祖母と人形

宮前タツアキ

祖母と人形

 街路樹の葉が落ちきった晩秋のことだった。勤めからアパートに帰って来て、ヒールにむくんだ足をさすっていると、留守電が入っているのに気づいた。どこで番号が漏れたものか、大抵はセールスなので聞かずに消去しようとしたが、表示されたナンバーに見覚えがあったので、危うく手を止めた。田舎で独り暮らししている祖母からだった。

 返信すると、すぐに祖母が出た。気遣わしげな挨拶に小さな咳の音が混じる。季節の変わり目のせいか体調をくずしてしまい、近々入院することになったので、できるだけ早く会いに来てくれないか、と。何か預けたい物があるという。


 勤め先で「親戚の病気見舞い」という休暇申請を出すのに、事実にもかかわらず居心地の悪さを感じた。受け付けた総務課長は探るような視線を向けてきて、「忙しくなるのに……」と、聞こえる程度につぶやいていた。


 帰省の途次、車窓から見える街の景色は、故郷を出て数年の間に結構大きく変わっていた。駅のプラットホームに降りると頬に感じる空気が冷たく、ふと小さな吐息がもれた。

 休暇の調整に手間取っているうちに、祖母は既に病院に移っていた。駅前のターミナルから、まっすぐ県立病院へ向かう。

 久しぶりに会った祖母は、点滴のチューブが痛々しかったが、さほどやつれた様子はなく小さな安堵を覚えた。しかし……頼みたい「預け物」が、祖母が大切にしていた人形だと聞かされ思わず躊躇した。高さ三十センチほどの黒漆塗りの櫃に納められたもので、祖母は仏壇にそうするように毎朝水を供えていた。祖母の実家に預けられていた当時、幼い私の目には奇異な習慣に見えたものである。

 病院では、さすがにそういった物の持ち込みは認められていないという。しかし、祖母が頼み込めば通らないものでもないと思うのだが……。故郷では、それなりに名の通った旧家の家刀自として知られている人物で、この病院にも個人的なコネがあるはずだったから。


「葉子が生きていれば、頼みたかったんだけどねえ……」


 祖母の口から母の名を出されると断りづらく、これも数少ない孝行の機会だと、尻込みする自分の背を押した。


 祖母の希望で運送会社を使わず、アパートまで自分で運んだ。さほど重い物ではなかったが女の手には余りぎみで、部屋の隅に納めた時は、文字通り荷を下ろした気分だった。

 恐るおそる櫃の扉を開けてみると小さな和人形が座っていた。思ったより素朴な作りで安堵感がわいた。幼い頃の印象では、もっとリアルな作りだったような気がしたが、自分の記憶もあてにならないものである。


 数日が過ぎた。朝、人形に水を供えるのも、慣れてしまうと流れ作業である。いつの間にか、水を替えながら人形相手にグチを言っている自分に気づいて苦笑がわいた。当時の私にとって、職場の人間関係はあまり心地よいものではなかったから。

 冬も深まり忘年会シーズンにさしかかるころ、義理で出席した飲み会でやや悪酔いしてしまった。帰宅して居間のソファーに沈みこみ、そのまま着がえもせず眠りに落ちた。


 そして私は奇妙な夢を見た。


 夢の中の私は幼い少女で、格子のはまった部屋に閉じ込められていた。古い木造の日本家屋。どことなく祖母の実家を連想させる。

 手にしているのは、あの和人形。「自分」の口から途切れ途切れに、聞いた覚えのないわらべ歌が漏れる。


『一人でさびし 二人で参りましょう

 見渡すかぎり よめ菜にたんぽ……』


 そして唐突に「私」の胸に言いようのない想いがわく。悲しみ、怒り、理不尽、それらがどろどろと混ざりあった……。「私」の小さな手に力が入り、人形の右腕を、ポキリと折った──


 目を覚ますと鼓動が波うち、自分の耳で聞こえるほどだった。顔に手をやると、ぬめつくような冷や汗。洗面所で顔を洗い、水を飲み、ようやく気持ちが落ちついてきた。

 なぜあんな夢を見たのだろう? あんな場所もあんな歌も、私は知らない。自分が精神的に快い日々を送っていない事は自覚しているが、それがなぜあんな夢に?

 混乱した思いを抱え、扉が閉まった櫃の横を通った時、中からかぼそい幼子の声が、はっきり聞こえた……


「一人でさびし……二人で参りましょーう……」


 私は近所のコンビニに駆け込んで、店の隅にうずくまって震えていた。前後の記憶ははっきりしない。他人がいる所、明るい所、そこに逃げ込む、その衝動だけは覚えている。店員が警察に通報したらしく、警官にうながされるまま警察庁舎に連れて行かれ、そのまままんじりともせずに夜を明かした。

 翌朝、祖母に電話をかけた。私にはできない。起こった事の細部は話さない、話せなかったが、とにかく私には、あの人形を預かっていられない。それだけを一方的に訴えた。最後の方は、いい年をして涙声になっていたと思う。

 祖母は詮索することもなく、「無理だったかい……すまなかったねえ」と、それだけ語った。


 人形は結局、祖母が入る病室の隅に置かれる事になった。祖母が「家」の権威をもって、特例を通した形になったわけだ。父が自分で預かろうと申し出たが、「あなたが背負い込む事じゃないから」と、断られたという。「やんわりとだが、にべもなく」と、後に苦笑しながら語っていた。父は婿養子として家に入る形になった人で、私は祖母の言葉を「家筋の者が背負うべきもの」という意味だと、何となく理解した。人形の右腕を確認することは、最後までできなかった。


 しばらく経ち、元どおり部屋の灯りを消して出勤できるようになったころ、一枚の葉書が届いた。かつての上司からのものだった。当たり障りのない時候のあいさつに、突かれるように怒りが湧き、思わず破り捨ててしまった。

 一時の激情が冷めると、自己嫌悪に近い苦笑がわく。

 そして思い当たった。あの夜、自分が錯乱に近い恐怖を感じた原因に。

 当時の上司に一方的に言い寄られ、巻きこまれた形になった不倫騒動。回りの勝手な陰口と、今も続くよそよしい視線。そして上司の奥さんが送ってきた、針の刺さった藁人形……

 子供じみたマネと歯牙にも掛けないつもりでいたが、人形を傷つけるその行為が、私の胸に意外な影を落としていたらしい。上司の左遷と田舎への転居で、終わった話と思っていたのだが。

 胸底に沈めていた傷あとに気づき、わき起こったのは自分への腹立たしさだった。あの夜の取り乱し方がひどく滑稽に思えてきて、苦い思いがしばらく尾を引いた。


 祖母の二度目の頼みを容れたのは、そんな自分を許せない気持ちのためだったかもしれない。


 冬を過ぎて温かくなっても、祖母の容態は良い方には向かっていなかった。

 故郷でも残雪が消えたころ、「一度だけワガママを聞いてくれないかい?」と、再び祖母は電話を入れてきた。半日だけ車で外出したいので、運転手になってほしいとの事だった。花が盛りの季節だから、見ておきたい光景があるという。あの人形と一緒だろうと予想はできたが、自身を矯めなおすような心持ちで承諾した。

 病院前から出発したドライブは、他人には奇妙な光景に見えたろう。酸素チューブを鼻にさしたまま後部座席に座る祖母。膝の上には漆塗りの櫃を抱え、そしてそれを見送る病院の幹部たちと、複雑な表情の父。父は当然、自分が務めると申し出たのだろうが。

 数ヶ月ぶりに会った祖母は、一回りしぼんだように見えたが、精神状態はしっかりしているようで、迷う事なく車の行き先を逐一指示した。

 向かった先は、実家にほど近い小さな丘の上。日当たりのいい斜面は一面黄色い草花に覆われて、その先は春霞のなかにぼやけていく。素直にいい景色と思った。観光の名勝になるような派手さはないが、その分、優しい景色だった。

 祖母が櫃の扉を開け、和人形にその光景を見せる形に抱えた時、さすがに一瞬緊張したが、特に不思議な事も起こらなかった。

 しばらく無言で景色をながめていた祖母は、つぶやくように語り出した。


「これは、私が背負って行くから、安心おし……」

「……」


 返す言葉がない私に、訥々と言葉を継ぐ。


「あなたに、咎があるわけじゃない。でもねえ……家というのは、守ってるうちに、頼っているうちに、いつか澱のようによどみ溜まっていくものがある。あなたは背負う必要はないけれど、そういうものだと覚えておおき。あなたが多分、ウチの最後だから」

「……」


 返事は最後までできなかった。普通ならば言葉の意味を問うべきだろうが、私はあの光景を「見た」のだから……。祖母もそれを察していたからこそ、それ以上言葉を重ねなかったのだと思う。

 祖母が見たい(見せたい)光景はそこだけだったようで、もう少し他を回ろうかという私の申し出を断って、早々に病院へ戻っていった。それが私の、祖母にしてあげられた最後の孝行になった。


 さらに半年ほどの入院期間を経て、祖母は眠るように亡くなった。

 あの人形は祖母の遺言に従って、棺の中に納められ一緒に火葬された。後ろめたい気持ちと裏腹に、正直、小さな安堵を覚えた。

 葬儀が終わって間もなく、家の財産整理のためという事で、親族が祖母の実家に集まった。久しぶりに訪れると、その偉容に圧倒される。明治以前から建つ日本建築に、大正・昭和の時代に洋風改築が施されたもので、一時は重文指定も検討されたという屋敷だ。

 顔合わせの宴席で、遠縁の建築士という人物が、家の寸法から見て、隠されたデッドスペースがあるはずだと言い出した。皆が興味を引かれ、翌日あれこれと捜すうち、階段の裏手に隠し扉があるのが見つかった。開けられた部屋はがらんどうの板張り部屋で、貴重品があると思っていたらしい建築士と他数名は、ひどく失望していた。父は単純に面白がっていたが、私にはその場所が何なのか、はっきりわかった。今は取り外されているが、かつてこの部屋は格子で仕切られていたはずだ。夢の中で見た、座敷牢の光景そのままだったから。


 あの少女は誰だったのだろう。忘れたいと思いつつも、それを考えずにいられない。

 最後のドライブで語られた言葉からは、祖母自身ではないだろうと察せられるのだが。あるいは祖母も私と同じように、あの夢を見たのだろうか……

 屋敷に残された記録から、その部屋にまつわる話は一切たどれなかった。おそらく注意深く消しさられたのだろう。


 しばらく経って、私は縁あって結婚し、居心地の悪かった会社を辞した。さらにしばしの時を経て、女の子を一人授かった。

 今住んでいる街は、夫の仕事の都合で、かつての職場とも故郷とも遠く離れ、もう娘は小学校に上がる年になる。あの夢の印象も、近ごろはずいぶん薄れてきた。

 ある日、娘は見なれない人形を持って帰って来た。テレビでCMが流されている、金髪でビニール製のものだったが。

 問いつめてみると、幼稚園を離れる、言わば記念として、仲の良い友だちにもらったという。教えられた名前をたどって連絡を入れ、娘の言い分が正しかったことに安堵したが、同時に複雑な思いも湧いた。

 なぜそんな事ができるのだろう。「傷」を知らない幼児だからこそなのか。

 たとえ量産品のおもちゃであっても、他者が抱き想いを込めたであろう人形をもらって来るなど、私には恐ろしくて、今であってもできそうにない。

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祖母と人形 宮前タツアキ @warasubo

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