64.運命のコイントス

「た、助かった……」

「俺は納得がいかない」


 乗り越えた恐怖。

 海藻の反射攻撃カウンターで済んだ事に、安堵の息を漏らしたロウとは裏腹に、何故か不満の声を上げるリアン。

 真っ先に無残にも散った男が脳天に食らったものに比べれば、どれだけましなことか。


「これくらいで済んだならいいだろ」

「なぜ海草なんだ」

「そっちか。まぁ……でも、わかったぞ」

「ん?」

「もう一回投げてみろ」


 リアンはきょとんと首を傾げながら、言われた通りオモリの付いた糸を投げ、海に垂らした。


「……」

「……」


 穏やかな波である。

 聞こえてくる飛沫の音。


「「…………」」


 穏やかな日差しである。

 頬をなでる潮の風。


「いつ、糸を止めるんだ?」

「……」


 言われて、リアンが糸を止めた。


「みてろ? 今にかかるぞ」


 途端、糸が強く引っ張られ、プツンという音と共に空しく切れた。


「むっ」

「わかったか? 糸を止めるタイミングが遅すぎるから、海底の海草に引っかかってたんだ。引っかかった状態で船は進むから、糸が引かれて切れる」


 海釣りが初めてだと言っていたリアン。

 確かに昔、一緒に釣りをしたことはあるが、リールのついた竿は一度も使ったことがない。使ったことがあるのは、一定の長さの糸がついた垂らせばいい竿だけだ。


「俺は気付いていた」

「なら、どうして止めなかったんだ?」

「…………。ロウの観察力を試したにすぎない」

「なんだ今の間は」

「いいから、ここからが本番だ」


 言って、リアンは再び釣り糸を垂らした。

 だが、そう気合を入れ直した彼の背後から響いたのは無情な声。


「おーい! そろそろ着くぞ~!」


 船長が告げた言葉にリアンは目を見開くと、ぎゅっと竿を握り締めながら、


「ここからが本番だ!」


 と、決死の抵抗を試みた。

 そんなリアンの無駄な姿にロウは苦笑すると、


「まぁまぁ、またいつでもできるさ」

「俺の力はこんなもんじゃない」

「わかったわかった」


 後ろ髪引かれるリアンを連れ、二人で前部の甲板へと移動した。

 甲板に着くと、二人がシンカにぎろりと睨まれる。

 まだ機嫌が直っていないのだろう。


「「うっ…」」


 一歩後ずさりそうになるものの、二人はなんとか踏み留まった。

 が、声をかけるまでの勇気はない。

 ロウは不機嫌な姉を避け、心優しい妹へと声をかける。

 姉が優しくないと言っているわけでは、決してないのだが……。


「カ、カグラ。セリスの調子はどうだ?」

「そ、それが、さっきお手洗いに――」

「ふふふっ! なははははっ! ふっかーつ! 便所でリバースしたらスッキリ復活!」


 カグラの声に、勢いよく開かれた扉からセリスの声が割って入る。

 船の部屋に続く扉から突然現れた彼は、すっかり元気になっていた。

 いつものように、というよりも、いつもより高いテンションで甲板へと進み、


「やっぱ健康体が一番だぜ! せっかくの船旅を台無しにしてしまう、酔いという悪魔に俺は打ち勝ったんだ! 俺はこんなもんに負けないのだ! そういや、そろそろじゃねぇのか? 島は見えたのか!?」


 船の先端に片足を乗せ、前方を見渡した。


「おぉ、見えてんじゃねぇか! ったく、せっかく船旅の景色を楽しもうと思ってたのに、もう終わりかよ。残念だぜまったく。しかし、他の国には行ったことがねぇからよ。すげぇわくわくするぜ。っても、ここはまだ中継地点だっけか? まぁなんにせよ、他の国のやつらもいるなら気合入れねぇとな! 最初が肝心だしよ、なめられねぇようにしないとな! お前らもばしっと気合入れろよ? って、ん? どうしたんだ?」


 振り返って周りを見渡すと、皆のじとっとした視線がセリスへと突き刺さる。

 このとき、全員の心の中の声は同じだっただろう。うるさい……と。


「ん?」


 そんな視線に、セリスは首を傾げた。



「着くぞ~!」


 船長の声と共に、船が船着き場に到着。

 ここはケラスメリザ王国と中立国アイリスオウスの間にある島だ。それほど大きな島ではないが、ロウたちの乗った船は補給のため、一度この島に立ち寄ることになっていた。


 港には小さな露店と幾つかの店があり、その奥には森が広がっている。

 次に出発するのは二時間後ということらしく、それまでに戻らなければ置いて行かれるものの、それだけの時間があれば昼食を取るには十分だった。


 ロウたちは近場の露店で各自好きなものを購入すると、広場の長椅子ベンチに集まった。

 そして昼食を取りながら今後のことを話し合っていると、カグラの革製小袋ポーチに仕舞ってある導きの札カードが途端に淡く光りだす。

 片手で乳製氷菓子アイスクリームを持ったまま、カグラが慌ててそれを取り出すと、誤って導きの札カードの束を見事にばら撒いてしまった。


「あわわわわっ」


 さらに慌てたカグラが一生懸命にそれらを拾おうと身を屈めた瞬間、悲劇は連鎖する。

 円錐菓子コーンに堂々と鎮座していたかなめたる存在である薄桃色イチゴ乳製氷菓子アイスクリームが、あろうことか空しく落下。地面に薄桃色の花を咲かせる結果となった。

 

 しかし、悲しんでばかりもいられない。

 カグラは地面にアイスを失った円錐菓子コーン置くと、両手で導きの札カードの救助を試みる。が、淡く光っていた導きの札カードは振り絞っていた力が尽きるようにその光を失い、拾い上げた頃には浮かんだ文字が消えてしまっていた。


 小さな少女に起きたあまりの悲劇に、皆がかける言葉を模索する中、その少女は光を失ってしまった導きの札カードを両手に、祈るような瞳でじっと見つめ続けている。

 その背中は小さく、寂しげで……とても痛々しいものだった。そして――


「お、お姉ちゃん……」

 

 今にも泣きそうな表情を浮かべ、振り返った。


「だ、大丈夫よ、カグラ! ロ、ロウがちゃんと見てくれてたはずだから。そうよね?」

「い、いや、一枚は見えたが……確か”影”だったはずだ」 


 何故かロウに丸投げしたシンカに、ロウは戸惑いながら答えた。

 シンカの位置から導きの札カードは見えておらず、大切な妹の不憫な姿を前に気が動転したのはわかるが、咄嗟に頼るにしてもあまりにも無茶な話ではなかろうか。

 

 確かに一枚に浮かんでいたのは”影”という文字だが、もう一枚光っていたはずなのだ。

 しかし残念ながら、ロウの角度からはそれが見えなかった。

 すると……


「もう一枚は俺にまかせな」


 腕を組んだ体勢から片手を顎に添え、両眼を瞑り、俯きながらいつになく渋い声音で言ったのはなんとも不安になる男、セリスだった。

 そしてゆっくりと顔を持ち上げ、一言……


ONオン、だ」


 皆の瞳に映るのは、何故か決め顔のセリス。

 たまらなく不安だ……本当に合っているのだろうか。


「間違いないのか?」

「間違いねぇ」


 リアンの問いかけに、セリスがはっきりと断言してみせる。


「どういう意味なのかしら?」

「……影とオンか。とりあえず、俺はアイスクリームを買ってくる。いこうか」


 いろいろと痛ましい少女に微笑むと、カグラは曇った表情を一転させ、嬉しそうに微笑んだ。

 二人が新しい乳製氷菓子アイスクリームを買いに行ってる間、浮かんだ文字に三人が頭を捻らせていると、近くを歩いて行った二人組の声が耳へと届いた。


「夜中のあの音……なんだったのかしらね」

「さぁな。結構長い間響いてたな」

「本当に気味が悪かったわ」

「森の向こうなんで誰も近寄らねぇからな。音の原因を探ろうって奴もいやしねぇ」


 たまたま聞こえた話だが、それは少し気になる内容だった。


「気になるわね」

「あぁ……調べておいたほうがよさそうだ」


 程なくしてロウとカグラが戻ってくると、先の会話の内容を説明した。

 もしかすると、森の奥で小さな魔門が開いたか、もしくは逸降魔ストレイか……どちらにせよ、もし仮にそうであるなら放っておくことはできない。

 

 逸降魔ストレイとは、魔門へと帰らず孤立している降魔のことだ。

 つまり群れを成さない野良の降魔ということだが、氷の力をくれた人と旅をしている時、ロウはそれらと何度か遭遇したことがある。

 基本的に神隠しと呼ばれるもののほとんどが、この逸降魔ストレイによるものだった。

 

「とりあえず時間はまだあるし……手分けしてみる?」

「だが、この先何があるかわからないのは危険だ。個人行動は避けて、二手に別れたほうがいいんじゃないか?」


 リアンの提案にロウは周囲の気配を軽く探ってみるが、大きな力は感じなかった。仮に逸降魔ストレイがいたとしても、せいぜいバロン級がいいところだろう。

 とはいえ、広がる森はそれなりに深そうだ。

 そこまで広く気配を感じることはできないため、決して油断することはできないが、それほど離れなければおそらく大丈夫だろう。

 リアンの提案にロウが頷くと……


「じゃあ、これで決めようぜ」


 次に提案したセリスが銅貨を皆に手渡した。


「裏は裏同士。表は表同士で行動だ」

「いいわ」

「は、はい」

「じゃあ行くぜ。せーの!」


 キーンッ、と甲高い音が響く。

 皆が銅貨を弾くとそれを四人は手の甲で受け、一人の少女は両手で受け止める。

 そしてそれらを中央で見せ合った。


「…………」


 流れる沈黙。セリスが裏、残りは全員が表だった。


「じゃあな、セリス。しっかり頑張れよ」


 皆がセリスに手を振りながら、歩き出そうと踵を返す。


「ちょちょちょ、ちょっと待て! 俺だけか? 一人なのか? 俺だけが魔憑じゃないのにか? 心配じゃないのか? 一人ぼっちは寂しいじゃねぇ~か!」

銅貨コインで決めるのは、お前が言い出したことだろ」


 次々と不満の声を漏らすものの、無慈悲なリアンの言葉がセリスの心を抉った。


「でもよでもよでもよでもよでもよでもよでも――ぐふッ!」

「うるさい」


 そして、今度は物理的にリアンの拳がセリスの腹を抉りこむ。


「ひっ……ひでぇ~」


 苦しむような低い声を上げながら、セリスがその場に蹲った。


「はぁ……セリスが哀れだ。もう一回やろう」

「仕方ないわね」

「は、はい」

「おぉ! そうと決まればちゃっちゃとやるぜ!」

「単純な奴め」


 セリスの喜びように、リアンが呆れた声を漏らした。


「まぁまぁ、そじゃあ行くぞ」


 キーンッ、再び銅貨を弾き、皆がそれを同じように受け止めた。

 途端、響く歓喜の声、が……


「よっしゃー! 今回は俺も表だ……ぜ……」

「…………」


 今度は確かにセリスが表だった。しかし、残り全員が裏だった。


「じゃあな、セリス。しっかり頑張れよ」


 再び皆でセリスに手を振りながら、歩き出そうと踵を返す。


「ちょちょちょ、ちょっと待て! また俺だけか? また一人なのか? 個人行動は避けるって話だったろ? まじで心配じゃないのか? なんか、さっきも見た光景じゃねぇか! だから、一人ぼっちは寂しいんだよ!」

「チャンスはやっただろ」


 再び、無慈悲なリアンの言葉がセリスの心を抉った。


「でもよでもよでもよでもよでもよでもよでも――ぐふッ!」

「うるさい」


 そして再び、リアンの拳がセリスの腹を物理的に抉りこむ。


「まっ……またかよ……」


 そして再度、その場にうずくまるセリス。


「ほんと、運のない人……」


 呆れた声を漏らしながら目の前で蹲るセリスを見たシンカの瞳は、まるで彼を哀れんでいるようだった。

 実際、これが起こる確率は相当なものだ。同じことをもう一度やれと言われても、なかなかできることではないだろう。

 それを引き当てたセリスの運は良いのか悪いのか……いや、今回に限っては相当に悪いのだが。


「面倒だからセリス抜きでやるぞ。セリスは裏とする。裏が出た奴がセリスと行動だ」


 リアンがそう口にすると、セリスが口を尖らせ不満の声を発し、猛抗議をした。


「俺だけ仲間はずれなのか!? 俺だけのけ者なのか!? 俺だってやりてーよ!」

「なら、次こそ一人になっても文句言わないんだな?」


 そう言うと――

 

「…………フッ、ここは俺が大人になって我慢してやるよ。さっさとやりな」


 何故か髪を掻き上げ、そう口にした。


「斬っていいか?」

「許可しよう」


 言ってリアンがロウに視線を送ると、そんな彼にロウは普段のロウらしからぬ冷たい言葉で答えた。


「じょ、冗談だ! さぁさぁ、早いこと決めちまおうぜ!」

「表がいいわ……」

「俺もだ」

「なんでだよ!」


 突っ込むセリスに集まる視線。それは決して優しいものではなく、さっきのような哀れみでもない。どこかじっとりとした視線だ。


「うっ、うっ。どうせ、俺となんて誰も行動したくないんだ。そうさ、俺なんてどうせ人気ないんだ」


 皆に背を向けて急にしゃがみこみ、子供のように拗ねだしたセリスを無視して、リアンは先を促した。


「やるぞ」


 キーンッ、弾かれた銅貨。

 それをセリスが何故か羨ましそうな瞳で見守り――


「…………」


 結果は全員表。   

 セリスはもうすでに突っ込む気力もないのか、灰色に染まっていた。

 今風が吹けば、きっと飛ばされてしまうだろう。


「わ、私がセリスさんと行きます。かわいそうです」


 放心状態の哀れな男を前に、カグラが勇敢にも名乗りを上げた。

 先に見た痛々しい少女の姿はなく、まるで死地へと飛び込む勇猛な戦士のようだ。

 そんな少女を見る男の瞳は、僅かな潤みを帯びている。


「カグラちゃん……グスンッ」

「あまり甘やかすとよくないが」

「セリス一人は確かに心配だしな」

「よし! そうと決まれば行こうぜ、カグラちゃん」

「待て」


 意気込んで出発しようとするセリスをロウが呼び止める。


「なんだよ?」

「馬鹿。カグラだけお前と行かせられるわけないだろう」

「そうね」

「おい、そりゃどういう意味だ!」

「…………」


 突っ込むセリスを無視して、三人が銅貨を手に取った。


「無視すんなよ!」


 セリスの声を背に、再び響く四度目うんめいのコイントス。

 結果、リアン、セリス、カグラ。そしてロウ、シンカ、となった。


「不服だが決まりだな。まったく、無駄な労力だ」

「やっと決まったか」

「カグラに何かあったら、許さないわよ」


 シンカがセリスに視線を送りながら忠告、いや、警告を発した。


「なんで、俺にだけ言うんだよ! カグラちゃんのことなら大丈夫だって」

「ならいいけど……」

「お姉ちゃん、気をつけてね?」

「カグラもね」


 とても心配そうに愛妹を見つめるシンカに肩に、ロウはそっと手を置くと、


「とりあえず、一時間後。一度ここにに集合だ」

「了解! じゃあな!」


 ロウの言葉に元気よくセリスが答え、皆は二手に別れて捜索を開始した。

 ただ一人、妹愛の強い姉シスコンがとても……とても強く後ろ髪を引かれながら。

  

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