74.正しい影の使い方
「それはだな――」
「何があったの? 大丈夫?」
説明しようとしたスキアの声を遮るように、シンカの声が甲板に響いた。
駆け抜ける嫌な予感と共にスキアが振り返ると、
「なっ!?」
部屋にいたはずのロウたち三人が、扉を開けて現れる。
スキアはリン越しにロウの姿を確認すると、目玉が飛び出るのではないかと錯覚させるほど思い切り両眼を見開いた。額からはたらたらと汗が流れ落ち、あからさまにマズイ、といった表情を浮かべている。
「他に誰かいるの?」
シンカの声にリンが振り返った瞬間、スキアは後ろから半ば抱き着くように、彼女の両眼を手で覆い隠した。
「なななな、なんでもねぇよ! ロウ、お前疲れてんだろ? コイツは俺ん仲間だし、心配いらねぇからゆっくり休めって! なっ?」
「ちょっと、スキア……離しなさい」
低い声音で静かに警告するリン。誰が聞いても怒りの色が濃く浮かぶその声に、本来ならスキアとて大人しくそれに従っていただろう。
しかし、その声はまったく今のスキアに届いてはいなかった。
……必死だ。まるで二股をしてる男が、片方とデートいている最中にもう片方と出会ってしまったが如く、必死の形相を浮かべている。
「だが、スキアの仲間なら助けてもらったこともあるし、挨拶くら――」
「いいからいいから! 挨拶はいらねって! だからここは一刻も早く――うぉ!?」
「いい加減にしなさいよアンタッ!」
そんな怒鳴り声と共にリンはスキアの腕を持ち、凄まじくキレのある動きで彼の体を投げ飛ばした。綺麗な直線を描き、スキアがその背を壁に強く打ち付ける。弧ではなく、直線だ。
気が強そうには見えるが体の線は細く、とても怪力には見えない。だというのに素晴らしい投球、いや、投人だった。
それはつまり、リンもまた
「ぐへっ!」
甲板に落ち、スキアの口から潰れたような声が漏れた。こんなにも短い時間で潰れた声を二度あげるなど、セリスですら経験のないことだ。
「「……」」
その光景を、周囲は唖然と眺めていた。
特に後から来た三人にいたっては、何がなんだかわかるまい。
「まったく。本当にごめんなさいね。私はリ――」
自己紹介をしようとロウたちの方へ視線を向けたリンは、最後まで言葉を発することができなかった。
強気で凛とした音が消え、徐々に大きく見開いた目の中で揺れる瞳。リンはその視線を、ロウから外すことができないでいた。
少しだけ開けた艶の乗った唇が僅かに動く。
「う……そ……」
やっとの思いで振り絞るように漏れたのは、小さく弱々しい途切れた声だった。
口許に手を当て、瞳の端から湧き出た涙の粒が、静かに零れ落ちそうになっている。
「だぁぁぁぁぁぁ!」
そんな中、急に勢いよく走って来たスキアがリンを抱え、
「うぉぉぉぉぉぉ!」
抱えたまま逆側の甲板の方へと走り去って行った。
「ちょっと待っててくれー!」
「ちょっと、スキア!?」
そんな言葉を残して……。
「な、なんだったのかしら?」
「ロウさんの知ってる人ですか?」
二人の消えた先を茫然と見つめながら、カグラが誰もが感じていた疑問を問いかけた。
「いや、記憶にないな」
「でもよ。今の反応は、なんだか知ってる風だったぜ?」
「確かにな」
そんな二人の言葉を聞いて、ロウはスキアたちの走り去ったほうを見つめた。
何かを思い出そうと、沈んだ深い深い記憶を必死に辿りながら。
船の前部、ロウたちとは逆の甲板。
皆の視界に入らず声も聞こえないだろう地点まで来ると、やっとスキアは抱えていたリンを下に降ろした。
「ふぅ……」
「ちょっと! どういうことなの!?」
怒声を上げ、リンがすぐさまスキアへと詰め寄る。
「いいから落ち着け。さっきの奴はロウでブラッドじゃない。確かに似てるけどな。最初は俺も驚いたが別人だ」
「っ、あの顔見たでしょ!?」
「声も容姿も確かに似ている。本当に瓜二つだ。でもな、ロウの能力は……氷だった」
「そ……そん、な……」
喪心、とはこういった状態のことをいうのだろう。
リンはぺたんと、力なくその場にへたり込んだ。
顔を俯け、光を失ったような瞳でただ静かに甲板を見つめている。
「だから帰れって言ったんだ」
眉の間に皺を寄せ、スキアは強く下唇を噛み締めた。
リンを直視することができず、僅かに視線を逸らす。
「今度こそって思ったのに……なんで……どうしてなのよ。……いつ、帰ってくるの?」
途切れ途切れの言葉。凛とした音とはほど遠く、こぼれ落ちたのはか細い音。その声にはまるで力はなく、微かに震えていた。
静かに聞こえる波音。遠い水平線に沈んでいく太陽。
船はただ真っすぐに目的地へと向かって進んで行く。
そんな中、ロウたちはリンの浮かべた表情を忘れられないでいた。
誰もが言葉を発することなく流れていく静かな時間。
それからしばらくして、走り去った二人が戻って来た。
「よっ、待たせたな」
「大丈夫なのか? えっと、そっちの……」
「リンよ」
リンはロウから視線を逸らしたまま、一言で答えた。
「リンさんの方も」
「大丈夫よ」
「そうか。俺はロウだ。スキアに――」
「話はだいたいスキアから聞いたわ」
「あ、あぁ。そうか……」
「えぇ」
ロウの問いに、リンは素っ気なく答えていく。実に冷めた態度だ。
逸らすことなく見つめていたさっきとは違い、リンはまったくロウを見ようとはしなかった。
そんなリンの態度に、ロウは思わず一歩後ずさり……
「俺は嫌われたのか?」
隣の少女に小声で問いかけた。
「さぁ?」
一言首を傾げて答えると、シンカがロウの代わりに前へと出ながら挨拶を交わす。
「私はシンカよ。よろしくお願いするわね」
「わ、私はカグラです。よ、よろしくお願いします」
「えぇ、よろしくね」
二人の少女へと向かって、リンは少し微笑んだ。
その声音もロウの時とはまったく異なり、とても柔らかいものだった。
「リンさんは――」
「私の乗ってきた小型船、破損しちゃったからお邪魔するわね。お茶にしましょ。シンカさんたちもどう?」
まるで、ロウと話すつもりはないとでもいうかのように、リンは言葉を口にした。
「いただくわ」
「じ、じゃあ私も頂きます」
そう言って、シンカとカグラがリンの方へと歩いて行く。
そのとき一瞬振り返りながら苦笑した二人の少女がロウに頷いた。ここは任せて、ということだろう。確かに今のロウに、この気まずい空気を変えることができるとは思えない。ここは二人に任せるのが得策だろう。
セリスがロウの背中を慰めるように無言のままポンポンと叩くと、ロウは力なく項垂れた。
「スキア」
リンは甲板の中央に立ち止まると、スキアの名前を呼んだ。
「なんだよ」
「お茶にするって言ったじゃない」
当たり前だとでもいうかのように、リンが首を傾ける。
「だから、なんで俺に言うんだよ」
「スキアの影って便利じゃない」
「だから、何度も言うが俺の影はそんなんのためにあるんじゃ――」
「お~ちゃ」
呆れながら文句を漏らすスキアの声に、リンの声が割って入る。
言ったリンの顔は、まるで早くしろと言っているかのように、とても綺麗な笑顔だった。
「……」
そんなリンに対し、スキアは何も言わずそそくさと準備をし始めた。
普段ならもっと反論していたところだが、今回ばかりは仲間の捜索について黙っていたという負い目から、強く言い返すことができないでいた。
リンもそれがあるから強気にでているのだろう。しかしそれは逆に、これで帳消しにしてやるということでもある。
これで許して貰えるのなら……と、スキアは自分に言い聞かせた。
影から
「どこでも女は強いんだな……」
「うむ」
「ははっ……」
ぽつりとセリスが呟くとリアンはそれに同意し、ロウは乾いた声を漏らした。
船に乗るまでの道中で、シンカが一番なんだなと三人を笑っていた少し前のスキアが、今の自分を見たらどう思うだろうか。
ロウたちが哀れむように見ているスキアの背中には、どこか哀愁が漂っている。
「できたぞ! これで文句ねぇだろ!」
「ありがと」
完了したお茶会の準備は、文句のつけようもないほどに完璧な仕上がりだった。
リンは満足そうに御礼を述べると、椅子へと腰を下ろす。
シンカとカグラは戸惑うような視線をスキアに送りつつも、静かに椅子に座った。
そうしてお茶会を始める三人の少女たちを背に、スキアがロウたちの元へ戻って来る。
「とほほ……」
「お疲れ様」
項垂れるスキアをロウは苦笑いで迎え入れた。
「ったく、人使いが荒いんだよ」
言った瞬間、拳大ほどの魔弾が飛んで来る。
「ぐへっ!」
その魔弾がスキアの後頭部に直撃。頭を押さえながらリンの方へと振り返るが、彼女は普通に笑顔を浮かべながら何食わぬ顔でお茶を楽しんでいた。
「く、くそぉ~」
「わかる……わかるぜ……」
スキアから漏れる悔し気な声を聞き、セリスが両腕を組みながら何度も頷いた。
そんなセリスをスキアは口をへの字に噤みながら見つめ、セリスはそんな彼を真っ直ぐ見つめ返しながら今一度、深く頷いて見せる。
途端、何も言葉に出さぬまま、ガシッっと固く握手を交わす二人。
「何をやってるんだ」
「何か似たものを感じるんだろうさ」
「なるほどな」
リアンは一度は突っ込むものの、ロウの言葉に納得したようだ。
とはいえ、今のロウにとって気になるのは目の前の二人よりも、先程スキアの後頭部に直撃した魔弾だった。
彼の反応から、その威力はちょうど
スキアの講座通り、元々
だが、スキアの愚痴に即座に反応して撃ち出した魔弾……それも極めて威力を軽減したそれを見るに、彼女も相当魔力の扱いに長けていると見て間違いない。
「にしてもよ。ロウがいきなり毛嫌いされるってのも珍しいな」
「そうか? 最初のシンカもそうだったろ」
ロウが眉を寄せながら言葉を返すと、セリスは首を傾げて反論した。
「ありゃロウが、言われたくねぇことを言ったからだろ? 泣いたのなんのって」
「……うっ」
「しかし、本当に知らないのか? さっきの反応にくわえてろくに会話もしてないのに毛嫌いされるということは、もしかすると過去に会ってるんじゃないのか?」
「
そんな三人の会話を、スキアは何かを考え込むように真っ直ぐロウを見つめながら、口を挟むことなく聞いていた。
その視線に気付いたのか、ロウが気遣うように声をかける。
「スキア?」
「あっ、いや。ロウ……その、よ。リンを悪く思わないでくれ」
ロウの呼びかけに、ハッとした表情を浮かべたスキアはすぐさまリンを擁護した。するとロウは困ったように微笑みながら言葉を返す。
「そのくらいで、悪く思ったりしないさ。人には好き嫌いがあって当たり前だ。毛嫌いされたからって、俺が彼女を嫌いになる理由にはならないよ」
「何か理由があるのか?」
「……場所、変えるか。っとその前に、暗くなってきたな」
リアンの質問に答える前に、スキアは場所の変更を申し出る。
そして、船に取りつけられた発光石を撫でると、淡い光が船上を照らし出した。
男四人が船尾を離れ、辿りついた船首の手摺りに手をかけると、
「で、理由だったな。実はな……」
スキアは神妙な面持ちで重たい口を開いた。
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