66.逆位置からの正位置

「しかしまぁ、ここまで行くと重症だな」

「……」


 セリスがぽつりと言葉を零すと、その横では自分を落ち着かせるように息を吐いたリアンが携えた長剣の柄に左手を乗せ、その思いとは裏腹に長剣の柄を指先でとんとんと、苛ついたように叩き始めた。

 目の前にいる奇妙な男が、彼の苦手な分類タイプだというのは一目瞭然だ。


「おっと、野蛮なことは止めたまえよ。それよりも、君!」


 柄に手を置いたリアンを諫めつつ、一流の劇団員さながらの様子で左手の指先を自分の額に当てながら、男は右手の人差し指をセリスへと突きつけた。


「人を指差すなよ」

「君はなかなか美しい」

「聞いちゃいねぇな」


 確かにセリスは男の中では美形と表現することができるだろう。

 口を開けば残念な典型的な性格タイプだと言える。そして目の前の男も間違いなく、その部類に属するといえるだろう。……実に勿体ない話だ。


「君の名前はなんていうんだい?」

「セリスだ。そういうあん――」

「セリスか! 名前もなかなかに美しいじゃないか」


 ”あんたは誰だ?”と、問いかけるつもりだったセリスなのだが、その先を言葉にする前に男の声が割って入った。


「本当に聞いちゃいねぇ……」


 満足げに勝手に頷いている男を前に、セリスは呆れたように、そして諦めたかのように溜息を漏らした。

 しかし、そんなセリスの様子にもお構いなく男は続ける。


「さっきも言ったけど、僕は美しいものが好きなんだ。僕より美しいものなんてありはしないけどね」

「そうかいそうかい……はぁ」

「君とはいい友達になれそうな気がするよ」

 

 言って、爽やかな笑みと共に男は手を差し出した。


「俺はなれねぇ気がするよ」

「なんだい? 冷たいんだね。じゃあこうしよう。そこのお嬢さんにどちらがより美しいかを聞いて、僕が勝てば友達だ」

「は?」


 心底呆れた声を上げながら、セリスは顔を盛大に顰めた。

 言っている意味がまるでわからない。どうしてそういった発想になるのか。

 奇妙な雰囲気を纏った者は、本当にその思考までもが理解不能だ。


「まぁ、僕が勝つのは当然なんだけどね!」

「…………」

「じゃあ決まりだ」

「何も言ってねぇよ。ってか、勝負の意味がわからねぇ」

「では、お嬢さん」


 セリスの後ろから、そっと様子を窺っていたカグラの小さな肩が僅かに揺れた。

 お嬢さんと呼ばれるような人が他にいないとわかっていても、つい周囲をきょろきょろと見渡してしまう。当然、ここにいる女性はカグラだけだ。


「こいつ、まじで人の話聞かねぇのな」


 セリスがリアンへと救いの眼差しを向けるが、彼は無言のまま目を逸らした。

 その態度が雄弁に物語っている……俺に構うな、と。

 男の興味がセリスに向いているのなら、関わらないほうがいいと判断したのだろう。どうからリアンは、ここはセリスに任せようという腹積もりのようだ。


「僕とセリス。どちらがより美しいかな?」

「あっあの、そのっ……しょ、正直に言ってもいっ、いいんですか?」


 焦りながらも律儀に、頑張って答える少女の姿は実に彼女らしかった。

 とはいえ、そんな健気な少女はセリスの背後から出てこようとしないのだが。


「なんて優しいお嬢さんなんだ。セリスに気を使ってるんだね? でも、セリス

も男だ。負けても、誰も君を責めたりしないよ。で、どっちかな?」

「セ……セリスさん」



「ごめんよ。僕の耳が、少し聞き間違ってしまったみたいなんだ。もう一度、言ってもら

えるかな?」

「セリス……さん」



「おかしいな。僕の耳は、今日調子が悪いみたいだ。申し訳ないけどもう一度――」

「セリスさん!」



「あ、あれ? どうしたのかな僕の耳は――」

「しつけぇよ!」


 溜まらず突っ込みを入れるセリスを見て、このときのリアンはこう思っていた。

 セリスが突っ込みに回らざるを得ない相手……できる、と。


 普段セリスのボケ、もとい、彼自身は至極真面目てはあるのだが、どうしてもリアンが突っ込みの役回りを担ってしまう。

 突っ込みというにはいささか、過剰な暴力的手段であるような気がしないでもないが……一応は突っ込みに分類されるとみていいだろう。


 しかしこの現状はどうだ。さっきから一方的にセリスが突っ込まされているではないか。

 それはリアンにとって、非常に珍しい光景だった。


「君とはいい好敵手ライバルになりそうだね」


 先の言葉を堂々と変えた男に、呆れ果てるセリスたち。

 深く嘆息し、話を聞こうという当初の目的を完全に忘れてしまっていた。


「うむ……しかし、本当に照れ屋で優しいお嬢さんだね。でも大丈夫、僕にはわってるよ。君の本心はちゃんと僕に届いている」

「……!」


 見つめてくる男の視線に、カグラの顔が泣くのを堪えるように小さく歪む。

 ぷるぷると身を震わし、口をヘの字に曲げ、眉を八の字に垂らし、目尻には今にも小さな雫が浮んできそうだった。


 本当にどこまで前向きなプラス思考な男だろうか。それだけ、自分というものに自信があるのだろう。

 そんな男と、自分に決して自信を持てないセリスとカグラの二人は、まさに正反対といえる存在だった。

 

「泣くほど嬉しいのかい? 僕は君の味方だからね」


 男がさも自然な動作で投げキッスをすると、それを向けられた少女がとうとう我慢できずに背を向けて逃げ出した。

 普通の人でもこれに対応するのは正直難しい。当然の如く、カグラに耐性などあるわけがなかった。


「あっ、おい! カグラちゃん!」


 セリスが慌ててカグラの後を追いかける。

 と、背後からは先程までの軽薄な声音から一転した男の声が聞こえた。


「……カグラ?」


 男は何かを思い出すような仕草をすると――口元を釣り上げながら、笑った。


「まさか、こんな所で出会えるなんてね。僕はラッキーだよ」

「セリス、後ろだ!」


 リアンの声を受けたセリスが咄嗟に後ろを振り返る。

 すると、すぐそこまで迫っていた男が細い刺突用の剣を構え――


「美しく……散ってくれ」


 連続で鋭い刺突を繰り出した。

 的確な上に素早いそれは、常人では目視することすら困難だろう。

 セリスがカグラを引っ張っぱりながら全力で横に避けることができたのは、彼の直感的なものによるところが大きい。


「きゃっ!」


 すると、少し離れた大きな木々の中心に幾つもの穴ができている。

 それは人間業とは思えないほどで、穴は綺麗な円を描き貫通していた。

 円の縁に荒れた箇所はなく、くり抜かれた穴を見ればその威力も自ずと知れる。


「なっ、なんだ?」

「美しい破壊というのは、無駄な破壊はしないものだよ」

 

 リアンが無防備な男の背後から斬りかかるが、男はそれ余裕の笑みを浮かべながら華麗に躱し、後方へ宙返りしながら距離をとる。そして――決めのポーズ。


「お前は何者だ?」

「ふふっ、僕かい? 世界……いや、宇宙一美しい僕は、ルインの貴公子。そう! みんなのアイド――」

「ルインだと!?」

「ちっ!」


 リアンの問いかけに答えた男の声を遮るように、セリスが驚きの声を上げ、リアンが大きく舌打ちを漏らした。


「ちょっと君たち! 人の話は最後まで聞くものだよ! 本当に美しさをわかっていないね」

「お、お前が言うなよ……」


 セリスが半ばげんなりと突っ込んだ。相手が強いとわかっていても、男のテンションには付いていけない。緊張感を維持するのを困難とする戦いなど、初めてのことだった。


「そもそも! 美しさというのは――……」


 顎に手を添えながら瞑目し、突然美について語り出した男をよそに、リアンの脳裏に過ったのはカグラの導き――ONオン

 しかしそれはあくまで、どうにも不安になるセリスの言った言葉だ。


「おい、セリス」

「なんだよ、こんなときに」


 エヴァの推測を聞いてたというのに、どうして気付くことができなかったのか。エクスィが六という数字を意味しているものだと、彼女が言っていたのを失念していた。

 その数字が強さの序列なのか、組織に入った順なのかはわからない。が、この男も間違いなくエクスィと同等の強さを持っていると言っていいだろう。


 ロウが気配を探っても、大きな力を感じなかったのは当然のことだった。

 この島にいる敵は降魔こうまではなく魔憑まつき。気配を消すことを知らない単純な降魔とは違い、普段から魔力を撒き散らすようなことを、魔力の扱いに長けた魔憑ならしないからだ。


 つまり導きの札カードが指し示したのはONオンではなく……


「お前が見たのは、NOナンバーじゃないのか?」

「…………」

 

 そこまで言われ、セリスも導きの札カードが逆さになっていた可能性にようやく辿り着いたのだろう。一瞬ぎょっとした表情を浮かべ、ぱちぱちと瞬きをしながらとぼけた顔でリアンを見つめる。


 そんな彼を前にリアンの額に青筋が浮かんだ瞬間、目に映ったのはセリスが勘違いした原因を不幸にも作り出してしまったカグラの姿だった。

 申し訳なさそうにぎゅっと目を瞑り、ぺこぺこと何度も頭を下げている。 


 その姿にリアンは仕方なく矛を収めると、途端に響いたのは……


「というか、絶対に聞いてなかったよね、君たちっ!」


 ずっと一人で美の解説を続けていた男の声だった。

 その声に三人の視線が集まると、男は爽やかに髪を掻き上げる。


「まぁいいさ。それより、そこのお嬢さんを渡して貰うよ」

「なんでだよ」


 問いながら、セリスはカグラを背中に隠した。


「ミゼンが見せてくれた一覧表リストの名前と同じだから間違いない。カグラという名前はどの国でも珍しい・・・からね。希少な癒しの力を持つお嬢さん。見かけたら連れ帰るよう言われてたんだ。写真はちらっと見たんだけど、まさかこんなにも可憐なお嬢さんだったとは僕も驚きだよ」

「あれだけ話しておいて、お前は気が付かなかったのか」

「馬鹿じゃねぇか……」

 

 二人が冷静に突っ込むが、リアンは内心こう思っていた。

 セリスに馬鹿と言われる奴がこの世にいたのか……と。


「君っ! 人の悪口を言うなんて美しくないよ!」

「いや、だってよ」

「言い訳なんて聞きたくないよ。どうしても、渡さないと言うんだね?」

「最初は気付かなかったんだしよ、見なかったことにしてくれりゃいいじゃねぇか」

「それは無理な相談だ」


 男は少し困ったような表情を浮かべながら肩を竦めた。


「最初はそれほど興味がなかったんだ。でもね、言っただろ? 僕は美しいものが大好きなんだ。こうも可憐なお嬢さんが仲間になるというのなら、それでやる気のでない男は美しくない。違うかい?」

「カグラちゃんは俺らの仲間だ」

「だったら仕方ない。力ずくはあまり美しくないから嫌いだけど、僕がじきじ――」

「それより、ここを破壊したのはお前の仕業か?」


 男が何かを言おうとしてる途中、それを遮るようにリアンが口を挟んだ。


「だから人の話は最後まで聞きなよ!」

「お前か、と聞いている」


 再度、力を込めて問いかけた。


「それは勘違いだよ。この破壊は美しくないだろ?」

「なんだかんだで答えてんじゃねぇか。律儀な奴だな」


 周りに聞こえないほどの小さな声でセリスは呟いた。

 目の前の男は奇妙で、奇っ怪で、変な男ではあるが、律儀に答えたその様子からは嘘といった類いの雰囲気は感じられない。


「じゃあいったい誰が……」


 呟き、リアンは顎に手を当てながら思考する。

 昨晩の大きな音、というのはこの倒れた木々に関係していることは間違いないだろう。誰かと誰かが争った跡なのか、それとも何か理由があって意図的にこうしたのか。

 そんな頭を悩ませる様子の彼を前に男は……


「美しい僕が教えてあげるよ。聞きたいんだろ? それはね、エニ――」

「ロウ!」


 遠目にロウとシンカが歩いてくるのが見え、セリスが声を張り上げた。


「だから、人の話を最後ま――」

「誰かと一緒のようだな」


 ロウたちの隣を、見たことのない少女が歩いている。


「ちょっ、君たちいい加げ――」

「こんな森の奥に女の子?」


 セリスが目を凝らし、不思議そうに首を傾げた。


「だから! ……ん? 女の子?」


 男がつられてロウたちの方へと視線を送る。


「ここにいたのか。他にも人がいたんだな」

「気をつけろ。こいつはルインの者だ」


 尋ねるロウへ返答したリアンの言葉に、ロウとシンカが瞬時に臨戦態勢を取った。

 

「ル……イン? あっ……」


 そして小さく呟いた少女をロウがその背に庇うものの、すぐさまロウとシンカは同じ結論に至ったのだろう。

 一瞬顔を見合わせながらセリスへと視線を送り、


「セリス、おま――」

「わかってるよ! 悪かったよ!」


 それ以上は言わせまいと、セリスが声を張り上げる。

 自信たっぷりにわざわざ格好をつけながら言ったにも関わらず、盛大な間違いを犯す結果となったのだ。セリスは今すぐ逃げ出したい衝動に駆られていた。


 特に、申し訳なさそうにしているカグラを見た後、突き刺さるような眼光を放ってくるシンカの視線が痛い。

 それは暗に、お前がきちんと見ていればカグラの心が痛むこともなかったのだ、ということだろう。 


 とはいえ、セリスばかりを責めても仕方がない。

 問題はどうしてここにルインがいるのか。そして今度は何が目的なのか、ということだ。

 なんにしてもエクスィの戦いの時とは違い、シンカは万全だし、力の扱いにまだ不慣れとはいえリアンも魔憑へと覚醒している。

 相手が一人なら……一瞬そう思うものの、懸念すべきことが一つだけあった。


 それは、エクスィが力を制御していたということだ。どれだけの力を抑えていたのかわからないし、目の前の男がどこまで力を解放できるのかもわからない。

 臨戦態勢を維持しつつ、ロウは少しでも情報を集めようと視線を素早く左右に走らせながら、周囲の気配を探った。


 そんな中、小さな声を漏らした少女が、見ず知らずの自分をすかさず守ろうとしてくれたロウの背中をじっと見つめていると……


「う~ん……おかしいね。君がどうして、敵の後ろにいるんだい? やっぱりまだ完全じゃないようだね……実に困ったよ」


 男が額に手を当て、やれやれと言わんばかりに首を横に振った。


「何を言ってるの?」

「あぁ、君が姉の方だね。姉妹そろって、本当に美しい」


 言って、男はシンカへと目配せウインクを飛ばした。


「なっ……なんなの、こいつ」


 シンカが一歩後ずさる。

 実際にはあるはずないのだが、気分的にハートが飛んできたような気がしたシンカは、それを思い切り叩き落とす仕草を取った。


「そして、姉妹そろって照れ屋さんなんだね」

「うぅ~……」


 シンカが嫌なものを我慢するように歪めた顔でロウの服の袖を摘むと、見えない汚れを落とすようにその手を拭いた。……ごしごし、と。


「……俺で拭くな」

「うっ……だ、だって!」

「はぁ……まったく。それより、さっきのはどういう意味だ?」


 溜息を吐きながらロウが話を戻すと、男は少女の方へと指を向けながら静かに答えた。


「そのままの意味だよ。君の後ろにいるのは僕の連れなんだ。返してくれないかな?」

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