63.なんだかんだと船の上で
港町ミステルを出向してから二日目。
曇り空で波は少し高く、とても良い航海と言えるものではなかった。
ロウたちの乗る船は二人部屋の客室が六つと、それほど大きくはない。
今回の便に乗っているのもロウたちだけだ。
とても大きな船ならまだしも、これくらいの船なら波の影響は大きく、現に甲板の上で蹲りながら呻き声を上げている者が一人。
「うぅ~……気持ちわりぃ……」
船に酔い、甲板で項垂れているのはセリスだ。
そんな彼の背中を、カグラが一生懸命擦ってあげていた。
なんとも献身的な姿だろうか。それに比べて周りの反応はというと……
「これくらいで船酔いとはな」
「今日は波が高いから仕方ないさ」
「二日目ともなると、なんだか地上が恋しいわね」
そんなロウたちの会話を聞いて、この船の船長が操縦室から顔を覗かせた。
「悪いな。小さい船だから波の影響がきついんだよ。晴れ空も見えてるから、もうすぐ落ち着くとは思うが。今日の昼頃……ん~そうだな。十三時くらいには着くから、それまで我慢してくれな」
「ひ、昼まで……後何時間だ?」
「だいたい後三時間ですね」
顔を蒼白にし、今にも力尽きてしまいそうな弱々しいセリスの問いにカグラが答えると、彼はまるで最後の力を振り絞る様に言った。
「みんな……すまねぇ。俺はもう、駄目だ。ここで俺がくたばってもきっと……お前たちだけでも……無事に――」
「カグラ。そんな馬鹿は放っておいてもいいぞ」
「同感だな」
「同感ね」
相変わらず冷たいリアンの言葉に、ロウとシンカも同意し深く頷いた。
「で、でも……」
「俺の仲間は冷たいよな。何年の付き合いだよ。でも、ほんとカグラちゃんは優しいな。それにくらべて姉の方は本当に冷た――がふっ!」
途端、台詞をぶったぎるように脳天に落ちた
とても体が柔らかいのだろう。蹲るセリスの後ろで、高く伸びた美しくしなやかで長い脚。
揺れる船の上だというのに
セリスが目を回して気絶すると、それに慌てた声を上げたのは……
「おおお、お姉ちゃん!」
「ふん、私なりの優しさよ。酔ったときは寝るのが一番じゃない。そうでしょ?」
そんな少女の言葉に沈黙するロウとリアンの二人の額からは、嫌な汗が滲み出ていた。
ここ最近、少しはしおらしくなったかとも思っていたが、やはりあまり変わっていないようだ。
ロウの脳裏に過ったのは、最初に出会った頃の光景。
「なによ?」
「な、なんでもないぞ。さぁ、釣りでもするか。なっ、リアン」
「……い、異論はない」
そう誤魔化すように言いながら、そそくさと釣り具の置いたほうへ向かうその足取りは、まるで少女から逃げて行くかのようだった。
「まったく」
「はははっ、姉ちゃん強ぇのな。将来、旦那を尻に敷くタイ――」
ギロリとシンカに睨まれると、船長は言葉を詰まらせながら表情を硬くし、額に脂汗を滲ませた。そしてすかさず、
「い、いやいや。いいお嫁さんになるな。はっ……はははっ……」
船長の乾いた笑い声が虚しく響く。
そして、彼はさっと操縦室の中へと顔を引っ込ませた。
「もぉ、お姉ちゃん。船長さんを怖がらせないでよ」
「わ、私は別に――」
「駄目だよ、お姉ちゃん。お姉ちゃんは笑うともっと可愛いんだから」
「カ、カグラ」
「ロウさんもきっと、怒った顔のお姉ちゃんよりも笑った顔のお姉ちゃんの方が可愛いって思ってるよ?」
少しからかうようにカグラが微笑みかけると、シンカは頬を染めながら少し大きめの声を張り上げた。
「ど、どうしてそこでロウがでてくるのよ!」
「さぁ、どうしてかな?」
「もう……カグラ、あまり私をからかわないで……」
にこにこと笑顔を浮かべる妹を前に、姉は負けたという様子で項垂れた。
それを見たカグラが、悪戯をした子供のように微笑む。
「ごめんね、お姉ちゃん」
「はははっ、唯一の弱点は妹さんだったのか。やっぱ妹さんにはかなわな――な、なんでもありません!」
聞こえていた楽しげな会話につられたように、愚かにも再び顔を覗かせてしまった船長が、シンカにじっと睨まれ、慌てた様子で再び口を閉ざしながら引っ込んだ。
「はぁ~……なんだってのよ」
「でもね、お姉ちゃん。最近のお姉ちゃんって、やっぱり柔らかくなったよね」
「そうかしら? 変わらないわよ」
「ううん、違うよ」
「まぁ、確かにあんな人たちといれば、嫌でもそうなるわよね」
今は見えないロウたちのいる方を見つめながら、呆れたように、しかしどこか嬉しそうに言ったシンカ自身、変わったという自覚はあった。
とはいえ、それを真正面から真っ直ぐに言われると、どうにもこそばゆいものがある。カグラに隠し事ができないのはわかっているのだが……。
しかし、カグラもそんな姉の気持ちを察した上で、ついからかうように言ってしまったものの、大切な姉に笑顔でいてほしいというのは本心だ。
こういった、少しくらいのお茶目は許して欲しいものである。
「素直じゃないなぁ、お姉ちゃんは」
「素直よ」
「じゃあ、今はそういうことにしといてあげる」
「本当だからね?」
「はいはい」
「もぉ! カグラ!」
カグラが可笑しそうに笑うと、シンカの困り声が船中に響き渡った。
二人は姉妹だ。お互いをとても大切に想っている。
しかし、二人がこうやって冗談を言いながら、楽しそうに笑い合うのはいつぶりだろうか。
本来なら、こういった姿が年相応なものだろう。
いつか、こうした当たり前の楽しい日常に戻れる日は、果たして少女たちに訪れるのか……それは誰にもわからないことだが、ただ一つ。
少女たちは確かに変わったのだ。
あまりにも重いものを、たった二人の小さな背中で支えていた。それを一緒に抱えてくれる仲間という存在が、確かに少女たちの心を救ったのだった。
一方、シンカたちと反対側の甲板では、大人しく釣りをしているロウとリアンの姿があった。
向こう側からは、少女たちの騒がしい声や笑い声が聞こえてくる。
それを聞いて、表情には出さないものの、二人の心はとても温かくなっていた。
「なんか騒いでいるな」
「あぁ」
「いつの間にか波も落ち着いて、少し晴れてきた。快適だ」
「確かにな」
「のどかだなぁ」
「そうだな」
「早く地面に足を着けたいもんだ」
「まったくだ」
「……」
「……」
「喉が乾いたな」
「ほら」
ロウが呟くと、リアンが
その普段の表情や口調からは誤解されがちだが、なんだかんだと優しいリアンなのである。
ロウは渡されたお茶を一口、乾いた喉を潤した。
すると……
「おっ、引いてるぞ」
「ふむ」
ロウの言葉にリアンが釣り竿を強く引っ張った、が……
――プチン
引っ張った途端、糸が切れた。
「あ」
「……ふん、もろい糸だ」
「つけてやるよ」
無言のまま、大人しく糸をつけてもらう。
なんだかんだと素直なリアンなのである。
「よし!」
「切れないようにしたか?」
「たぶんな。おっ!」
ロウの糸が引いている。
そしてそれを見事に釣り上げると、かかっていたのは少し大きめの魚だった。魚の知識についてはそれほど詳しくはないが、その種類がなんなのかはさして問題ではない。
要は釣れるか釣れないかだ。
「まずは一匹」
船の魚桶に釣った魚をそっと入れ、ロウは再び糸を垂らした。
「なかなかだな。だが、俺の釣るのはもっと大きい」
「期待してるさ」
「おっ」
リアンの糸が引いている。
すかさずリアンが引っ張る、が――プチン。
再び切れる糸。
「あっ……」
「……ロウ。交換だ」
「どれも一緒だと思うぞ?」
「かまわん」
「仕方ないな」
ロウが苦笑しながら、リアンの釣り竿と交換する。
なんだかんだと我が儘なリアンなのである。
暫しの沈黙。すると、二人の糸が同時に引かれた。
「釣るのは俺だ」
「俺も釣らせてもらうぞ」
――ブチン!
何度か聞いた音と共に糸が切れたのは、リアンが手にした釣り竿だった。
そんな彼の横では、ロウが見事に魚を釣り上げている。
「「……」」
訪れたのは沈黙だった。リアンがじっとロウの手元を見つめ、ロウはその気まずさにそそくさと魚を魚桶へと放り込んだ。
なんだかんだと羨ましそうなリアンなのである。
「なぜだ」
「さ、さぁな」
「「……」」
「よ、よし、リアンのは二重だ!」
ロウはリアンの釣り竿の糸を二重にし、それをリアンに手渡した。
二重にしたからといって釣れるわけではない。それはロウにもわかっている。
しかしリアンは昔から大の釣り好きのくせに、その知識はまったくなく、魚を釣るのが壊滅的に下手くそだった。
誰でも釣れるように撒餌の中に糸を垂らしても、何故かリアンの糸には魚が食いつかない。まるで魚が避けているかのように。
釣り堀なら不思議と釣れるのだが、ここは海だ。
海での釣りは初めてだと言っていたリアンに、釣れる見込みは薄いだろう。
だからこそ、ロウはリアンの知識のなさを利用して、機嫌を取ろうと試みた。現に――
「おぉ。これはなかなか」
感嘆の声を上げ、満足そうにその糸を垂らすリアン。
普段は近寄り難さの感じる彼だが、今浮かべている瞳はまるで子供が
こんなリアンを見るのは、ロウにとっても久し振りだ。
なんだかんだと単純なリアンなのである。
しばらくすると突然、リアンの糸が勢いよく引かれた。
「きたぞ、大きい!」
「まかせろ!」
叫ぶロウに応えるように、リアンは思い竿をあげて切り糸を引っ張った。
しかし、リアンの力でも敵わず海へと落ちそうになる。
「おい!」
前のめりにまったリアンをロウが後ろから支えた。
二人掛りで引っ張るが、それでもなかなか釣り上げることができない。
「くっ、なんて力だ」
「落ちそうになったら釣竿は離せよ!」
「俺は魚如きに負けん!」
「変なとこで負けず嫌いを出すな!」
なんだかんだと、いや、見たまんま負けず嫌いのリアンなのである。
そんな中、二人の少女がタイミング良く……いや悪く、逆の甲板から様子を見にやって来た。
そして目の前の光景に――
「どうしたの? 何か大きい魚でもかか――」
「「うおっ!?」」
二人の少女がロウたちへと近付いた途端、悲劇は起きた。
ロウとリアンが尻もちを着くように後へと倒れる。
見事釣り上げた……というにはいささか語弊があるだろう。
針の先についてきた大量の海草が綺麗に宙を舞い、シンカとカグラの頭に見事に、いや、不幸にも落下した。
「…………」
……沈黙。
シンカの肩はわなわなと震え、カグラは今にも泣きそうな表情で口をへの字に歪めている。そんな二人を前にして、その圧倒的な怒りと悲しみといった二種類の
「私に、何か恨みでもあるのかしら?」
「……ロ、ロウさん……あの、わ、私……」
このとき、ロウたちは酷く混乱していた。
怒ってる? いや、笑ってる? でも何故か睨まれてるような……。
そんな微笑んだシンカの額には、残念なことに薄い青筋が浮かんでいる。
その隣のカグラは怒ってはいないが、とても悲しげな瞳でロウを見ていた。
そんな二人の姿に、ロウは慌てて声を発する。
「あっ、いや、そのっ。海草はあれだ。ミ、ミネラルがだな」
「なにが、言いたいのかしら?」
「つまりだな、シンカは怒ってるより笑ってたほうが可愛いぞ? カグラだっていつもの笑顔のほうが素敵だ。なっ? リアン」
「あ、あぁ」
いきなり話を振るロウに、リアンは取りあえず頷いた。
「なっ!? 海草になんの関係もないじゃない!」
耳まで真っ赤に染まる二人の少女。
さっきのカグラの言葉が、シンカの頭の中で蘇ったのだろう。
カグラに関してはシンカを少しからかうつもりで言った言葉が、まさか自分へ返ってくることになるなど、思いもしなかったに違いない。
シンカは海草を思い切りロウとリアンの顔面に投げつけると、カグラの手を引きながら、恥ずかしさと怒りを内包した様子でぷりぷりと逆の甲板の方へと戻って行った。
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