67.破滅の貴公子

「君の後ろに居るのは、僕の連れなんだ。返してくれないかな?」

「――なっ」


 咄嗟に振り返ると、少女は肩を震せながら怯えていた。

 そしてロウの顔を見つめ、首を左右に振りながら声を振り絞る。


「知らない……そんな人、知りませんっ」

「何を言ってるんだい? この場所をこんなにしたのは君じゃないか」

「ち、違う! 私はこんなことしません! 私じゃない!」


 必死の形相で少女は叫んだ。

 胸に手を当てながら、自分じゃないと訴えるその姿が演技とはとても思えない。

 揺れる瞳に怯えたように竦む身体、震える唇から出た悲鳴にも似た音。これが本当に演技だというのなら、とんだ役者もいたものだ。


 しかし、男はそれを否定する。


「君だよ。君はまだ不完全だからね。昨晩、他のルインの者を相手に調整してたんだ。君にやられた相手はすでに帰還したけどね。君はまぎれもなく、ルインの一員なんだよ。早くこっちに――」

「違うっ! ルインなんて知りません! 私はこんなことしてない! 貴方なんて私は知らない! 私を……私を帰してください! 家に帰して……」


 取り乱した少女は、まるで糸が切れた人形のようにその場に崩れ落ちた。

 手の甲と付け根で目許を拭いながら、小さな嗚咽を漏らしている。

 そんな少女を前にして、男は溜息混じりにゆっくりと歩み寄りながら――


「仕方ない。言うことを聞けない子にはお仕置きが必要だね」


 途端、流れるような自然な動作で、男は刺突剣を少女に向けて突き出した。

 が、少女の胸は穿たれず、変わりに響く甲高い音。

 ロウは男が繰り出した剣先を、瞬時に刀で弾いて横へと逸らす。


「いい判断だよ」


 感嘆の声を漏らしながら、男は後方へ軽く跳躍。

 同時に剣先の向いた先にある木々が何かによって貫通し、綺麗な穴が穿たれた。


「どうしてわかったんだい? それとも……たまたまかな?」

「近くに複数ある穴だ」

「やるじゃないか。僕がルインの一員と知った途端に情報集め、というわけか。なかなか美しい分析力だよ。でも、敵を庇う理由が僕にはわからないね」


 言って、男が咎めるような視線を少女へと送った。


「――っ」


 ロウが少女を見るとその瞳は焦点を彷徨わせていた。恐怖で体が硬直し、金魚のように口をぱくぱくとさせているだけで、そこから音が出てくることはない。

 この姿に嘘はない、と誰が見てもそう思えるほど、この少女は目の前の光景に怯えていた。

 するとロウはすっと息を吸い込み、それを吐き出しながら男を見据える。


「お前の今の攻撃を見たらわかる。確かに、この森をこんな風にしたのは別人だろう」

「で、でもよ。ロウ……」

「わかってるよ、セリス。今のこの子に害はない。仮にお前の言う通り敵だったとしても、戦う意思のない者とは戦えない」

「そうね。それに、この子にそんな大きな力は感じないわ」

「わ、私も感じません」


 セリスの意思を汲み取るロウにシンカとカグラが続くと、セリスはお前はどうなんだと言わんばかりの瞳をリアンへと向ける。


「なんだ? 俺だって戦う気のない女を虐める趣味はない」

「だよな!」

「はぁ……まいったね」


 男は頭をぽりぽり掻くと、心底困った表情を浮かべた。

 腕を組み、何かを考え込むように空を見上げる。


「大丈夫だ」


 そうロウが微笑むと、少女は少し照れたような、安堵したかのような、どうしてそこまでしてくれるのかといった疑問を抱いたような、そんな複雑な感情が入り混じった表情でロウを見つめ返した。美しい瞳に紅水晶の光が戻ってくる。


「下がってろ」


 少女を下がらせると、セリスも近くにいたカグラを下がらせた。


「四対一だぜ」

「それでもやるのか?」

「う~ん……どうしたものかな」


 リアンとセリスの問いに、男はころころと複雑に表情を変えながら唸りだす。


 確かにこの男は強いのだろう。少なくともエクスィと同等には。

 しかし、数とは力だ。四人を、ましてやその内の三人の魔憑まつきを相手に真正面から戦うなど、どう考えても無謀としか言いようがないだろう。

 さすがに一人では荷が重いはずだ。

 となれば、ここは荒事を避けて乗り切れるのではないか、そう思った途端――


「四対一というのはかまわないんだけどね。美しい僕が負けるはずもないし」

 

 あまりに予想外の答えに、ロウたちは絶句した。

 男は余裕の表情を向けながら、くすくすと可笑しそうに笑っている。

 どうにも強がり、というわけではなさそうだ。……ロウたちの中に緊張が走る。


 負けることをまるで想定していないのであれば、何を悩んでいるのか。

 ロウたちのそんな疑問を知ってか知らずか、男は再び空を見上げて呟いた。


「役者じゃないからこういったことは苦手なんだけどね……仕方ない。やるしかないね」


 そして、男はゆっくりと全員へ視線を送っていく。


 緊迫した空気がこの場を満たす。うなじの辺りがちりちりと痛むような錯覚を感じる中、ロウたちは浅く呼吸を整えていた。少し開いた足の爪先に力を入れ、男を注視し続けたまま視線の一切を逸らすことはない。


 途端、男は刺突剣を構えて奇妙なポーズをとった。

 右手に持った刺突剣を水平に向け、左手を高く掲げながら左太腿を腹へ引き寄せながら、右足の爪先で立っている。


「……」


 周囲は唖然とそれを見つめていた。とても戦う構えとは思えない。

 男は今までにも奇怪なポーズをいちいちと決めていたが、これを初めて見たロウとシンカは不覚にも一瞬、思考が停止した。


「ん? 見とれてるのかい? 見とれる気持ちもわかるけどね。見とれすぎると、死んじゃうよ?」


 言った瞬間、男は勢いよく間合いを詰め、自分の間合いへとロウを入れる。

 そして、手にした武器が刺突剣であるにも関わらず、それを横に薙ぎ払った。予想していなかった動きではあるが、ロウはそれを紙一重で避ける。が、触れてもいない服が斬り裂かれた。

 男はそのまま刺突剣を目一杯にまで振り切ると、振り抜いた先にはセリスの姿。

 刺突剣の先から、淡い魔力オーラを纏った鋭い風の刃が飛翔した。


「なっ!?」


 短い驚愕の声と共に、咄嗟に横っ飛びで回避。

 セリスの後ろにあった木々が綺麗に切断され、崩れ落ちる。


「なんなのこいつ」


 驚きの表情で男を見つめるシンカの額から、一筋の汗が流れ落ちた。

 男の扱う能力は風で間違いないだろう。突きを繰り出せば槍のような風が、振り抜けば刃のような風が襲い来る。

 先の突きの威力もそうだったが、驚くはその斬れ味だ。

 まともに受ければいくら頑丈な魔憑の体とて、ただでは済まないのは明白。 


「美しい僕はこれくらい余裕なのさ」


 男がポーズを取るように片手を振り上げる。さながら指揮棒タクトを振る指揮者といったところか。

 途端、足元から上へと強風が巻き起こり、ロウを上空へと高く吹き飛ばした。


「まずは華麗に一人」

「そんな簡単にいかないわよ!」


 構えた刺突剣をロウに向け技を繰り出そうとする男へと、シンカが放った黒い魔弾が飛翔する。

 が、それをさえも余裕だという表情を浮かべながら華麗に避けた。

 避けた先にはリアンの姿。すかさずリアンがそのまま斬りかかるが、男はそれを刺突剣でいなすとリアンの腹部を蹴り飛ばし、吹き飛ぶ彼のくぐもった声を聞きながら、まるでステップを踏むように元の位置へと戻った。


「俺も忘れんなよ!」


 セリスが銃を連射するが、男が左手を腹部に添えながら右手を振り上げると弾丸は風で舞い上がり、男に届くことなく弾丸は地面へと落ちる。

 そして一礼をするかの如く、男は上げた手を大きな動作で華麗に下ろした。


「くそっ!」

「今度こそ一人、ん?」


 上空を見上げると、片手を上げたロウの上に光る巨大な氷塊。

 太陽の光を受けて輝く自身を上回る大きさのそれを、ロウは男へ向け勢いよく振り下ろした。


「氷鎚ッ!」

「おぉ、美しい! なんて美しい氷の結晶なんだろうか! だけど――」


 男はその光る氷の塊にその瞳を輝かせ、感嘆の声を漏らした。

 途端、凄まじい速さで繰り出された連続での刺突。


「それを華麗に破壊する僕は、もっと美しい。この氷すら僕を着飾ってくれる」


 氷塊が小さく砕け、氷を貫通した内の一撃がロウの肩を抉る。

 粉々になった氷の破片が、キラキラと光を反射させながら男へと降り注ぐ中、男は決めのポーズをするかのように、その場に佇んでいた。


「ッ!?」


 鮮血を巻きながら地面に落下するロウを見た少女とカグラが、口に手を当て声にならない悲鳴を零した。


「ロウ!」

「余所見はいけないよ?」


 ロウの身を案じ気を逸らしたシンカに、男が鋭い風の刃を飛ばす。

 対してシンカは咄嗟に細剣を突き出すと、黒い渦を前に出現させて風刃を吸収した。薄い緑の魔力が黒渦を彩る中……


「おや?」


 男はきょとんとした表情で首を傾けた。


「よくもロウを!」


 シンカが男を睨みつけた瞬間、跳ね上がった威力で風の刃を放出する。


「ありがとう、僕に協力してくれるんだね」

「えっ?」


 何故か笑みを浮かべてそう言った男に、シンカが目を丸くする。

 男が巻き起こした新たな強風で、彼女が跳ね返した風刃の軌道を容易く変えた先にはリアンの姿があった。

 それが意味するところは一つしかない。

 男が元々放った風刃が、全力ではなかったということだ。

 

「ちっ!」


 咄嗟に飛んできた風刃を長剣で受けるが、魔力で形を成した風刃はあまりに重く、衝撃を殺しきれずに吹き飛ばされたリアンの体が倒れた大木へと激突した。


「くそっ、リアン!」

「僕に協力してくれた君はやはり美しい」

「私の魔力反射カウンターを逆に利用するなんて……」

「どうだい、僕の風の能力は。美しいだろ?」


 シンカは唇を噛み、余裕の笑みを浮かべる男を忌々しく睨みつけた。

 奥歯を噛むセリスの頬にも汗が伝って流れ落ちる。


「こいつ……ふざけてんのに強ぇ」

「諦めて僕にその姉妹とエニャを渡す気になったかい?」

「エ……ニャ?」


 少女の唇が小さく動く。

 エニャ……その言葉に、少女が微かな反応をみせた。


「そうだよ。君はルインの中でも一桁の数字アリスモスの一人。早く帰っておいで」


 言って、男は手を差し出した。

 その瞬間、鋭利な霜が地面を駆けて男へと襲いかかるものの、男は特に慌てることもなく冷静に自分の体へと風を纏わせ、宙に浮いてそれを躱した。


「渡さない」

「傷口を凍らせて止血したのか。諦めが悪いのは美しくないよ?」

「諦めが悪いのはお前だ!」


 怒号と共に、リアンの放った炎の魔弾が空を駆ける。

 男が一瞬驚いた声を上げると同時に、自分が纏ってる風に炎が巻き込まれた。

 風で威力が増幅し、その身が炎に包まれた……かに見えた。


「なめるなよ」


 だが――


「君がね」


 男がさらに強い風を全身から放出してその炎を掻き消すと、散った炎は小さな火の粉となって、まるで男を着飾るように周囲へと振り注いでいた。

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