65.奇妙な男と不思議な少女

「しかし、探すってもな~。なんの手掛かりもないのに、何をどうすんだ?」

「俺に聞くな」


 上がる不満の声。

 確かにそれなりに深い森な上、降魔こうまらしき魔力も感じられない。

 仮に昨晩の話が逸降魔ストレイの仕業だったとしても、まだここに留まっているとも限らないのだ。

 つまりやると事と言えば、地道に痕跡を探すことしかなく……


「じゃあどうすんだよ」

「俺が知るか。とにかく、歩き回るしかないだろ」

「うぅ~」

「セ、セリスさん。頑張りましょう」


 項垂れる駄目な男を拳を握った小さな少女が励ます。

 これでは、どちらが年上かわかったものではない。


「そうだな。とにかくひたすら探索してみるか」

「ん?」


 と、急にリアンがその足を止めた。

 二人もそれに続いて足を止めると、前の光景に目を奪われた。


「ひ、人……ですね」

「そうだな」


 流れる沈黙。

 三人の視線は、少し離れた場所に立つその人物へと真っすぐに向けられている。

 そんな中、先に口を開いたのはセリスだった。


「なぁ、一つ聞いていいか?」

「その答えは俺にはわからんぞ」


 リアンが答える。


「まだ、何も言ってねぇよ」

「わ、私にもわかりません」


 次いで、カグラが答える。


「だから、まだ何も言ってねぇって」

「俺も同じ質問をしたいところだからな」

「わ、私もです」

「あぁ……やっぱりみんな思ってたのか」

 

(――どうして薔薇バラなんだ(なんでしょうか))


 それは三人の心が一つになった瞬間だった。


 森の奥へと進むと少しして、三人は開けた場所へと辿り着いていた。

 開けたといっても、まるで嵐でも通り過ぎたかのように周囲の木々がなぎ倒されてできた空間だ。島の端なのか、そこからは広い海が一望できる。


 その先で見つけたその男は一本の薔薇を口に咥え、一人で海を眺めながら、何故か黄昏るようなポーズを決めて静かに佇んでいた。

 白藤色の髪、白い正礼服タキシードに身を包むその姿は、どこかの貴族を連想させる。


「…………」

「とっ、とにかくだ。先に調査しに来た奴かもしれねぇし、何かわかるかもだよな。話聞いてみようぜ」

「俺は嫌だからな」

「なっ!?」


 その提案を真っ先に拒否したのは、眉間に小さな皺を作りながら目を細めたリアンだ。


「悪寒がする」

「た、確かに。じゃ、じゃあカグラちゃん……行くか?」

「えっ!? わわわ、わたしはそそそのっ」


 いきなり振られた無謀な任務ミッションにとても焦っているカグラ。

 目をぐるぐると回し、とても聞きに行けそうな様子ではない。

 そんな中、なんとも心強い軍艦級の助け船を出したリアンの言葉に……


「いいのか? あんな変な雰囲気オーラ全開の奴相手にカグラを投入して。このことをシンカが知れば……」

「……」


 セリスの血の気がサーッと引いていく。

 リアンの言った先に待つ結果は、容易に想像することができた。

 いや、想像するまでもない。答えが簡単すぎて問題にすらならない。論外だ。


「それはマズい。マズすぎる。こ、ここは俺が行くしか……でも!」


 自分で話しかけに行くのを提案しておきながら、いざ足を踏み出そうとすると本能的に近づくことを避け、引き返したくなる衝動とのせめぎ合い。

 悶えるように葛藤するセリスへと、リアンは無情な言葉を振りかざす。


「ごちゃごちゃ言わずに早く行け」

「わかったよ! 行けばいいんだろ行け――」

「諸君。何をそんなに揉めているんだい?」


 突然聞こえる聞き覚えのない声に、三人の顔が一気に強張る。

 リアンが長剣に手をかけ、セリスがカグラを庇うように前に出た。


「おっと、物騒なそれはしまってくれよ」


 誰も男の気配に気付かなかった。その事実に二人は警戒心を強める。


(こいつは――ただの変な奴じゃない)


 リアンもセリスもこのとき、同じことを考えていただろう。

 気配を悟らせず、いつの間にかこれほどまでの至近距離に近づかれた。そして尚、声をかけられるまでまったく気が付かなかったのだ。それだけでも相手の力量は窺える。


「怖い顔だね。もっとこう……美しくないと」


 言って、前髪を軽く掻き上げながら奇怪なポーズを決める謎の男。


(やっぱり変なのだった……)


 再び、同じ言葉を二人は思い浮かべた。

 だが、警戒していた心が緩みそうになるのを堪え、男を注視したまま一歩、二歩と後退。

 相手の正体がわからない以上、せめて敵か味方の判断ができるまで、決して警戒心を緩ませるわけにはいかない。決してだ。


「怖い顔ばかりしてると、そこの可憐なお嬢さんが怖がってしまうよ?」


 男は口に咥えていた薔薇をそっとカグラに差し出した。が……


「……っ!」


 怯えながらも焦りと戸惑いを浮かべたか弱き少女。

 カグラはすぐさまセリスの後ろに隠れ、服の裾を控えめに摘まみながらもぎゅっと握り締めた。


「ほらね?」

「お前のせいだよ!」


 大声を上げ、思わずセリスが突っ込んだ。


 いや、駄目だ。やはり油断はできない。相手の空気ペースに呑まれるな。

 セリスは一瞬緩んだ気を再び引き締めようとする、が……


「まったく。君も顔はいいんだから、もっと言葉使いに気を付けなよ。お嬢さんが怯えてるじゃないか」

「だから、お前のせいだよ!」


 ……駄目だった。

 再びセリスが突っ込みを入れてしまう。


「うむ……この僕の美しさにきっと照れているんだね? 大丈夫だよ。僕は美しい者の味方なんだ。だから、そんなに照れてないで出てきてごらん」


 何故かポーズを決めながら、少し顔を覗かせていた少女に男は手を差し出した。

 が、半泣きになった少女はその場から動くことなく、全力で首を左右に振ってみせる。


 元々、カグラは人見知りで臆病だ。

 こんな変な雰囲気オーラを纏った人に対して、耐性など微塵もあるわけがなかった。

 カグラからすると、初めて出会った未知の生物と言っても過言ではないだろう。


「本当に照れ屋さんなんだね。そこがまた――美しい!」


 男がカグラに目配せウインクすると、少女はそれを避けるように再びセリスの後ろに隠れてしまった。





「――――ッ!?」


 突然、背筋に何か不吉な悪寒を感じたようにシンカは振り返った。


「どうした?」

「カグラが危険に晒されてる感じが……」

「嫌な気配はしないけどな」


 ロウが気配を探ってみるが、大きな力は感じない。

 降魔や魔門ゲートの気配は独特だ。余程大きな力でもない限り、普段から気配を感じ取れるわけではないが、気になる方角へ意識を向ければ気配を感じるのはそう難しいことではない。


 シンカやまだ魔憑になったばかりのリアンに比べ、ロウの気配を読む感覚が優れているのは、シンカにとっても信頼できるものだった。

 とはいえ、物理的に危険な降魔とはまた違い、小さな少女が違う意味での危機に晒されようとしていることを、この二人が知る由もない。

 虫の知らせ、とでもいうのだろうか。シンカが一瞬嫌な何かを感じたのは、単に妹を想う姉のみが持つ何か特別なものなのだろう。……妹を愛す姉シスコン恐るべし。


「ううん、きっと気のせいよね。気のせい……だといいんだけど。う~ん……」

「気になるなら戻るか?」

「……いえ、大丈夫。リアンたちもいるしね。先に進みましょ」

「ん? ……あぁ」


 シンカは頭を少し横に振って気持ちを切り替えると、止めた足を進めた。

 首を傾げながらも、ロウは先に進んだ少女の後ろを追いかける。

 幾度かちらちらと後方を気にしている様子を見せていたシンカだが、リアンとセリスがいれば一応大丈夫だと判断しているのだろう。しかし、信用はしているから戻ることもしないが、やはり気になるといった複雑な姉の心とは大変なものだ。


 そしてそれから少し歩くと、小さな泉の傍で一人の少女が静かに佇んでいるのが見えた。

 

「……ん? こんなところに女の子?」

「不自然すぎるわね」

「だが、何か知ってるかも知れないな」


 二人が少女に近付くと少女はそれに気付き、慌てたように振り向いた。

 犬の耳が垂れたような帽子を被り、右目は包帯で覆われている。見える左目は、怯えたように瞳を揺らしていた。

 まるで紅水晶のような美しい輝きに、目を奪われた二人の思考が停止する。

 

「だ……誰?」


 その声に、我に返ったロウとシンカが顔を見合わせた。

 二人からすれば、この少女の反応が完全に予想外なものだったからだ。


「驚かせたならすまない。俺たちはまだこの島に着たばかりなんだ。で、昨晩大きな音が聞こえたと聞いて調査してるんだが……君が何か知らないかと思ってな」

「そう……ですか。わ、私は何も知りません。気がついたらここに……私の方がこの状況を説明して欲しいくらいで」


 少女は眉を寄せ、唇を噛みながら地面を見つめている。

 身長はシンカよりも高いが、怯えるように俯いた姿はどこか小さく見える。はっきりとした年齢はわからないが、ロウと同じか少し下くらいだろうか。

 帽子についた垂れた犬耳は、まるで少女の心情を現しているかのようだ。


「気付いたらここに?」


 シンカが再度、問いかける。


「はい……私はどうしてここにいるの? どうしてこんな……こんな私の知らない場所にいるの? わたっ、私……は……」

「落ち着いて」


 取り乱し、頭を抱えてうずくまった少女を落ち着かせようと、シンカが少女の背中をそっと擦る。そしてとても優しい声音で話しかけた。


「どこまで覚えてるの?」

「わかりません……名前も、何も……何もわからない」

「……ロウ、どうするの?」


 言って、シンカがロウを見上げた。


(……血。見た感じ、この子は怪我をしていない。とすれば……これは返り血だ)


 ロウはじっと少女を見据え、この状況を整理していた。

 少女が纏っているのは黒い長袖の服。下のハーフパンツには血が付着していないからシンカは気付いていないのだろう。

 しかし、普段から血色それを隠す為に黒い服を着ているロウはそれに気が付いた。


 記憶の曖昧な少女が、昨晩のことに関係しているのは間違いないはずだ。

 本当に記憶が曖昧なのか、それともそれが演技なのか。


 ロウに真剣な眼差しを向けられている少女が、怯えたように小さな声を漏らすと、


「ロウってば!」

「あ、あぁ……すまない」


 響いたシンカの声に、ロウは慌てて少女から視線を逸らした。


(だが、演技には見えない。……彼女の心の叫びは本物、か。大きな力も感じない)


 とすれば、昨晩ここで何かが起こった際に誰かが少女を庇ったのか。そのときに返り血が付着し、ショックのあまり記憶が混濁しているというのも考えられる。

 理由はなんであれ、ロウにはこのまま少女を放っておくことはできなかった。

 そしてとりあえず思考を纏めると、


「このまま置いては行けない。一度リアンたちと合流しよう。今は無理に質問しないほうがいいだろうな」

「そうね」


 ロウは少女の前に屈み、目線を合わせて優しく微笑みかけた。


「大丈夫、俺たちが乗船場まで一緒に行ってやるから。時間が経ったり、景色を見ていたら何か思い出すかもしれないしな」

「ほ、本当……ですか?」


 少女の怯えた瞳が、ロウの視線と交わる。


「あぁ、立てるか?」

「はい」


 頷き、差し出されたロウの手を取りながら立ち上がった少女は、少しだけ安堵したように微笑んだ。

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