智幸に渡していれば……

 って、誰に責任があるとか過去をウダウダ考えても仕方ない。とにかく、この状況を解決する方法を考えるしかない。一瞬、全て正直に話すことを考えたが、綾瀬がフリーのままだったと分かったことで、自分を下げるようなことは余計に言えなくなった。

 間宮さんが泣いている原因はたぶん、一ヶ月経っても会ってくれないことがクリスマスを断られたことで限界がきたのだろう。幸いにもこれは俺と間宮さんしか知らない事情だ。

 数時間頭を抱え、一つの名案が降りてきた。でもそれは、一人の健全なノーマル男子がやるには些か屈辱的なことだった。

 そんなこと出来るわけない…… でも、これまで間宮さんに嘘をついて、不必要に傷つけたことは償わなければいけないことだ。

 罪悪感を抱え、贖罪のつもりで俺はノートを広げると、白紙ページをハサミで丁寧に切り取った。

 これ以上誰も傷つけず、且つ、誰にも真相を知られないまま、事態を解決する方法。それは、嘘を本当にしてしまえばいい。

 ペンを持つと、間宮さんのフリをして、智幸宛にラブレターを書くことにした。

 翌日、いつもより早い時間に登校すると、俺は二時間かけて愛を綴ったラブレターをあのピンクの封筒に入れて、智幸の下駄箱に投函した。

 二度手を叩く。どうか、これ以上悪化しませんように。


 ※


 後日、俺は昼食を一人でとることを余儀なくされていた。

 別に偽装彼氏がバレて智幸に嫌われたわけじゃない。窓の下に目を移せば、十二月の寒さをもろともしない熱々の間宮智幸カップルが、中庭でイチャイチャしているのが見てとれた。

 二人の間で一ヶ月のズレなどがどうなっているかは知らないが、まぁ今の彼らからしてみたらどうでもいいことなのだろう。

 偽装彼氏をしていた一ヶ月間を振り返ると、本当に無駄に空回りしてたと憂鬱になった。


「なに暗い顔してんの?」


 顔を上げると綾瀬がいた。


「色々あってね」


 綾瀬が中庭の二人を見だしたので、俺も釣られて見てしまう。


「……石垣くんさ、智幸くんのフリして間宮と付き合ってたでしょ」


 内心で驚いてしまう。しかし、きっとまた顔に出てしまったのだろう。綾瀬が「やっぱりね」と続けた。


「何でそんなことしたの?」


 確実に嫌われた。もう逃げ場はない。もうどうにでもなれ。そんな投げやりさで、俺は全てを告白することにした。

 綾瀬のラブレターだと勘違いしたこと、それがショックで彼氏のフリをしたこと、そして別れた後に傷心の隙を狙っていたこと。その時々の心象も包み隠さす全てを吐露した。

 嫌われるなら、徹底的に嫌われた方が後腐れもない。

 話し終えた後、俺は綾瀬の顔を見られなかった。そこでどんな顔をしているのか、怖くて見られなかった。審判を待つ罪人の気持ちで、その判決を待つ。


「石垣くんのやったことって最低だよね」


 致命傷を刺されたみたいに、目頭が熱くなる。


「でもまぁ、結果的に間宮が幸せそうだから今回はお咎めなしで見逃してあげるよ」

「……え」


 予想もしていなかった展開に伏せていた顔を上げる。綾瀬は照れくさそうに携帯を取り出すと


「携帯出して」と俺に催促してきた。

「だってそもそもさ、ウチらが連絡先知ってたらこんなこと起きなかったっしょ? だから連絡先交換しとこうよ」

「そ、そうだね」


 白い冬が降り始める。春はまだ遠いが、降り終わらないものはないと、俺は信じている。 

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好きな子にラブレターを渡すように頼まれてしまった 樹一和宏 @hitobasira1129

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