75.少女たちの想い人

 ほんのり湯気の立つ紅茶を楽しみながら、歓談に花を咲かす女性陣。

 ロウたちと一緒にいた影響なのか、女性同士だからなのか、それともこれが本来のシンカとカグラの姿なのか、少女たちは楽しそうに笑顔を浮かべている。


「さっき魔力を使ってたし、リンさんも魔憑まつきなんでしょ?」

「リンでいいわよ」

「ありがとう。私もシンカで構わないわ」

「わ、私は……その、リンさんでもいいすか?」

「もちろん構わないわ。じゃあ私はカグラちゃんって呼ぶわね」

「は、はい」

「で、質問の答えだけど私も魔憑よ」


 言って、リンは手にした紅茶杯カップをゆっくりと傾けた。

 外見で言えばエヴァたちと同じ十代後半といったところだろうか。

 しかしどこか大人びた雰囲気からは、その何気ない仕草でさえも絵になるように見える。


「やっぱり、スキアさんみたいに強いのよね」

「つ、強くて綺麗なんて。う、羨ましいです」

「上手ね」


 手にした紅茶杯カップを置きながら、リンは照れたように眉尻を下げた。

 さっきロウに見せた表情とはうって変わり、とても優しげな表情を浮かべている。


「私も。背だって高いし……なんだか憧れるわ」 

「ありがと。でもシンカだって綺麗だし、カグラちゃんも可愛いわよ」


 にこやかにリンが言い返すと、


「わ、私はそんなんじゃ」

「~っ!」


 慌てて両手を振りながらシンカはその言葉を否定した。

 カグラは言葉すら出せずに、顔を真っ赤にしながら俯いてしまっている。


「そ、それに強くだって……ないし」


 シンカはテーブルに置かれた紅茶杯カップに、そっと視線を落とした。

 記憶に鮮明に残るテッセラとの戦い。

 もし、あそこでスキアがいなければ……そんな最悪だった可能性が脳裏を過る。


 彼女たちだけでなく、ロウやリアン、セリスとてあの戦いで何かができたわけではない。

 ……完璧な敗北だった。それは間違いないだろう。

 だが、彼女たちが自分を責めているのは、何もできなかったからというのはもちろんあるが、何よりも半ば諦めてしまっていたことだった。


 ロウは諦めていなかった。結局スキアが助けに入ったが、まるで戒めのように封じている刀を抜いてでも、二人の少女を必死に守ろうとしていたことは事実だ。


 自分にも強さがあれば、諦めかけることもなかったのだろうか。

 そんなことを、シンカとカグラは考えてしまっていた。


「それを言うなら私だってまだまだよ。私をここまで育ててくれた人に比べたら……」

「ス、スキアさんの言っていた探してる仲間……ブ、ブラッドさんのことですか?」

「えぇ。今の私が在るのは、あの人のおかげ……」


 そう言うと、儚げな表情を浮かべながら今度はリンが視線を落とした。

 育ててくれたということは、ブラッドという人物はリンたちの上官に当たるのだろうか。リンの実力を生で見たわけではないが、スキアと同程度に戦えるのであれば、ブラッドの実力は相当なものなのだろう。

 それほどの力を有した者の身にいったい何が起きたのか……気になりはしても、それを直接聞けるほど、シンカたちとリンの距離は近くはなかった。


「スキアさんも同じことを言ってたわ。とても大切な人だって」

「大切なんて言葉じゃ足りないくらいよ」


 困ったように苦笑いを浮かべるリン。

 二人はその表情をどこかで見たことがあった。そう、ロウがよく困ったときに苦笑する表情に、どことなく似ているのだ。

 性別も違えば顔が似ているわけでもないが、その浮かべた表情がロウと被って見えたのは何故だろうか。

 そんな事を思っていると、カグラの口から無意識に言葉が漏れる。


「好きなんですか?」

「カ、カグラちゃん!?」


 顔が赤く染まる。耳の端まで赤くしながら答えたリンの瞳は大きく開き、紅茶を飲んだ瞬間なら吹き出していただろう戸惑い方だ。何も手に取っていないタイミングだったのは幸いだろう。

 リンがこれほど動揺するというのは、とても意外に思えた。


 名を呼ばれ、カグラが自分の口にしてしまった言葉を自覚すると、


「あっ! ごごご、ごめんなさい! つ、つい……」

「い、いいのよ。いきなりで、少し驚いただけ」

「……」


 慌てる少女を前に、頬を赤らめながらもリンは軽く手を振りながら微笑んだ。

 そんな彼女の姿をシンカはじっと見つめていた。


「どうしたの?」

「リンって最初は怖そうだって思ったけど、話してみると明るいし優しいのね」


 最初の印象と話してみた印象はまるで違う。どちらがリンの素顔なのかと聞かれれば、間違いなく二人を前に話している今のリンだろう。

 だからこそ、シンカたちには不思議でならなかった。


「な、何? いきなり」

「優しいのに……どうして、ロウには冷たかったの?」

「それは……」


 言葉を詰まらせ、少し俯けた顔に影が落ちる。

 最初の反応を思い返すに、スキアと二人で逆の甲板へ行った時に何かがあったのは理解できるが、こうまで違うとシンカたちが気になるのも無理はない。


「ロウさんはとても優しくていい人です。た、大切な仲間だから、仲良くしてくれたら嬉しいです」

「別に嫌ってないわ。それにスキアが一緒に行動してる時点で、いい人だってのはわかるから。……本当よ?」

「じゃあ、どうして……」


 二人の少女は不思議そうな表情でリンを見つめていた。

 言いたくないことは誰にでもある。無理に聞こうとは思っていなかった。

 どんな理由があるにせよ、仲良くしてほしい。……ただそれだけだ。


 だが、仲良くするのがどうしても無理だというのなら、それも仕方ないことだとも思っている。それでも聞いてしまったのは、リンが悲しさと寂しさが同居したような色を全面に色濃く浮かべていたからだ。

 

 心配そうに見つめる二人に一瞬視線を送り、リンはぽつりと、小さな声を漏らした。


「似てるのよ……」

「ブラッドさんに、ですか?」


 リンはこくりと、何も言わずに頷いた。





「似てるんだよ、ロウが。俺たちの探してる仲間に」

「俺が?」

「そうだ」


 スキアの言った言葉に、ロウは戸惑うように聞き返した。

 似てる、という言い方をしたということは、別人だという確証を得たのだろう。それは、会ってすぐに能力のことを尋ねてきた時のことだとロウにも推測できた。


 一人の魔憑が複数の力を扱うという話は、今までに聞いたことがない。あるとすれば、それはディザイア神話に出てくる英雄くらいなものだ。

 実際にロウの扱える力は氷以外にない。つまりブラッドという男は、氷以外の力を扱うのだろう。


「なるほどな」

「なるほどね」


 それだけで何かを察したようにリアンが呟くと、セリスもそれに続いた。


「何がなるほどなんだ?」


 しかし、それがわからないロウが二人に問いかける。


「知りたければ、今からリアンが説明してくれる。一緒に聞こう」

「……わかってたんじゃねぇのかよ」


 セリスの言葉にスキアが苦笑いを浮かべた。

 そんないつもの調子にリアンがわざとらしく溜め息を吐くと、


「はぁ……いつもの病気だ。すまんな」

「病気じゃねぇよ! それより、早く説明しろよ!」


 それ否定し、セリスは先を促した。

 やはり彼は何も理解していなかったようだ。


「うるさい奴だ。……つまり、どう接していいかわからんのだろ。ただそれだけのことだ」


 スキアは一度頷くと、その答え合わせをするかのように言葉を紡いでいく。


「あぁ……その仲間がいなくなって一番傷ついたのはリンだ。本当に大切な仲間を探して七年。それだけ探しても、仲間はいまだに見つからない。その間に、リンの心の傷が癒えるわけもない。そんな中、その探していた仲間に似たロウを見たら……」

「それで、一番最初の反応があれだったのか」

「……そうだ」


 スキアの言っていることは理解できる。

 生死のわからない大切な仲間を探して七年。その長い歳月が、どれだけ心をすり減らしたことか。気持ちがわかるなんて言葉は、とても言えたものじゃないだろう。それでも探し続けるスキアやリンの強さは、誰しもが持てるものではない。


 それだけ大切な仲間だというブラッドという男。彼とどんな日々を過ごせばそうなれるのか。いったい何があったというのか。気にならないといえば嘘になる。

 それでも、ロウたちはそれを聞くことができなかった。

 ただの興味で足を踏み入れていいような、そんな軽い問題ではないからだ。


 しかし、リンのとった態度の理由を話したスキアに、セリスはよくわからないといった様子で首を傾げながら一言――





「さっき、カグラちゃんが聞いた質問はね。うん……好き、なのかもしれないわ。憧れ、尊敬、好意。私はあの人の力になりたくて、必死に頑張って来た。本当に大切な人なの。だからその人に似たロウさんと、どう接していいかわからない。……ごめんなさい」


 そう言って俯くリンの姿はとても悲し気で、まるで幼子のように小さく見えた。

 辺りはすっかり暗くなり、発光石の淡い光が少女たちを照らしている。涼し気な潮風が髪を揺らし、頬を撫で、船の波を切る音だけが静かに聞こえてくる。


「そ、そういうことですか」


 辛そうな表情を浮かべ、カグラは消え入りそうな声で呟いた。

 

 確かに探し続けた仲間とロウがそこまで似ているというのなら、戸惑ってしまうだろう。辛くて、苦しくて……胸は今にも張り裂けそうに違いない。

 シンカやカグラとて、リンと同じ立場ならきっとどうしていいかわからなかったはずだ。頭で別人だと理解できても、心がそれに追いつかない。そこに好意が含まれていたなら尚更だ。


 だからこれから言う言葉は、所詮他人事だからだと返されても仕方がない。

 リンの気持ちを深く理解することはできなくとも、その辛さを感じ取ることはできる。割り切れない気持ちがあることも……。

 それなら言わなければいいのかもしれないが、シンカにはそれができなかった。

 

 リンに大切な人がいるように、シンカにも大切な仲間がいるからだ。

 

「そう……でもね、リン」


 シンカは困ったように少し微笑みながら、真っすぐにリンを見つめ――言った。



「ロウはロウよ」

「ロウはロウだぜ」


 

 セリスの言葉にスキアの瞳が丸くなる。


「……そう、だな。あぁその通りだ。確かにロウはロウだよな」


 そう言いながら、スキアはニッと笑顔を見せた。

 どれだけ似ていても、似ているだけであくまで別人。そう、自分に強く言い聞かせながら。


「なんでだろうな。アンタらにはつい口が軽くなっちまう。会って間もないってのにな」


 柔らかい表情を浮かべながら、スキアはロウたちを順に見つめた。


「そりゃあれだろ。気が合うんじゃねぇの?」

「はぁ……お気楽な奴だ。単純だな」


 笑うセリスに、リアンが小さく息を吐きながら突っ込みを入れる。


「なにを!?」 

「あははっ。でも、確かにセリスの言う通りかもな。アンタらには不思議なもんを感じるよ」

「不思議なもの?」

「説明すんのは難しいけどな」


 ロウの問いを誤魔化すように、スキアは再び笑顔を見せた。


 世界の定めた運命。

 それに抗うように戦ってきたロウたちだが、このときばかりは思ってしまった。

 この出会いも運命と呼ぶのなら、運命は決して悪いものばかりではないと。





「ロウはロウよ」


 シンカの瞳は、真っすぐにリンを見つめている。

 その瞳に映るリンは、驚いたように目を見開いていた。


「……そうね。うん、でないとロウさんにも失礼だものね」


 言って、リンはとても柔らかく微笑んだ。

 似ているというだけでロウが何かをしたわけではない。似ているからなんだというのか。それはこちら側の都合でしかない。それで冷たくあしらわれるのは、あまりにも理不尽だ。

 リンにもそれはわかっていた。しかし、目の前の自分よりも年下であるはずの少女に言われ、彼女は思ったのだ。


 もし……これが逆だったなら、と。

 いなくなったのがロウで、彼を探しているのがシンカだったらとしたら。そして、ブラッドを見たときにシンカが自分のような態度をとって見せたら、と。


 大切な人を冷たくあしらわれ、怒らないでいられるかと問われれば、リンにはその自信がない。

 咄嗟の感情のまま、ついあんな態度をとってしまった自分を恥じると同時に、申し訳ない気持ちが溢れてくる。

 後できちんとロウに謝らないと。そう心の中で思いつつ……


「不思議ね。なんで初対面でこんなに話ちゃったのかしら」

「確かに。私もなんだか不思議な感じ」


 リンは眉を下げながら困った表情を浮かべている。

 シンカもリンと同じように眉を下げ、困った表情で返した。


「で、でも、楽しいからいいんじゃないですか?」


 そんな二人の間で、カグラはとてもニコニコと笑顔を浮かべていた。

 二人で旅をしてからというもの、ロウと出会い、リアンやセリス、そしてミソロギアに残ったたくさんの仲間たち。自分たちの周りにこんなにもたくさんの人がいることが、少女にはとても嬉しかった。


 願っていたのだ。いつか、たくさんの仲間に囲まれたいと。そんな仲間に囲まれて笑う姉を見ていたいと、ずっと……ずっと思っていたのだ。


 そんな笑顔を浮かべる少女を見て、二人が優しく微笑む。


「本当にカグラちゃんは可愛いわね」

「ええ、私の自慢の妹よ」

「も、もう! お姉ちゃん……は、恥ずかしいよ」


 照れるカグラを見て、庇護欲をそそられるその姿に二人の心は癒された。


「そういえば、二人は今好きな人っているの?」


「「えっ!?」」

 

 見事に重なった声。あまりに突然の問いかけに、姉妹揃って慌てた声を上げる。

 自分から問いけてしまった事とはいえ、まさか同じような問いかけがくるとは思ってもみなかったのだろう。


「私も教えたようなものなんだし、教えてくれてもいいんじゃないかしら?」

「うっ……」


 からかうように微笑むリンに、シンカは言葉を詰まらせた。

 そして頬を赤く染め、太腿の上でぎゅっと手を握り締めながら下を向く。


「もしかして、ロウさん?」

「ち、違うわよ。ロ、ロウはそのっ、確かに頼りにはなるし本当にいい人だけど……」


 言って、シンカは腰の革製小袋ポーチから御守袋を取り出すと、とても大切そうに胸へと押し当てた。

 そして遠い過去を、深く沈んだ向こうの景色を思い返すように瞳を閉じる。


「わ、私には初恋の人がいて……そ、そのっ……ロウのことは好きとか、そ、そういうのじゃ……ない、の」

「初恋、か。素敵ね」

「今は……絶対に会えないけどね」


 シンカが少し悲しげに微笑むと、そんな姉の姿をカグラもまた、悲しげな表情で見つめていた。


 御守りを大切にしていることから、それがそのシンカにとって大切な人からの贈り物だということはリンにも容易に想像できた。

 しかし、リンは知らないのだ。……二人が未来から来たということを。

 つまりその大切な人には、どう足掻いても会えないということを。


 そんな二人を前に、リンが何かを口にしようとした瞬間、再び訪れる大きな音。

 それと同時に激しい揺れが襲い、紅茶杯カップ丸机テーブルから滑り落ちた。

 陶器が割れる音には目も暮れず、シンカはカグラを庇いながら姿勢を低くし、リンは注視するようにすっと細めた両眼で周囲を見渡した。

 

「な、なに? 今の……」

「群島国のホルテンジアならまだしも、この海域では珍しいわね……二人とも、油断しないで」

「は、はい」





 時を同じく、船首側にいるロウたちも当然、大きな音と激しい揺れに襲われていた。

 それも、先程リンが原因で起きた揺れよりも大きい。


「またか!? 次もまたスキアのお仲間さんか!? ったく、スキアの仲間はみんなこんな感じなのかよ」

「いや、あんなことするのはリンしかいねぇ」

「なら……敵か?」

「この魔力……っ、スキア」


 揺れの原因に気付いたロウがスキアに視線を流すと、彼は周りへの警戒を怠ることなくその推測を肯定する。


「あぁ、間違いねぇな。――降魔こうまだ」

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