23.少女たちの願い
二人の少女は無我夢中で走っていた。必死になってロウの姿を探している。
このとき、シンカはどうしてこんなにも必死になるのか、自分自身理解していなかった。
確かに助けてもらった恩はある。
だが、シンカは他人を簡単には信用しない。信じるのは導きとカグラだけだ。
だからこそ、最初からシンカはロウにきつく当たっていた。
しかしそれとは別に、導きに関係のないロウを巻き込まないために、というのも紛れもない事実だ。
それでもロウは、シンカたちに手助けをしたいと言ってきたのだ。
内容も聞かず何を言っているんだ。危険があると承知で、馬鹿ではないのか。
見たことか。事実、ミソロギアまでの道中でロウは危険に見舞われた。
だから近づくなと言ったのだ。
あぁ、なんというお人好し、だから顔も見たくない。
本当に優しいロウが、関係のないことで傷つく姿を見たくないから……
そんなシンカの気持ちを裏切るように、ロウは再び現れた。
そして、少女たちを再び助け、リアンたちへの説得もしてくれたのだ。
シンカの頭も心もぐしゃぐしゃだった。
――信じられない、信じたい。
――巻き込みたくない、助けてほしい。
――あの温もりの謎が知りたい、知るのが怖い。
――優しくしないで、裏切られたときが辛いから。
――でも、優しくされると安心してしまう。
もう何を考えているのか、自分自身のことであるにも関わらずシンカは理解していない。そしてそれはカグラも同様だった。
複雑な気持ちを整理できない二人は、ただ無我夢中でロウの姿を探し続ける。
気が付けばいつの間にか門を越えていた。ロウがミソロギアを出た保証はどこにもなく、むしろこんな夜中に出ていく可能性の方が低いだろう。
だがそれでも、二人の足は止まらなかった。
まるで誰かに導かれるように必死に足を前に進め続ける。
衝動と理性のせめぎ合いを続ける胸中の葛藤は、まるで嵐が吹き荒ているかのようだった。
そんな中、二人の想いに一つだけ確かなことがあった。
もし、一つだけ我儘が許されるなら――傍にいてほしい。
それ以上は何も求めないから。傍にいてくれるだけでいいから。だから――
そう思った二人の目の前に飛び込んできた光景に、二人は鋭く息を飲んだ。
視線の先、そこに見たのはところどころ服が裂けているロウの姿だった。足元には紅い液体が飛び散り、休むようにその体を岩場へと預けている。
「ロウさん!」
「……どうして二人がここにいるんだ。何か言い残したことでもあったか?」
駆け寄る二人に、ロウは気丈に微笑んでみせた。
しかしそんな状態で微笑んで見せても、ただの強がりにしか見えないだろう。
慌ててカグラが治癒の力を使おうとするが、それをロウは柔らかく制止する。
「大丈夫だ」
「で、でも! こんなにぼろぼろじゃないですか!」
「血は出ているが、傷自体は大したことない。止血もしたしな」
カグラは納得のいかない表情を浮かべたまま、ロウを掴んだ手をそっと下した。
「で、本当にどうしたんだ? 言い残したことがあるなら――」
「違う」
シンカがロウの言葉を遮る。
そんな彼女にロウは、いよいよもってわからないという表情を浮かべた。
「……貴方があの場を急に去ったのは……
ロウは何も答えなかった。
どの地点かがあらかじめわからない限り、シンカが降魔や
しかし、ロウの降魔の気配を感知する領域はそれを遥かに上回る。シンカたちと共に戦えなくとも、ロウは一人でも戦うと言ったセリスの言葉は正しかった。
そして、魔憑を退ける力を持ったロウがこうまで傷を負っている理由。それは魔力を使わなかったからに他ならない。魔憑の力を使用すれば、シンカに気付かれてしまう可能性があるからだ。
どうしても、ロウはそれを避けたかった。
だが、そうまでしてもシンカとカグラはここへと辿り着いてしまった。
傷だらけになった体と地面を染める紅い跡。最早、言い逃れすることはできないだろう。
ロウは返す言葉を見つけられないまま、じっと押し黙っていた。
そんな姿を前に、シンカが再び問いかける。
「貴方はどうして……そんなに傷ついてまで私たちを守ろうとするの?」
その問いにも、ロウは何も答えずに沈黙を保っている。すると――
「ねぇ、答えてよ!」
シンカの必死な声に視線を向けると、ロウを見つめるその瞳には辛苦の色が濃く滲み出ていた。
揺れる瞳が、叫ぶ悲痛を帯びた声が、ロウの中の真実を求めてる。
出会って間もない上、共に過ごした時間は本当に極僅かだ。命を懸ける理由なんてあるはずがない。自分が傷ついてまで、二人を守る理由があるはずがないのだ。
そんな思いを宿した少女たちの双眸を前に――
「正直、俺にもわからない。ただ、護りたいと……そう感じただけだ。ずっと二人頑張って来たんだから、一人くらいはそういう人がいてもいいと思ったんだよ」
言って、ロウは負った傷の痛みを気にすることなく、岩場から体を起こした。
実際のところ、どうして二人を護りたいとこれほどまでに強く思ったのか、ロウ自身本当にわからなかったのだ。あるのはただ漠然とした想いだった。
護りたい、いや――護らなければならない。
少女を見て呼び起こされるのは、脳裏を刺激するような赤い赤い夢の光景。
それでいてなお、そう思った自分に戸惑いがないかと問われればそれは否だ。
しかし、それすら打ち消して余りあるほどの強い想いが、ロウを突き動かしていた。
「話はそれだけか? だったら――」
「だったら! だ、だったら……」
次にロウの声を遮ったのはカグラだった。
「ロウさんが――ロウさんが、私たちのボーロ君になってくれますか?」
カグラの口から漏れた声も、小さなその手も震えていた。否定されることを恐れるように。今更何を言っているんだと、そう言われることに恐怖するかのように。
しかし、赤く腫れたその両眼は、ただ真っすぐにロウを見つめている。遠回しに想いをぶつけたカグラらしいその言葉は、まるで祈りのようだった。
「……俺の持つ力は君たちの信じる導きに関係ない。この力をくれた人のようには――」
「貴方は本当に馬鹿よ。でも、優しいわ。温かいし、誰かを守れる強さがある」
「シンカさん……」
「私たちはずっと二人だった。誰も助けてなんてくれなかった。でも、貴方は違った。その力をくれた人が、どんな人だったのかは知らない。でも、貴方はきっとその人に負けないくらい……どうしようもないくらいに、いい人だわ」
そう言って、シンカは困ったような顔で微笑んだ。
「カグラの
シンカの言葉が余程意外だったのか、ロウは目を丸くしてシンカを見つめていた。
次いでカグラに視線を送ると、彼女も眉をハの字に垂らしながら微笑みで返す。
ふと、ロウの視線が二人の手元の花へと向けられると、そこにはロウの見覚えのない花が……ボーロ君が最初に持って来た花とは違う花が握られていた。
「笑顔に……か」
「え?」
「仲間の頼みは断れない。そう思っただけだ」
「……仲間?」
「やっとの思いで辿り着いた君たちは、もう二人きりなんかじゃない。これからは、俺たちも頼ってくれ。陳腐な言葉だが……同じ目的を持つならそれは仲間だろ? 俺は君たちを絶対に裏切らない――約束だ。一緒に頑張ろう」
「うん」
「はい」
ロウの言葉に、二人の少女は柔らかく微笑んだ。
シンカがロウへと優しい微笑みを見せたのは、これが初めてだった。
…………
……
空に浮かぶ白銀の、そして金色の入り混じった月明かりが照らす川沿いの道を並んで歩く三人の姿は、まるであの日のようだった。
いつまでも続くとは思っていなかった……が、あまりにも早く訪れた別れ。
もう叶うことのないと思っていたにも関わらず、こうして再び並び歩くことができた。
その間は終始無言だったが、その空気は満ち足りたものだった。庭園まで戻るまでの長い時間が、三人にとってはとても短く感じるほどに。
周囲に音はなく、とても静かな夜だ。日付はすでに変わっている。
途中、ロウはふと誰かに見られているような気配を感じた。
その気配のほうを振り返るが、そこには一匹の蝙蝠がいるだけだ。遠目でよく見えないし、見えたところで蝙蝠の見た目の違いなどロウにはわからなかったが、その蝙蝠は以前シンカたちを助けた森で見た蝙蝠に不思議とどこか似ているような気がした。
シンカとカグラが「どうしたのか」と声をかけるが、ロウはなんでもないと言いながら、リアンとセリスが待つ庭園へと足を進めた。
…………
……
「やっと戻って来たぜ。もう待ちくたびれたぞ」
「ロウ、生きてまた会えたな」
珍しくからかうように口角を上げながら、意地悪く言ったリアンの言葉に、ロウは気まずそうに一言返し、苦笑した。
ロウの服は修復石で綺麗にはなっているが、それはあくまで服だけであって、傷自体は残っている。ちらちらと心配そうにロウを見るカグラは、やはりそれを気にしているようだった。
「本当に大丈夫だ。ありがとう」
言って、ロウがカグラの頭を優しく撫でると、彼女は照れた表情で頷いた。
「その様子を見ると大丈夫そうだな」
「は、はい。ロ、ロウさんはボーロ君です」
リアンの言葉に、カグラは頬を少し染めながら嬉しそうな笑顔を浮かべた。そんな彼女の言葉に、リアンとセリスが顔を見合わせる。
そしてその意味を察したように「よかったな」と、そう微笑みかけた。
「なら俺たちはもう仲間だぜ。明日から頑張ろうな!」
ニッと笑って見せるセリス。
そんなセリスにシンカはきゅっと唇噛み締めた後、とても言い辛そうに視線を彷徨わせながら、それでも言わなければならないと……そう、弱々しい声で返した。
「ありがとうみんな、本当に感謝してるわ。だからこそ、先に言っておかないといけないと思うから……言わせて。手伝ってくれると言ってくれた貴方たちには、本当に失礼だと思う。けど……私はまだ、貴方たちを完全に信じたわけじゃないわ」
「お姉ちゃん! 皆さんは私たちのことを――」
「いいんだカグラちゃん」
シンカの口から出た予想もしなかった言葉に対して、カグラが反発するのをロウが柔らかな声でなだめると、そんなロウの言葉にカグラは目を丸くしていた。
「……え?」
「いいんだよ」
再びそう繰り返し、ロウは優しく微笑んだ。
それはまるで、シンカがそう言うことを最初からわかっていたかのようで……
そんなロウを見て、リアンとセリスも納得するかのうように頷いて答えた。
「ってか、今日はもう休もうぜ。眠くてたまんねぇよ」
いつもの軽い調子でそう言うと、いつの間にか寝袋に包まっているセリス。
「馬鹿が……ここは庭園だぞ。部屋まで我慢しろ」
「何言ってんだよ、リアン。せっかく久し振りにロウに会ったんだぜ? それに新しい仲間もできたんだ。今日はみんなで一緒に寝ようぜ」
「勝手にしろ。俺は部屋に戻る」
冷めた声で言いながら踵を返したリアンに向けて、セリスは寝袋に包まれた体で器用に跳ねると、リアンの膝裏へと蹴りを放った。同時に、リアンの膝ががくっと崩れ落ちる。
「いいじゃねぇかよ! お前は協調性ってもんがねぇんだよ。だいたい――うっ」
拗ねるようにいったセリスは目の前にある光景に、馬鹿なことをしてしまったとすぐさま自分を責めた。ギギギッ、と壊れた人形のように振り返ったリアンの瞳に宿るのは、誰にでもわかるほどの確かな怒りだ。
途端、強烈な痛みがセリスの腹部へと襲いかかる。
「ぐふっ!」
「貴様、いい度胸だ。せっかく仲間ができたと喜んでいたが、どうやらその別れは思ったより早く来たようだな。さぁ、別れをすませろ。明日会える保証はどこにもないぞ」
ミノムシのようなセリスの腹部を、リアンが思い切り踏みつけている。
セリスには悪いところだが、身動きできずにもがくその姿はなんとも無様だった。
「だ、だぢげで……」
うるうるとした瞳を外野の三人へと向け、振り絞った声で助けを求めるミノムシ。
最初は呆れた様子で見ていた三人だが、だんだんとセリスが哀れに思えてくると、そんな光景を前に真っ先に耐え切れなくなったのは案の定カグラだった。
「リ、リアンさん。も、もうそれくらいで……き、きっとセリスさんなりのスキンシップなんですよ」
「スキンシップだと? ほほぅ。セリス、貴様。後ろからの不意打ちで人の悪口を言うことが貴様のスキンシップなのか? ん?」
カグラのフォローも虚しく、セリスを踏みつけたリアンの足にさらに力が入る。頭を勢いよく左右に振るセリスだが、その足が離れることはない。
カグラの意に反してなぜか悪化してしまった状況に、無力な少女は
「リアン、もういいだろ。許してやれ」
「……ふん」
リアンはそっとセリスの腹部からその足をどけると、最後にその脇腹を蹴飛ばした。伸びるような悲鳴を上げながらゴロゴロと転がっていたセリスの体が、花壇にぶつかって停止する。そんな光景を前に、シンカがたまらず微かな息を吹き出し、笑った。
そして、笑いを堪えるような口許から出た言葉は、皆にとって予想外なものだった。
「最初くらいはいいかもね。今夜は月が綺麗だし」
「お姉ちゃん?」
「カグラは嫌? カグラが嫌なら借りた部屋に行きましょ」
「う、ううん。嫌じゃない、嫌じゃないよ」
嫌なはずがない。少しでも距離を縮めようと姉なりに努力している行為を、姉を愛する妹がどうして否定できようか。
カグラは心底嬉しそうな笑顔を浮かべ、シンカへと抱き着いた。
「……どうするんだ?」
「明日は軍議だ。さっさと寝て早めに起床するぞ」
ロウの問いにリアンは収納石から寝袋を取り出すと、それに包まって横になった。
そんなリアンを見て、ロウたちが顔を見合わせて微笑み合うと、シンカとカグラも寝支度を始めていく。
「俺は寝る前に顔を洗ってくる」
そう言い残し、ロウは夕刻に使った訓練場のシャワールームへと歩いていった。
降魔との戦いで負った血を洗い流しに行ったのだろうと想像できたシンカとカグラは、その背中を心配そうに見送ると、薄手の布に包まった。
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