第二節『これは救済を願った再会の詩』

25.机上の戦い

 

 ――八月三十一日

 ミソロギア北部にある軍事施設の裏側に広がる庭園を抜けると、一際目立つ大きな煉瓦造りの建物がある。建物の中央にはアヤメを模した大きな刻印、議事堂だ。

 今日、そこで軍事会議が開かれようとしている。当然、昨日のことについてだ。


 緊張で張り裂けそうな胸元に重ねた両手を置きながら、カグラは議事堂の屋上で風に乗って揺れる旗を見つめている。

 カグラは昔からそうだった。何かあった時、これから何かがある時、旗を見つめて気持ちを入れ替え、気合を入れ直す癖がある。


 そういった変わったところはあるものの、その真剣な横顔を見ていると、周りまでやらなければという気持ちになってくるから不思議だ。

 そんなカグラを見て、シンカも気合を入れ直すことができるという、実に便利な連鎖的姉妹関係。二人の少女の意気込みは十分だった。


 そうして覚悟を決め、時計の短針が間もなく一の数字に重なろうとしている頃、議事堂の中の一室で四人は待機していた。

 四人、というのはリアン、セリス、シンカ、カグラのことだが……


「……あの人はいったい何をやってるのかしら」

「だいたい想像はつくがな」

「ったく、こんな大事なときによぉ」

「そうね。ほんと、どこか抜けてるわよね」

「あぁ。それは否定できんな」

「まじでどうすんだよこれ」


 リアンたちが言葉を交わす中、文句の一つも言わなかったカグラだけが、ここにはいないロウのフォローをしようと割って入った。


「で、でも……ロウさんだって、好きで迷ってるわけじゃないんですよ?」


「「「…………」」」


(……可愛いわ)

(……これは天然か)

(……あぁ、昨晩の記憶が蘇るぜ)


 何も言わずにじっと見つめる三人に、カグラが首を傾げている。

 きっと、シンカたちが敢えて口にしなかった想定される事実を自分が口にしたことに、なにひとつとして違和感を抱いていないのだろう。

 残念ながら、カグラに人をフォローする才能はやはりなかったようだ。


「俺たちに責任はないが、ロウを一人で行動させてしまったことについては反省すべき点だろう。だが、悔いてもそろそろ時間だ」

「だな。とりあえず、ここで方針を固めねぇと後二週間しかねぇんだ。気合入れていこうぜ」


 リアンとセリスに頷いたシンカたちを連れて部屋を出ると、ロウ不在のまま、軍議の場へと赴いた。


 途中、都市保安部隊所属の第四小隊、ホーネスの部隊の面々と鉢合わせる。エヴァの体は命に別状はないものの、いまだ意識が戻らないらしい。

 本来なら彼女もこの軍議にも参加するべきところだがそれも叶わず、降魔こうまを目撃したエヴァが参加できないというのは、味方を一人失ったということを意味している。


 リアンとホーネスが何かを話していたようだが、シンカたちはそれを気にかける余裕もなく、胸に不安を抱えながらその足を進めた。


 大きな扉を潜り部屋の中に入ると、そこは異様なほど緊迫した空気に包まれていた。

 集まった数々の視線にシンカとカグラは思わず息を飲み、視線を周囲に泳がせる。シンカですらこのような状態なのだから、人見知りのカグラにしてみればとても耐えられたものではないだろう。

 見ていて可哀相になるほどに、その体は固く硬直していた。


 こんなときにロウは何をやっているのだとシンカは内心思ったが、いない人を責めても何も変わらない。シンカはカグラの手をそっと握ると、リアンとセリスに案内された席へと腰を下ろした。


 とても大きな長机テーブルを囲むように座る面々の視線は、胡散臭いものを見るかのような、あるいは値踏みするかのような、そんな懐疑的で気持ちが悪くなるようなものがほとんどだった。

 そんな中、少女たちの座った席の隣に、リアンとセリスがいるのは幸いだろう。知った顔が近くにいることに、彼女たちは少しの安心感を覚えた。


 ホーネスやローニー、キャロがここにいないのは、ここに集まったのが各部隊の小隊長格の者ばかりだからだ。ホーネスは都市保安部隊所属第四小隊の隊長ではあるが、軍議に参加するのは基本、第三小隊の隊長までと決まっている。

 セリスは小隊長ではないが、昨日の降魔と対峙している重要な参考人だった。


 奥に座るのは議長とその他四人の年配の男。長机テーブルの側面に座るシンカたちの向かいには各隊の隊長格が九人。シンカ側の側面には、同じく隊長格の六人とセリス、シンカ、カグラの九人が着席している。

 

 静かな時間が過ぎていく中、時計の秒針がやけに煩く耳に届いた。

 この場の空気に気圧されるように何度も時計を確認するが、時間が経つのをこれ以上遅く感じたことはないだろう。

 はち切れそうな緊張の中、遂にシンカたちの第一の戦いが幕を開けた。


「これより、軍議を執り行います」

「報告書は読ませて貰った。その上であらためて確認する。リアン・パトリダ……この報告に間違いはないか?」

「はい、間違いありません」


 議長が軍議の開始を宣言すると、左隣に座った男がリアンへと問いかけた。

 そのとき、シンカとカグラは眉を寄せながら、お互いを見合い、首を傾げる。何かに疑問を感じたかのような二人の行動をよそに、リアンは毅然とした態度ではっきりと答えた。


降魔こうま魔憑まつき。神話の、空想の存在がこの世に実在すると? ……セリス・パトリダ。リアン・パトリダの報告に虚偽は含まれていないか?」

「はい」

「では……お聞かせ願えるか? 貴女の知る真実を」 


 一番奥に座る五人の視線が、いや、リアンとセリスを除くこの場にいる全員の視線がシンカへと集中した。

 シンカはそっとその場に立ち上がると、両手を強く握り締めた。そして集う人々を順繰りに眺めると大きく深呼吸をし、自分の知る真実を語り始めた。


「私の話を聞いてくれる場を作ってくれてありがとうございます。……ディザイア神話は誰もが知っていると思いますが、この神話に登場する降魔と魔憑。これらは実在するもので、最近になって広まっている神隠し、これは降魔の仕業です」


 これらはすでに報告書で上がっていることだ。周囲に大きな騒めきはない。

 が、次に重ねたシンカの意見がこの場の空気を変えていく。


「ならなぜ降魔の姿を誰一人として目撃したことがないのか。それは簡単です。魔憑以外の誰一人として、降魔に勝つことができないからです。降魔は基本、ある程度の群れで現れることが多く、その強さは人間を遥かに凌ぎます。この場にいる隊長の皆さんですら、群れを成した降魔に勝つことはできないでしょう」

「くっ……はははははっ!」


 シンカの言葉に大きな笑いで返したのは、向かい側に座っている男だった。

 中央守護部隊所属第三小隊隊長、トレイト・ノビリス。

 中央守護部隊はその名の通り、ミソロギアの近衛兵だ。その隊長に選ばれるのだから当然、その力量には自信があるのだろう。

 シンカのある意味侮辱とも取れる発言に、この男の心中は穏やかではなかった。怒りを含んだ鋭い視線がシンカを貫く。


「貴様、無礼にもほどがあるぞ。我々をなめているのか? そもそも、神話の生き物が本当にいるかどうかも疑わしいというのにその上、我々がその化物に劣るだと? いきなりそのようなことを言われるとはな……」

「わ、私は事実を――」

「仮に! 仮にその化物がいたとしても、我々の軍力をもってすれば、そのようなもの恐れるに足りん。だいたい、本当にそのようなものが存在するのか?」


 その発言に都市保安部隊所属第一部隊隊長、ホーネスの部隊の上官に当たる男が眉を寄せる。


「うむ……神話の降魔が実在するとして、どうして今になって現れたのかは疑問ではあるな。そこのところはどうなのだ?」

「そ……それは……わかりません」


 トレイトの言い方に問題があると思いつつも男がシンカへと投げかけた疑問に、シンカは言葉を詰まらせた。


「だが、リアン小隊長とセリス・パトリダ、それにここには参加していないが、エヴァ・カルディアもそれを実際に見たのだろ? 貴公は集団幻覚でも見たと仰るつもりか?」

「まだそのほうが信じられましょう。もしくは、何か大きな獣を見間違えたのでは?」


 領海監視部隊所属第二小隊隊長の意見に、トレイトは少女たちからリアンたちへと視線を流しながら嘲笑うように答えた。


「そ、そんな……降魔は本当に――」

「だったらその降魔を生け捕りにでもしてここに連れて来てはどうだ? そうすればここにいる皆も信じるだろう」


 シンカが反論しようとするも、その声を遮るように言ったトレイトの言葉に、シンカは俯きながら押し黙った。悔しそうに下唇を噛み締め、握った手が震えている。

 途端、強く鳴り響いた音と共に、全員の視線が机を叩いたリアンへと集中した。


「俺の報告に虚偽があると? そう聞こえましたが」

「降魔などという存在を信じるより、貴様が見間違えたというほうが現実味があると言っているのだ。だいたい、我々が束になっても勝てないような化物など、どう信じろと言うのだ?」

「なるほど、つまり、見間違えたであろう大きな獣如きにに俺が後れをとったと? そしてミロソギア陥落を目論んでいるかもしれないどこぞの組織にまで。そう仰るつもりでしょうか?」

「貴様の耳が正常で安心したぞ」

「だとしたら……中央守護部隊所属第三小隊隊長殿。遺書の用意を済ませておくといい」

「なっ!?」


 リアンの発言に、この場の空気が凍りついた。言われたトレイト本人でさえ、その言葉の意味を理解しきれていないのか、口を開き、両眼を見開いたまま固まっている。


 リアンの視線が周囲を見渡し、最後にトレイトを真っすぐに捉えると、次に言葉を重ねたその声色には確かな怒りが宿っている。

 今までの口調とは打って変わり、普段のリアンの口調に戻っていた。


「いつまで無駄な話を続けるつもりだ?」

「む、無駄な話だと!? 貴様……」

「俺がどうして境界警備部隊に入ったと思う? ある男を探すためだ。いくら無能な貴様でも部隊配属を決める際の模擬戦の結果を忘れたわけじゃないだろ。俺が境界警備部隊を選ばなければ、貴様はこの場にすらいないような小さな存在だ。それをさっきから何を偉そうにぐだぐだと話している。地位が高くなれば態度もでかくなると言うのなら、今から俺が貴様を潰してその地位を奪ってやる」

「くっ……」


 苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、トレイトは曇った音を漏らした。


「報告書をちゃんと読め。文字が読める頭があるのならな。俺はこう報告したはずだ。たった一体の降魔相手に手こずり、魔憑相手には見ていることしかできなかったと。さっき貴様が言ったように、俺がたかが獣如き相手に後れをとったというのなら、貴様は獣にただ噛み殺されるだけだろう」


 訪れる沈黙。リアンの言っていることは確かに正しかった。

 この国アイリスオウスでは軍の所属を決める際、模擬戦でその強さを計る。それにあたり、リアンは上位の成績を収めていた。

 にもか関わらず、成績上位者でしか入隊できない中央守護部隊ではなく、遠方の各町を警邏する境界警備部隊を選んだのは、ロウを探すために他ならない。


 リアンの実力は、この場にいる誰もが認めるものだった。そのリアンが苦戦を強いられた、ましてや、ただ見ているしかなかった相手となると、シンカの言った言葉に真実味を帯びさせるには十分なものである事は間違いない。

 

「リアン、言い過ぎだ。少し冷静になれよ。お前も部隊の恥を晒すな」

「し、しかし!」

「しかしじゃねぇ。嬢ちゃん、すまねぇな」

「あ、いえ……」


 そう言ったのは中央守護部隊所属第一部隊隊長、フィデリタス・ジェールトバー。

 アイリスオウスを含め、この世界の七大国にはそれぞれ一人だけ、各国の象徴となり得る名誉称号を与えられる者が存在している。


 ここに集まった者の中で、ひいては、中立国アイリスオウス内で最強の力を持つ地位に君臨する者こそがフィデリタスであり、名誉称号である光明闘士ホープの名を持つ男だった。


 赤茶のたてがみのような髪を両側に流しているその大柄な彼は短い顎髭をなでながら、少し目尻を下げて苦笑すると、言い聞かせるような声を発していく。


「といってもな、リアン。俺もお前の強さは認めてる。お前が後れを取るような相手がいるのなら、それだけで警戒するべきだろう。個人的には信じたいと思うところだ。だけどな、実際はそう簡単な話じゃねぇのさ」

「フィデリタスの言う通りだ」


 すると、議長の左隣に座っていた男が小さく頷いた。

 ロギ・ヴィエールナ。議長を補佐する立場にいるこの男は、細身でありながら筋肉質だ。補佐官とはいえ軍に所属している以上、それなりに鍛えられているのだろう。白髪混じりの髪を中央で分け、癖のある髪がうねるように流れている。


 ロギはフィデリタスの言葉を補足するように、言葉を重ねていく。


「この国は中立国だ。我々が軍を動かすとなると、ミソロギア内の民間人の動揺は計り知れないだろう。第一、仮に軍を動かしたとてそれが勝ち目の薄い相手ならば、民間人への対処はどうする? 荷物を纏めて逃げさせるか? それとも、勝てぬかわからない戦を前に、我々を信じろと言ってミソロギアに留まらせるか? それを決めるにしても、こちらの損害を計るためにも、敵に対する正確な情報が求められる。間違いがあってはならないのだ」


 再び訪れる沈黙。そう、二人が説明したことは、報告書を読んだ時点で誰もがわかっていることだった。敵が降魔かどうかはさておき、リアンが勝てない相手というのは、敵の力を計るのにわかりやすい物差しとなる。


 だからこそ、より正確な情報が求められるのだ。そんな中、相手が神話にでてくる魔物だということを、そう易々と信じるわけにはいかなかった。

 誰もが難しい表情を浮かべる沈黙の中、口を開いたのは意外にもカグラだった。

 

「こ、降魔の存在を……あぅ」


 発した声に集まる数多の視線。それに怖気づくようにカグラが言葉を詰まらせる。

 振り絞った勇気が霧散するように、顔を俯けてしまった。

 

「カグラさん、でしたね。これは軍議。意見があるなら遠慮せずに言って下さい」


 議長の言葉にカグラは胸に手をあてながら小さく頷くと、霧散した勇気をなんとかもう一度かき集め、弱々し声で続きを話し始めた。


「……は、はい。降魔の存在を信じられないとしても、て、敵が攻めてくるのは本当です。く、九月十三日……です」

「なぜそれがわかる?」

「そ、それは私の導きのカードが……」

「導きのカード? オカルトを信じて軍を動かせと言うのか?」

「あ……ぅ」


 空想に続き妄想、そんな非現実的な話を続けられ、その上で次に出てきた言葉はオカルトだ。トレイトはそれに対する苛立ちを隠すことなく言葉を重ねた。


「もっとはっきりと話せんのか? 聞こえ辛くてかなわん。まともに話せぬなら軍議に参加などするな」

「ご、ごめんなさい……」

「ちょっと! 妹にそんな言い方しないで!」


 トレイトに詰められるように言われたカグラが目尻に涙を溜めながら俯くと、シンカがすかさずカグラを庇った。思わず口調が元に戻っている。

 

「ふっ、貴様の躾がなっていなのではないか? 姉の貴様がそうだから、妹の方がこうなるのだろ? 少し過保護が過ぎるのではないかな?」

「――ッ!」

「……ロウさん」


 助けを求めるように、小さな少女の僅かに開いた唇からぽつりと零れ落ちたのは、ここにはいない男の名だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る