24.姉の本音

 

 静かな……まるで今日一日の出来事がすべて嘘のように穏やかな夜だった。

 薄手の布に身を包み、並んで横になってる少女たちのすぐ近くからは、セリスの小さないびきと、リアンの規則正しい寝息が聞こえてくる。


「……不思議ね」

「えっ?」


 カグラが顔だけ横向けると、彼女を見つめるシンカと視線が交わった。

 互いの瞳に、互いの姿が映りこむ。


「本当に不思議な人たち。ロウさんたちを見てると、本当に信頼できる仲間だってわかるわ。正直……羨ましい」

「お姉ちゃん……」

「ロウさんたちはこんなに謎の多い私たちでも、仲間と言ってくれた。傍にいさせてくれる。手伝ってくれる。優しくしてくれる。それが危険だって……わかってるのに」


 眉尻を下げながら言ったシンカの言葉は間違いなく本心だ。

 苦楽を共にしてきた姉のことなのだから、それくらいはわかる。カグラにとってのシンカは、とても心根の優しい姉なのだ。


「よかったね、ロウさんたちに出会えて。無駄じゃなかったんだね……私たちの旅は」

「そうね。だけど、これが始まりよ」

「でも、どうしてお姉ちゃんはみんなを信じないなんて……」


 シンカは両眼をそっと閉じると横に向けた顔を夜空へと戻し、静かに言葉を漏らした。


「人は変わるわ。あの人たちはまだ、死に対しての考えが希薄なのよ。この先に待つのは、今日よりも過酷な戦いばかり。それでもあの人たちは、私たちを裏切らないと思う?」

「それは……」

「あの三人は昔からの仲間だから、信じ合えてる。でも私たちは違うわ……きっと――」

 

 ”一番最初に見捨てられるのは私たちだ” という言葉をシンカは呑み込んだ。


 たとえ心でそう思っていても、それだけは絶対に口にしてはいけないことだと、そう感じたのだ。


 誰しも自分の命は大切だ。

 仮に自分の命より仲間の命が大切だというお人好しがいたとしても、優先順位は必ず存在する。

 降魔やルインを相手に戦い続ければ、いずれ訪れる時がくるだろう――どちから・・・・を選ばなければならない選択が。

 そのとき選ばれるのは……切り捨てられるのは……


「…………」


 瞼を上げた瞳は悲哀に満ちていた。

 夜空には月が、まるで慰めるように、そして包み込むように優しく照らしている。

 自分はそれでかまわない。自分が切り捨てられたとしても、皆を恨むことはない。

 三人の中に後から割って入ったのは自分なのだから……でも――

 

 それでもカグラだけは……


 そう思うと同時に、すぐ隣から聞こえる愛おしい妹の声。


「でもお姉ちゃん、ロウさんが一緒に来てくれて嬉しそうだったよ?」

「な、なに言ってるの?」


 慌てて顔を横に向けたシンカの瞳に、さっきの悲哀の色は残っていない。頬を少し染めた姉を前に、カグラは意地悪そうに微笑んだ。

 だが、すぐにその笑みを消し去ると、次に浮かんだのは姉を心配する妹の顔だった。


「ロウさんが来ないかもしれないと思った時のお姉ちゃん、寂しそうだった」

「あ、あれは少しでも戦力が欲しかったからよ」

「嘘だよ。お姉ちゃん……今さらそんなこと言っても通用しないよ」

「うっ、ぐ……わ、わかったわよ」


 観念した、とでもいうように、シンカは憂いの籠った瞳を再び夜空へと向けた。

 そして戦いなど知らない少女のような、美しく細い手を上へと伸ばす。


 届きそうな錯覚を覚えるも、決して届かない遠い遠い金銀こんごんの月。

 それはまるで、誰かの背中に似ているように感じた。


 シンカの脳裏をロウの優しい微笑みが過り……


「……最初あの人を見たとき、ほっとしたの。どうしてかなんてわからないわ。でもね、確かにほっとしたの。導きの二人と出会えたのは嬉しかった。本当に……嬉しかったわ。でもあの人は……ロウさんは嬉しさっていうより、安心したの。本当はね、初めて会ったときから、なんだか優しく見守られてるような気がしてた。それになんだか――」


 ――初めて会った気がしない。


「ずっと未来の滅びた世界から来た私が、会ったことなんてあるはずないのにね」


 どうしてかわからないと言いつつも、シンカには薄々わかっていた。

 おそらく時間を遡った副作用で負った、元いた時代の記憶の欠落。

 まるで濃い霧がかかったように朧げに霞む向こう側で、シンカを見つめる男の影。


 きっと、似ているのだ――大切に想っていたはず・・のその人に。


「お姉ちゃんお姉ちゃん」

「なに?」

「大丈夫だよ。ロウさんもリアンさんもセリスさんも、私たちをきっと裏切らない」

「うん」

 

 なんの不安もないと言わんばかりのカグラの浮かべた満面の笑みにつられるように、シンカはとても柔らかい笑顔を浮かべた。

 何一つ根拠のない言葉。何一つ信用できる要素のない単純な言葉。


 しかし、その言葉が大切な妹の言った言葉であるのなら、その笑顔を守るために信じてみるのも悪くはない。そう思うと少しだけ、シンカは心は楽になったような気がした。


 …………

 ……


 翌朝、時計の短針はまだ六の数字に届いておらず、庭園に人の気配はない。

 こんな場所で寝ているところを見られるわけにはいかずに早起きしたものの、セリスはまだ眠そうに欠伸をしている。カグラも目を擦りながらぼーっとしていた。

 同じ睡眠時間でも、眠気の残る表情一つ見せないリアンは単に朝に強いのか、それとも性格故か。


 ロウは日課だと言いながら氷細工を作り、シンカは目尻を力なく垂らしながらそれを見ていた。掌の上の氷塊が、小さな結晶を纏いながら徐々に形を変えていく。


 曰く、より精巧な氷細工を作るということは、魔力の制御の鍛錬になるのだとか。

 一人でいた頃は、まるで癖のように暇さえあれば作っていたらしい。

 後、今の自分が・・・・・戦える状態・・・・・かどうかの確認だとかなんとか言っていたが、頭がまるで回転していなかったシンカの耳には念仏だった。


 ともあれ全員がすっきりと目を覚ました頃、五人は今日行われる予定の軍事会議に備え、カグラの導きの札カードを囲んでいた。

 求めた時にいつでも導きの札カードが応えてくれるわけではないし、むしろ反応しない方がほとんどだ。しかし、リアンとセリスと出会った今なら、新しい導きが標されるかもしれない。

 そう思って、カグラが導きの札カードに魔力を流してみると、


 ――来たる狭間の軍勢は一つの試練


 淡く発光する導きの札カードから文字が浮び上がってきた。


「来たる狭間の軍勢……運命の日に来る降魔こうまのことかしら」

「試練かぁ。それまでに仲間を集めろってか?」

「強くなって乗り越えろということだな」

「……この修行馬鹿め」

「何か言ったか?」


 リアンの言葉にセリスがぼそっと呟くと、彼の向けた鋭い視線に首を勢いよく横に振りながら、なんでもありませんと誤魔化した。


「なんにしても、カードが応えてくれてよかったわ。軍議の前になんの反応もなければ、どうすればいいかわからなかったところよ。でもこれで、運命の日が来ることは確実。この試練……必ず乗り越えてみせるわ」


 シンカの決意を聞いて、セリスは昨日の嫌な出来事を振り切るように、自分の顔を両手で叩いて気合を入れた。そして、内にある不安や恐怖を誤魔化すように声を張り上げると、


「っ、よし! そうと決まれば善は急げだ! 行くぜ! まずは飯だ! この時間からやってるっていや、NAGIナギだな!」


 言うや否や、いきなり立ち上がったセリスがリアンの首根っこをむぎゅっと掴み、半ば引きずるように勢いよく走り始めた。


「や、やめろ!」

「腹ごしらえは重要だぜ! 俺たちが世界を救うなんて大それたことできるかなんてわかんねぇけどよ、やるからには全力だぜ!」

「いいから離せ!」

「何言ってんだ? 善は急げ――ぐへっ!」


 リアンが地面を蹴り上げ、その勢いでセリスの後頭部に蹴りを食らわせる。

 鈍い音と共に、セリスが頭にこぶをつくって地面へと突っ込んだ。


「ったく、阿呆が」


 リアンが服の汚れをはらいながら立ち上がると、セリスがむくっと起き上がり、リアンに向かって無謀な突進を試みた。

 彼の名前を叫びながら突進したセリスとそれを受けたリアンが、年甲斐もなくまるで子供の喧嘩のように掴み合いを始めてしまう。


「あ、あのっ。ふ、二人とも喧嘩は……」

「カグラ。きっとあれは、二人なりのスキンシップみたいなものよ」

「そうだな。放っておいて先に行こう」


 二人を止めようとするカグラをシンカが宥めると、ロウはそれに同意し、背を向けて先に歩き出した。するとロウの後ろから、カグラの呼び止める声がかかる。小さく申し訳なさそうな声だ。


「あ、あの……」

「ん? あいつらのことなら本当に気にする必要はない。すぐ追いかけてくるさ」

「そうじゃなくって、NAGIナギ……よね? そっちじゃなくてこっちじゃない?」


 言い辛そうにしていたカグラの言おうとしていたことを代弁したのはシンカだった。

 彼女の言葉に、リアンとセリスが組み合ったままぴたりとその動きを止める。

 そしてじっとりとした視線をロウへと向けた。


「バカだなぁ、ロウは」

「ロウ、お前の方向音痴は治ってなかったのか」


 いがみ合っていたのが嘘のように、二人から漏れたのは心底呆れたような声だ。


「一人旅しといて、なんで今まで無事だったんだよ」

「よくここに帰って来れたものだ」

「目的地に最短ルートで行けたことあんのかよ」

「ここまでくると一つの才能だな」

「ロウの魔獣の属性がわかった気がするぜ」

「違いないな」


 特に示し合わせたわけでもないのに、どうしてこういったときだけぴったりと息が合うのか。長い付き合いであるが故の、阿吽の呼吸といったところだろう。

 他者が割り込むことが出来ない程の言葉暴力の連撃をロウへと浴びせかけ、


「「迷子だ」」

 

 最後の止めと言わんばかりの、重なり合った一言痛恨の一撃


「おぉ、リアン。珍しく意見があったな」

「そうだな」


 組み合った状態を解くことのないまま笑い合う陽気な二人を見ていると、まるで仲が良いのかわからない実に奇妙な光景になっている。

 とは対照的に、徐々に暗く変化していくロウの様子。


「お、お前ら。黙って聞いていれば言いたい放題……」


 遂には俯いてしまったロウの表情はわからないが、握られた拳は何かを堪えるように小刻みに震えていた。


「だってそうだろ?」

「事実だ」

「家訓なんだよ。『方角は気にするな。貴方の気ままに進みなさい』ってな」


 途端、顔を上げたロウは強い瞳を向けて反論するも、


「でたぜ、家訓」

「ロウの誤魔化すパターンだな」

「お前らっ、そこへなおれ!」


 それでも退くことなく、むしろこの状況を楽しんでいる様子のリアンたちを真っ直ぐ射貫くようにロウは指先を突き付け、そのまま向かっていく。


 リアンとセリスにロウまで加わって、子供のような喧嘩は再開された。

 いつもは止める側にいる頼りのロウまで加わったことで、カグラが再び慌てたように視線を泳がせるものの、シンカはそれを微笑ましく見つめていた。


 きっとロウなりに慣れないことをしつつも、気の張ったシンカたちをどうにかしようと考えたのだろう。

 初めて子供のような姿を見せたロウを前にして、シンカにはそれがわかっているというように、その柔らかな瞳に浮かんでいるのは感謝の色だった。


「あ、あぅ……ロウさんまで。お、お姉ちゃん、どうにかしてよ」

「……いいわよね」

「えっ?」

「仲間……か」

「お姉ちゃん」

「カグラ……私は何がなんでも守りたい」


 ぽつりと漏れた言の葉。 

 それが意味するところなど、聞き返すまでもないだろう。


「私はまだまだ弱いってちゃんとわかってるわ。それでもね――それでも守りたいって、そう思うの」


 そう決意を口にした大切な姉の手を、カグラはそっと優しく握りこんだ。


「お姉ちゃん、仲間っていいね」


 満面の笑みを浮かべるカグラに、シンカは一言頷くと、優しい笑顔を向けて返した。


「シンカさん、カグラちゃん」

「置いて行くぞ」

「きゅ~~~~…………」


 何故が一人だけ伸びているセリスの傍で、二人が少女たちへと呼びかける。


「す、すぐ行きます! ほら、お姉ちゃん!」

「えぇ」


 ロウたちを足早に追いかける二人の少女の足取りはとても軽かった。

 それは、二人で旅をして来た時に感じることのできなかったものだ。

 仲間と足を揃えて歩くという心地良さを、少女たちは感じていた。


「そういえばロウ。世界を旅してどうだった? 他国の軍に強い奴はいたか?」

「そうだな……たくさんいたよ。平和な世界でも、みんな互いを高め合っていた。残念ながら称号持ち・・・・には会ったことないけどな」

「うむ……やはり純粋な力なら、ヴェルヴェナ帝国やコキヤフレル共和国か。無論、この国も負けはしないがな」

「軍として見るなら、ホルテンジア群島国やラーナリリオ公国……」

「ロスマリーノ教国の称号持ちは特殊だものね」

「ケ、ケラスメリザ王国は、騎乗でなら負けないって聞いたことがありますけど」


 追いついた二人の少女が、自然とロウたちの会話に加わっていく。


「それで、俺は他国の軍の中ではどのくらいだと思う?」

「そうだな。リアンで上の下くらいじゃないか」

「むっ」


 ロウの答えに、リアンはわかりやすいほど不貞腐れた表情を浮かべた。

 上の下と言われてこの反応を見せることからもわかる通り、そう、彼は割と負けず嫌いなのだ。……割と、というより見たままかもしれないが。

 


 そして会話を楽しみながら進む後方で、伸びていたセリスがふと我に返った。

 上げた顔の視界の中、ロウたち四人は仲良く並びながらずっと先を歩いている。


「お、おい! 置いていくなよ!」


 ロウたちを慌てて追いかけるセリスを見て、笑いが漏れた。

 

 ――もうすぐ迎える運命の日。


 しかし、二人の少女は理解できていなかった。


 カグラの導きの札カードが告げた、本当の意味を。

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